第十章 結

「さて、何で俺はここに来たんだろうな」

 とある竹林。その丁度竹林が開けた場所には、不自然に石段と門があった。坂上はその石段の上を見上げる。

「まあでも、第六感ってやつが当たったってことで結果オーライとしますか」

 坂上の前に少女が降り立った。

「よお、やっと会えたな」

「人間には見えないように小細工をしたつもりだったのだけど。術式のどこかに不具合があったのかしら」

 少女はぶつぶつと呟く。

「そして、貴方は誰?」

「へ、随分な挨拶じゃねえか。俺のことを忘れちまったのか」

 少女は眉間に皺を寄せる。

「貴方なんて知らないわ。きっと誰かのことと勘違いしているのよ」

「まさか。こんな近くに瓜二つの娘が何人もいてたまるかよ」

「昔より人間は多いんだもの。だから、一人くらい瓜二つの人が近くにいてもおかしくはなくてよ? 一応もう一度聞きますけれど、貴方は誰? 名乗りなさい」

 少女は少し語気を強めるが、坂上は気の抜けた表示で肩をすくめる。

「やなこった、教えてやらない。聞きたきゃ俺をのしてみろ」

「……いいでしょう。貴方に興味が出てきました。私はたまき。貴方を屈服させてその素性を吐かせてあげましょう」

 寂しくも穏やかだった空気が不意に重々しくなった。坂上はその変容に一瞬たじろいだが、すぐに持ち直して側の竹林に向かって脇目も振らずに走り出した。

「逃げるの」

 たまきの声が背後から響いた。

「はっ、まさか。啖呵切った直後に逃げる馬鹿がいるかよ。付いてこい」

 たまきは無言で坂上の後を追う。

 坂上は少女に追いつかれないよう全力で走っていたが、開けた場所に出た所で急に立ち止まって振り返った。すぐ後ろを走っていたたまきも同じく立ち止まって様子を窺っていた。

「随分と息が上がっているようだけど、大丈夫かしら」

 坂上は肩を激しく上下させ、汗を滴らせながらも口角を上げる。

「お前が猛スピードで追ってくるからだよ。ったく信じられねえ。もっと子供らしく可愛いスピードで走ってくれよ」

「そう。冗談を言うくらいには元気なようね」

「まあそういうことだ」

「でも理解に苦しむわ。何故こんな所に来たの?」

 たまきは周りを見回しながら言った。周りを竹に囲まれたその空き地は、祠がひっそりと鎮座している以外は特に何の変哲もない場所だった。

「……別に、なんとなくだ」

 坂上は俯いたが、すぐに顔を上げた。

「そう。貴方の思考が今いち読み取れないのだけど、まあいいわ。降参するなら今の内よ。おじさま」

 坂上はそれを聞いて不敵な笑みを浮かべる。

「へっ、来な。嬢ちゃんのか弱い攻撃なんていくらでも受け止めてやるからよ」

「……後悔しても知らないから」

 静寂が辺りを包み込む。たまきが徐に手を胸の前に突き出す。

 次の瞬間、土が弾けるような音がした。坂上は視界の端に映った地面の有様に思わず息を呑む。

「おい、誰から学んだんだよ。こんな手品」

「さあ、誰でしょうね。でもこれで分かったかしら、分かったなら降参なさい」

「へっ。舐めやがって」

 その程度で怖気づくかよ、坂上はたまきに向かって走り出す。

 たまきは坂上を難なく躱しながら、先程のような光弾を指先から繰り出してくる。坂上は神経を極限にまで研ぎ澄ませ、ギリギリの所でそれを避け続けた。

 焦るな。分かってたじゃないか。あの子は普通じゃないって。

「もらった」

 坂上はたまきと距離を詰め、その腕を掴もうとする。しかし、早くて掴めないどころか、かえって掴まれそうになる。

 そうして坂上は次第に焦りを募らせていった。たまきの攻撃は激しさを増している。このままではすぐにでも受け止められなくなるだろう。

 何とかならないのか。坂上は考えた。何か、何かあれば。

「よそ見しないの」

「なっ!?」

 坂上は視界の端に脚を捉えた。一瞬の反応が遅れ、坂上の後退しようとする腹に脚がめり込む。そのまま、坂上は衝撃に抗えず斜め後方に飛ばされた。

 坂上は腹を押さえつつ膝を突きそうになるが、グッとこらえて顔をあげる。

「う、いってえな。ったく、子供の出す蹴りじゃねえぞ」

「人間だというのに、大したものね。何処かの鬼さんよりしぶといわ」

「ほお。そりゃ、お褒めに預かり光栄の極みにごぜえますな」

「でももう終わりよ」

「ふん、そいつはどうかな――」

 坂上は目を見開いた。自分が押し倒されて少女に馬乗りになられていると気づいたのは、たまきが懐から短刀を取り出している時であった。短刀をゆっくりと坂上に突きつける。

「私の勝ちよ。貴方の名前を教えなさい」

「これは、はあ、確かにどうしょうもねえなあ」

 坂上の全身から力が抜ける。短刀を突きつけられているにもかかわらず、顔は笑っていた。

「さあ、早く。早く教えなさい。教えれば大人しく帰してあげるわ。名乗るだけよ。大したことではないでしょう? さあ早く」

「はは、何をそんなに焦ってんだ、嬢ちゃん」

「貴方、自分の立場が分かってないのかしら」

 たまきは短刀を坂上の首に押し付ける。しかし、なおも坂上は笑みを崩さなかった。

「おお怖い怖い。さて、どうしようかねえー」

「そう、答える気はないということね。分かったわ。じゃあもう聞かない」

 たまきが短刀を振り上げる。

「殺すだなんて物騒なことはしないわ。でも、ここに来た記憶は消します。もう二度と会うこともないでしょう」

「ああ、そいつはとても残念だ」

「さようなら」

「すまないな、結」

 坂上は目を閉じる。さあ、一思いにやってくれ、彼は心の中で呟いた。

……

……?

