第二章 考本①

 清道館高等学校は運動部はもとより、文化部も活発な高校であり、しばしば少し世間を騒がせるような成果を残すことがある。しかし、吹奏楽部や美術部など一部を除いて不安定さという意味では誰もが顔を縦に振る有様であり、事実、前年に全国的な賞を受賞した部が翌年には人がいなくて廃部状態、といったことも過去には起きている。

 文芸部もその例にはもれない。過去に幾人か作家を輩出したこともある伝統ある部だったが、今は部員が一人もいない状態である。その夕焼けに照らされた元文芸部室に弓納とウェーブの少女はいた。

「急に呼び出してごめんね」

「いえ」

「そういえば私の名前を言ってなかったわね。私は日夏、日夏耿子ひなつきょうこよ。よろしくね」

 そう言って、日夏と名乗った少女は手を差し出す。

「あ、はい、よろしくお願いします。あの、それで日夏さん、一体なんの御用なのでしょうか?」

 そういえば日夏がさっき入り口の鍵を閉めていたことを弓納は思い出した。何故わざわざそんなことをするのだろうか。

「は、ひょっとして今からカツアゲが繰り広げられてしまうのですか」

「いやいやそんなことしないから」

「では何故、入り口の鍵まで閉めてしまったのでしょうか」

「え? ああ、それもそうね。気にしないで。これは只の癖だから」

「はあ、癖、ですか」

「そ。ねえそんなことより弓納さん。貴方、昨日の夜は何処にいたかしら?」

「え」

 弓納は質問の意図が分からず、困惑する。

「確か、家に帰ってご飯を食べて――」

「ずっと家にいた? まさか、そんな筈はないわよね」

「えっと、どういうことですか。なんでそんなことを貴方が」

「ふむふむ、じゃあこれはどう言い訳するつもりかしら」

 そう言って日夏は鞄から携帯を取り出し、画面を弓納の方に向ける。それを見た弓納の背筋に冷や汗が走った。

 携帯には、弓納が獣に突き刺さっていた細長い突起物を拾い上げている画像が写っていた。日夏は鬼の首を取ったかのように得意げな顔になる。

「これは先日、偶然撮影したものよ。これって、弓納さんだよね」

「あ、ああ、ええ、そうですね。でも、これがどうしたんでしょうか? 別に、私はこの槍を取ろうとしてるだけですし」

「それは貴方がこれの持ち主だから?」

 弓納の頬を一筋の滴が伝う。日夏は「客士」のことは知らない。だが、少なくとも弓納が人ならざる者と関わりがあることを疑っている。

「私の持ち物だろうとそうでなかろうと、道端にこんな物が落ちていたら拾います。あの場所は車も通って危ないですし」

「なるほど、一理あるかもね。じゃあこれはたまたま通りかかったら変なものが落ちていたので、危ないと思って拾おうとした、と」

「は、はい。そうです。」

 それを聞いた日夏はニヤリと笑う。

「じゃあ、これを校内新聞で掲載されても問題なかったりするかしら」

「え、それは」

「ふふ、出来ないわよね。これは貴方の秘密とつながるものだから」

「く」

 かくなる上は、弓納は咄嗟に日夏の携帯に手を伸ばす。しかしそれを予期していたのか、日夏は携帯を持っていた手を上に上げる。

「あっ」

「無駄よ。既に家のPCにもデータは移してる」

「……日夏さん、貴方は一体、何が言いたいのでしょうか?」

「ああ、ごめんなさい。ちょっと意地悪が過ぎたわ。だから単刀直入に聞きます」

 そうして少しの間の後、彼女は意を決したかのように口を開いた。

「弓納さん、ひょっとして妖怪?」

 日夏の声に合わせたかのように、外の校内の木に止まっていた鳥が一斉に飛び立った。

「……それは」

「言い逃れは聞かないわよ。別に貴方が妖怪でなくとも、それに近しい子だというのはこの写真が物語っている」

「うっ」

 弓納には逃げ場はなかった。少なくとも、弓納にはこの状況を抜け出せるほどの策は思い浮かばなかった。

 弓納は諦めたように口を開く。

「一体、何が目的なのでしょうか……?」

