第九章 たまき

「いてて、ここは」

 太はゆっくりと身を起こして辺りを見回す。太がいるのはどうやら見慣れない建物の中のようで、灯篭に照らされたそこはまるで寝殿造の神社である。暗がりなのも関係してなのか、その空間の外は異様な雰囲気に包まれており、まるで異界のようであった。

「ああ、はじめ。よかった、目覚めたのね」

 少女の声が聞こえたので、太は声のした方向を向く。

「君は、たまき」

 太の前に姿を表したのはたまきであった。彼女は優しい眼差しを太に向ける。

「ここは?」

「ここ? 菅原市の近くの建物よ。もっとも、外からは見えないけれど」

「僕は確か君と神社で会って――」

 太はハッとする。そうだ、あの時、たまきは何と言っていたか。

「そうだ。まだ話は終わってない。たまき、君は一体誰なんだ?」

 束の間の沈黙が流れた後、たまきは口を開いた。

「そうね、貴方には話しておかないと。これはとっても昔、まだ神代と呼ばれていた頃の話」

「神代」

 多分、百年や二百年そこらの話ではないのだろう。太は自分の置かれた状況など脇に置いてしまって、その話を早く聞きたいと感じている自分がいることに気が付いた。

「かつて、とある民に少女がいた。その子は首長の娘でこそあったけど、皆と同じように野を駆けまわり、お友達と遊んで、少しだけ淡い恋もした。大変だったけど、多分幸せだったと思うの。だからいつも思ってたみたいね、ああ、こんな日々がいつまでも続けばいいって。でも、そんな日常は長くは続かなかった」

 たまきは目を伏せて、優しい笑みは憂いを帯びた表情へと変わった。

「戦いがあったのよ、とても大きな勢力と。随分と一方的な侵略だったのだけど、きっと、少女達の力を脅威に感じたのね」

「力?」

「そう、力。少女のいた時代は、神代から人の代へと移り変わっている時だった。元を辿れば神の子孫だった者達は神性を失い、もう人も同然となっていく中で、彼女のいた民は中途半端ながらも神性を保っていた。言わば、神と人との中間にいた存在。だけど、それは外の人達にとってはとても恐ろしいことで、少女達のことを、そうね、今風で言うと妖怪、怪物と罵り、些細なことを口実にして討伐軍を送り込んだ」

「それから、どうなったの」

「今更逃げることも出来ないからと戦ったわ。でも討伐軍は圧倒的で、その民の持っていた力でもそれを覆すことは出来なかった。そして次第に追い詰められ、遂に服従か滅びかを選ぶこととなった。はじめ、その民はどうしたと思う?」

「……滅びを、選んだ?」

 太はたまきから目を逸らさずに、しかし躊躇いながら呟くように言った。

「貴方が申し訳なさそうに言う必要はないのよ。でも、半分当たり。その民は滅びの道を選んだ。だけど、ただ滅びを受け入れたわけじゃないの。それは私がいることが何よりの証拠。はじめ、重ねて同じ質問をするわ。その民はどうしたと思う?」

「それは、ごめん。僕には分からない」

「そう、そうよね。ごめんなさい。ちょっと意地悪な質問だったわ。その民はね、自分達の持っている力を一つの器に集めたの。皆の命と引き換えにして、少女の器に」

 たまきは胸に手をあてて目を閉じる。その顔は遠く在りし日のことを懐かしんでいるようであり、それでいてどこか憂いているようだと太は感じた。そして太はそのことに気がついた。

 たまき。意味する所は、”タマシイ”の器。

「たまき、君は」

「私は”たまき”。”八千民玉器やちたみのたまき”。まつろわぬ民のおもいが集いて成りしヒトの形」


「神代の記憶を取り戻した代償なのか、私はここ数年来以前の記憶を全て失ってしまったわ。不思議ね。そんなものは些細なことの筈なのに、失ってしまった記憶はとても愛おしいものだったように感じる」

 たまきはそう言って苦笑する。

「たまき。君は一体、何をどうしたいんだ?」

「はじめ、北宮神社で私と二回目に会った時のこと、覚えていて?」

「北宮神社で……」

 太はたまきと会った時のことを反芻する。


『実は近いうちに遠い所から親しかった人達が訪ねてくる予定なの。だから、無事に彼らが来られるように参拝しているのです』


「親しかった人達って、誰?」

 たまきは目を細めたまま、何も答えない。

「君が大昔の人間なら、親しかった人達なんて訪ねてきようがない。そもそも、遠い所って――」

「異界」

「え」

「人ではないものの世界よ。私、やちたみたまきが成立した時、彼らはその代償として異界へと旅立った。でも私はそこに行くわけにはいかない。現世に私達がいたという証を紡いでいかないといけないから。でも」

