第十三章 帰る場所
「ん、ここは?」
少女は目を覚ました。どうやら誰かの腕に抱き起こされているらしい。肩に触れている手は武骨だが、暖かさを感じる。
「結」
呼びかけに呼応するようにゆっくりと閉じていた目を開くと、そこには心配そうに少女を見つめていた父親の顔が映った。
「お父さん?」
「ああ、よかった。無事だったか」
「私、死んじゃった?」
「何寝ぼけたこと言ってるんだ。ここはあの祠の前だよ」
そこまで聞いて、少女はやっと意識が覚醒した。そのまま思い切り父親に抱きつく。
「よかった、お父さん。生きてたのね」
「おい勘弁してくれ。死んだのかと思われてたのかよ」
突然娘に抱き着かれたことに戸惑いつつも、精一杯笑って答える。
「あの、よろしいかしら。お二方」
突然聞き覚えのある女の声がした。たまきと坂上は、声の主を同時に見る。
「水を差すようで申し訳ないのだけど、そろそろ帰りましょう?」
声の主は望月であった。たまきは辺りを見回すと、徐々に明るさを増していく空の下には天野と弓納、そして太が立っていた。
「おはよう、たまき」
「はじめ。うん、おはよう」
「いや、何はともあれよかった。なあ、弓納」
天野が弓納に尋ねると、弓納は笑みを浮かべる。
「はい。何だか私まで嬉しいです。それに今日は休日です。大いに休めます」
嬉々として答える弓納に天野は少し意表を突かれつつも、自分も人のこと言えないかと、心の中で呟いた。
「さて、貴方達はこれからどうするのかしら? もしよかったら、私の方で結ちゃんを保護することも出来るけど」
「ああ、そうだな。そうしてもらうか」
「……いいのかしら、坂上さん」
望月が疑問を呈すると、坂上は肩をすくめる。
「もちかけてきたのはそっちの方だぜ。それにな、何も無期限でなんて言ってねえだろう。準備が出来たら迎えにいく」
「なるほど、そういうことね」
それから坂上は娘の方を向く。
「結、それでかまわねえか?」
「馬鹿。こんな得体の知れない子をまた娘にするなんて。貴方馬鹿よ。真性の馬鹿の中の馬鹿」
「おいおい、俺は馬鹿かもしれんが、そんなに馬鹿呼ばわりされなきゃいかんもんか?」
「当たり前よ! だって馬鹿なんですもの」
少女は顔をあげる。そのいじけた顔には一筋の涙の跡が残っていた。
「ああ、流石の俺も結構傷ついたぞ。いい加減気は済んだか、お姫さん」
「……前みたいに子供らしくは振る舞えないわよ」
「構わねえよ。子供はいつか成長するもんだしな」
そうして坂上は少女の頭を優しく撫でた。
「大きくなったな。結」
「ばか」
「ああ、また馬鹿って――」
少女はその大きな力強い体に抱きつく。力強く抱きしめるその少女の頭を坂上は再び優しく撫でた。
「少し後になっちまうが、これからまたよろしくな、結」
「うん、よろしく。お父さん」
○
……その後、弓司庁の日井氏の捜査が始まったが、その行方はようとして知れず、一向にその手がかりを掴むことは出来なかった。彼はあるいは身を隠しているのかもしれないし、ひょっとすると、故郷である異界へとヒノコの神と一緒に還ったのかもしれない。
『真統記』は客士の一人によって回収された。元々は私の持ち物ではあるということだが、その性質上鍵とそれは必要な時以外には同じところにあってはいけないという取り決めがあるため、然るべき場所に預けられることになった。その行方は私もようとして知らないが、回収した客士は信頼のおける者であるため、およそよからぬ者の手に渡ったということはないであろう。
騒動の渦中の一人であった生野氏は無事である。理由は分からないが、結局日井氏に見逃されたようだ。ただ、黒髪の少女、やちたみたまきに付けられた傷も命に別状が出るものではないものの、完治にはもう少し時間がかかると言われている(ただし、病院に入院しているわけではないとのこと)。元々彼は鬼だということであるが、『真統記』を持っていないこと、それに伴い”鍵”に対する執着も失せていること、加えて元々人畜無害な存在であったため、もう客士の方から何かすることはないらしい。また、生野氏の給仕を務めていた信太氏については前と変わらず生野氏の元にいるとのことである。そして、生野氏の元にいた豊前翁は日井氏と裏で繋がっていたようだが、心底彼に心酔して付き従っていたわけではないようで、騒動以降にふらりと北宮神社に出没して弓納氏を心底閉口させていた。
