第五章 窮迫
「どうした辛気臭い顔して」
大学の部室で太が唸っていると、突如声をかけられた。
太が声の主を見ると、それは怪訝な顔をした宗像であった。
「宗像さん」
「そう一人で悩んでいないで、誰かに相談したらどうだ。もちろん、俺でよければ相談に乗るが」
「ありがとうございます。では宗像さん、お聞きしたいことがあるのですが」
「おう、なんだ」
「天野幸彦という先生について何かご存知ではないででしょうか」
太が尋ねると、宗像は目を伏せて考え込む。
「ううむ、天野、ね。ああ、思い出した。若いような歳をくってるようなあの先生のことか」
「はい! 印象はともかく、その天野先生で間違いないと思います。最近、彼の素性について調べていまして」
「そうだな。うーん。ん? というか、そもそもなんでそんなことしているんだ? お前は彼のファンなのか」
「そんなわけないじゃないですが。僕はですね」
とはいうものの、先日のことを宗像に言うわけにもいくまい。太は別の言い訳を探してなんとか取り繕おうとする。
「あーあれです。宗像さん先ほど『若いような歳をくってるような』と言っていましたよね。まさに、そのミステリアスな感じが気になったのです。きっとあの人には何か重大な秘密がある、と僕は思うのです」
実際、彼は何か秘密を抱えていたわけだし、太は言いながら心の中でつぶやいた。
「ふーん、別にそんなミステリアスなやつ、大学には一杯いる気がするけどな。まあいいや」
宗像はテーブルに置いていたリュックサックから愛用している黒の手帳を取り出す。その大柄さに似合わぬ、ポケットに入る位の小ぶりな手帖だ。
「ここに彼についてのメモがある」
「ありがとうございます。でも何故メモを?」
「それは思い出せん」
宗像は静かに首を横に振る。
「俺が彼の私生活について知っていることといったらだな、独身らしいということと、割と山や海が好きらしいことくらいだ。ああ、後そうだ。重要なことが抜けていた」
「それは?」
「天野先生は一部の女子学生に好印象だ。ちくしょう、恨めしい」
「はあ、そうですか」
太はガックリと頭を項垂れるながら、再び考えを巡らせ始めた。
天野幸彦。週に二日、三日は車で通勤しており、お昼は大学の近くにある弁当屋をよく利用しているらしい。その他出てくる情報も他愛のない情報ばかり。
「誰か核心に迫るような情報を持っている人はいないものか」
「おいおい、まるで探偵か、週刊誌の記者みたいだな。太、そんなに気になるんだったら本人に直接聞いてみたらどうだ」
「そんなまさか。いきなり前に出てきて『貴方の素性を教えてください』なんてことを言うんですか? 僕が不審者扱いされてしまいます」
「いいじゃないか、別に」
満面の笑み。
「この、人事だと思って」
どうしたものか、と再び太は唸り始めた。
○
「今日もつつがなく講義は終わりか。しかし、個室がないというのはつくづく辛いな。研究室に寄生するわけにもいかんし、なんとかならんもんかね」
講義棟から出てきた天野はそんな誰に向けたわけでもない不平不満をぶつぶつと言いながら、大学の入り口の方へと足を向けていた。
「ん?」
不意に天野が振り返ると、そこには女子学生が天野の方を見ていた。
「君、どうした。私の顔に何かついているかな」
「いえ。す、すみません。ボーっとしていました」
「そうか、それならよかった。たまには呆けているのも結構だが、あまり呆けすぎないように」
「はい。失礼します」
天野を見つめていた女子学生はそそくさと去っていった。
「しかし誰かに見られていることが多い気がする。まあいいか」
天野もその場から立ち去っていく。
その姿を影から太は見つめていた。
(調べによると、そろそろ先生は何処かへと去っていく時間。徒歩のようだから見失う心配もない、多分。助けておいてもらってなんだけど、貴方の秘密は突き止めさせてもらいます)
太は天野の後ろをつかず離れずに付いていく事にした。
大学から結構離れただろうか。天野は宮町通りと呼ばれる通りを疲れる素振りもなく歩いていた。