「ということは、認めるのね?」

「妖怪ではないですけど」

「そういう類に近しい者ではある、と」

「はい。妖怪ではないですけど」

「そう、言ってくれて本当にありがとう。じゃあ私も話さないとね」

 そうして日夏は弓納を呼び出した本当の理由を語りだした。

「とある本をね、一緒に探してほしいの」


       ○


 世の中には本を愛好するビブリオフィリアなる人物が存在する。彼らは大抵本を読むことに飽き足らず蒐集することにも喜びを見出しており、稀覯本を求めては自らのコレクションに加えていく。他人からすれば理解に苦しみ、時に忌み嫌われるこの行為だが、それでも酔狂な愛書家にとっては生きがいそのものであり、そこにエクスタシーまで感じる者も多いという。

 日夏の曽祖父もそうしたビブリオフィリアの一人であった。曽祖父は一時期欧州諸国を遍歴していた時期があったが、例にもれず、時間を見つけてはあちらの本を蒐集し、読んだり愛でたりしていた。

「で、そのひい爺ちゃんの蔵書の一つがなくなってしまったのだけど、それを探すのを手伝ってほしいの。凄く大切なもの」

「あの、それって」

「何?」

「私である必要はあるのでしょうか? あ、いえ、手伝いはします。だけど、他の人には頼まないんですか?」

 弓納の問いに日夏は首を振る。

「駄目よ」

「それは何故?」

「普通の本じゃないから」

「確かに日本で洋書は普通の本ではないですね」

「いいえ違うわ、そうではないの」

「別の理由が?」

「うん」

 日夏はこくりと頷く。

「その本はね、生きてるの」

 弓納は一瞬我が耳を疑った。

「生きてる、本が?」

「そう、生きてる。比喩じゃないわ。そのままの意味よ」

「……付喪神?」

「いいえ、付喪神とは違うわ。だって、”その本は最初からそういうつもりで生み出された”ものだから」

「そんなことってあるんですね」

「うん、ひい爺ちゃんはそれを奇書と呼んでいた。どこかの魔法使いが書いたらしいんだけど、詳しくはよく分からない。有り体に言えば出所不明の本なの」

「ミステリアスですね。無くなったのはまたどうしてなんでしょうか?」

「それが分からないの。”ひい爺ちゃんの書斎には泥棒も絶対入れないし”、でも」

「でも?」

「案外、本が自分で出て行っちゃったのかも」

 何せ生きているもの、日夏は少し可笑しそうに言った。


       ○


「うーん」

 日夏と話をした翌日の教室。弓納は休憩時間に日夏から聞いた話を反芻していた。

「色々痕跡を調べてたんだけど、とりあえずこの学校にいるということは分かったの。でも、そこからずっと停滞中」日夏は途方に暮れているようだった。

 私は探偵みたいなこと出来ないしなー、頼まれた弓納もまた途方に暮れていた。

「弓納さん、どうしたの?」

「芥川さん」

 隣の席の芥川が心配そうに話しかける。

「いえ、とある人からちょっと頼まれごとをされただけ」

「とある人?」

「ごめんね、ちょっとナイーブなことだからこれ以上は言えない」

「そっか。でも困ったらいつでも言ってね。私、こう見えても口は堅い方だから」

「ありがとう、芥川さん」

「いいのよ。困った時はお互い様。じゃあね、また後で」

 そう言って芥川は軽やかに教室から出ていってしまった。

「芥川さん、最近特に忙しそうね」

 購買部に食べ物を買いに行っていた寺山がいつの間にか戻って来ていた。手に紙パックのレモンティーとパスタの弁当を持っている。

「ふふふ、女子っぽいでしょー」

 それを聞いて弓納はおかしそうに笑う。

「女子っぽいも何も女子じゃない」

「いやいや弓納君、それが違うんだよ」

 寺山は急に声音を変えて得意気に言った。

「ど、どうしたの突然」

「人は生まれながらにして人ならず。教育によって人となるのだ。同じように、女子は生まれながらにして女子ではないのです。女子であろうと日々励むこと、それが女子を女子たらしめるのだ」

