幕間
神祓い
第一章 少女
高台に立つ北宮神社。その境内を爽やかな風が吹き渡る。
その風を全身に感じ、青年は大きく伸びをした。
「ああ、気持ちがいい。この自然に吹く風をなんとか人工的に起こせないものかな」
「そうね。なら、いっそ自分で研究してみたらどうかしら」
青年の呟きに背後から答えが返ってくる。太が振り返ると、セミロングの髪を後ろで束ねた女性が片手に腰を当てて立っていた。北宮神社の神官である斎宮、望月であった。
「望月さん」
「もし人工的に起こせたなら、それはきっと画期的な発明になるわ」
「やめてくださいよ、僕にそんな頭はありません」
「あら、そんなのやってみなくちゃ分からないわよ。人間、思わぬところで才能を発揮するとも言うし」
「仮にそうだったとしても、そこまで暇ではありません」
「そう、それはとっても残念」
青年の答えに、望月は確かに少し無念そうに言った。
青年の名前は太一。日本の地方都市である菅原市の大学に通う大学生であった。ただ、最近彼の身辺を変える出来事があった。
客士院という異界の住人達に関する事件を取り扱う者達の組織に所属することになったのだ。元々彼は妖怪だの、あやしだの、不可解な連中を目にすることは何度もあったが、それは日常の中にふと顔を覗かせる程度のものであった。言わば、ほんの片足しかその世界に突っ込んでいない状態であったのだ。
しかし、この奇妙な世界はもっと広がりを持っていて、そこには全身をどっぷり突っ込んでいる人達がいた。彼らは異界の住人達と日常的に接し、彼らが起こす異界騒ぎなどと呼ばれる騒動を日々解決していたのだ。太は自身の抑えがたい好奇心に誘われ、その世界に全身から浸かりたいと思った。
そして、それはあっさりと叶った。客士である望月が自分をその一員として迎え入れてくれたのだ。
「ここにはもう慣れたかしら?」
「ぼちぼち、といったところでしょうか。未だに謎めいたことが多いままですが」
それを聞いて望月は目を細める。
「そう、それはよかった。でも何かあったら遠慮せずに相談してね」
「ありがとうございます」
「ところで話は変わるけど、太君」
「はい?」
「明日から数日、ちょっと時間をとれるかしら」
それは、唐突な申し出だった。
「村、ですか」
菅原市近郊の山道を走る車。その助手席に座っていた太は言った。
「そう、八杉村。菅原市からちょっと山奥の方にあるのだけど知らない?」
運転席の望月は答える。
「いえ」
「そう。それなら、少し説明しないとね」
八杉村。人口二千人ほどの長閑な村だが、最近は若者の都市への流出や子供の減少により、緩やかな衰退を迎えつつある。そこで現在、人を呼び込んで村を活性化させるために開発の話が持ち上がっていた。
しかし、開発には様々な困難が待ち受けていた。
その一つが開発を快く思っていない住人がいることである。彼らは景観破壊などを理由に開発に対して難色を示しており、そのことが開発を遅らせる一因となっていた。
「このまま開発の話が頓挫すればいずれは廃村、ということもあり得るかもしれないわね。まあ、開発が進んだからといってどうにかなる保証もないのだけど」
「世知辛い話ですね」
「そうね。太君は田舎に住みたいと思ったことはある?」
「そうですね。田舎はやっぱり綺麗な所が多いですし、そう思ったこともないことはないのですが」
太は目を伏せる。
「どうしたの?」
「なんといいますか、村って言いますと色々と怖い話がありますよね」
「怖い? 具体的には?」
「ほら、村というと因習がどうとか、村八分にされるだとか、そういう話があるじゃないですか」
それを聞いて望月は思わず笑ってしまう。
「もう、笑わないでください」
「ごめんなさい。でも、まさかインテリともあろうものが、結構固定観念に囚われてるのね」
「う、でも火のないところに煙は立たない、とも言いますし」
「確かに一理あるけど。でもミステリー小説やホラー映画とかの見過ぎじゃないかしら。そういう村は滅多にないと思うのだけど。それにね、そんなことを言ってしまったら、都会はどうなのかしら?」
