第十一章 反魂の願い①

 坂上の教えた竹林は菅原市の都心部から四キロ程北東に行った所にある山沿いの場所であった。

 夜の静けさに満ちた人気のない竹林を望月、天野、弓納は進んでいく。舗装はされていないとはいえ、土は踏みならされており夜の暗さにあっても足場にもたつくことはなかった。

「しかしま、何であの人はここに来たのかね」

 呑気に辺りを見回しながら天野は言った。通り沿いから幾分か離れているそこは、自動販売機や電柱など人間の文明を嗅ぎ取れるものは皆無に等しく、そこはかとなく侘しさが漂う場所だった。世捨て人や隠者が住まうには恰好の場所であろうが、俗世に生きる人間が好き好んで行く場所ではないだろう。

「仕事の帰りが近くだったから立ち寄ってみたとか言ってたわ」

「わざわざこんな所に?」

「細かい事情は分からないわよ。それに」

「あまり触れてほしくなさそうな感じでした」

「繊細な部分ってことか」

「着いたわよ」

 長方形に開けた場所に出た所で望月は止まる。その場所は何かの建物の跡地のようだった。所々に基礎や柱のようなものが残っており、当時ここは何かの施設があったのであろうが、周りには案内文などもなく、打ち捨てられたまま放置されてしまっていた。

