第五章 生野綱という男について②

 生野邸の庭園。短く丁寧に刈りそろえられた芝生の生い茂る場所で弓納と紺色のスーツの男は対峙していた。

「やあこの前はどうも。やっぱり君も来ていたのか」

「はい、その説はどうも」

「君とあの青年にはまんまと一杯食わされたよ。あの投擲は文字通り投げやりのつもりでやっていたのだと思っていたからね」

 そう言いながら、男は少し自嘲気味に笑う。

「恐縮です」

「ところで名前を聞いていなかったな。君の名はなんという?」

「弓納です。貴方の名前も教えてください」

「ああ、もちろんだ。今は豊前翁、と名乗らせてもらっている。笑わないでくれよ。酔狂で付けた名前ではない。ちょっと気取った名前にはちゃんと由緒があるのだから」

「それは大丈夫です。豊前翁、覚えました」

「さてさて、挨拶も済んだことだ。今度はあの時のようには行かないよ。次に尻尾を巻いて逃げるのは君の方だ」

「そうですか。でも、負けません」

 弓納は手にしていた朱槍を軽やかに数回転させる。回転させている時もその視線は常に豊前翁を向いたままである。

「来ないのかい?」

「別にどちらでも」

「では今度は私から」

 豊前翁は徐ろにスーツの内ポケットから扇のようなものを取り出した。

「君に実に相性が良さそうものを用意した。これが何か分かるかな?」

「形状から大体予想は付きます。風を吹かすものではないですか、天狗さん」

 淡々と言われて、豊前翁は苦笑する。

「その通り。芭蕉扇とは言わないが、これも負けず劣らず烈風を起こす一品だ。どれ」

 豊前翁は扇を広げて素早く振るう。そうすると、その動きに合わせるかのように風の塊が鈍い音を立てて弓納と豊前翁の間にある地面を抉り取った。

「というわけだ」

 豊前翁は扇で口元を隠しながら言った。

「なるほど、恐ろしい扇です。日常ではとても使えたものではありませんね」

「はん、少しはたじろぐかと思ったのだけどなあ。やれやれ、これでは脅かし甲斐がない。君は今をときめく女子高生ではなかったか?」

「すみません。少し慣れてしまっているもので」

「では意地でも驚かせてみたくなった」

 豊前翁は大きく扇を掲げて思い切り振り下ろすと、上空の雲をまで散らしながら弓納に襲いかかった。弓納は槍を構えたまま、前方を見据えたまま動かない。

「どうした、そのままじっとそこに突っ立っていたら遥か彼方まで吹き飛ばされてしまうぞ。まさかこの風に乗って旅行しようってわけじゃあるまいにっ!」

「それはお断りです。旅行はゆったりと行きたいですから」

 空気の流れが弓納の持つ槍先に触れた、その瞬間、弓納は全身を使って、槍を下に振りそして上に大きく凪いだ。そのまま前傾姿勢を取り、風の裂け目になった前方に勢い良く飛び出した。

 目の前には豊前翁、弓納は槍を大きく振り上げ、力の限り振り体に向けて下ろそうとした。

 しかし、振り下ろされようとした槍の動きは止まった。

「うっ……」

 弓納の顔には苦悶の表情が浮かぶ。

 弓納の腹に豊前翁の扇の骨がめり込んでいた。

「少女よ、急いてはことを仕損じる、というやつだ」

 豊前翁が口角を上げる。

 が、すぐにその表情から余裕が消え、目を見開いた。

「やあああああっ!」

「ぐっ!」

 槍が振り下ろされるが、豊前翁は眉間に皺を寄せながら持っていた扇で間一髪、弓納を後方へ吹き飛ばした。弓納は数メートル後方で踏みとどまりはしたものの、その場で崩れ落ち、膝を着く。