「それは、都会も色々あります」
太は少しバツが悪そうに顔を背けて、外の風景を眺める。外は相変わらず変わり映えのしない深緑の風景で彩られていた。
「ところで」
太は少し間を置いて切り出す。
「今回は何故その八杉村に行くのでしょうか? 今までの話だと、特に僕達は関係ないように思えるのですが」
「神隠しよ」
「神隠し?」
「そう、神隠し。八杉村はね、一定の周期で神隠しが起きるという言い伝えがあるの。これから人を呼び込まないといけないという時に、そんな得体のしれないことを放置したままはまずいでしょう? だから、今回はその調査にきたの。まあでもそうね、その意味で言ったら八杉村は滅多にない村の部類に入っちゃうわ」
「それって大丈夫なんですか? もし神隠しが本当だったとして、それが神様の仕業だったとしたら危ない気がします。ミイラ取りがミイラになったりなんてことは」
「それはないわよ」
望月は表情を変えずに平然と言い放った。
「そう、ですか」
「さ、もうすぐ着くわ」
「了解です」
「ああ、それと」
「はい?」
「仮に何かあっても貴方の身は私が守るから、私を信じていてね」
○
山道を抜けて着いた八杉村は山間の小さな盆地であった。村の中心部南あたりに駅があるが、人の気がなくあまり利用されている気配はない。駅の周囲は休憩所の他、瓦葺きの民家と個人商店の建物があるくらいである。
「ここが八杉村、ですか。もう少しこう、田んぼが広がっている牧歌的な風景を思い描いていたのですが」
「がっかり?」
駅近くの通路に停車し、自動販売機で買った無糖の缶コーヒーを飲みながら望月は言った。
「それなりに」
「じゃあよかった」
「何故ですか?」
「貴方がそんな牧歌的な風景を欲しがってたからよ」
太一は怪訝な顔をする。
「もしかして、僕ががっかりする様子を見て楽しもうっていう魂胆だったんですか」
「まさか。私はそんな性悪じゃないわよ」
「じゃあなんでなんです?」
「駅から離れれば貴方の求めているものがあるのよ」
「本当ですか?」
「ええ、本当。やること終えたら存分に見るといいわ。さ、行きましょ。これから依頼主のいる役所に向かうわ」
四階建ての八杉村役場は駅から少し外れた国道沿いにあった。周辺にはうどん屋や洋食店の他、最近出来たらしいコンビニエンスストアなどが店を構えている。
「太君、こっちよ」
望月は国道に面した役場の入り口をそのまま素通りして、建物の裏の方へと歩いて行く。
「何処に行くんですか?」
「職員用入り口よ」
二人が裏口の方へ回ると、そこにはスーツ姿の若年の男が立っていた。男は何をするともなく、腕を組んで只ぼんやりと雲の動きを眺めている。
「あ、望月様ですね」
足音に気付き、男は望月に声をかけた。
「ええ、こちらは助手の太です。ひょっとして、ずっとお待ちしていました?」
「いえいえ、ここにいたのはついさっきです。では早速ですが、どうぞこちらへ」
男に案内され、二人は職員用の入り口を通されてすぐの階段を上る。
「申し遅れていましたが、私は倉光と申します。どうぞ、お見知りおきを」
「ええ、よろしくお願いします。倉光さんはここの出身なんですか?」
その問に倉光は首を振る。
「いえ。私は元々菅原市の人間です。特にここに親族がいたわけでもないのですが、色々と縁がありまして、今こうしてここで職員をやっております」
「そうでしたか」
「不思議なものです。こういった所と関わることないなんて思ってたのに、気がついたらこの有様です」
そう自嘲気味に言っている倉光はしかし、どこか嬉しそうであった。
四階の村長室の前に到着すると、倉光がノックをした。
どうぞ、と柔和な男の声がする。
「おお、これはこれは。お待ちしておりました。遠路はるばるお越しいただきありがとうございます。村長の若槻です」
部屋に入ってきた望月達を迎えたのは、白髪の入り混じった穏やかな印象の男だった。