 たまきは目を閉じて俯く。

「私はこうなる時に決めたの。必ず異界への門を開き、私達の故郷をもう一度作り直そうって」

「まさか。そんなこと、出来るわけがない」

「あら、貴方の口からそんな言葉が出るなんて、少し驚きよ」

「何を、言ってるんだ」

 思いがけないことを言われ、太は顔をこわばらせる。しかしそんな太の様子を見て、たまきは意外そうな顔した。

「はじめ。ひょっとして貴方は、自分のことを知らないの?」

「僕のこと? そんな、自分のことはよく分かってるつもりだ。僕は、こちら側の世界を少し知ってるってだけでそれ以外は普通の大学生だ」

「そう、可哀想な子。誰も貴方に貴方のことについて教えてくれなかったのね」

「何を言っているんだ君は……?」

「なら私が貴方に伝えましょう」

 たまきは太の目の奥をじっと見据える。まるで、その事実から目を逸らすことを許さないとでも言うように。

「はじめ、貴方は私と同じ。人間であって、人間ではない」

 たまきは淡々とそう言った。

「……え?」

 太は我が耳を疑った。寝耳に水を打たれたような気分だと彼は思った。人間であって、人間ではない。その言葉は矛盾している。

「たまき。君の言っている意味が分からない。君は僕の何を知ってるっていうんだ」

「貴方が何者なのかを知っているわ。貴方は、太の家系に連なる者。それがどういう意味か分かるかしら?」

「それくらい」

 知っている、と言おうとしたが、寸前で出かかった言葉を止めて目を伏せながら首を横に振った。今は没落して見る影もないが、遥か昔、自分の家系はそれなりに由緒ある家だったということは祖父から聞かされていた。しかし、だからどうだというのだ。所詮は塵に消えた栄華だと気にもかけず、それ以上のことを自分は知らなかった。

「太の家系に連なるから、どうしたっていうのさ」

「太の家系は、ある書物を代々守り続ける。そのことは秘匿され、知っている者は一握りの者達のみ。数十億ページあるとも言われるその書物は大きく”外篇”と”内篇”に分かれ、外篇については誰もが閲覧可能だけれど、内篇はある者にしか開くことを許されていない。では何故内篇を開ける者は限られているのか? 何故なら、その書物は今となっては信じられないような奇跡を起こす神代の秘術が記載されているから。そうね、例えば、黄泉がえりとか。だから、そんな代物を迂闊に使わせないようにするために、彼らは絶対に解けない封をその書物に施した。そして有事の際、あるいは定期的な内容の更新のためにその封を解くことの出来る子を用意するようにした。はじめ、つまりそれが貴方よ」

「……本の名前は」

「その本の名は『真統記』。真実を写し取りし禁断の書物。さあ、はじめ、貴方の力を貸して頂戴」


       ○


 生野邸の件から数日。望月、天野、弓納の三人は社務所の一室に集まっていた。

「あの爺さん、大丈夫かね?」

 天野は望月に向かって言ったが、望月は手を組んだまま、沈黙している。

「おい、聞いてるのか」

「あの、望月さん?」

「ごめんなさい。私の判断ミスだわ。あの子も連れていくべきだった」

 望月はぼそりと言った。それを聞いて天野はやれやれと肩をすくめる。

 生野邸から北宮神社に戻ってみると、太は神社にはいなかった。何処かに出掛けたか、あるいは帰ったのかもしれないと思い方々に連絡を取ってみたが、彼と連絡が付くことはなかった。

 途方に暮れていたところ、神社の境内で彼のものと思しき携帯が見つかった。これによって、客士達は生野邸にいたあの少女が太を連れ去ってしまったのだと確信するよりほかなかった。

「お前は正しかったよ。大体な、仮にあの場所に連れて行ったとしても同じ結果になった可能性は高かったぜ」

「そうですね。それに過ぎたことを言うのは、貴方らしくないです」

「でも……いえ、そうね。これからの事を考えましょう。ありがとう、二人とも」

「とは言っても、あの嬢ちゃんが何処に潜んでいるのか皆目見当がつかねえな。容姿の割に色々と思う所はあるが、そもそも一体何者なんだ?」

「さて、ね。日井さんだったら何か心当たりはあるのかしら」

「どうだかな」

 日井は生野の元に潜ませていた部下を一足先に帰した後、生野邸の一件を片付けるために望月達と別れた。諸々面倒な事を引き受けてくれた彼は、少女の事について「そうですね……」と曖昧な返事をしたきり、うやむやのまま弓司庁に帰ってしまった。

