第三章 神贄③

「もしかして太君、怒ってる?」

 晴れやかな青空。あぜ道の途上で望月はちらりと横を窺いながら言った。太は少しむすっとした表情である。

「別に、それほど怒っているわけではないのですが、ちょっと納得いかないことがあります」

「納得いかないって?」

「突然旅館からいなくなったことです。せめて一言くらい声をかけてくれればよかったのに」

「ああ、ごめんなさいね。貴方がとってもぐっすり眠っていたものだから、起こすのも悪いと思ったの。それに本当に夜更け頃には戻ってくるつもりだったのよ。だから書き置きなんか残すのも変じゃない」

「じゃあ、一体何をしに行っていたんですか?」

「調査よ。よく巷で言われているように、夜というのは異界の住人が活発になる時間なの。だから、神隠しの犯人がどこかでボロを出さないか、出していないか色々と調べてたのよ。でもそしたら、貴方が捕まっててビックリ」

「好きで捕まったわけじゃないです」

「もう悪かったわよ。お詫びといってはなんだけど、菅原市に着いたら美味しいご飯処に連れてってあげる。知る人ぞ知る名店よ」

「も、もので人を宥めようだなんて、良くないです。でも、まあ、連れて行ってくれるなら、嬉しいです」

 太はまだ納得してないながらも、知る人ぞ知るという言葉に踊らされて密かに胸を踊らせる。それとは裏腹に、望月は結構単純な子でよかった、などと胸を撫で下ろしていた。

「これから、村はどうなっちゃうんでしょうか?」

「あら、気遣ってあげるの? 優しいのね。酷い目に遭わされたのに」

「あの人達も、酷いことをしてやろうというつもりでやったわけじゃありませんから。それに、一応謝ってくれたし」

「ふふ、いい子ね。でもまあ、どうにもならないわよ。今まで通り村のことは村の人達が決めていくの」

「神様、いなくなっちゃうのはいいんでしょうか?」

「そうね。ちょっと勝手なことしちゃったから、代わりの神様を勧請することになったわ。あんなのでも、人の信仰は集めてたみたいだし、いなくなったら困ることもあるみたいね」

「そうなんですね」

 太は手にした勾玉を見ながら呟く。瑕疵一つない勾玉は太陽からの光を反射し、鮮やかな煌めきを放っていた。

「あの子、宮子ちゃんは、大丈夫なんですかね」

「さあ、分からないわ。でも、あの子には村長さんが居てくれるからきっと大丈夫よ」

 あの後少女は意識を取り戻したが、その目に映った故郷は最早見慣れない世界であった。しかし、途方に暮れて困っていた彼女に手を差し伸べた者がいた。村長の若槻である。元々この村の出身であった若槻は、幼い頃に両親の仕事の都合でこの村を後にしていたが、年老いてから村に戻ってきていた。そしてそれは、姿を消してしまっていた宮子にもう一度会いたいがためであった。理由は至極単純なものである。

 宮子は初恋の人だった。

 彼は村へ移住する決意をする少し前、同じく八杉村出身だという人間と遭うことがあった。そして、村のことや神隠し、その真相を知った。それから移住と同時に宮子を依代から開放するための方法を探すようになり、その過程で客士の存在を知ったのだ。折しも村の開発の話も持ち上がっていたところであったが、それにかこつけて望月達に依頼をした、というのが一連の経緯だった。

「数十年の淡い初恋が何千年も続いていた慣習を変えてしまったんですね。なんとも信じられない」

「あら、素敵なことじゃない。太君はないのかしら、そういう初恋の経験は?」

 太は聞かれてバツが悪そうに顔を背ける。

「別に、他にやりたいことが一杯ありますから。そういう望月さんはないんですか?」

「ふふ、さあ、どうでしょうね」

 望月は目を細めながら言った。

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