「神隠しというのは昔から語り継がれている言い伝えです。以前見た記録では、少なくとも千年以上前に遡ることが出来ますね」
軽く挨拶と世間話をした後、村長はそう切り出した。
「随分と年季が入った神隠しですね」
あてがわれた革のソファに座った望月は少し驚きの入り混じったように言った。
「ええ、本当に。しかしよくもまあ、ここまで続いたものです。これほど世の中が発展したというのに、未だにその言い伝えが生きているなんてね」
呆れているのか感心しているのか、村長がそう言うのを望月はじっと見つめる。
「どうしましたか? もしかして、私の顔に何か付いてましたか?」
「いえ、申し訳ありません。若槻さんはこの村の出身なのか、などとふと疑問に思いまして」
「ははあ。おっしゃる通り、私はこの村の出身です。しかしそれがどうかしましたか?」
「いいえ、失礼ですが少々他人行儀なように見受けられましたので。ですが私の勘違いのようだったみたいです」
「ふむ。まあ村の出身といっても、この村にいた時間は少なかったからですね。幼い頃に少しいたというくらいです。ですから。無意識の内に他人行儀のように村のこと見てしまっているのでしょうし、そう見られるのも仕方はないでしょう。おっと、これは村人の前では言えませんな」
ははは、と若槻は愉快そうに笑うが、脇に控えていた倉光が咳払いをすると、少し申し訳なさそうにする。
「そうでしたか。こちらに戻られたのは、何か事情があってのことですか?」
「最近色々と思う所がありましてねえ。こうして村に戻ってきて、村長として村をなんとかしようと頑張っている所です。よく田舎は何もないと思われがちですが、調べてみると、意外と資源や特産物に出来るものがあるのですよ。だから、それを上手く活用するのです」
「そうですか。ああ、すみません。少々私的なことを聞きすぎました。最後に神隠しがあったのはいつ頃でしょうか?」
「確か、五十数年ほど前のようですね。それ以降は誰かがいなくなったという話は出ていません」
「五十年、これはまた随分と昔ですね」
「ええ。ですが、このままにはしておけないのです。只の迷信だとは思えない。きっとあの子も……」
村長は俯くが、不意にハッとしたかのように顔をあげる。
「失礼。これ以上は現地で調査していただいた方が早いかもしれませんな。倉光君」
「はい」
倉光は何枚かの書類が入ったクリアファイルを望月に渡す。
「これは?」
「私が神隠しについて自分で調べてきたものと、比較的信頼のおける住人のリストと地図です。実は村の者の多くは未だに神隠しとか、そういうことを気にしている者が多いのです。ですから、迂闊に話を聞いても何も教えてくれないでしょうし、却って不都合が生じるでしょう」
「それもそうですね。お気遣い、感謝いたします」
「いえ、今回こちらにお越しいただいたのもそれを渡すのが主な目的でしたから。今はなりを潜めていますが、噂が立ち続けている以上、何かしら手を打たないといけません。でなければ、折角開発が上手くいっても結局は何も変わりません。どうか、よろしくお願いします」
村長は深々と頭を下げた。
○
「駄目ねえ。目ぼしい情報が手に入らないわ」
石壁に沿った、アスファルトで舗装された道。望月は夕暮れに照らされる地図に目を落としながらため息をつく。役場を出た後、望月と太は村を歩き回って情報収集をしていたが、これといって核心をつくような情報は出てこなかった。
「なんだか皆さん、何かを知っているような雰囲気は感じましたが」
「ええ、何人かは教えてくれそうだったのに、急に何かを思い出したかのように口をつぐんでしまったわね。私達何か気に障るようなことでもしたかしら?」
「いえ、そんなことはないと思います。ううむ、そうですね。ここは一計を案じて、子供に聞いてみるというのはどうでしょう?」
太のその提案に望月は首を振る。
「実はね、太君が見ていない間にもう何人かの子に聞いているのよ。でも、子供は何も知らないようね」
「いつの間に……」