「でも第三者の介入が入ったのですから、調査はすると思います」

「それでは遅いかも。解明に時間がかかっている間に、『真統記』が悪用されかねないわ。太君があの子の元にいるのならあまり時間はない」

「ん、そういえば聞きそびれてしまってたが、望月、何であの嬢ちゃんが太君を狙ったと思ったんだ」

「それはおそらく、太君が鍵だからよ」

「鍵、そういえばそんな事言ってたな」

 天野が言うと、望月は静かに頷く。

「ええ。『真統記』は知っているわよね。あれは本来、一部を除いて封をされていて、鍵がないと開かないようになっている。何故封をされているかは分かるかしら?」

「ふむ。大方、失われてしまった秘術なりがその中に詰まっているからだろう」

「その通りよ。あれには神代の秘術が沢山残ってる。勿論、どれも一級品の秘術よ。うっかり使ってしまうと大災害につながるようなものだってある。だから、迂闊に開けられることのないように鍵をかけてあるの」

「その鍵が太さん、ですか」

「ええ。正確には鍵である人物は何人かいるようで、太君はその一人。『真統記』の存在自体、知っている者はごくわずかで、鍵が存在していること、更にそれがどういう形態をしているのかを把握している者は猶更いない。だからそんなに心配する必要はないかと思ったのだけど、鍵に目を光らせておくにこしたことはない」

「ああ、なるほどな」

「天野さん、何がなるほどなのですか?」

「太君をここに誘った理由だよ。何はともあれ、太君がここに来るようになれば彼の周りに何か変な事が起きてないかも掴みやすいし、第一彼を守りやすくなる。わざわざこんな酔狂な事にいたいけな大学生を巻き込むなんて何の気まぐれかと思ったが、ようやく腑に落ちた」

「あら、最初にここに連れてきたのは天野君じゃない。私は彼が自分の意思でここまで来たから、それならと思って誘ってみただけよ」

「ほお。ま、いいや。それこそ過ぎたことを言っても仕方がない。それより、嬢ちゃんが何処にいるか探すか」

「取り込み中すまないが、お邪魔するぜ」

 その場にある筈のない声がした。男の声がした方向である入口を全員が一斉に見やると、そこには坂上は呑気そうな顔をして三人を見下ろしていた。

「坂上さん?」

「やあ姉ちゃん、ご機嫌よう」

「ええ、ごきげんよう。じゃなくって何でここにいるの!?」

 望月は思わず狼狽えるが、坂上はさも当たり前のように部屋に入ってきて席に着いた。そして何食わぬ顔で弓納にお茶を要求する。

「あの、えっと~」

「まあ細かい事は気にするなよ、嬢ちゃん」

「望月、知り合いか」

 困惑した顔で天野が望月に尋ねると、ああ、と思い出したように坂上が顔を上げた。

「そういや自己紹介がまだだったな。俺は坂上だ。刑事をやってる。よろしくな、天野さん」

「ああ、これはどうも丁寧に」

「じゃないわよ」

 望月は天野の頭をはたく。

「坂上さん。何の御用かしら。私達、特に法に触れるようなことはしていない筈ですが」

 つい先日住居侵入したところじゃねえか、と天野は思ったが、まるでその考えを見透かされていたかのように肘で小突かれてしまった。

「別にあんた達が犯罪を犯したから捕まえにきたわけじゃないさ。面白い話があるから土産に持ってきただけだ」

「面白い話?」

 望月は眉をひそめる。

「ああ、黒髪の美少女と菅原市の外れにある竹林であったって話だ」

「はあ。そりゃあ黒髪の美少女が竹林にいても別に――」

「結ちゃんと会ったって言いたいの?」

 望月が坂上に言った。

「おっ察しがいいねえ」

「貴方、まだそんな事を言ってるの。いい加減そんな妄想をやめないと日常生活に支障を」

「妄想じゃねえよ。いたってマジだ」

「いいじゃないか望月。俺もこのおっさんの話に興味がある」

「いいね。話が分かるおっさんは好きだぜ。まあ、とりあえず聞いてくれ。何、ほんの十数分くらいで終わる話だ」

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