第七章 鷹と蛇①
「大江御前の潜伏先が分かったわ」
戸の締め切られた北宮神社の社務所。客士達の前で望月が言った。
「まあ、見つけたの私じゃなくて日井さんなのですけどね。日井さん」
「はい」
望月の横に控えていた日井が軽く頭を下げてから、口を開いた。
「様々に調査を行ったのですが、結論を言いますと、どうやら離島の別荘に潜伏しているようです」
「離島とはな。また面倒なとこに逃げ込んでくれたもんだ」
天野がぼやいた。それを横目に弓納は日井が尋ねる。
「どのあたりにあるのでしょう?」
「ええ、ポートランドのほど近い場所に浮かんでいる小島です」
そう言って日井は地図を机に広げると、ある一点を指さした。しかし、”そこ”を見た天野は首を傾げる。
「日井さん。それはひょっとしてギャグのつもりか?」
日井の指さした場所は、赤丸が書かれているだけのただの海原であった。しかし、天野のその疑問に、日井は首を振る。
「いえ、ここで合っています」
「どういうことだ?」
「言葉足らずで申し訳ないが、島は、地図には一切記載がありません」
「つまり、いわゆる地図にない島?」
「ええ。そういうことになります」
「んな馬鹿な。百年前ならいざ知らず、今の日本でそんな場所があるもんなのか。しかも人工島の近くに」
「そう思われるのも無理はありませんな。しかし、島は目視で確認できないのですから、地図に今まで記されなかったのも無理はありません」
「ん、どういうことだ」
「呪術でしょうか?」
太が答えると、日井は頷く。
「太君、その通りです。正確には鬼道、鬼が利用する独自の呪術体系のようですが、大江御前はそれを駆使して島を目視できなくしているようです」
「でも、そこに島は確かにある、ということね」
「ええ。よく観察すると海流、周辺を飛び交う鳥の群れの動きなどに若干の違和感があります」
「なるほどな。いや、悪かったな日井さん。疑ったようなことを言って」
「いえ、お気になさらずに」
「それはそうとして、どうやって渡りましょうか?」
弓納が疑問を投げかけると、望月は首を振った。
「妥当な線だとボートなのだけど、そうよねえ。いけるのかしら」
「いえ、それについては心配いりません」
「あら、いい方法があるのかしら、日井さん」
日井は望月の問いに頷く。相変わらずの仏頂面で、表情からは何を考えているのかが読み取れない男だ、と天野は感じた。
「生野綱こと大江御前はこういう時のために、秘密の抜け道を作っていたようです」
「秘密の抜け道というのは、海を渡る以外の方法で渡るということ?」
「ええ。これは私の部下に調べさせたのですが、どうやら、生野邸の地下にある道がその島に繋がっているようです」
「あからさまに海を渡っていたのでは、そこに島があることが知れ渡ってしまうことでも恐れたのかしらね」
「さて、彼の心中は察しかねます」
「それもそうね。私も鬼の心は分からないわ」
「じゃあ、決まりだな」
「そうね。別に急いでるわけでもないけど、少し準備時間を取ったら出発しましょう。それと」
望月は太の方を向き直る。
「太君」
「はい、分かってます。ここに残れってことですよね」
「……ごめんなさいね。今回は貴方を守る余裕はないかもしれないから」
「なんで望月さんが謝るんですか。あ、でも中であったことは詳しく聞かせてください。楽しみに待っていますので」
「ええ、勿論よ」
「やれやれ、望月も太君の前じゃ可愛いもんだ」
天野は肩をすくめるが、望月はさりげなくその脇腹をつねった。
「いっ」
「何か言った? 天野君」
誠意のこもっていない笑顔を天野に振りまく。
「何でも、ない」
「すみません。お見苦しいところを」
弓納がぼそりと日井に言うと、日井は首を横に振った。
「いえ、賑やかなことは良いことです」
○
先日の騒ぎのためか、生野邸は一般客の受け入れを中止しており、今はその門を固く閉ざしていた。
「世間では色々噂になっているようだな」
門の前に立った天野は横にいた望月に語りかける。
「仕方ないわよね。唐突な公開中止に加えて、報道機関にその理由もだんまりだもの」
