第三章 遺恨②

 菅原市に旧市街と呼ばれる地区がある。市の中心の一つである菅原駅の北口に広がるその場所は、戦前の菅原市においては中心街として機能していた。戦後の新市街への形成に伴い、その中心街としての役割は新市街へと明け渡されたが、今でも昔ながらの店などが軒を連ねており、独特の雰囲気を持った場所として親しまれている。

 天野と八重千代はタイルで舗装された旧市街の通りを歩いていた。道幅が狭く車の往来が少ないその通りの左右には、古書店や喫茶店、それに美容室などが軒を連ねている。

「しかし、貴方は中々目立ちますね」

 天野は八重千代に言う。先程から通り掛かる人の視線が二人、もっと正確に言うと八重千代に集まっていくのだ。

「それもそうですね。ですが、鬼だとか化物だなんてちっとも言われた事ないんですよ? そうではなくむしろ、日本好きな外国人のお嬢様などと真しやかに言われているそうです。わたくし、英語などハイカラなものを喋ることなど出来ませんのに」

 ホホホ、と口に手を添えて彼女は得意げに笑った。

「そうですか。まあ変な扱いを受けていなくてよかったです」

 通り沿いに立つ小さな神社の角を曲がって路地に入っていき、途中にある2階建ての和風建築の前で立ち止まった。掲げられた看板には「一葉」と書かれている。

「先生、ここは?」

「なに、只の美味しい料理処です。表向きは」

 天野はそう言いながら引き戸を開ける。

 室内はカウンター席の他に6人用の座敷席がいくつかあり、奥まった方にもいくつか部屋があるようだった。暖色系の明かりが店内を包み込んでおり、そこにいるものを優しく迎え入れてくれるような、そんな印象を与えた。

「いらっしゃいませ~」

 カウンターから一葉の女店主が間延びした声をかける。

「どうも」

「あら、天野先生」

「開店そうそう悪いね」

「構いまへんよ。あら、そちらの外人さんは細君ですか?」

「違いますよ。千方院八重千代という御仁でちょっとした知り合いです。まあそこら辺は話すと長くなるのであまり気にせんといてください」

 八重千代は店主に頭を下げる。そしてそのあと、「やだ、細君だなんて」と八重千代は後ろで口に手を当て嬉しそうに微笑んだ。天野はあえて気付かないふりをした。

「ほんで天野先生。今日はどないしたん?」

 天野と八重千代を席に付けると、女店主は単刀直入にと天野に疑問を投げかけた。

「ああ。ちょっと聞きたいことがあってね」

 天野はところどころを伏せつつ、鬼惑いに関する事の一部始終を店主に話してきかせる。

「ああ、仙涯郷。聞いたことがあるような」

「本当か?」

「ええ。ちょいとお待ちになってな~」

 店主が店の奥に消えていく。

「あの~、先生」

「どうしました?」

「そろそろ教えていただけませんか? ここは一体?」

「ああ失敬。失念していまいした。ここは先程言った通り何の変哲もない料理処なんですが、それは表面的な顔。実際には客士達が情報交換する一つの拠点なんです」

「客士?」

 八重千代が首をかしげる。

「客士ってのは、まあ今俺がやっているようなことです。妖怪とかそういう異界の住人が原因で起きる異変を解決するのが仕事。で、ここはその寄り合い所というわけですよ。といっても、人でないものも紛れ込んだりしていますが、まあそれはご愛嬌といったところでしょうか」

