第七章 鷹と蛇②
「ふうん、あれが屋敷ね」
長い廊下を出て小高い丘の上に出てきた望月が呟いた。
「あっちの屋敷とそっくりですね」
「おそらく、正規の建築で造られたのではなく、別の何らかの方法で造られたのでしょう」
弓納の疑問に、日井は答える。目の前に見える光景は生野邸の複製のようで、一見したところその違いは分からなかった。
「実は屋敷は幻術で、そんな所に屋敷は存在しなかった、なんてオチが付いてたりしないか」
「それはないんじゃない。大江御前、生野綱は文化人ぶってるんだから、多分野や山で野宿したり、生活しているとはとても思えないわ」
「ふん、そういう所は繊細なんだな」
「さ、無駄話してないで行きましょう」
なだらかな丘を下り、日井の先導のもと裏の入口へとたどり着いた。
裏口は正面玄関より規模こそ小さいものの、一般的な洋館であれば正面玄関といっても差し支えない程の大きさはあった。
「もうここに来たこともばれてるだろうから、無理して裏口から行く必要はあるのか?」
「おっしゃる通り、ここに来ている時点で今更裏口である理由は薄いと言えます。しかし、気休め程度にはなるでしょう。何より、私達は招かれざる客なのですから」
「地図とかないんですか?」
望月が日井に尋ねると、日井は首を横に振る。
「いえ、残念ながらありません。部下にある程度調査はさせましたが、屋敷内を隅々とはいきませんでしたので」
「まあ、そうよね」
「どういうことですか? あっちのお屋敷と一緒なら、中の構造も同じだと思いますが」
「本当に同じなら、ね」
弓納は首を傾げる。外観だけ似せて中身は違うということか。しかし、それは一体何のため?
「考えても仕方あるまい、とりあえず中に入ってみれば分かることだ」
天野は用心しつつドアノブに手をかけると、何の抵抗もなく扉は開いてしまった。
「鍵かかってないのは、案外ドジっ子なのか、罠なのか」
そう言いながら扉を開けてさっさと中に入ってしまった。
「あ、ちょっと天野君」
「待ってください」
弓納も続いて扉の中に入っていくと、きい、と音を立てて扉は閉まった。
「緊張感ないわね、もう」
「私達も後を追いましょうか」
「そうですね。ここにいても仕方ないですし」
望月は扉を開けて中に入る。
「あら?」
「どうしました?」
扉の前で立ち止まってしまった望月に日井は尋ねると、望月は淡々と言った。
「大変、二人がいません」
○
天野と弓納は当てどもなく屋敷を歩き続ける。
屋敷の内部は市内の生野邸とほとんど変わっていない筈だが、何故かとてつもなく広く感じる。二人はそれとなく生野邸の見取り図を頭に入れていたのだが、それがさして役に立たないことを理解するのに数分もかからなかった。
「なあ弓納」
「はい、何でしょうか?」
「何で望月達が付いてこないと思う?」
天野はさっきから抱いていた疑問を弓納に投げかけた。天野と弓納が屋敷内に入っていった後、すぐに望月と日井も追ってくるのかと思っていたが、一向に二人が追ってくる気配がなかった。
「そうですね。あまり考えられないですが、急遽別行動を取ることにしたのか、あるいは、付いていきたくても付いてこれない事情があったとか、でしょうか?」
「付いてこれない事情ね。例えば?」
「何者かの襲撃を受けた、とかです。ほかには、扉が開かなくなった、とか」
「なるほどな。確かに扉が開く気配がなかったから、扉が開かなくなったってのはあり得るか」
って言っても、傍若無人なあいつなら無理やり壊して入る可能性もあるがな、と天野は当人がいないのをいいことにここぞと悪態をつく。
「傍若無人なのは天野さんに対してくらいですよ。私にとっては頼れるお姉さんみたいな感じです」
「そうなんかねえ。はあ、じゃあ何で俺はこんなに扱いがぞんざいなんだ」
「気の置けない人ってことですよ。いいではないですか」
いいや遠慮されたいぜ、と嘆きながら扉を開けて中に入る。
しかし、その部屋に天井はなかった。
「ここは外か」
天野は上空を見上げながら言った。
「はい、しかも屋敷の正面玄関ではないでしょうか?」
「ようこそいらっしゃいました」
上から刺すような透き通った女の声がした。
天野と弓納は声のする方を見上げると、洋館入口の建物の上に整然としたたたずまいで信太が立っていた。