(結構歩く速度が速いな。そんなせかせかした人には見えないのだけど。って、そんなことはいいや。それよりこの先は――)
北宮神社。鳥居の先には相変わらず容赦のない階段が屹立していた。
(実は神主だったとかかな。いやそんなわけないか。なに、後を付いて行けば分かる筈だ)
そうこう思いを巡らせていると、天野は鳥居をくぐって階段を登り始めた。太も見逃すまいと適度な距離を保って後を追う。
そうして、階段前の鳥居をくぐったあたりで太は気付いた。
そう、天野がいなかったのだ。
(おかしいな。さっきまで十メートルくらい前を歩いていた筈なのに)
「ここで何をしているんだい」
「あっ!?」
唐突に声をかけられ、太は思わず全身をぎょっとさせた。そっと振り向くと、背後から声をかけてきたのは天野。いつの間にか回り込まれていたのだ。
「よく見ると君はこないだの太君じゃないか。大学から尾けてきてたから、ずっと気になってたんだ。一体なんのつもりなんだ」
万事休す。こうなったら仕方ない、正攻法だ。太は天野を真っ直ぐに見つめ、堂々と話し始めた。
「先生。ずっと後ろを付いてきていた非礼はお詫びいたします。ですが、どうしても気になることがありましてこうして尾行させていただいた次第です」
「なんなんだ。急に改まって」
「先生は一体、何者なのでしょうか?」
「何者って、それは先日言ったように大学で講師をしている者だ」
「それだけではない筈です。大体、只の講師ならあんなことはしませんよ。陳腐な推測ですが、何か裏家業でもやっているのではないですか?」
それを聞いて天野は可笑しそうな顔をして笑う。
「ふ、はははは。君の目には俺がそんなカッコよく見えていたのかな? 残念だが、俺のあれは只の趣味のようなものだよ。なんとなく生まれつき不思議な力があったから、あの手の類を成敗しているというわけだ。只それだけだ」
「本当に、それだけですか」
「ああ。君は話を膨らませて物語にするのが得意だからそう考えるのかもしれないが、そうそう出来た話などあるものじゃあないよ。実際に俺の周りに起きる話は話のタネにもならない取り留めのないものばかりだ。きっと君もその内つまらなくなるよ」
「そんなことはないですよ」
「そんなこともあるさ。世の中そういうものだよ、文士君」
「そうですか。でしたら、一緒に付いて行っても問題ないですよね」
「はあ? き、君は何を言っているんだ」
「いいじゃないですか少しくらい。どうせつまらないことなんでしょう? ならわざわざ秘密にするようなこともないんじゃないでしょうか。それとも、何かお見せ出来ないような秘密でも?」
「悪いことは言わないから、やめておきなさい。君が知ろうとしていることはこれからの人生になんの役にも立たないし、知ったところでロクな目にも遭わない」
「あれから考えていたんです。貴方の見ている世界は果たしてどのようなものなのかを。気になって仕方がない。別に、その世界がつまらないものであるならそれで構わないんです。きっぱり諦めもつきますし」
淀みのない瞳を向けられ、天野は諦めたようにため息をつく。
「ふうむ、何故そう知りたがるのかね。普通はこれくらい言えば少しは躊躇するものだ」
「そんなの、人より好奇心が少し強いだけです」
「好奇心が強い? それだけ? 馬鹿な」
「馬鹿でもなんでもありませんよ。何かを強く追い求めるのに、理由は絶対必要なのでしょうか?」
「はあ、やれやれ」
天野は諦めたというように降参のポーズをとる。
「君を諦めさせる方法が思い付かん。もう勝手にしてくれ」
「ありがとうございます! それでは、勝手にさせていただきます」
「こっちだ。付いてきなさい」
「案内してくれるんですか?」
「ほっといても付いてくるのだろう。なら案内しようがしまいが同じことだ」
「えへへ。確かにそうですね。では、よろしくお願いします!」
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