「そんなものがあったのですね。これは大変な驚きです」

「鬼が人里に立派なお屋敷を構えている方がよっぽど驚きなのですがね」

「あら? そんなに不可思議でしょうか?」

「いえ、それはもう」

 言いかけて、天野は反論するのを止めた。彼女がそんな感覚を持っていたら、そもそもこんな人里近くに屋敷を構えたりしまい。

「ここには色々と来るから、その分情報が集まるのですよ。だから何か手がかりが掴めるかもしれない」

「お待たせ」

 店の奥に消えていた店主が戻ってくる。

「どうですか?」

「せやなー。どこかは特定出来へんやった」

「そうですか」

「ああでも、何も情報がなかったわけやない」

「どうぞお教えください。どんな情報でも構いません。お礼も致します故」

 八重千代は勢い良く席を立ちながら言った。

「ほらほら、そないな焦らんと、腰を下ろしなさいな」

「ハッ、も、申し訳ありません。私ったらつい」

 徐ろに席に座り直してうつむく八重千代を店主は優しい目で見つめる。

「ええんよ。貴方なーんも悪うあらへん」

「……はい。ありがとうございます」

「そんでな。場所は分からへなんやけど、この前来たお客さんにそこから来たっていうのがいたんや」

「ほお。わざわざこんなとこまでなんのようだ」

「なんぞ市内に用があるいうてましたな。人探しをしているとか」

「人探し? 誰を探しているとかは聞いていないかね?」

「細かい所までは聞いてへんのやけど、なんや『あのお方に~』とか言うてはりましたし、偉い人でもお探ししてはるようやったわ」

「そいつはもしかして」

 天野は八重千代の方を振り向く。彼女は店主から目を離さない。

「あの、店主さん。その方のお名前は聞いておられますか?」

「名前? ああ、なんやったかな~、ええと、はじろ、とか言うてはりましたな」

 八重千代は目を見開く。そして思わず席を立ちそうになるのをグッとこらえた。

「あら、その様子だと千代はんのお知り合いやったか」

 八重千代という呼び方が煩わしかったのか、店主はさりげなく千代と省略したが、八重千代はそのことを気にも留めていないようだった。

「……彼が、今どちらにいられるか分かりますか」

「まだこちらにいてはるんやったら、あの辺りにいるかもしれまへんなー。ちょっと待ってな」

 再び女店主は店の奥に消えていった。

「はじろ」

 八重千代はその名前をぼそりと呟いた。まるで、その者の存在を懐かしむかのように。


       ○


「首尾よくいきましたな、聡文殿」

 寝殿造りを思わせる建物。その中心にある砂利を敷き詰めた吹き抜けの広場で、トレンチコートを着こんだ髭面の大男が聡文に語りかけた。

「ええ、夏羽なつばねさん。それも怖いほど容易く。こうも上手くいくと、かえって何かあるのではないかと不安になってしまいます」

「考えすぎだ。何事も易く済むに越したことはないだろう」

 少し心配気味に言う聡文に、鈍色の羽織を羽織った痩身の男が諭すように言った。

「大岳さん」

「根拠がない不安に駆られる必要はない。気にするべきは目の前で起きている障害、そして、将来起こりうるであろう障害だ」

「確かにそうですね。私も、上手く行ったことを素直に喜ぶ余裕を持たねば」

「でも、あの人は結局ついて来てくださらなかったのねっ!」

 その場に似つかわしくない赤毛の女の子がそそくさとやってきて、聡文に問いかける。

「呉葉君。もう、いいのだ」

「えー。よくない」

「仕方あるまい。あの当主様はそういうお方だ。もとより駄目で元々であっただろう」

 聡文を庇うように大岳は呉葉と呼ばれた少女をなだめる。しかし呉葉は不服そうに眉を顰めた。

「そう? 私はそうではなかったよ。あの人なら来てくれると思ったのになあ」

「まあまあ、その話はここまでにいたしましょう。聡文殿もお困りであろう」

「いえ、いいんです。むしろ、かつての自分の身内をかようなまでに快く思っていただけたこと、真に嬉しく思うばかりです」

「聡文さん……」

「では、例の物を天壇へ」

「はい」

 聡文は広場の中央奥に立つ石造りの祭壇へと歩を進めた。そして祭壇の中央で、漆塗りの箱から取り出された紫に金地のあしらわれた包を解くと、古代の造形を思わせる神鏡が出てきた。

「いよいよ、ですな」

「うん。わくわくするね」

 聡文が祭壇中央に据え置かれている台の窪みに鏡をはめ込む。すると、台からは徐々に白い清流のようなものが流れ出した。

「ふふ」

 これでようやく、か。聡文からは、自然と笑みが漏れていた。

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