「あんたか」
「ご機嫌麗しゅうございます」
そう言って信太は丁寧にゆったりとした仕草でお辞儀をする。手の動き一つをとっても無駄のない動きに、一瞬天野は見とれてしまった。
「望月様と太様がいらっしゃらないようですが、どうされました?」
「よく言うぜお嬢さんよ。二手に分けたのはそっちの仕業だろう」
もっとも、太君は来ていないが、天野は心の中で呟いた。
「さて、何のことでしょう」
「まあいい。生野さんはどこだい?」
天野が問いかけるが、信太は目を閉じて「答えるわけには参りません。いえそもそも、彼の居場所など私も知りません」と突っぱねた。
ふと、弓納がぼそりと「あれ」と呟いた。
「信太さん。つかぬことをお聞きしますが、貴方はメイドというわけではないのでしょうか?」
「あ、何言ってるんだ弓納。どう見ても――」
「確かに、仰る通りでございます」
「な」
天野は呆気に取られた。そこにいる整然とした佇まいの女はどう見てもメイドである。誰のメイドかといえば、言うまでもなく生野家のであろう。しかし、それを信太はあっさりと否定した。彼女は自分のことをメイドではないと言ったのだ。
「この前あの屋敷で対峙した時もそうでしたが、生野綱に対する物言いはどことなく従者というよりは気のしれた友人に対するようなものに感じました。さっきのもそうです。自分の主人のことを”彼”だなんて言いませんよね」
「ご推察の通り、私と彼とは古い友人です。そしてこれは、私の趣味のようなものです。彼の使用人を演じていたのも只の道楽。あら、天野様、理解出来ない、という表情ですね。ですが、趣味とは往々にしてそういうもの」
「そういうものかねー」
「ご安心を。道楽とはいえ決して手を抜いたことはございません故」
「ほうほう、そうなのか」
「さて、おしゃべりもこれくらいでよろしいでしょう。準備はよろしいでしょうか」
信太の背後に尻尾が生えていく。しかし、生えてきた尾の数は一本ではなかった。
「四本、生えてきましたね」
弓納が言うと、天野は頷いた。
「ああ、前もそうだったよ」
信太から生えてきた四本の尾は月光に照らされて輝き、豊満な尾は風が吹くたびに稲穂のように揺れていた。
「何も持たなくていいのですか? 少しは待ちますよ」
既に臨戦態勢に移っている弓納を尻目に、天野に向けて信太は言った。
「そうだな。それもそうだ。じゃあ信太さん、ちょっと待って、くれねえかな」
そう言うや否や、天野はいつの間にか手にしていた弓矢を構えて瞬時に弓を信太に向けて放つ。風を切って音よりも速く突き進む矢は信太に命中したかに見えた。しかし、矢が射止めたのは空のみ。そこに信太の姿はなかった。
「ちっ」
天野は思わず舌打ちする。まさか仕留められるとは思わなかったが、少しは次の攻勢を有利に繋げられるかと考えていた。
「どこだ」
「後ろっ!」
弓納は足を振り上げて、天野を背後から切りかかろうとした信太のナイフを弾いた。信太は衝撃で少しだけよろけたが、すぐに態勢を取り戻し、後方に退いた。
「助かった。弓納」
「いえ」
「素晴らしい身体能力です。後一歩のところでしたのに」
「どうも」
「弓納様が付いていたのでは、天野様に一太刀入れるのも容易ではなさそうです。ですので、これならばどうでしょう?」
信太が片手を横に広げる。
「どうした。何も起きないが」
「いいえ、もう起きています。周りをご覧ください」
「いいや、その古典的な手には乗らない」
「いえ、天野さん。確かに何か起きてました」
弓納が天野にそっと告げると、信太に警戒しつつ、天野は周りを見渡す。
そこには四頭の青白く光る狐が天野と弓納の周囲を取り囲んで威嚇していた。
「生き物、ではないようだな」
「ええ、私の分身ですもの。私の意図した通りにしか動きませんわ」
「いいのか、そんなに情報をぺらぺらとしゃべって」
「ええ。弱点をお教えしているわけではございませんので、何ら問題はございません」
「そうか、それはありがたい」
「いつまでそう言っていられるのでしょうか? そのお顔が苦悩に満ちる瞬間が楽しみですわ」
○
「はあ、二人とはぐれちゃったわね」
望月は屋敷の中を一人歩き続ける。地図もなく、案内図も見当たらないので、現在自分が何処にいるのか見当もつかない。
