第五章 生野綱という男について①

「では、その正体はやはり大鯰であったと」

 生野は望月と太に言った。この前と異なり、客間には生野と望月、太以外に先日二人を出迎えた女が控えていた。信太しのだという名の彼女は目を伏せて置物のように立っているが、相変わらず瀟洒な雰囲気をあたりに醸し出していた。

「ええ、おっしゃる通りだったみたいです」

「そうですか。ではあの言い伝えは真実ではなかったというわけだ」

「たまたま結末の記述のみが事実と異なっているという話はままあることですよ。古典作品を脚色する際はそれが顕著ですし……あ、すいません。これは創作の話です」

 太は赤面して俯く。

「いや構わんよ。むしろ先祖の失態を良心的に解釈してくれようとしたことに感謝だ」

「そう言われると助かります」

「さて、この件について、未だ確証の域を出ないのですが、どうやら誰かが裏で手を引いていたようです」

「ふうむ、このままではまた同じ事が起きる可能性があるということか」

「そうですね。大鯰はないかもしれませんが、別の形で何かが起きる可能性はあります。誰か心当たりはないのでしょうか?」

「そうですなあ。こんな事を言ってはなんですが、私は代々の当主の中でも軟弱者でしたので、なるべく当たり障りのないように事に当たってきたつもりです」

「お言葉ですが、生野さん。例え貴方が努めて人に誠実に接していたところで立場というものがございます。貴方個人に恨みはなくても、生野家当主には恨みを持っている人はいるかもしれません」

「……なるほど。そこまでいくと、ちらほら思い当たる節があります。やれやれ、どうしたものか」

 下を向いて考え込んでいた生野はハッとして顔をあげる。

「申し訳ありません。ここからは人と人との問題、私の問題ですのでお気になさらぬよう。ああ、信太さん。もう下がっていい。お見送りは私がしよう」

 お礼は後ほど、そう言って生野は二人を送り出すために客間のドアを開けた。

「毎度玄関が遠いのはどうかご容赦ください。今更ながらこんな難儀な作りにしてしまったのは間違いだと痛感しているところです」

 客間から玄関に行く途上、生野は申し訳なさそうに言った。

「いえ、大した問題ではありませんので、お気になさらずに。それより最近、市内に不可思議な事件が多発しているのをご存知でしょうか?」

「ええ、小耳程度には挟んでおります。それがどうかなさいましたか?」

「いえ、大したことではないのですが、少し気になることがありましたので。例えば記念公園の件。あそこには今も地面に大きな爪痕のようなものが残っているようですが、それはどうやら人間や動物の仕業ではないとの専らの噂です」

「ふむ、確かにあのような傷痕は動物では付けられまい。人がやるにしても、大掛かりな仕掛けがなければ困難でしょう」

「実は別の者が別件であそこを調査しておりまして」

「なるほど。その傷痕も異界の住人とやらの仕業という可能性があるわけですか。いいや、むしろそう考えた方が自然ですな」

「ええ。ですが、その調査の途中に邪魔が入ったんです。何でも、彼らによるとスーツを着た奇妙な男に襲われたとか」

 玄関まで来た所で生野は足を止める。しかし、振り返ることはせずに望月に尋ねる。

「ほほう。しかしその男の目的は一体何なのでしょうなあ」

「さて、何が目的だったのかは分かりませんが、一つ、面白いことを言っていたそうです」

「はて、それは?」

「君達には用がある、そう男は言っていたそうです」

「ふむ。それはまた、まるで監視していたかのようだ」

 太はそれとなく生野を見る。後ろからははっきりと見えなかったが、生野は顎をさすっているようであった。

「その男はどうされました?」

「ええ、その男は何とか撃退しました。思えば男は只の変質者だったのかもしれません。調査をした者はまだうら若き青年と少女でしたので、下世話な話ですが自分の性癖に合致した男が目を付けていたということもあり得るでしょう」

「それはまた災難ですな」

「そうですね。あまり気持ちのいいことではないことは確かです。ですが、面白いのはここからですわ、生野さん」

「……というと?」

「青年少女は実に勇敢でして、撃退した男に密かに発信機を付けていたのです。その男は何処に逃げ帰ったと思います?」

「はて? 変質者のねぐらなぞ、皆目見当がつきませなんだ」

 望月は静かに生野の背中めがけて右手を突きつける。その手には、回転式拳銃リボルバーが握られていた。

「何と、この屋敷だったんです」

「何のつもりでしょうか?」

「先日、生野家のことを調べさせていただきました。インターネット上には断片的な情報しかございませんでしたが、流石は地元の名士といったところでしょうか、市史や県史には生野家と貴方のことがいくつも書かれていました」

 撃鉄を起こしながら望月は淡々と言った。

「ええ、大変な名誉に与り、私も先祖も鼻が高いというものです」

「ですが名家には曰くがつきもの。私はとある私設図書館で調べ物をしていたのですが、その中に奇妙な本を見つけました」

「ほほう。それは一体」

「『山間の王』という本。生野家の出自を調査したノンフィクションの本らしいのですが、書いている内容は中々荒唐無稽なものなのです」

「なるほど、それはいささかの興味がございますな。一体どういう内容なのでしょうか?」

「大まかに言いますと、その本はこう言っていますの。『江戸期に菅原の地へ忽然と現れ、今では地元財界の顔の一つとなった生野家の現当主、生野綱という人物だが、彼には秘密があった』」

