ロストミソロジー

第一章 白い髪の少女①

 夢を見た。

 記憶にないのだけど、懐かしい夢だ。

 きっと前のように、誰かの夢を見ているのだろう。

 どこかの夕暮れの山道。少女が小さな少年と一緒にいた。

 少女は泣きじゃくる少年を宥めるのに大変そうだけど、その顔は何故だか笑っている。

 もう、泣き虫さんね。

 少女は少年の頭を撫でながら言った。

 だって、怖かったんだもん。

 少年は泣きべそをかきながら、必死に訴える。

 よしよし、こわいのこわいのとんでけー。

 少女がそんなことを言うと、少年は泣き止み、少女を見つめながらこんなことを言った。

 それ、違う。

 折角考えたのに、この子はもう、可愛くないやつめ。

 しかしそう漏らした少女の顔は、とても愛おしそうであった。


       ○


「ああ、もうついてない」

 街もすっかり寝静まった頃、青年は帰宅への途をゆっくりとした面持ちで歩いていた。

 まだあどけなさの残るその青年は、当初はもっと早めに、具体的には夕暮れ頃までに帰宅の途につくつもりでいた。しかし、諸般の事情が重なったことにより事態はもつれにもつれ、遂には人通りがなくなる時刻にて帰ることと相成った。

 本来の帰宅予定時刻より大幅に遅れてしまったのである。それならば勇み足どころか、小走り、いや、もはや人目を憚る必要がないのであるから走ってすらよかったところである。しかし、彼はそうはしなかった。

 理由は簡単である。大学生であり、一人暮らしである青年には帰りを待つ者もおらず、かつ取り立てて急に追われている事案など存在しなかったからである。もはや大幅に遅れてしまったのであれば、早く帰ろうが遅れて帰ろうが同じことである。ならば、急ぐ必要もあるまい。そうして彼は、帰宅への途を早めるどころか、却って最短ルートから外れた迂遠なルートを辿るに至ったのである。

 青年は通りから外れた少し小さな小道に逸れた。特に理由があったわけではない。ただ何となくそんな気分だったからである。

 両脇を無機質なアスファルトに囲まれたその暗い夜道にはポツリポツリと街灯が置かれ、その明かりを頼りに青年は小道を進んだ。

 しかし、その呑気な行進は”それ”によって途端に阻まれた。

「これって、もしかして」

 行き倒れ? ”それ”を青年は思わずそう呟いた。事実、そこにいたのは人と思しきものだったのである。

 青年はおそるおそるそれに近づいてそれが確かに人、さらに言えば十代後半頃の少女らしいことを確認する。そしてそこは街灯のスポットライトを浴びない暗がりの中ではあったが、そのくっきりとした白い髪は、彼女の存在を際立たせるのに十分過ぎる程であった。