「日井さんともはぐれちゃったし、どうしたもんかしら」
それにしても、望月は思った。既に歩き続けて三十分を経過しようとしている。特にぐるぐる回っているわけでもないのに、ここは外観からは想像出来ないほど広い。
「建物だけで三キロも四キロもある屋敷なんて可笑しいけど、まあ、そういうことよね」
空間が拡張されている。鬼道はそんなことが可能なのかとも考えたが、そういえば信太という女中がいた。あれの本性が狐なのであれば、それも可能かもしれない。化術というのものの到達点の一つに空間や時間への干渉がある。基本的に、化けるというのは自分に対して行われることだが、一人前ともなると他人を化けさせることも可能になる。とはいえ、通常は形あるものに対して行われるものである。しかし、時に神性を持つまでに至るような狐は時間や空間そのものを化かすことがあるという。時間旅行や空間旅行を可能にするわけではないが、時間の流れを緩やかにしたり空間を拡張したりする。それは、化術を行う徒にとって最高の到達点であり、また、幻想であった。
「ま、所詮はまやかしよ。すぐに化けの皮を剥いでやるわ」
食堂のような場所に到着した。入口から見て左手の乳白色の壁にはどこかの山を描写したらしい大きな風景画が飾ってあり、その反対側にはワインやアンティーク調の食器類が棚の中に整然としまわれていた。
「ちゃんと考えるているわね。さっき通った食堂と同じとこだろうけど、微妙に配置が変わっている」
化かすといっても基本は既存のものを複製する営みである。全く同じに複製することは違和感をなくすために重要なポイントであろうが、こと建物の増築に関してはかえって”同一の複製”は不自然に映る。だから、あえて差異を出すようにしているのだろう、望月はそう考えながら中央に配置されているテーブルに触れる。
「私なら他の建物をくっつけて、いえ、下手に別の建物をくっつけたりすると違和感が出るか」
望月は徐に回転式拳銃を構え窓を目がけて撃った。ガラスは割れず、ただ銃声のみが響く。
望月は顔をしかめた。
「馬鹿にしてくれるじゃない」
望月は銃を仕舞って、小さな長方形の紙を取り出した。
それを窓に向かって投げようとした時、こんこん、と後ろの方で音がした。
望月が振り返ると、そこには日井が立っていた。
「あら、日井さん」
「一時間ぶりですな」
「もう長い時間が経ってしまったかのように感じます。具体的には一日くらい」
そう言って、望月は軽くため息をつく。
「それにしても困ったわね。これじゃ生野さん、見つけるどころじゃないわ」
「それについてはご心配には及びません」
「どういうことでしょうか?」
「先程部下から連絡をもらいました。生野綱は私達の気配を察知したのか、ここを出てしまったようです」
「……逃げたのかしらね」
「今の状況では分かりかねます。しかし、ここでもたついて何処かに逃げられてしまう可能性も考慮すると、あまりうかうかもしていられないのは事実です」
「そうね。でも」
望月は辺りを見回す。
いつの間にか湧いて出たのか、着物に羽織姿の人骨が刀を持って部屋のあちこちに陣取っていた。
「侵入者に容赦なしだなんて、もし善良な一般市民だったらどうするつもりなのかしら」
「このような所に来る一般人もおりますまい」
両手を構えながら、日井は言った。
「それもそうね」
人骨の一体が望月に向かって刀を突きだす。
「生野さん、覚えてなさいよ」
○
「……疲れたねえ。もうそろそろ勘弁願いたい」
息を切らしながら信太に向けて天野は言い放つ。天野の周りには倒れた四頭の狐が無造作に転がっていた。信太は相変わらず表情を変えないままであったが、その頬に一筋の汗が流れていた。信太の背後には弓納が槍を突き付けている。
「息の合った連携プレイ、お見事です」
「いい加減、きゃつの居場所を教えてくれたらどうだ。目的はあんたじゃあねえんだ」
「始めに言いました通り、私は生野の居場所は存じ上げておりません。何故、貴方達は彼に執着するのですか? 法にでも触れたのでしょうか? それとも倫理に悖る行為をした?」
「いいやどっちでもない。いや、器物破損云々はあるかもな。まあそれは置いたとしてもだ、看過できないものを所持していた」
「核ミサイル、とか?」
