第四章 遠い日の思い出①

 本棚に囲まれた広大な部屋。夜空に浮き上がる月を見上げながらローブを羽織った少女は一人佇んでいた。

「一向に諦めてくれない。でも、ふふ、その根気が何時まで持つのか見ものね」

 軽やかな足取りで月明かりの差し込む部屋内を歩きながら、吹き抜けの開けたスペースに行き着く。その床には複雑な幾何学文様がうっすらと青い光を放っている。

「さて、お次はどうしようかしら。どうしたらあの娘達を楽しませられるかな。ちゃんと考えないと、すぐに飽きられちゃうわ」

「いいえ、その必要はないです。それに困ります」

「あら?」

 ローブの少女は部屋の入り口の方を見やる。その視線の先には弓納と日夏がいた。二人は徐々に少女との距離を詰めていく。

「なんで黒幕わたしがここにいるって分かったの?」

「貴方が小細工をした時です。私を日夏さんに、日夏さんを私に錯覚させたあれ。実は貴方の作ったと思しき魔法陣の写真をとある知人に調べてもらっていたのですが、その写真、魔法陣と繋がってて、さらにそれを経由して貴方と繋がってたんです。魔法線とでもいいましょうか、とっても細くて一方通行の線だから能動的にその元を辿るのは難しいみたいなんですが」

 それを聞くと、ローブの少女はああ、と納得したように手をぽんとさせる。

「なるほど。私が愚かにも魔術を使うことでその発信元の情報を提供してしまったというわけね」

「そういうわけになります。私達を困らせるつもりが、墓穴を掘りましたね。さあ大人しく観念して姿を見せて、って……え」

 ローブの少女は被っていたフードを脱ぐ。そこには、弓納がよく知っている顔が隠されたいた。

 フードを抜いた少女は微笑む。

「御機嫌よう。弓納さん。”幻術にかかった振り”をするのは難しかったわ」

「芥川さん」

 そこに居たのは芥川であった。彼女は図書館の中心で、まるでその空間の主かの如くそこに佇んでいる。しかし衣装は学校の制服ではない。ファンタジー調の司書を思わせる衣装に身を包んでいた。

「何で、芥川さんが?」

 弓納は訝しげに尋ねる。

「あら、そんなことはとっくに分かっているんじゃないかしら。ねえ、アリスちゃん」

 芥川が日夏の方を向いてそう優しく語りかけると、日夏は目を大きく見開いた。容姿こそ違えど、確信がそこにはあった。その立ち居振る舞い、声。そして、二人だけの秘密の名前。日夏は静かに、そして自身に改めて理解させるかのようにその口を開いた。

「ソフィー……?」

「そうよ、お久しぶりね。ま、私はこの高校に入ってから貴方のことをずって見ていたのだけど」

「どういうことですか? 芥川さんと日夏さんは知り合いなんですか」

「そうよ、弓納さん。アリスちゃんと私は古い付き合いなの」

 芥川は弓納にやんわりと微笑む。

「だって私は、”アリスちゃんの本ですもの”」

「え。じゃあ、もしかして……」

 弓納は東方文庫で秋月に聞いた言葉を思い出す。「本などと銘打ってはいるものの、別段本の姿をしているとは限らない。それこそ、どういう姿をしているかはその製作者の思想、嗜好性によりけりなのだ」それが示しているのはつまり、本ではない姿をしているということであり、また、人の姿を取っている可能性も十分にあるということだった。

 日夏が横にいた弓納に語り掛ける。

「そうよ、弓納さん。この子が『Promethean filia《秘匿されるべき書架》』、私の探していた奇書よ」


「でも気付かなかったわよ。まさかあの目立つ容姿をしてはいないとは思ったけど、学生として生活を送っていたなんて」

 日夏は驚きと呆れた感情が入れ混じったかのような口ぶりで言った。

「驚いた? いえ、むしろ驚いたのはこっちね。アリスちゃん、てんで違う方向に向かって突き進むんだもの」

「自分の容姿を変えられるなんて知らなかったもの……大人しく本の姿になってるんだと思ってたわよ」

「まさか、戻るものですか。それで大人しく本棚に収まってたら私があそこから出てきた意味がないじゃない。それにしても」

 芥川は弓納に方に顔を向ける。

「弓納さん。折角何回か警告したのに、本当に頑固な子ね」

「それは失礼。警告が優しかったもので、ついつい深入りしてしまいました」

「あら強気ね。でも好きよ、そういうの健気で」

「それはどうも。芥川さん、貴方への疑問は色々とあるのですが、それは一先ず置いておきましょう。ええと、日夏さん、どうすればいいんでしたっけ?」

「大方”私を連れ戻しに”来たんでしょう? アリスちゃん」

「その名前で呼ばないで。私はもう子供じゃないんだから」

 それを聞くと芥川は少し寂しそうな表情をした。

「そうね、ごめんなさい……日夏さん」

「弓納さん、ありがとう、ここまで付き合ってもらって。でももう大丈夫よ。あの子の言ったように、私は連れ戻しに来たの」

 日夏は芥川に向かってゆっくりと歩き始めた。

「ねえ、もう気が済んだでしょう? 家出ごっこは終わりよ」

 日夏の手が芥川の手に触れようとした時であった。

「嫌よ」

「え」

 突如紙の濁流が押し寄せ、芥川を守るようにその周りを漂い始めた。咄嗟に手を引っ込めていた日夏は眉根を寄せる。

「このワガママッ!」

「我がままで結構よっ! 折角退屈なあの書庫から出られたのに、どうしてまた戻らないといけないの」

 壁紙が剥がれ落ちていくように図書館の風景が変わっていく。そして貼り変わった風景は、図書館ではあったが、全く別物のそれになっていた。バロック様式を思わせる空間には灯がぽつぽつと灯り、書架立ち並んでいる。上を見上げれば空中には本が漂い、窓からは月光が差し込んでいた。