「あの、大丈夫?」

 青年はおそるおそる声をかける。すると、仰向けに倒れていた少女は少しうなされたような声を上げて、ゆっくりとその瞼を開けた。

「大丈夫? どこか苦しい所はない?」

 青年は内心少し焦りながらも、なるべくそれを相手に悟られないように落ち着いたゆっくりとした声で話しかけた。少女は青年を一瞥したあと、「ここは?」と徐ろに尋ねた。

「ここは、えーと、x街の路地だよ。君はここに倒れてたんだ。どうしてここに倒れてたか覚えはない?」

 ゆっくりと起き上がる少女に青年は語りかけたが、少女は首を振るばかりである。

「そっか、困ったな。とにかく、警察に連絡して保護してもらわないと。後、一応病院で診てもらった方がいいかも」

 青年は徐ろに携帯電話を取り出そうとした。しかし、その腕を白い整った手が制止する。

「だめ」

「え?」

「多分うっかり寝てしまっただけ。私は大丈夫だから。連絡しないで」

「大丈夫って言っても、じゃあ家に帰れる?」

 その問いに、しかし少女は首を振る。

「他に行く宛がないのなら、一旦警察に保護してもらうのが一番安全だと思うよ」

「それなら、私、貴方のお家に連れてっ――」

 言いかけて、少女の体はゆっくりと前に倒れるので、慌てて青年は彼女の体を抱きとめた。

 やっぱり大丈夫じゃないじゃないか、そう青年は言おうとしたがどうやら少女はまた寝てしまっただけらしく、静かな寝息を立てていた。

「はあ、仕方ない。一日だけだからね」

 青年は少女をその小さな体に背負い、暗い闇道をのそのそと進んでいった。


       ○


「最近何かあったのかね。君にしては随分と景気がよさそうな顔をしている。普段と大違いだ」

「別に何もなかったさ。むしろ何もなかったからこそ、こんなにも晴れやかな気分なんだろうな。いやしかし、俺は普段そんなに景気が悪そうな顔をしているつもりもない。新宮さんよ、少し偏見が入ってるんじゃないか。いいのかね、学者ともあろうものがそんな思い込みで人を判断して」

「別に私は君がどう振る舞っているつもりかの話はしていない。実際問題、君が客観的にどう見られているかを言っただけだ。それとも何かね? 君は周りに朗らかな人間だなあ、などと評されていると思っているのかね?」

 日本の地方都市である菅原市のとある大学。人の行き交うキャンパス内のカフェテリアにて二人の男女は他愛のない会話を交わしていた。通常であれば何てことのない風景。ただ、二人の組み合わせは少し異様であった。男、天野幸彦は百八十センチを超える身長の持ち主で、その全体像だけ見れば、何かしら格闘技に従事していても何ら不思議はない体格をしていた。一方で男の真向かいに座っている女、新宮智映美は百五十センチもない程度の身長で、体格もそれに比例するように華奢な体つきであり、一見すると只の少女にしか見えない容姿をしていた。要するに、全くもって正反対の存在である二人が対面に座っているのである。それが、只の親子なのであれば誰も気にもとめなかったであろう。しかし、彼らの会話や雰囲気は親子のそれではなく、そして、事実親子でも何でもなかった。そのことが、普段周りの人間に関心を示さないような人間ですら思わず脳裏に焼き付けてしまうほどの光景を現出していた。

「まさか、流石にそこまで自意識過剰じゃない。と、そんなことはいい。新宮、要件は何だ」

 天野は自分にとって不毛に至るであろう会話を早々に打ち切って新宮に尋ねた。すると、新宮は「ああ」と不敵な笑みを作ってこう言った。

「喜べ。君の安穏とした日常は一旦休止だ」

「どういうことだ」

「どうしたもこうしたもないさ。”異界騒ぎ”とやらが起きたらしい。つまり君の出番ということだ」


       ○


 菅原市は沿岸部に位置している街である。古くから交易によって栄えてきた地域だが、江戸期には海が綺麗なよくある城下町の一つであった。しかし明治に入ると、作家や画家などが菅原市を描いた作品を発表し、また大学が設立されるなど急速な発展を遂げるようになった。市内には、神社仏閣の他、旧家の屋敷や洋館、書店が立ち並ぶなど文化の香る街として知られているが、一方で、駅中心部や港湾地区であるベイシティと呼ばれる場所ではオフィスビルやホテル、各種商業施設が立ち並ぶなど、ビジネスや各種レジャーを提供する街としても発展していた。

 そうした街の一画の小高い丘の上に神社がある。北宮神社と呼ばれるその神社の急峻な階段を登った先の境内からは、港湾の景色を一望することが出来た。しかし、この神社自体はさほど著名なものではなく、地元の人間でもあまり知られていないような所であるので、結局のところ、その立地の良さに関わらず訪れる人は少なかった。

「はあ、どうしたもんかね」

 北宮神社の境内にある社務所、その広間で天野は力なく畳に腰を落とす。気だるげそうなその背にテキパキとした足取りで女が近寄ってきた。

「あら、天野君。また学校で面倒事?」

「まあそんなとこだ。しかし、今回のは”こっち側”が絡んでるぜ、望月」

 望月、と呼ばれた女はしかし、あまり関心を持たずに「ふうん」とだけ感想を漏らした。

「じゃあ異界騒ぎね」

「そういうことだ。全く、どっからでもこんな話ってのは出てくるもんだな」

 そう文句を垂れながら、天野は開け放たれた障子から見える外の庭を何の気無しに眺めた。その広間は数十人程度の宴会でも利用出来る程の広さを誇っているが、部屋の障子は普段は開け放たれて開放感のあるものとなっている。そして外には桜の木や紅葉樹が植えられており、春になれば桜、秋になれば紅葉と四季折々の風景を楽しむことが出来た。しかし、障子を開け放たっている以上、季節によっては虫は入ってくるものである。ただ、この神社はその対策も施しているようで、未だその室内に狼藉者が立ち入ったことはなかった。