それを聞いて天野は思わず笑ってしまった。
「あんた、冗談とか言うんだな」
「ええ、悪いですか?」
「いや、いいと思うぜ」
「話を戻しましょう。貴方達が看過できないものとは」
「核ミサイルに負け劣らずの物騒なもんだ。『真統記』、あんた知ってるんじゃないのか?」
それを聞いて信太の尻尾がぴくと動いた。
「ああ、聞いた事はあります。生野が持っていたのですね。初耳です」
「なんだと、知らなかったってのか。まさか、知らずに奴に協力していたのか」
「ええ、無論です。先程も言いましたが、彼とは浅からぬ仲なのです。確かに最近少し様子に違和感を感じることがありましたが、そういうことだったのですね」
「ああ、そういうことだ。さて、白を切っているのか本当に奴の居場所を知らないのか分からんが、ここまでだ。あんたをふんじばって、人質にでも使わせてもらおうかね」
天野が手の甲から文字のようなものを体外に出す。
「フミツカミ。あんたは知ってるみたいだが、一応説明しておくとこれは特殊な現象を起こすことが出来る神の字だ。さっき使っていた弓も斧もフミツカミ。そして今使おうとしているのは縛、つまり縛るための字だ。一回捕えれば神霊だって簡単には抜がさない自信があるぜ」
文字が信太にまとわりつこうとした。しかし、その瞬間に弓納はハッとして瞬時に後方に退いた。
弓納の退くのとほぼ同時に、信太の周りを黄金色の火が包み込む。信太にまとわりつこうとした文字はその火に触れて焼けただれていってしまった。
「では捕まらなければよろしいのでしょう?」
信太の顔貌が次第に変容し始め、まるで白い狐面のような相貌となった。火が収まったかと思うと、信太はゆっくりと上空に舞い上がり始めた。
「これで簡単には捕まらない。さて、お互い時間の浪費はしたくないでしょう? ですので、貴方達にとどめを刺してあげましょう」
そう言うと、信太は何かを唱え始めた。背後にいくつもの火の玉のような赤い物体が形成され、徐々にその大きさを増していく。
「天野さん、まずいです。ここを離れた方が」
弓納は天野に駆け寄って言ったが、天野は首を振った。
「ここから離れても多分逃げられん。なあ弓納、俺に賭けて協力してくれないか?」
「……いい考えがあるのですね。分かりました」
天野が弓納にごにょごにょと作戦を伝えた。それを聞いた弓納は特に戸惑うこともなく静かに頷く。
「シンプルですね」
「だろ」
「了解です。やります」
「決まりだ」
そう言うと、天野は再び弓を生成し、弓を構えたかと思うと間髪入れずに信太めがけて矢を放つ。しかし、その矢を軽やかに信太は躱し、笑みを浮かべる。
「愚考でしたね。術の発動前も動けるのですよ」
「ありがとよ、思惑通りだ」
「え?」
信太はその言葉の意味を考えようとした。しかし、その思考は強制的に中断されてしまった。
信太は背後から爆風に襲われた。地面にたたき落されそうになるのをなんとか踏みとどまり、ようやく前を見た時には、全てが手遅れだった。
「うっ!?」
信太に弓納の投擲した槍が命中する。一瞬、周囲は眩い光で包まれたが、やがてそれが収まると、ボロボロになった信太が槍と一緒に落ちてきた。
信太は落ちてきた場所で弱々しく座ったまま、精一杯の力を振り絞って天野を見上げた。
「やってくれましたね。只の矢だと思って油断していました」
「ま、避けられると分かっていたからな。最初から火の玉狙いでやってた。もちろん、盛大に爆発するように矢に小細工もしてやったよ」
くくと信太は笑い、それから少し溜息をついた。
「生野の居場所は知りませんが、おそらくもうここにはいませんよ」
「は? どういうこと」
「私が言えるのはここまでです。さようなら、機会があればまた会いましょう」
そう言って、信太はその場で宙返りをしたかと思うと、たちまちに狐になってしまった。そして、軽くお辞儀をするとそのまま空に飛びあがり、何処かへ行ってしまった。
「な、おい!」
「天野さん、諦めましょう。それに、邪魔立てするつもりはもうないようですし」
「勝手気ままなやつだな。これだから物の怪なんてのは」
空を恨めしそうに仰ぎながら、天野はそう呟いた。
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