「いっつ……」

 弓納は腹を抱えて呻く。

「全くもって背筋が凍る気分だ。数日は昏睡させるつもりでやった筈なのだが」

 弓納は槍を支えにしてよろよろと立ち上がる。その表情は少し険しかったが、瞳の奥に宿る火は消えていなかった。

「まだ、いけます」

「まだ来るか。まあいいとも、君が敗北を認めるまで何度でも遊んでやるさ。だが、自分の限界を自覚したまえよ? でないとあっという間に亡者の仲間入りだ」

「忠告ありがとうございます。でも、余計なお世話です」

「そうか、それは悪かった」

 弓納は一直線めがけて豊前翁に突っ込む。豊前翁は扇によって風を起こすのを諦め、その骨の部分を使って弓納に応戦を始める。

 弓納の動作のモーションが先程よりコンパクトになっていることに豊前翁は気付いた。また隙をついて攻撃をくれてやるつもりだったが、これでは手を出すことができない。

「ふむ、困ったな」

「やあっ!」

 弓納が豊前翁の胸元に向けて槍を繰り出した。豊前翁はそれを大きく後退して避ける。

「はあ、はあ」

 弓納は肩を大きく上下させる。

「どうした、流石に疲れてきたかい?」

「心配無用です」

「には見えんな。ふむ、しかし君は役目を果たせたみたいだ」

 屋敷から大きな衝撃音が起きる。弓納は咄嗟に衝撃音のした方向に視線を向けた。

「何の音?」

「さて、何の音なんだか」

 豊前翁は肩をすくめる。弓納は途端に攻撃の手を止め、その衝撃音の正体を探り続けた。

「さっきから、屋敷の方ばかりに気を取られているようだが、私のことはいいのかね?」

 弓納はハッとして豊前翁の方を向く。しかし、男は特に何をするわけでもなく不敵な笑みを浮かべながらそこに突っ立っていた。

「別に貴方のことを失念していたわけではありません」

「そうか。だが、そんなに気になるなら行ってみては如何?」

 その提案に弓納は眉を顰めた。

「貴方は一体何を言っているのですか?」

「言葉通りの意味だ。屋敷の様子を見に行けばいいと言っているのさ。なあ、君は私の足止めが目的だったのだろう? なら、私は何もしないから、素直にあっちの方にいけばいい」

「いいえ、信用できません」

「そうか。それならこれでどうだ」

 豊前翁はそう言うと、手に持っていた扇を弓納の前に放り投げた。そして徐に両手を上に挙げた。

「これで私は君と戦うことを放棄した。ああ、降参と取ってもらっても構わないよ」

「……よく理解できません。貴方の目的は」

 慎重に芝生の上に転がった扇を拾い上げながら、弓納はとぼけた表情をする男に尋ねる。

「別に、君達と対峙することではない。この前は確かに君達、ま、正確に言うとあの太一という青年が目的だったのだがな。あれから色々あって最早それはどうでもよくなった」

「そうですか」

「ちなみに全部衣服を脱げなどとは言わないでくれよ。私の得物はそれだけだ。本当だよ」

 とぼけたように豊前翁が言うと、弓納は少し頬を染めた。

「そんなこと言いません。ですが、一先ず信じましょう」

「やれやれ」

「仮にもし後ろから襲ってきたら、遠慮せずに叩き潰します」

 そう言って弓納はその場を後にするのを見届けると、豊前翁は肩をすくめる。

「いや、怖いね、それは」


「どうした、少しずつ撃つまでの間隔が広がっているようだが、いよいよ弾切れか?」

「さっきも言ったと思うけど、弾切れなんか期待しても無駄よ。まだまだ百発でも二百発でも撃てるわ」

 屋敷の大広間。中央階段の踊り場に刀を持って陣取る生野に望月は二丁の銃口を向けている。それが、望月の基本のスタイルであった。銃は”そういう類”に対して作用する特別性であり、中に実弾は込められていない。中に押し込めるのは魔力、霊力などと呼ばれる力を固めたもので、標的に当たれば跡形もない。いや、そもそも元から形などないのだ。弾丸は形がないものだからこそ、弾を持ち歩く必要もないし、物理的な弾切れなど存在しない。

 彼女がこの二丁拳銃を有事の際の基本スタイルとしたことに対した理由は存在しない。ただ、古来より存在する剣や弓などと違って謂われを持つことのないそれが、一体どこまで霊性を獲得し、実用性に耐えうるのか試してみたかったのだ。そして、結果として彼女はこれを気に入り、今の自分の基本スタイルとするに至った。

 太は別の所に避難させていた。無論、一人になった太が不意打ちを喰らわないように対策を施してはあったが、生野は自分に自信があるのかそんなことをするつもりは毛頭ないようでった。

「くくく」

「あら、私何かおかしいこと言った?」

「いいや。なあ、お嬢さん、そうだとしても無尽蔵ではないだろう」

「さて、何のことかしら」

「しらを切るつもりか。よかろう」

 生野が片手を前に突き出す。それに呼応するかのように望月の両手は引き金をひいた。銃口から放たれたものは生野の眼前に迫るが、生野はそれを叩きおとした。前を見るが、そこに立っている筈の望月がいない。

「何処見てるのかしら」

 生野は天上を見上げる。そこには銃を生野に向けている望月。

 銃声が何度も響く。しかし”弾”は弾き落とされ、地面に接触しては消えていく。

 生野は刀を構え、手すりに降り立とうとする望月に突き立てようとする。が、すんでのところで軌道をずらされ、よろけた生野にとび蹴りを見舞った。蹴り飛ばされた生野は広間の一階に難なく着地し階段に降り立つ望月を見上げる。