「そういえば週刊誌なんぞに『だんまりしているのは当主が失踪したからだ』という記事もあったが、ま、実際に失踪しているわけだからその記事は大当たりってわけだ。どこのどなたか存じぬが、その慧眼に思わず頭を平服せずにはいられんよ」
「はいはい。さ、おしゃべりはここまでにして、入るわよ」
客士達と日井の一行は周りに人がいないことを確認してから門を飛び越えて、内側に忍び込んだ。
「こちらです」
日井に案内されて、一向は屋敷内の庭園を進んでいく。屋敷の正面玄関の脇を通ってなだらかな坂を登ると、見晴らしのいい場所にたどり着いた。そこは小高い丘になっており園内を見渡すことが出来る場所だった。奥の方に像の乗った台座が設置されている。
「展望台、ですか?」
弓納は言うと、日井は頷き、徐に台座に近づいていく。
「ここです。この下に、地下へと通じる道があります」
日井は天野を呼び寄せ、二人がかりで台座を移動させた。
「なるほどね。確かにこれはいかにもって感じの秘密の抜け穴ね」
台座の下にあったのは螺旋階段。降っていくと中は空洞になっているようで、防空壕のような作りになっていた。奥の方に簡素な門が設けられいる。
「門、か」
「ええ。そこが離島へとつながっております」
特に鍵も付けられていないようで、前に引くとあっけなく扉は一行の侵入を許した。扉の先は廊下になっているようで先が長く続いている。
「……屋敷からポートシティまで、どれくらいありましたっけ?」
ふと、望月が尋ねる。
「さて、私はこの辺の地理に詳しくはない故、すぐには回答いたしかねます」
「望月さん。多分、四キロメートルあるかないか、くらいです」
「はあ。随分と、長い廊下ね」
望月はため息をついた。
○
いつにも増して閑散とした北宮神社。誰もいない社務所の中で呪術に関する指南書を読んでいた太だったが、少し外の空気にあたろうと境内に出た。
「わわ、葉っぱか」
風に吹かれて飛んできた葉が顔に当たる。高台にある神社には相変わらず人の気配はなく、木々のざわめきと小鳥のさえずりが聞こえるばかりである。
俗的な話だがこの神社は一体維持費諸々をどうしているのだろうか? 太はふと疑問に思った。神社の経営などはよく分からないが、少なくとも賽銭箱を充てにしているわけではないことくらいは理解している。神社によっては兼業の神職もいるというが、望月は客士としての活動を除いて特段別の仕事をしているわけではない。いや、そもそも神職らしいことはしているのであろうか? 神社といえばお祓い、地鎮祭、などがあった筈だが、彼女の口からそんな言葉が出たことはない気がする。
「ま、帰ってきたら聞けばいいか」
太は境内の一角から街を見下ろす。自分の身の回りの騒々しさとは裏腹に何事もなく過ぎていく街の一日。仮に今自分がいなくなったところで、世界は何事もなかったかのようにその時間を進めていくのだろう。
「今日も街は異状なし、なんて」
「はじめ、はじめ」
不意に背後から声がした。太が振り向くと、そこにはたまきが立っていた。
「たまき」
「ごきげんよう」
「うん、こんにちは。今日も参拝?」
「そうね。それもなのだけど、今日は、貴方に用があってきたの」
「僕に用?」
「ええ。”『真統記』、その鍵である、太一”」
「え」
一瞬、太は自分の耳を疑った。何故、たまきの口から『真統記』の名が出てくるのか? たまきは、少し変わっているけど、普通の少女。こちら側の世界の事など知らない筈。
そこまで考えて太はふと思った。一体、自分はたまきの何を知っているというのか。
「何で『真統記』のことを? それに鍵って」
「そう、やっぱりほとんど知らないのね。自分がどういう存在なのか」
「さっきから一体何を。何で、たまきがそんなことを」
「思ったより早く事は動いてしまった。もっと貴方と、色んなことを見たり、話したかったのに」
「たまき、答えて――」
太はふわりと意識が遠のいていくのを感じた。たまき、君は一体何者で何がしたいんだ。太は薄れゆく意識の中でたまきの顔を見る。
ごめんなさい。その顔は、青年への謝罪の表情に満ちていた。
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