 受付の場所にあたるのか、ぽっかりと空間の開いた場所で日夏は芥川の姿を探し求めて辺りをきょろきょろするが、何処にもその姿を認めることは出来なかった。まるで館内放送かのように、図書館に芥川の声が響く。

「ようこそ私の図書館へ。そしてごめんなさいね。さっき私は本だと言ったけど、正確にはこの忘れられた図書館の管理人であり、同時に図書館内のあらゆる所蔵物にアクセス出来る端末でもあるの。時間ならたっぷりとあるから、どっぷり浸かってもいいわよ。リクエストがあればすぐにお答えするわ。さあ読書に耽りなさい、外の世界のことがどうでもよくなるくらいにね!」

「ソフィー! 貴方何処にいるの、出てきなさいっ!」

 日夏が声を一杯にして叫ぶ。

「日夏さん。駄目よ、図書館ではお静かに。あ、朗読するのは構わないわよ。でも気を付けてね。声に出して読んだらいけないものも多いから、ここの子達」

 それっきり、芥川の声が途絶えてしまった。弓納と日夏は顔を見合わせる。

「これは、一にも二にも芥川さんを見つけ出さないとどうにもならなさそうですね」

「ええ、とにかく、ここにいてもしょうがないわ」

 日夏はそう言って書架の立ち並ぶ通路の一点を指し示す。

「あっちに行ってみましょう」


 道行く通路の壁は本棚になっており、重厚に装丁された本が並んでいた。壁の合間には窓があり、そこから光が差し込んでいるが、外は何処のものとも知れぬ西洋風の屋敷の庭が眼下に広がっているばかりである。所々に本が浮かんでいるが、何が起きるか分かったものではないので日夏も弓納も迂闊に触ろうとはしなかった。

「あの、日夏さん」

「何?」

 先導して先を進んでいた日夏は弓納の方を振り返る。

「芥川さんと昔何があったんですか?」

「……」

 日夏は一瞬だけ俯いた跡、弓納の質問には答えず再び前を歩き始めた。

「あの、日夏さん?」

「昔ね、私、友達がいなかったの」

「そうなんですか? 意外です」

「ははは。それで、よくひい爺ちゃんの書斎に入り浸ってた。楽しかったの。小難しい本ばかりだったんだけどね、少しは子供でも読めるような本置いてて、興味のありそうな本を見つけては読み耽って、よく親に怒られてたっけ。それでいつの日だったか、いつもと同じように書斎に行ってみると、あの子がいた」

「それが、芥川さん」

「うん。でも、最初観た時は分からなかった。あの子、前はもっと幼くて、髪の色も違ってたから」

「元は本だから、容姿はいくらでも変えられるのかも」

「そうかもね。でね、あの子、ビックリしている私にこう言ったの。『私の名前って何だったっけ? 教えてください』って。意味が分からないでしょ? そんなこと私が知るわけないじゃないって言うと、あの子何って言ったと思う? 『じゃあ、名前を付けて頂戴』だって。もう二重にビックリよ、いきなり名付けろだなんて。親になったこともないのに。それでしょうがないからね、あの子に咄嗟に思いついた名前を付けてやったの。それがソフィー。彼女はよく私の話相手になってくれた。辛い時とか苦しい時とかなんか、よく知らない偉人の言葉なんか引っ張り出して励ましてくれたっけ」

「昔から優しかったんですね、芥川さん」

「そうでもないよ。同じくらい、意地悪い所とかあって時々面食らってたし」

「ははは」

「笑い事じゃないって!」

「ごめん。でも、不思議に思わなかったんですか? 芥川さんのこと」

「もちろん思ったよ。自分と同じくらい幼い癖に何でも知ってたから、ある時聞いてみたの、貴方は何者なのか、って。そしたらあの子『自分は本だ』なんて言ったの。よくよく考えてみると突飛なことなんだけど、それまでのことがあったし何より、ひい爺ちゃんの書斎に入るなんて普通の人間には不可能だったし、私はすんなりと信じたわ」

「ひい爺ちゃん、何か書斎に仕掛けでもしてたんですか?」

「うん。なんか東洋の魔女とか名乗る人から泥棒除けのまじないを教えてもらってたみたい。高価そうな本もあったんだけど、それをやった甲斐もあってか、一切本が盗まれるようなことはなかった」

「へえ、凄い」

「私にとっては彼女が”人ではないモノ”だったことなんて些細なことで、話相手になってくれたことが何より嬉しかった。でも、私は次第に彼処には行かなくなった。何故だと思う?」

「ううむ、やっぱりあれかな。友達が出来たから、とか」

「ああ、簡単過ぎたかな。その通り。私は外で友達が出来るようになって、楽しいことや素晴らしいことも一杯知って、段々と彼処に行くことが窮屈に感じるようになっていった。薄情者よね私、今まで相手してくれてたあの子のことなんか忘れて自分の都合を優先するようになったの。だから、愛想尽かして彼処から出てってしまったのよ」

「でも、今こうやって一生懸命に本を探してる。只の薄情者ならそんなことわざわざしないと思います。日夏さんは律儀です」

「只のって……でも、ありがとう」

 日夏は突き当りの角を曲がった所で立ち止まる。

「と、色々駄弁ってた矢先で申し訳ないのだけど、本格的に不味そうな予感がしてきた」

「はい。これ、さっき居た所に戻ってきてますね」

 そこは、最初にこの図書館に立っていた所と同じ場所であった。

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