第三章 神贄②
「君はあの時の……一体どうして?」
「決まっているだろう。私こそがここに奉られている神に他ならないからだ」
宮子は淡々と語る。
「それにしても愚かなやつだ。気の変わらぬ内にと先に警告してやったというのに、結局ここに留まってしまうとは」
「な、留まるたって、一日宿泊しているだけじゃないか」
「だが我にとっては好都合。あの時から気になっておったが、そなたは非情に馴染みがよさそうじゃ」
「はあ? 何をいって」
「そう、そなた。この儀のことを知りたがっておるようだな。ふふ、それも当然か。当事者たる自分がどういう立ち位置にいるのかまるで知らぬのだからな。いいだろう、語ってやるぞ」
太は瞬きをする間にふと宮子がいなくなってしまったことにうろたえた。「こっちじゃ」という声が背後からしたので振り返ると、彼女は祠の前の欄干に腰をかけていた。
「外部の者が盛んに神隠しと言うとるそうじゃないか。全き神による妙技故、あながち間違えてはおらんがな」
太は宮子に警戒心を露わにするが、その様子を意にも介さず彼女はクスクスと笑う。
「だがな、その神隠しには続きがある。どこまで村の者が話したかは知らぬが、神隠しに遭うのは決まって年端もいかぬ七、八程度の子供じゃ。さて、何故子供なのか、そもそもいなくなった子供は何処に行ってしまったのかのう?」
「……何処に行ったか分からないから神隠しなんじゃ?」
宮子はそれを聞いて一層笑みを深める。
「賢しらな小僧よ。表層に出てきた言葉で理屈をごねるのはいいが、たまには言の葉の裏を垣間見るがよい」
「え?」
「そなたは我を見て何も思わんのか? え?」
言われて、太は宮子をまじまじと見つめる。どう見ても幼い少女。しかし、その無垢な容姿に似合わぬ口調、そして子供の気配と共に感じる浮世離れした雰囲気。
「もしかして、その子って」
「やっと気がついたか。そうじゃ、この子は我の依代だ。そなた達が神隠しと呼び、村の者達が神贄と呼んでいるのは、要するに幼子の体を我に提供する儀のことだったのだ。幼子は神域との境界が曖昧だからのう、我の宿る器としては最適でな。ほれ、このように神の威光も滞りなく発揮できる」
宮子は手を翳すと、四方を取り囲んでいた篝火から火が吹き上がり、頭上で渦を巻いて轟々と燃え盛った。
「だが、我は下賤な鬼や妖かしなどと違い慈悲を持っておる。だからのう、この村の者と契約したのだ。六十年、六十年すれば幼子を村に帰してやろうと」
「じゃあ、その時期が丁度来たと? そして、どういうわけか今度は僕の体を依代にしようと?」
「いいや。本来ならまだその時までには後十数年ある」
「じゃあ何故?」
「そうだな、予定が変わったのだ。そなたはそれだけの価値があると踏んだ。太、遠い昔にどこかで聞いた姓の筈だが、もしそなたに宿り記憶を辿ればそれが何か掴めるやもしれぬ」
「それは勘弁してほしいものですね。なんで貴方の気まぐれに付き合わないといけないんですか」
「ふん、尊大な奴だ。一時的とはいえ神と居を共に出来るというのに」
もっとも、体の主導権は我にあるのだが。宮子は笑みを浮かべながら言った。
「さて、話もここらでよかろう。そろそろ、儀を始めようぞ」
「くっ!?」
冗談じゃない。このままおめおめと生贄にされてたまるか。太は踵を帰して逃げようとする。
「な、なんだこれ」
太はその場で膝をつく。体が非常に重い、まるで大の大人がのしかかっているかのうようだ。
「諦めろ。人間では私の巫術に抗しきれん」
「わっ!?」
宮子は太に向けて手招きをするような動作をした。すると、太と宮子との間にまるで引力があるかのように太は少女の足元まで一瞬で引き寄せられてしまった。
「いった~」
「安心せい。時が来たら、お前の体はそのままにして返してやる。さて、そなたの体に入るために道を作らねばならんからな、大人しくしろよ」
宮子が太の体に向けて手をのばす。
やばい、太は本能的に感じた。死んだことはないが、多分、死の差し迫っている状況で感じるものとはこういう感覚なのだろう。最早周りの風景や音等一切目に入らず、目の前のそれに全身の注意が集中しているのを感じる。
手が太の胸の中央に迫ろうとした時であった。
耳をつんざくような無機質な衝撃音が辺りに響き渡った。島を寝床にしていたらしい鳥達が一斉に飛び上がる。
太は思わず瞑っていた目を開くと、宮子は手を止めて太ではなく別の方向に顔を向けていた。
「野蛮なことはやめて下さらないかしら。その子、私の大事な連れなんですの」
宮子の視線の先、木の上にいた望月は言った。片手に掲げているのは回転式拳銃。望月の仕事道具である。
「ああ、そういえば、よそ者はもう一人いたな」
宮子は顔をしかめながら言った。
「望月さん!」
「ごめんね太君。まさかこんなに早く、しかも村総出で動き出すなんて予想外だったわ」
宮子のことを意に介さず、望月は申し訳なさそうに言った。
「でももう大丈夫。後は私に任せなさい」