以上がことの顛末である。この世界に身を置く者からすれば、しばしば起きるであろう出来事の一つなのかもしれない。ただ、私にとっては大きな非日常であった。そしてこの非日常は、表の歴史には決して刻まれることはないのであろう。だからこそ、私はこのことをここに書き記し、そのことを密かに伝えていこうと思うのだ。
そういえば、客士院にまた新しい依頼が入ることとなった。その依頼も一癖も二癖もありそうなものであるが、それだけにどういった展開を見せてくれるのか、心を躍らさずにはいられない。果たして、その案件は予想と反して平凡なものになるのか、それとも、裏に何か大事な真相が隠れているのか……
○
「うーん」
文芸部の部室。早朝かつ休日のせいか、誰もいないこの部室で太は頭を抱えて唸っていた。
理由は至極明快なものである。のっぴきならない事情とはいえ、度重なる欠席によってとある講義の出席日数が足りなくなってしまったのだ。幸い、担当教授の計らいによって追加レポートを提出することによってその埋め合わせとすることになったが、その見るからに幼そうな女教授は優しいのか厳しいのか、その分量が甚だしいものであった。『私が飴だけをあげるわけがないだろう。ほれ、不満を言う暇があるならさっさとやり給え』などと嗜虐心をたっぷりに堪えた顔で言った。
「そんなことを言われても、これはちょっと理不尽だよ。やっぱりあの人、当て付けのつもりなんじゃ」
「はじめ」
「え?」
あり得ない声が響いた。ここにいる筈のない声。太はおそるおそる後ろを振り向く。
「どうしたの? 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」
たまきがきょとんとした顔をする。
「たまき。何でここに」
「あら、そんなに驚くことかしら? ここって不審者さんでも簡単に入れちゃうもの。なのに、私がここにいるのがそんなに可笑しくって?」
「いや、可笑しくはないけど……でもやっぱり可笑しいよ。そもそも大学に一体何の用があるのさ」
そう聞かれてたまきは「そうねー」と人差し指を口に当てて素っ気もない天井を見上げる。
「あ、でもお父さんにはお仕事で用があったのよ。だから私も後学のために連れてきてもらったの。これは本当よ」
「ああ、なるほど。それなら信じるよ。じゃあお父さんもここにいるわけか」
「うん、そうよ」
少女は屈託なく笑う。
「でもまだ駄目よ。あの人はまだお仕事中だから」
「はは、分かってるって。でも今はそれより、気になることがあるな」
彼はたまきの奥でそわそわしつつも呑気に口笛を吹いている大男をねめつける。
「宗像さん。一体何をしているんですか」
「ん? 俺はそこの女の子に道を尋ねられたもんなんで、教えただけだ。まあ、それで行き先が丁度同じだったもんなんでこうやって一緒に来ることになったのだが」
「あのですね。事情はどうあれ、知らない女の子をこんな所に連れてくるなんて駄目じゃないですか」
「太、お前も固い男だな。大体、この子はお前の知り合いなんだろ?」
「う、まあそれはそうですが」
「はじめ、ムナカタは先輩なのでしょう? あまり悪く言っては駄目よ」
たまきから諭され、太は言葉に詰まった。後ろで少女から名前を呼ばれたことへで宗像はとても得意気である。
「この、ロリコンめ」
太は悔し紛れに悪態をついた。
「はじめ、はじめ。何処へ行くの?」
部室から何故か付いてきたたまきが太に行った。
「北宮神社だけど、それがどうかした?」
「うーん、そうね」
たまきは少し思案した後、ニッコリと悪戯な笑みを浮かべる。
「私も付いていこうかな」
「え、坂上さんは?」
思わず太が尋ねると、たまきは苦笑する。
「私も坂上よ」
「あ、そうだった。ごめん」
「もう、おかしな人ね。でも大丈夫よ。お父さんはもう少しお仕事に時間がかかるから。それまでに戻れば、ほら、何の問題も起きなくってよ」
「ははは」
太は顔をひきつらせながら、こういう子が将来人を手玉に取っていくのだろうか、などと思った。