「石段と門があったっていうの、このあたりみたい」

「とはいうものの、只の廃墟跡みたいにしか見えないが」

「何があったんでしょうか、これ。ちょっと気になります」

「大方戦国時代の山城の遺構とかじゃないかしら。でもそれは後で調べて頂戴」

 望月は一点を見つめてからそこに近づいていく。

「ん、どうするんだ?」

「結界を壊すのよ。ねえ、天野君、小梅ちゃん。足元に違和感はないかしら」

 言われて二人は足元を見た。しばし首を傾げていたが、風が通り過ぎた時、二人は望月の言った意味を理解する。

 弓納はその場所を靴のつま先で小突いて確信した。

「この地面、下は土じゃなくて石でできた何かですね」

「その通りよ。風に揺れない雑草があるのは、紛い物だから」

 望月はいつの間にか幾何学模様の札を地面に敷き、何かをぶつぶつと唱え始めた。

「ほお。すげえな」

 その詠唱に呼応するかのように次第にその建物の全容が明らかになっていった。

 そこには、坂上が話していたような石畳と石段、そして周囲を拒絶しているかの如き門があった。

「単純な結界よ。それも凄く原始的で細かな所が考慮されてないから、すぐに違和感に気付く。詰めが甘かったわね」

「むしろ、そんなに簡単に敗れるものなんだったら、罠だったりしないもんか?」

「その可能性も否定出来ない。でも、純粋に力が強いから破られることなんて考えてなかったのだと思うわ」

「いずれにしても他に道がないのですから、どんどん行きましょう。太さん、待ってますから」

 弓納が一足先に石段を駆け上っていった。


       ○


「無断で人の家に上がり込もうとするなんて、困ったお客様達。でも、お客さんはちゃんとおもてなししてあげないとね」

 月光が照らす五十メートル四方の板張りの広場。腰かけていた欄干から離れ、たまきがしゃがんで猫を撫でると、猫は心地良さそうに喉をごろごろと鳴らした。

「さあ行きなさい。あの人達と遊んであげるのよ」

 にゃー、と可愛らしく鳴いて猫は軽やかに欄干を飛び越えていった。たまきはそれを見届けると、振り返って膝をついて息を切らしている太の方を向いた。

「はじめ、覚えたての呪術で抵抗したって無駄よ。それでは私には届かない」

「少しは、いけると思ったのにな。それにあの猫、何処かで見覚えが」

「そうね。貴方はあの子を知っている。だって、貴方をあの小学校に誘った子なんだから」

「ああ、思い出した。じゃあ、あの蜘蛛の妖怪も君の差し金だったんだね」

「ええ、一応は」

「一応?」

「土蜘蛛は元々彼処に住んでた子よ。私はあの子にはじめを連れてきてもらうように協力してもらっただけ」

「連れてきてもらうだけって、身の危険を感じたのだけど」

「あら非道いわ。あの子、なりはあんなだけど、とっても繊細で器用だったのよ」

 そうだったろうか、と太は学校での出来事を反芻する。

「それよりいいのかしら。はじめ」

「何が?」

「貴方はあの人達と交流し、少しの間だけど一緒にいた。その人達を私はこれから傷つけることになる。それなのに、貴方は狼狽えないのね」

「それなら大丈夫だよ」

「え?」

 太の思わぬ返答にたまきは呆気に取られる。何故、そんなに落ち着いていられるのか。

「確かに僕も一緒にいた時間は少ないけれど、それでもたまき、君よりは望月さん達を知っている。情けないことに僕はこんなざまだけど、あの人達は違う。君には負けないよ」

「そう、それは楽しみね。でもいずれにしても遅いわ。門の開くまでもう少し。客士さん達がよしんばここにたどり着いたとしても、その時は」

 たまきが欄干の上にちょこんと腰を下ろし、眼下に広がる光景を静かに見つめた。


       ○


「で、どうやって入るの」

 望月が固く閉ざされた門を触りながら誰にともなく言った。

「まさかこんな所で詰まるとはな」

「壊せないんでしょうか?」

「ううん、いけないことはないんだけど、壊しちゃう?」

「他に方法があるなら、それに従います」

「そうよねえー」

「というか望月、最初はどうするつもりだったんだ」

「門にも結界があるかもとは思ったけど、想定外も想定外。こっちはこんなに精巧だなんて。あの子、頭もいいのね。後、ちょっと捻くれてる」

「感心している場合じゃない、それと悪態をついている場合か。出鼻を挫かれてしまったじゃねえか」

 天野から呆れたように言われ、望月は眉に皺を寄せる。

「それなら天野君、貴方は何か打開策はないのかしら?」

「今のところない」

「ほら、ないんじゃない」

「なんだって」

 二人は門の前で睨み合い、その様子を見ていた弓納が呆れ返る。

「あの、お二人とも。子供じゃないんですから」

 弓納が二人の間に割って入ろうとすると、門がひとりでに開いた。三人は一斉に門の方を向く。

「……開いたわ」

「ああ、開いたな」

「開きましたね」

 門の先は長さ百メートル、幅は十メートルほどの木橋になっており、橋の外側に浮いた灯籠が薄っすらと明かりを放ち、木橋を照らしていた。

 橋を渡った先は寝殿造りを上にいくつか重ねたかのような建物がいくつかの区画に分かれて聳えており、それぞれは空中回廊で繋がっているようだった。

「これって、誘ってるのかしら」

「あるいは、お二人の諍いが見るに耐えなかったのかもしれません」

 弓納はひょいと 一足先に門の中に入っていった。

「こ、小梅ちゃん、ひょっとして怒ってる」

「いいえ、全然怒ってないです」

 振り向いた顔は満面の笑みである。望月と天野は一瞬ゾクッとした。

「望月」

「何、天野君」

「喧嘩はやめよう。大人気ない」

「そうね。その通りよ」

 望月と天野は弓納の後を追うように門の中に入っていった。

 橋を渡ると左手に緩やかな階段が伸びており、その先にようやく建物の中へと入る入口があった。

「出鱈目な造りしてるわね。これってどうやって作ったのかしら」

「ふむ、適当なことを言うと、腕のいい宮大工が我が儘なお姫様の無理難題を魔法の工法で叶えてやったんじゃないか」

「それはまた随分適当ね」

「案外、神様の力を借りてるのではないでしょうか?」

「神様のね……でも、神様を降ろしたのだとしても、こんなの出来るかしら。だって神様って、特殊な技術や力は提供してくれるけど、スペックまでは提供してくれないのよ。出力部分はあくまで呼び出した本人のものを使うだから」

 そう言って、望月は中に入っていった。


 建物の中はいたって単純で、基本的には朱色の柱に板張りの薄暗い廊下と、畳の敷かれた明るい部屋で構成されていた。

 望月達は橋から見えた一番上層の階を目指した。そこからたまきと思しき気配を感じ取ったからである。いくつかの部屋と廊下を横断し、上層へと登った所で望月達は立ち止まった。

「いきなり、何の前触れもなく来たわね」

 登った先はやはり畳の敷かれた部屋。望月は”目の前にいるそれ”を見て不敵な笑みを浮かべる。

「こんな猛獣を放し飼いにするなよ。飼い主の神経を疑うぜ」

 対して、天野は引きつった顔をする。

「あるいは、私達のために特別に放し飼いにしてあげたのかもしれませんね」

 弓納は淡々と言った。

 それは大きな地鳴りのような唸りを発し、侵入者をじっと見定めている。迂闊に動こうものなら、すぐに食らいつくとでも言わんばかりの目である。

 獣は猫とも虎ともつかぬ相貌をしており、逆立った尻尾は蛇であった。

「鵺、といった所でしょうか?」

「どうでしょうね、それは飼い主に聞いてみないと」

「では、さっさとのしてしまいましょう」

 弓納の手に捻れた朱色の槍が現れる。

 獣は弓納の様子が変わったのに躊躇し、少し距離をとる。

「何を……」

 弓納はハッとする。

「お二人とも下がって!」

「分かってる!」

 望月は天野とほぼ同時に一歩下がり、そこで持っていた札を横一文字に振りまく。札はこれから起きる災害から天野と望月を守るかのように、その前を目まぐるしく動きまわった。

「弓納、援護は?」

「大丈夫ですっ!」

 弓納は体のバネを使って大きく跳躍した。直後に弓納のいた場所に大きな電気の奔流が起きる。

「やあ!」

 空中で一回転して槍を獣目掛けて思い切り振り下ろす。しかし、獣は軽やかに巨躯を動かしてそれを易易と避け、着地しようとした弓納を尻尾で振り払おうとした。弓納は即座に地面に突き立った槍を振るうことでそれを払う。

 獣は再び様子を伺っている。弓納の方も槍を構えたまま微動だにしない。

「下手に手を出さないほうがいいかもしれんな」

「そうね。もう少し様子を伺うべき――」

 大きな音がした。同時に、空気が揺れ、風が大広間に流れ込んでくる。

「ねえ天野君」

「ああ、もたもたしている暇はないらしいな」

「小梅ちゃん!」

「大丈夫です、先に行ってください!」

 弓納は獣と対峙したまま、振り向かずに答える。

 望月は結界を解き、脇にあった階段へ足をかける。天野もそれに続く。

「やられるなよ!」

「了解です!」

 二人が階段を駆け上ろうとするのを狙って、獣は角から電磁波のようなものを放とうとした。

 しかし。

 獣は自身に加えられた大きな衝撃でよろめき、放たれた雷はあらぬ方向へと軌道を描き、階段脇の誰もいない場所へと直撃した。

「どっちを見ているんですか? 貴方の相手は私ですよ」

 獣はゆっくりと真下にいる少女をギロリと睨んだ。そしてさも不服そうに喉を唸らせる。

「もしお二人を追いたければ私を倒してからにしてください」

 弓納は腰を低くして槍を構える。

「私、負けるつもりありませんけど」

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