(どうした?)

 坂上は徐ろに目を開ける。

 たまきの手が振り上げたまま止まっていた。少女の目は大きく見開かれていて、その表情はまるで魂を奪われたかのように固まっている。

「……結?」

 坂上が再びたまきに語りかけると、たまきは微かに唇を動かし、やがて振り上げたままの手をゆっくりと下ろした。

「馬鹿ね。どうしてこんな所に来たのよ」

 たまきは顔を隠すように俯き、静かに坂上の体から立ち上がる。そのまま踵を返し、元来た方向へ戻ろうとする。

「おい、待ってくれ」

「何?」

「ああその、な。生きててよかった。それと、だ、今更こんなこと言う資格なんてないかもしれんが。愛してる、結」

 風が吹いた。少女からは返答はなく、辺りを静寂が包み込む。

「……さっさと何処かへ行きなさい。今度こそ、貴方の目にも見えないようにするから」

「ああ、分かったよ」

 坂上は力なく立ち上がった。ゆっくりと踵を返し、歩き出そうとする。

「ありがとう、お父さん。私も大好きよ」

「っ!?」

 坂上は振り向いたが、そこにはもう少女の姿はなかった。

 坂上は少女のいた場所を見る。

「……馬鹿野郎」

 乾いた地面の一点には、薄っすらと豆粒ほどの濡れた跡があった。


       ○


 坂上は俯いて下の畳を見つめていた。そんな男の様子を望月は表情の読み取れない顔で見ている。

「郊外の竹林に、幻のような石段と門、ですか」

 弓納がぽかんとしながら言った。

「結ちゃん、ね。信じられない」

「法螺を吹いてるって言いたいのかい」

「いいえ。そもそも、前から気になってたことがあるの」

「何だ」

「結ちゃんのことよ。少なくとも、私の調べられた限りでは結ちゃんは貴方の実の子供じゃない。どうかしら、当たってる?」

「ああ、その通りだ。当たってるよ」

「じゃあ、もう一つ。結ちゃんは”何処で拾ったの”?」

 拾ったの、と来たか。坂上としては今更隠すようなことでもなかったし、必要があればこちらから話すつもりであったが、それでも目の前の女の指摘に思わず胸を突かれたような気分を覚えた。

「さっき話してた中に竹林の祠が出てきたろ? その前で拾った」

「やっぱり、捨て子だったのね」

「ああ、正真正銘出所不明の子供だったが、流石にそのままにするわけにもいかねえからな。でも何でかね、別に子供を育てたこともなかったのに、妙にあの子のことが気になってな。結局自分で育てることにしたんだ」

 そう言いながら当時のことを坂上は思い出していた。結婚をしたことこそあるものの、結局子供を育てるという機会に与ることはなかった。それなのに何故自分はあの子を育てることにしたのであろうか? たとえ経験せずとも子供を育てるということがいかに大変なことか、よく分かっているつもりだった。あの日あの場所であの子に会ったことに運命を見出したわけでもない。それどころか、単なる偶然であったとすら思っている。只、たまたまあの場所で出会っただけ。

 だが、偶然か必然かなどは坂上にとってさして意味のあることではなかった。あの子を見た時、その存在に触れた時、決めたのだ。叶うなら、自分がこの子を育てようと。

「でも、何でそんな事を話す気になったのかしら」

 少し物思いに耽っていた坂上はハッとして顔をあげた。

「そうだな、俺じゃどうしようもねえと悟ったからだ」

「悟ったとして、私達にどうしろと」

 淡々とした口調。突き放しているのか、ただ単に疑問を投げかけているのか。しかし、坂上はそんな相手の窺い知れない意図など気にも止めずに頭を下げて口を開いた。

「頼む。あいつが何をしようとしてるかまでは分からねえ。だが、俺の出来る事なら何でもするから、結を連れ戻してくれ」

「丁度いいじゃねえか。有益そうな情報が――」

 言いかけた所で天野は望月に手で制され、口を閉じる。

「天野君、ごめんさない。黙ってて」

 束の間、場がしんとした。

「坂上さん。貴方が見たのは確かに結ちゃんかもしれない。でも、その子はもう貴方の知っている結ちゃんではないわよ。それどころか普通の人間じゃない。彼女が”異質な存在”だということを理解してもなお―――」

「ああ当たり前だ。そんな事重々承知だ。それでも、俺の娘だ」

 望月は少し思案した後、やれやれとばかりに小さく首を振った。

「貴方の未練をすっぱり断つ方法なんてさっぱり思いつかないわ。分かりました。少し乱暴になるかもしれないけれど、結ちゃんを連れ戻せるよう善処しましょう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る