伝統的な建築物が立ち並ぶ閑静な住宅街を抜ける。海の見える高台の通りを歩くと、横に鳥居が見えてきた。
「そういえば」
たまきが呟いた。
「どうしたの?」
「この間はじめに紹介してもらったパン屋さん。美味しかったわ」
「ああ、あそこか」
「うん、よかった。帰りに寄ろうかしら」
「太君、来たわね。って、何で結ちゃんもいるのかしら」
「それは好奇心につられて、といった所ですわ」
たまきは愛らしい笑顔を振りまくが、それと反比例するかのように望月は顔を強張らせる。
「その笑顔がほんのりと怖いわね。ひょっとして何か企んでる?」
「いいえ、何も。斎宮さんの知っての通り、私はもうか弱いひ弱な少女よ」
「嘘おっしゃい。まだ少し力を感じるわよ」
「あら、バレちゃいました?」
異界の門を閉じた時、たまきは消滅こそ免れたものの、自身に宿していた力の大部分を失った。仮に『真統記』を再び手にしたとしても、もう門を開けることは二度と出来ないであろう、と望月が言っていたことを太は思い出す。
「本当に油断ならない子ね。末恐ろしい」
「同属嫌悪ってやつか」
望月の後ろで天野がニヤニヤとして腕を組み壁によりかかっていた。望月は天野の方を振り向いてニッコリと笑う。
「天野君。今のは聞かなかったことにしてあげるけど、あまりあけすけに発言すると、痛い目見せるわよ」
「見せるのかよ。こええな」
「安心してください。天野さんが痛い目に遭ったら出来る限りで治療します。出来る限りで」
天野の横で座っていた弓納は淡々と言った。
「それで、今日集まったのはどうしてでしょうか?」
「そうね、本題に行きましょう」
望月は机に資料を広げた。写真に報告書と様々な資料が並んでいる。写真のいくつかには黒を基調とした服に身を包んでいる人影が写り込んでいる。
「最近、おかしな仮面を被った怪人が街に出没しているって話があるの。おそらく彼の仕業によるものであろう盗難事件が何件も起きてるわ」
「あ、知ってます。”怪盗X”。資産家の豪邸や有名な施設に入って名のある美術品や宝石を盗み出すも、その正体はようとして分からない。大学でも話題になってますよ。それにネットでもコミュニティみたいのが出来てますね」
「それ、私も知ってます。高校でも話題になってましたから」
太と弓納は二人して目を輝かせて資料に食いつく。その様子を少し鬱陶しそうに天野は眺める。
「ステレオタイプの怪盗だな。今時そんなことして流行るんかね」
「さあ」
「でもこの怪盗事件がどうかしたんですか? 盗難事件があったっていっても、それはここの仕事と関係ないんじゃ」
「それはどうかしら。偶然、事件現場に居合わせたよその客士が怪盗と思しき人物に遭遇、これを捕えようとするも、返り討ちに遭って病院送り。客士は言ってたわ。『あれは只の人間ではない。魔人だ』って」
「魔人、ね」
天野はたまきの方を振り返るが、たまきはきょとんとしている。
「あら、おじさま。私に何か付いています?」
「いいや、別に」
ふと、たまきが視線を落とすと、そこにあった資料に飛びつく。
「これってお父さんが追っている事件だわ」
「こら結ちゃん。勝手に入らない」
「いいじゃありませんか? 私が見たところで特段、減るものではないでしょう?」
「もう、勝手になさい」
「ねえ客士の皆様。前回のお詫びもあることだし、少しくらいなら協力してあげてもよろしくってよ」
「え、たまき。一体何を」
「はじめ。私、まだ貴方よりは腕は立つわよ。それに少しくらい頭は回るわ」
たまきはニッコリと笑う。
「言っても、まあ聞かないわよね……仕方がないわ。いいわ、協力してもらいましょう」
「やった。よろしくね、皆さん」
「でも坂上さんの許可は取りなさい。貴方は一応子供なんだから」
「ええ、もちろん。お父さんならきっと分かってくださいますわ」
「今回だけよ、全く」
「賑やかになりますね」
「たまき、でも無理したら駄目だよ」
「ええ、はじめ」
太はふと外を見上げる。
晩冬の空には神社に植えられていた梅の花が楽しそうに舞っていた。
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