第三章 遺恨①
菅原大学の図書館。その個人自習室を使って天野は報告書をまとめていた。定期経過を国の機関である弓司庁へ知らせるために書いているものだ。
「毎度面倒だな。とはいえ、とりあえずそれらしい成果は書いとかないと、本当に仕事しているのか疑われてしまうし」
弓司庁は異界騒ぎと呼ばれている一連の事件、怪異を取り扱っている。本来妖怪の類による事案は弓司庁が担うものであるが、現実問題として人員も少ない彼らに全てを対処する余裕はない。そこで考え出されたのが客士という制度である。市井の専門家を半公共的に召し抱えることによって、各地に散らばる異界騒ぎを抑えていこうとしたのだ。
当然、客士や彼らに出す依頼は弓司庁の業務・管轄となる。そのため弓司庁から来た依頼については定期経過などを報告していかねばならない。もし報告を怠れば注意や勧告、依頼取り下げといったことも起きうるし、最悪の場合は適正を問われて客士の資格を剥奪といったこともあり得る。
「しかしこういうのを書くのは胃が痛くなる。全く、世の中ナーバスだな。もっと大らかに生きようぜ」
誰にともなく愚痴を言っているところに、電話の着信音が響いた。天野は電話を手にもってその画面を見る。電話の主は望月からだった。
「はい、もしもし」
「あ、天野君? やっとつながった。貴方今何処にいるの?」
「何処って、そりゃあ大学だが」
「んー微妙な距離ね……じゃあいいや。このまま言うわ」
「何だいきなり」
「今、神社に頭に角の生えた男がいるのだけど、その子から面白いことを聞いたの」
「ほう、それはどんな」
「この神社にちょっと厭世的な雰囲気を漂わせている男がいる筈だから、折を見て捕えろ。そう言われたって。貴方何かした?」
「いや別に心当たりはないが。それが誰に言われたのか分かるか」
そんなに俺は厭世的に見られてるのかね、と心の中で毒づきながら天野は尋ねた。
「親方様とかなんとか言ってたわね。生憎親方様の名前とかは知らなかったけど」
「そうか。また何か分かったら教えてくれ」
「はい。じゃあ何か分かったらまた連絡するわね。それじゃ」
「おっと、すまんもう一つ」
「なに」
「太君が来ても、あまりそいつに近づけすぎないように」
「そうねー。それはもう遅いと思うわよ」
「は? それは一体」
「じゃあね」
電話は一方的に切れてしまった。
「はあ。まあ、望月がいるなら問題ないか。それよりも――」
報告書に目を移すや否や、再び電話の着信音が鳴る。天野は鬱陶しそうに電話を取った。
「今度は誰だ……ああ、彼女か」
天野は電話の主を確かめ、電話を取る。
「もしもし、あ、先生ですか」
電話の主は八重千代であった。天野は以前会った時に八重千代に連絡先を教えていた。
「はい。どうされました」
「大変です先生。どうしましょう」
少しまくし立てるような口調で八重千代は言う。
「落ち着いてください。一体何があったんです」
「盗られました、盗られてしまったんです!」
「ええ、落ち着いてください。一体何を盗られたというんですか?」
「
「それはお気の毒に……っていう話ではないんでしょうな」
「ええ。只の金品財宝ではありません。いえむしろ、市場的な価値等は皆無です。ただ、悪用すれば恐ろしいことに、ああもうなんてこと」
「誰がとったかの目星は?」
「きっと、聡文達です。彼が私を惹きつけている間に、他の協力者が取ってしまったのでしょう」
目的は私なんかじゃなかった。八重千代は嗚咽するように呟く。
「なるほどな」
「あ、あの」
「どうしました?」
「申し訳ございません。このようなことを先生に連絡してもご迷惑なだけなのに」
「いえ、別に構いませんよ。人に話を打ち明けてもらうというのは頼られているようで悪い気はしない。それに、私も無関係じゃありませんからね」
「それは、どういう?」
「先日お話したことを覚えておいでですか?」
「ええ。鬼惑い、でしたか」
八重千代はそのことで天野が何を言わんとしているかを瞬時に理解する。少し考えれば分かってしまうことだ。自分が何故天野に何も言わなかったか。
天野は口を開く。
「市中の鬼は大方、聡文君か、あるいはその関係者の仕業でしょう?」
「……ええ、そう考えて間違いないでしょう」
「じゃあやはり私は無関係ではない。いかなる理由であんなことをしていたのかは定かではないが、いずれにせよその原因を突き止めないことには私の仕事も終わらない」
「ですが、もう鬼惑いはなくなったと聞きます」
「しかし、根本的な原因は解決していないでしょう」
「何故そこまで」
「なに、それが仕事ですから。それに、貴方は私に協力を仰ぐつもりで電話をかけてきたのでは?」
「そ、それは」
痛いところを突かれて、八重千代は胸をドキリとさせる。
何故、自分は天野に電話をかけたのか? それは、ともすれば彼を……
「まあ仮にそうでなくとも、私は私の方法で探すまで」
「ふ、ふふ」
「どうしました?」
「いいえ、なんでもありません。ただ、自分のやらしさが嫌になっただけです」
「は、はあ」
「先生」