「貴様、不敬も甚だしいぞ。一体どういう了見でここに無断で立ち入った」
「了見も何も、その子が酷い目に遭いそうだったものだから、咄嗟に助けに入っただけよ。何か問題ありまして? 時代錯誤の神様」
その不躾な言葉に宮子は顔を一層険しくする。
「我は寛大だ。ここで大人しく帰るならば、そなたの無礼にも目を瞑ってこのまま帰してやろう。じゃがしかし、もしここに居座りあまつさえ邪魔だてしようものなら、分かっておろうなあ」
「ねえ、貴方。その前に一ついいかしら?」
「……なんだ」
宮子は苛立たしそうに答える。
「もし今ここで私の言ったことを守ってくれるなら、このまま村の神様として座するようにして取り計らってあげるわよ。村の人も貴方を心底嫌っているわけじゃないようだし。どうかしら、悪い話じゃないと思うのだけれど」
「……話は、それだけか」
「ええ。で、どうかしら? より良い返事を期待しているわ。今すぐこの場で」
「ふふふ、はははは」
宮子が高らかに笑い出す。そして、嫌に低い声でこう告げた。
「はらわたが煮えくり返るとはこういうことか。良いぞ、そなたが望むのなら、すぐに幽世への門を開けてやろう」
「そう、これからの話の段取りを考えていたのだけど。残念ね」
上空で蛇の様にうねっていた炎が望月に襲いかかる。しかし、望月はそれを物ともせずに躱す。
「芸がないわね。なんの捻りもない見世物じゃ飽きられちゃうわよ」
「小娘、言わせておけば」
生き物のようにうねっていた炎が八つに分かれ、広場を蛇行し始める。
「あら」
「先のはほんの小手調べよ。勝手なことをべらべらべらべらと述べ連ねてきたことを後悔するがいい」
炎が地上上空と複雑に行き交いながら望月に襲いかかる。
「これは面倒ね、もう」
望月は眉を潜めながらも軽やかに避けていく。
「全く、避け続けるだけじゃ埒が明かないわ」
「いいや、明ける必要もない」
「え」
宮子はいつの間にか望月の前に立ち、その体に懐刀を突き立てていた。
「あっ」
望月は顔を歪め、汗が頬を伝っていく。
「望月さんっ!」
太は力の限り叫んだ。
「大口を叩いた割にはこのざまか。全く、滑稽よのう」
「……」
望月は無言のまま顔に微かな笑みを浮かべて宮子を見据える。
「なんじゃ、じっと見つめて。薄気味の悪い」
「ふ、ふふ」
望月が耐えきれなくなったように笑い出した。
「ふん、気でも触れたか」
「いいえ、ごめんなさいね。耄碌した神はこうも簡単に罠にかかってもらえるのだと思って、可笑しくなって、耐えられなくなっただけよ」
口から血を流しながら望月は言った。
「やはり気が触れておるよう――」
宮子はその目を大きく見開いた。
「おのれ、体が、動かぬ!」
望月の体が一瞬にして紙片の塊になって舞い散る。そしてそれは、縄状のものになって宮子の両手を後手に縛り上げた。
「くっ、こんなもの」
「解こうったって無駄よ。それ、逆の注連縄だから」
望月はいつの間にか宮子の目の前にいた。彼女は望月を睨め付ける。
「貴様」
「そう怖い顔しないで。折角の可愛らしい顔が台無しよ」
望月は懐から銃を出す。そして、宮子の胸にその銃口を向けた。
「はん。そんな粗末な舶来品でどうしようというんだ」
「只の舶来品じゃないわよ。貴方達みたいな子のために特別に作られているの。ああ、安心しなさい。弾は入ってないから、打った所でその子に傷一つ付かないわ」
それが詭弁でないことを宮子は悟り、黙り込む。
「最後にもう一度聞くけど、大人しく私に降参してくれないかしら? 別に今までと大して変わらないわよ。ただし、その神贄なんていう野蛮なことはやめてもらうことになるけど」
「……なよ」
「え」
「巫山戯るなよ。何故神が人の指図を受けねばならない」
「そう、じゃあこれまでね。貴方はもうここにはいられない」
「くっ、貴様ら、そうやっていくつもの民も神も征服してきたのだろう。そうして自分たちの物語の中に取り込み、我らを貶める」
「今更それは負け惜しみよ。それに、私は一介の客士でしかないのだけど」
「ふん、とぼけおって」
宮子は歯ぎしりをする。が、望月をじっと見つめていた彼女は突如何かを悟ったように目を見開いた後、その頬を緩ませた。
「く、ふふふふ」
「あら、気が変わった?」
「いやまさか。やっと思い出したのだ」
「へえ、一体何を」
「貴様、只の巫にしては不自然だと思っていたが、そうかそういうことか。滑稽だな、貴様追放でもされたのか、裏切りか、それとも何か他の事情でいられなくなったのか、あるいは……おい、なんとか言ったらどうだね、やほへの――」
衝撃音が響いた。それから宮子が静かに倒れる。
「後からいくらでも恨み言は聞いてあげるわよ。でも今はもう夜も更けるから、ね」
望月は宮子の胸に手を翳す。すると、その場所が光を放ちやがて消えてしまった。
望月の手には勾玉が握られていた。
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