 困惑する弓納をよそに寺山は雄弁に語る。

「多分似たようなことをどこかの偉人も言ってた気がする。と、それはそうと、さっき購買に向かう途中さ、騒ぎがあったんだ」

「騒ぎ?」

「私もよく見てはいないのだけど、ミステリーサークルみたいな、魔法陣みたいなものが学校の校庭に出てきたんだって。まあでも、不思議なことにこの高校じゃこういうのってたまにあることだから皆あまり驚きがないのだけどね」

「はあ。悪戯――」

 弓納は途中まで呟いてハッとした。

「ねえそれって、校庭にあるんだよね」

「うん。どうしたの? 気になる?」

「え、ああ、まあ」

「ほほう。弓納ちゃん、意外とミーハーな所があるんだね。でも今は難しいかも。人多かったし」

「そうなんだ……」

「まあまあ、落ち込むことないじゃない。放課後に見に行けばいいのよ。残ってればだけど」

 はははは、と寺山は快活に笑った。


       ○


 放課後の夕暮れ。弓納は新聞部の部室に向かっていた。理由は簡単で、魔法陣の手がかりを求めたからである。

 校庭の魔法陣は消えていた。弓納と同じく放課後に見に行こうと計っていた学生もいたようが、その一報を知るや、無くては仕方がないと、誰一人あえて校庭に赴くという徒労をしようとする者はいなかった。

 新聞部の部室には数人の部員がおり、各々パソコンあるいは机に張り付き自分の使命と格闘している。

「え、昼休みの魔法陣の画像とか残ってないかだって?」

 パイプ椅子に座ってただ一人優雅に茶を啜っていた男性部員、菊池はパソコンから目を離して弓納の方を振り返った。パソコンには新聞の枠組みのようなものがいくつか映っている。

「はい。すみません、可笑しなことを言って」

「構わないよ。しかし弓納、君も案外ミーハーな所があるんだな」

 弓納は苦笑する。

「それさっきも言われました。やっぱり、写真はないでしょうか?」

「いいや、いくつかある。実はうちの部員が偶然そこに居合わせていたのさ。お陰で次に発行する新聞の小噺欄はこれで埋まることになったんだが、まあそれはいいか。ちょっと待ってくれ給え」

 そう言って菊池はマウスを操作し、モニターのアイコンをクリックしていく。

「弓納。これがそうだ」

「失礼します」

 弓納は菊池の背中越しにモニターを覗き込む。そこには、学校の中庭の芝生に幾何学的な文様が描かれている写真画像が表示されていた。

「ミステリーサークル式魔法陣、といった所ですか」

「まあ、大方誰かの大掛かりで不毛な悪戯といったところだろうがな。欲しいならプリントしてやるが、どうだ」

「あ、お願いします」

 菊池は印刷ボタンを押すと、部室奥の窓際の机に置かれていたプリンタが気だるそうにガタガタと音を立て始めた。

「そんなに時間はかからんだろう。少し待ってなさい」

「はい」

「それはそうと弓納」

「何でしょうか?」

「君は陸上の大会に出たりはしないのか? 男顔負けの運動神経をしているのに、勿体無い、と先日陸上部の知人が嘆いていたが」

「いえ、折角目を付けてもらったのはとても光栄なことなのですが、生憎色々とありまして」

 弓納は少し申し訳なさそうな顔をする。弓納も競技というものに対して興味がないわけではなかったが、客士としての勤めがある以上、あまり時間の拘束される活動に従事するわけにはいかなかった。

「そうか。事情があるなら仕方なかろう」

「すみません。ですが以前頼まれた時みたいに助っ人程度なら、出来るかと思います」

「成程。それはいいことを聞いた。彼に伝えておくよ」

 プリンタが厚紙を吐き出してピーという音を発する。その音を聞いた菊池は「おっ、そうこうしている内に出来上がったようだ」と言って席を立ち、プリンタから吐き出されたものを弓納の元へ持ってくる。

「特にスレもないし、これで大丈夫だろう」

「ありがとうございます、助かります」

「あれ」 

 菊池が写真を凝視する。

「どうしました?」

「この魔法陣。こんな模様だったかな」

 菊池は怪訝な顔をして呟いた。

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