「商売繁盛でいいことじゃない。それとも辞める? 客士」

「まさか、辞めるわけにはいかんよ。折角の仕事だ、有難く受けさせてもらう」

 天野はやはり気だるげに答える。

「そうだ望月」

「なに?」

「時に太君はいるか? 折角だから、彼に手伝ってもらいたい」

「残念だけど、彼はここにはいないわよ。それこそまだ大学なんじゃないかしら」

「ああ、それもそうだ。まいいや、急ぐわけでもないし、少しばかり待ちますかね」

 そう言って天野は徐ろに広間を出ていく。一人部屋に残された望月も広間に特段用があるというわけではないので、そこを後にしようとした。

 ガラガラガラ、と玄関の戸が開く音がする。社務所にはインターホンがあるが、そのインターホンもなしに入ってくる人間は限られている。

「あら、太君。お疲れ様」

「お疲れ様です。望月さん」

 社務所の玄関で靴を脱いで入って来たのは、小柄な少年だった。いや、少年というのは正しくない。彼、太一は市内に通う大学生であり、もう青年と読んでも差し支えない年齢であるからだ。

「丁度よかったわ、天野君が太君のこと探してたわよ」

「僕をですか?」

「ええ。異界騒ぎでに関して、手伝ってもらいたいみたいだけど、それは本人に聞いてみなさい」

「了解です。あ、望月さん」

「ん、何?」

 太が少し躊躇うように目を伏せるので、望月は首を傾げる。

「どうしたの太君? ちゃんと言ってもらわないと分からないわよ」

「ええと、望月さん。折り入って頼みがあるのですが」

「何かしら、改まっちゃって」

「えっとですね、実は、預かってほしい子がいるのですが」

「はい?」

 望月は再び首を傾げる。

「すみません、唐突すぎますよね。でも、言葉通りの意味です。預かってほしい女の子がいるんです」

「は、はあ」

 望月は戸惑いながら返事を返す。言っている意味は理解出来るが、唐突過ぎて理解が追いつかない。

「ちょっと待ってください。今外に待たせているので、連れてきます」

 そう言って、太は入り口の方に向かっていった。

「親戚の子、かしら?」

「どうした望月? そんな所に突っ立って」

 数分後、広間に戻ろうとした天野は廊下でぼーっと突っ立っている望月を見て怪訝そうに尋ねた。

「いえ、ね。さっき太君が来たのだけど」

「ほお、丁度いいタイミングだ。嬉しいねえ」

「預かってほしい女の子がいるって」

「は?」

 天野は首を傾げる。訳が分からない、というように口をあんぐりと開けている。

「どういうことだ」

「さあ、よくは分からないけれど」

 そこへ、今度は女の子を伴って太が社務所の中に入ってきた。

「お待たせしてすみません」

「ええと、太君」

「はい、何でしょう」

「預かってほしいってのは、その後ろの女の子のこと?」

「はい。さやって言います」

 太はそっと体を横にずらし、後ろに控えていた女の子を紹介する。少女は少し緊張した面持ちでゆっくりと前へ出る。

「あ、あの、さやと申します。どうかよろしくお願いします!」

 さやと呼ばれた少女は深々とお辞儀をする。少女は混じり気のない雪のような真っ白な髪をしており、透き通るような白い肌が印象的な女の子であった。

「これはまた、何処の子だ?」

 天野がさやをじろじろと見ながら訝しげに尋ねる。さやは天野の視線のためか、所在なさげに目を動かしている。

「それが、分からないんです」

「分からないというのは、どういうこと?」

 望月は太の方を見て尋ねる。

「実は、事情を話すと長いのですが」

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