太はそこまで言って少し考え込む。そして、何か納得したかのように顔を上げた。
「つまり神隠しというのは、大人になって初めて共有される村の秘密、ということでしょうか?」
「一理あるというか、おそらくそうでしょうね。秘密を共有する資格があるのは大人になったものだけ。子供はまだ分別のつかない子もいるから、蚊帳の外というわけね」
「うっかり外の人に秘密を喋っちゃうかもしれませんしね」
石壁の上のに立つ神社前まで来て望月は突然立ち止まった。階段を登った先にある境内の奥の方をじっと見上げる。
「太君」
「はい?」
「少しこっちの方あたってくるから、太君はここで待っていてくれないかしら」
望月は地図の一角を指し示す。その場所は湖がある場所で、村から少し離れた場所にあった。
「少し離れていますね……大丈夫ですか?」
「心配してくれるのね、ありがとう。でも残念ながら全然大丈夫よ。太君こそ疲れているようだし、ちゃんと休憩を取りなさい」
「バレてましたか」
「もちろん、私を誰だと思っているの」
「さあ、未だに謎多き人です」
「このちんちくりんめ、言ってくれるわね」
望月は呆れたように笑った。
「それじゃあ、行ってくるわね。あんまり戻ってこないようだったら先に宿に行ってて頂戴」
「さて、望月さんはいつ戻ってくるのやら」
既に望月と離れてから一時間と少し。太一は神社脇にあった小さな公園のベンチに腰を下ろしていた。途上で買っていたおにぎりを手に、目の前に広がる田んぼをぼーっと見つめる。田んぼは夕日に照らされて金色に染まっていた。
「望月さんには悪いけど今日の疲れもあるし、もう少し待って帰って来なかったら先に宿に向かいますか」
「おい、そなた」
休んでいる所に背後から突如声をかけられて、太はぎょっとする。その拍子に、手に持っていたおにぎりを落としそうになった。
振り返ると、十代にも満たないであろう赤い着物姿の少女がそこにちょこんと立っていた。
「なっ」
太は手に持っていたおにぎりを再び落としそうになった。
「そなた、この辺で見ない顔だな。よそ者か」
おかっぱの下から覗かせる瞳はじっと太を見据えている。
「よそ者と言えばよそ者だけど、そういう君は?」
「不敬者め。余の名を聞きたいのであればまず自分から名を名乗るがいい。これは当然の礼儀であろう」
随分と堅くて傲慢なしゃべり口調だな、そう太は考えたが口に出さなかった。余計なことを言わない方がいい。以前、言わなくてもいいことを言って宗像に女装させられそうになったことを太は思い出した。
「わ、分かったよ。僕は太一」
「ふむ、太、か」
「さあ、こっちが名乗ったんだから、そっちも」
「よかろう。ああ、名前は何だったかな。ああそうだ、余は宮子という。さて」
宮子と名乗った少女は何かを考え込むようにしながら太をじっと見つめる。
「ありふれた名前だと思うけど、どうかした?」
視線に耐えられなくなった太に尋ねられて、少女はハッとする。
「いや、別になんでもない。それよりお前、何しに来た」
「何しにって」
聞かれて太一は悩んだ。今望月と調査していること(ほとんど望月がやっているが)を話してもいいのだろうか? 相手は只の少女のようにも思えるが、少し浮世離れしているのがどうも気にかかる。
「観光、かな」
太は言った。
「ふん、物見遊山か。ならさっさと帰れ。ここは美しい所だが、目ぼしいものなど何もない」
少女は踵を返して行こうとしたが、不意に何かを思い出したかのように振り返る。
「一応言っておくが、これは警告だ」
そうして公園の山の斜面まで続いている茂みの中へ消えてしまった。
「なんだったんだ、あの子」
「おおのくーん」
太を呼ぶ声がした。下を見ると、望月が階段を上がって来ていた。
「望月さん」
「どうしたの? 何かあった?」
「ああいえ、別に」
只の子供の悪戯だろう、太は少し疲れていたのでこれ以上考えないことにした。
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