「……その秘密とは?」

 生野は銃を突きつけてられるにも関わらず、声も震わせずに淡々とした調子で言った。

「『彼は、生野綱は人間ではない。では何なのかというと、答えは非常に簡単である。俗に言う妖怪だ。例えではない、文字通りの妖怪』」

 一瞬の沈黙が流れる。そして、生野の体が震え出し、顔を上に向けて大きく笑い声をあげた。

「は、はははは。それは傑作だ。久しぶりに大笑いしてしまった」

「そう、喜んでいただたようで何よりです。蛇足ですが、著者は貴方のことを”大江御前”などと呼んでいました」

「……ほう、それはそれはまた大層な名前だ。私には勿体無い。いやしかし御前などとは、女性への敬称ではなかったかな?」

「慣習的にはそうですが、稀に男性にも使われることはあったようですよ。ところで、その本に関連して、一つ質問したいことがありますの。よろしいかしら?」

「構いませんとも。何なりと」

「”しんとうきの解読作業の調子はいかが”?」

「え?」

 太はキョトンとする。しんとうき? それは祖父が語っていた書物の名と同じだ。

 何故、今ここでそれの名が? 確かに、事前にこういう展開に持っていくことは知っていた。だが、その本の名前がここで出てくるとは予想だにしなかった。一体、どういうことなのか。

 訳が分からないまま様子を見守っていると、生野が徐ろに両手を上げる。

「よくその名前を知っているとはね。正直、驚いたよ」

「それはお互い様よ。余人には存在すら知られていない筈なのに、一介の名士にすぎない貴方が知っているどころか、あまつさえ所持すらしているのだから」

「巡り合わせというやつだ。なに、昔古い付き合いにあった者から偶然譲り受けたにすぎん。まあ、そのお陰で、最近曲者に悩まされているのだが」

「確かに頭の痛いことね。大鯰をけしかけられたり、市内におかしな爪痕を残してしまったり、心中お察しするわ」

「いやなに、それでもこんな宝物が得られたことを考えれば安いものさ」

「そう。それは何より。それで、もう一度聞くけど、解読は進んでるかしら?」

「ふん、そもそも開くことが出来ないからどうしようもない。だからこそ、”鍵”が必要だ」

「……私達を襲った代償、高くつくわよ」

 銃声が響いた。太は思わず耳を塞ぐ。

「発泡沙汰か、これなら現行犯で逮捕が可能だな」

 望月の撃った弾は目の前の目標に到達せず、屋敷の壁にめり込んだ。

「どうかしら。お巡りさんが来る前に退散すれば現行犯にならないんじゃない?」

「だがこの通り、証拠もある」

「残念ね。壁を調べても現物は出ないわよ。そういう弾だもの」

「弾のことは言っていない。監視カメラがあるとは思わなかったかね」

「あら大変。それなら、何が何でも貴方をここでのしちゃわないと」

「出来るかな」

「もちろん」

「望月さん! 後ろ――」

「天野君」

 いつの間にか玄関にいた信太が服の内に仕込んでいたナイフを望月に突き立てようとした。しかし刀が届く数センチ手前で、破壊された壁に吹き飛ばされて横に転がる。

 打ち破られた壁から天野がのっそりを現れた。

「お呼びでございますか。お姫さん」

「おだてても何も出ないわよ。そっちお願いね、天野君」

「へいへい」

 天野の体から文字のようなものが手を伝って出てくる。それは、儀式用に使うような斧へと形を変えた。

「フミツカミ、ですか。豊前翁が話していたあの娘といい、つくづく曰くつきの集まりね、貴方達」

 傷一つない信太は静かに立ち上がり、衣服や顔についた埃を払いながら言った。

 フミツカミ、というのは天野の行使する特殊な技術のことである。

 それは神霊やそれに近しい者、例えば神官などが用いるものである。普段人間達が使っている文字は他人に自分の意図を伝えることが目的で使用され、文字の使いようによっては他人を殺してしまうことも出来るそれは、詰まるところ他人に対して作用する力であるが、フミツカミというものはそれだけにとどまらない。

 フミツカミは”世界に対して作用することも出来る力”である。簡単な例えだと、人の字で火を意味する記号を紙に書いた所で何も起きることはないが、フミツカミでならばそれが実際に現象として起きてしまうのだ。

「そうか? まあ確かにこれを使うにあたって色々と面倒なことがあるが、それは置いとくとしてもだ、客士なんて大体こんなのばっかりだと思うぜ」

「そうですか? この前お会いした客士と名乗るお方はいかにも、といいますか、現代呪術を行使する中々真っ当な方でしたので、そういうものだと思っていました」

「そうかい。じゃあ俺の認識が間違ってるのかもな」

「別にどちらでも構いません。どうせ私にとっては瑣末な出来事ですから」

「そう冷たいことを言うなよ。あんた、名前は?」

「信太です。信太乙葉」

「それは渾名か?」

「ええ、それが何か?」

「いや、真名を教えちゃくれねえかなって思ってな」

「教えるものですか。世の中には真名を聞いてまじないをかける者もいると聞く」

「俺はそんな高等なことは出来んよ。それが出来るのはもう人間じゃない」

「信じられないわ。詐欺師は平気で嘘をつくもの」

「詐欺師でもねえよ。まあいい。ところで俺は天野という」

「知っています」

「嬉しいね。うっかり惚れちまいそうだ」

「話はここまでです。来なさい」

「無視かよ。まあいい。言われなくともそのつもりだ」

 天野は斧を構えて、一直線に信太に向かっていった。

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