「困ったな、これでは埒が明かない」

「じゃあ貴方、降参してくれない? 私は別に貴方に酷いことをしようだなんて思ってないわ。あれさえ渡してもらえればそれでいい」

「ふっ、小娘め。ぬかすよな」

 生野が再び素早く手を突き出すと同時に望月はそこを飛び上がる。飛び上がると同時に望月のいた場所に衝撃波が起きた。階段にさしたる損傷はないものの、広間に響き渡る衝撃音がその威力を物語っていた。

 階段の前に降り立った望月は髪をかきあげる。

「危ないわね。さっきの当たったら即病院送りだわ。貴方入院費を出してくれまして?」

「保険に入っているなら問題なかろうよ。それにしても全く、可愛げのない。少しは怯えるものかと期待したのだが」

「ごめんなさい、ご期待に添えなくて。でも困ったわね。貴方が降参しないんじゃ、こうするしかないか」

 望月は胸に手を当てて、小さく何かを唱え始めた。

「何をしている」

 しかし、生野のその問いには答えず、望月はぶつぶつと呪文を唱え続ける。

「答えないのなら、こうするまでだ」

 生野は片足を持ち上げ、それから勢いよく地面を踏んだ。踏んだ場所から目にも止まらぬ速さで黒い影が伸びていき、望月の前まで来たかと思うと、地面から這い出て営利な突起物になった。それはそのまま望月を貫こうとする。

 しかし、その突起物が向かった先に望月の姿はなかった。

「鈍い」

 確かに聞こえた望月の声。生野は辺りの気配に集中する。

「おのれ」

 生野は何処にいるのか掴むことが出来なかった。それは気配が消えてしまったからではない。彼女の存在が辺りに満ち満ちていたからである。

「本当に人間か、貴様!」

「勿論」

 生野は背後を振り向こうとする。しかし、振り返ろうとした矢先に全身に強い衝撃が走り、広間脇の壁に打ち付けられた。

 生野は立ち上がると目の前にいるものを見た。

 そこにいたのはやはり望月である。その手には銃の代わりに大幣が握られていたが、その勝気な表情に見間違いはなかった。しかし、生野は何か違和感を感じた。

 彼女だけではない。望月詠子の体には、”彼女以外の何かがいる”。生野はそう直感した。二重人格なのか、と一瞬考えたが、別の人格が表に出ている気配はない。あくまでそこにいるのは今まで自分が対峙していた望月詠子である。

「私これでも神官なのよ」

 少しずつ距離を詰めてくる望月は言った。そうして、生野は彼女に感じた違和感の正体を悟った。

「神、か」

「察しがいいわね。”神詠かみよみ”、つまり神様を降ろしたの。まあ、降ろせる神様限られてるけどね」

「ふ、ふふ。最早遠慮する必要などなしか」

「あら、最初から遠慮する必要なんてないのだけれど」

 望月が大幣を横に薙ごうとする。

 しかしその動作が終わる前に、鈍く、重い重力を浴びせられたかのような威圧感をあたりが包み込んだ。

「なに、これ!?」

 意表を突かれて一瞬困惑した望月は生野の顔を見る。そして、望月は生野の顔に再び意表を突かれた。

「どうしたの、ゾッとしたような顔をして」

「まさか」

 生野の顔から一滴の汗が滴り落ちる。目をしきりに動かし、それから目を閉じて耳を澄ませる。

「……これは、間違いない。おのれ、厄介極まりないわ」

 恨めしそうに言った後、生野はそのままゆっくりと目を開け、入り口に向かってせかせかと歩を進める。

「待ちなさい。このまま行かせると思って?」

 望月の声に生野は顔を少しだけ傾ける。その静かな眼光は望月を一瞬たじろがせるには十分な鋭さをもっていた。

「お嬢さんよ、これは情けだ。儂も長らく人間として暮らしていた、いやむしろ魍魎として送った生活など取るに足らぬ時間だ。だから人間に情がある。よって今回は見逃そう」

「随分舐められたものね」

 望月は大幣を振おうとする。

「うっ!?」

 全身に悪寒が走る。それに気を取られていた望月はハッとして生野を睨みつけた。

「……貴方の仕業?」

「さて、どうかな。それはそうと君も早くここを出た方がいい。折角助けてやる命をこのまま散らせてはいかに儂とて寝覚めが悪い」

 そうしてそそくさと生野は入り口から出ていった。

「嫌な感じ。でも彼の言う通りね。一先ず、ここから出た方がよさそう」

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