第三章 異常

 昼下がりの午後。唐突な抜き打ちテストの良し悪しのためか、怨嗟の声が所々に響いていた。その例に漏れているのかいないのか、寺山は「卑劣だ、策略だ、。おかげでまともに問題が解けなかった」などと延々と愚痴をこぼし、寡黙な少女を困らせていた。

 そんな抜き打ちテストの風物詩を我関せずとばかりに日夏は唐突に現れて弓納を連れ出した。

「ちょっと腕を見せてもらえないかしら」

「え?」

 言うや否や日夏は弓納の右腕をじっと見つめる。そこにはうっすらと切り傷の跡やあざのようなものが出来ていた。

「やっぱり」

「どうしたんですか、いきなり」

「貴方、この怪我はどうしたの?」

「いえ、これはただ転んで」

「気を使わなくてもいいから」

「う、分かりました。話します」

 この前、中庭に魔法陣が出来たと思うんですが、夜にそこを見張ってたんです。もう魔法陣は無くなっていましたが、もしかしたら、誰か来るんじゃないかと思いましたので。でも、そしたら変な黒い影のようなものに襲われて……この腕の傷と痣はその時のものです。弓納は淡々と語った。

「害意は感じなかったです。ただ、追い出そうとしている感じだったかも」

 それを聞いて日夏は俯く。

「ごめんなさい。自分から頼んでおいてなんだけど、やっぱり弓納さんにこれ以上迷惑をかけるわけには」

「日夏さん、駄目です」

「え」

「私もその本に興味が出てきました。最後まで手伝います。それにやられたままでは癪ですから」

「弓納さん」

「そういえば、何で私が怪我していると分かったんですか?」

「それはちょっと」

 日夏は顔を背けるが、意を決して先日あった出来事を話し始めた。それを聞いて、弓納は納得したように頷く。

「あれ、そうだったんですね。そういえば私もそんな声を聞きました」

「え?」

「確かですね、『ねえ、これ以上深入りしない方がいいと思うよ。でないと、今度はもっと怖い目に合わせてあげるわ』などと言ってた気がします」

「あいつ、随分警戒しているのね」

 日夏はボソリと呟いた。

「あいつ?」

「ほら、私達が探している本よ。この前生きているって言ったと思うのだけど、遂に妨害を仕掛けてきたのよ」

「なるほど。捕まって大人しく書庫に収まってしまうのが嫌、といったところでしょうか?」

「まあ、どうでしょうね」

 日夏が複雑な面持ちで言うのを聞きながら、弓納は昨日の声について何かを思い出そうとしていた。あの声は何処かで聞いたことあるような……

「さて、どうしようかな。このままだとまた何かされるかもしれないけれど、かといって手がかりがあるわけじゃないし」

「ああ、それでしたら、今例の魔方陣について知人に頼んで調べてもらっているんです。だから少し待ってもらえれば何か決定的な手がかりが掴めるかもしれません」

「焦ってもしょうがないというわけね。分かったわ」

 学校のチャイムが鳴る。

「いけない、次の授業」

「そうね。それじゃあ放課後にまた」

 弓納が急いで戻ると教室はまだ所々ガヤガヤしており、教師はまだ教室に来てはいないようだった。

(よかった。次数学だっけ。安部先生マイペースだからなあ)

 安心した弓納はホッと胸をなで下ろしてゆっくりと席に向かうと、席の前の寺山がこちらに気付く。

「あ、ゆみのー……」

「え、どうしたの?」

「貴方、さっきの。いや、ていうか確か別のクラスの人じゃ」

「え?」

 寺山は見知らぬ人間と顔を合わせたかのように固まった表情をしていた。


       ○


「ねえ、弓納さん。貴方最近変わったことなかったかしら?」

「そういう日夏さんこそ、何か挙動がおかしくないですか?」

 放課後の元文芸部室。二人は息を合わせたように俯きそして勢い良く顔を上げた。

「ぜぇっっったいあいつの仕業に違いないわ。何を言ってるか分からないかもしれないけど、とりあえず聞いて。私ね、この前クラスの皆から弓納さんに見られてたんだけど」

「奇遇ですね。私は皆から日夏さんだと思われていました」

「やっぱり、貴方も同じことが起きてたのね」

「はい。だけど、予想外の方向から矛が飛んできましたね。教室での出来事といい、唐突に胸を突かれた気分です。胸を突かれた経験はありませんが」

「ほんとやりたい放題ね! 捕まえたら折檻してやるから覚えてなさいよ。それはそれとして、一体何がどうなってるのよもう……」

 試験の日から数日、弓納と日夏は様々の不可思議な出来事に出くわした。具体的には机の上に置いていた筆記用具その他諸々が授業中にいきなり消えてしまったり、バケツに注がれた水があり得ない曲線を描いていきなり降り掛かってきたり、教科書の文字が動き出したりである。息をつくしまもなかったのか、日夏は目に隈を作っていた。

「そういえば私達、数日前は入れ替わってたのかしらあれ?」

「それはないですね。鏡を見ましたが、間違いなく私でした。そして、日夏さんは日夏さんのままです。おそらく周りからはそういう風に見えるように催眠術みたいなものかけたのではないでしょうか?」

「皆に? そんなのアリ?」

「ですが今実際にそういうことが起きてますし」

「むう、確かにそうね。例の魔法陣もそういうのと関係あるのかしら」

「かもしれないですね。それにしても多芸です、魔法の本」

「そこヨイショしない。貴方被害者なのよ」

「そうでした、本当に困ります。このままじゃ学生生活に支障が」

「もう出てるわよ。ちなみにね、弓納さんはドジっ子だとか言われてたわよ」

「そんな、うっかりしてる人に見られるなんて心外です。これは一刻も早く解決しないと」

「貴方にとって問題はそこなのね……?」

 日夏は呆れた表情をする。

「でもどうするの? 弓納さんが待てって言ったんでしょう?」

「ううむ。そうですね」

 携帯の振動音が鳴った。弓納が懐から携帯を取り出して、通知内容を確認する。

「友達? あれ、貴方に見られてた間、もしかして私なんか変なことしちゃったかしら。寺山さんだっけ? あの子、凄く私というか弓納さんの心配してたし」

「いえ、これは例の知人です。ふむふむ。そういうわけですので、日夏さん。放課後は空いてますか?」

「はい?」

「反撃です。これまでの鬱憤を晴らしましょう」

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