「はい」
八重千代の凛とした声音に、天野は見る者もいないというのに思わず崩れていた姿勢を正す。
「恥を承知でお願い申し上げます。どうか、私にご協力いただけないでしょうか?」
「ええ、もちろん。相受けたまわりました」
○
「これは聡文が語ったことですが、彼、いえ彼らの最終的な目的はかつて自分たちを亡き者にしようとした者への報復を行うことみたいです」
千方院邸の応接間。相変わらず梅の香しい匂いが部屋を薄っすらと包み込んでいる。昨日の襲撃にも関わらず、屋敷や庭への被害は皆無のようだった。
「亡き者に?」
「ええ。以前、私達千方院家のことを簡単にお話ししたかと思うのですが、その話には少し続きがございます」
明治期に一度瓦解の危機に瀕した千方院家は、八重千代を始めとする家の者達の尽力によりどうにかその命脈を保つことが出来た。
しかし、その過程で離散した者達がいた。彼らの中には、新しい時代の中でそれに合わせた生き方を見つけ、独立してやっていく者もいたが、大半の者にとって、離散の意味は過去との決別ではなく、反抗の意思表示であった。聡文もその一人である。
彼らは、他の同様な境遇の者達を取り込み、いとも簡単に自分たちを切り捨ててしまった者達へと非難を浴びせた。これではあんまりだ、これまで影として身を粉にして仕えてきたというのに、何故こうもあっさりと自分たちは捨てられるのか。理不尽の極みだ、と。彼らの主張はもっともではあったが、しかし、押し殺すべき主張であった。
日に日に増していく彼らの不満に時の権力者達は危険性を感じ、何度か警告をした。
「その時点であればまだ引き返しは出来たのだと思います。弓司庁には千方院家の者である秀明という男がいて、彼のとりなしもあり彼らに対する妥協案は用意されておりました。しかし、聡文達は後には引かなかった。彼らは、徹底抗戦を唱え、人の世界で武士が反乱を起こしたように、国に反旗を翻しました。このことは歴史の表舞台には一切記録を残してはいませんが、その戦いは、一方的なものだったと聞きます」
大敗を喫した聡文達は、全滅こそしなかったものの歴史の裏の舞台からも姿を消すことになった。それ以降、彼らが何処に行ったかはようとして知れなかった。
「幸い聡文達は自分たちの新天地を見つけたようでしたが、しかし未だ不満を持ち続けているのだと思います。だから、かつて自分たちをないがしろにした者への報復を考えている」
「ただ仕返しをしに行ったのでは前回の二の舞だ。だから、そのための切り札の一つが八津鏡なんですかね」
「恐らくは。彼らの気持ちは分からないものでもないのですが、かといって許されることでもありません。一刻も早く八津鏡を取り戻し、彼らを止めてしまわないと大変な事なる可能性があります」
八重千代の拳に力が入る。きっと、八重千代はこれまでずっと耐えてきたのであろう、と天野は思った。ある意味で使い捨てにされた自分達の境遇のこと、聡文達が離反したこと、そして同胞が蹂躙されたこと。それ以外にも何かあったかもしれない。憤怒に駆られることもあったかもしれないその日々を、八重千代は今日の今日まで耐えてきた。そして今回もその気持ちを押し殺して聡文達を止めようとしているのか。
「彼らが何処にいるかの見当は付いてますか」
「いいえ、確実な所はまだ。ただ」
「ただ?」
「聡文がこんなことを言っていました。『仙涯郷に来れば人里でコソコソと生きる必要もない』と」
「せんがいきょう、ですか。なんなんですかね、それは」
「昔、噂に聞いたことがあります。なんでもそこは、思わず息を呑むような色彩絵巻の光景が広がっているとか」
「ほう。まるで竜宮城や蓬莱の島のような?」
「おそらくはそのようなかんじでしょうか。しかし、そこは人でないものが跳梁跋扈している異界の楽園とも言われております」
「人は招かれざる客、かね」
「さて。それは分かりませぬが、いずれにせよ彼らは自分達の住んでいる所をそう呼んでいるようです」
「ふむ、少しは手がかりになるかね。八重千代殿」
「はい、なんでしょう?」
「これから少々お付き合いいただけますか?」
それを聞いた途端、八重千代は困ったように赤らめた顔を手で覆い隠す。
「え? あ、あの。困ります。そんなこと突然に」
「ああ、い、いえ、すみませんそういう意味ではなく」
状況を把握した天野は必死に手振り身振りで弁明する。
そんな天野の様子に耐えかねたように、八重千代が笑みがこぼれだす。
「クスクス。先生、本当に面白い人」
「え?」
突然の八重千代の態度の豹変に天野は思わず素っ頓狂な声を出した。
「冗談です。先生がそういった方でないことは先刻承知でございます。ですので」
「で、ですので?」
「一計を案じてみました。先生は真に悪戯甲斐のあるお方です。つまり大変貴重な逸材ですね」
わ、訳が分からない。天野は困惑する。
「と、とにかく」
「ええ。是非ともご同行させてくださいまし」
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