第四章 異様
太は旧校舎の中を探索していた。理由は簡単で、校舎の中にいた人影の正体を探るためである。
「う~ん。確かここら辺だったよなあ。一体何をしてたんだろう」
旧校舎の中は木造張りの建物で、昭和を感じさせる建物だと太は思いつつ、教室側の窓を見やった。
「資料室か」
空くかな。太が恐る恐る戸に手をかけてみると、ガラララ、と音を立てて難なく戸は開いてしまった。
「あら、空いちゃった。どうせ人が入らないから鍵は外してるのかな」
そう言いながら、太は資料室の中に入っていった。
持っていた携帯端末で薄暗い室内を照らすと、古文書や文献らしきものが展示されたショーケースの中に、どことなく目新しそうな絵巻物が安置されていた。
「大國絵巻。なんか大層な名前が付いてるなー。まあいいや、こういう大層な書名はかえって大したものじゃないと相場が決まっている」
そう言いながら、太は部屋中央奥の机の方に目を見やる。そこには、日誌のようなものが雑多な感じで置かれていた。
「日記?」
『旧波見校日記』と表記されたそれを、太はおもむろに開いた。
『○月×日。高良宏光。懐かしさのためにしばらくぶりに訪れてみると、おかしな気配がした。普段人の出入りが少ないから、もしかすると夜盗でも住み着いているのかもしれない。はじめはそう思っていた。だが、それは間違いであった』
『あれは、夜の住人であり、異界の住人だ。おそらくは人のいなくなったここを住処としたのだ。私は小さい頃からよく不思議なものを見ていたが、あれは、それらと同じであり、また、異質なものでもあった。あれには触れてはいけない。表向きは様々に取り繕っているが、この学舎を再活用出来ない本当の理由はここにある』
「……これって、例の亡霊騒ぎのことかな」
彼の疑念は確信に変わっていく。と同時に、このまま長居するのは危険だという予感もしていた。
今持ち合わせている護身のための知識は、多分役に立たない。根拠は無いが、勘がそう訴えていた。
太は少し足早にその場を後にし、そして校舎を出た。
「行き当たりばったりで行ってしまうのは悪い癖だ。直さないといつか痛い目に遭いそう」
そんな事を呟きながらふと、夜空を見上げる。
「しかし空が綺麗だなー」
吸い込まれてしまいそうだ、そんな事を呑気に太は考えた。
……ケタ。
不意に、人の声がした。しかし、恐ろしく低い。
ミ……タ。
その足音らしきものは少しずつこちらの方へと近付いてきていた。
ざく、ざく、と砂を踏む音がさらに近づいてくる。
もしかして、例の亡霊かな? 太は心を落ち着けようと深呼吸をする。
(このまま素知らぬフリでペースを早めてなんとか門まで)
ざく、そこで音が止まった。
「えっ」
なんなんだ、これ。太は思わずその影に目を見張った。
影となって地面に映し出されたそれは、異様な塊をしていた。まるで、自分のその貌を認識させようと迫っているように見える。
(動物? いや、この大きさでこんなシルエットの動物なんて、あり得ない。これじゃあまるで)
「ミ…ケ…」
太は得体の知れないそれに耐えきれなくなって振り向いた。
「ひっ!?」
それは蜘蛛のような形をした、巨大な化け物。しかし頭は、まるで憤怒の形相の鬼面そのものであった。
それは、感極まったかのように雄叫びを上げる。
こんなの聞いてない、噂になってたものは人の亡霊だったじゃないか。太は誰にともなく恨み言を投げかけた。
「逃げない、と」
それの動きが緩慢なのをいいことに、彼は一目散に駆け出した。このスピードなら追いつかれずに逃げられるかもしれない。どうせこいつは外に出られないのだろう。太は遠くに見える校門に向かって駆け続けた。
が、校門まで後十メートルというところで、何かに弾かれて押し返されてしまった。
「うそ」
太は思わず呟いた。目の前には何もない筈の空間。なのに、そこを通る事が出来ない。
太が振り返ると、化け物は唸り声をあげながらそれは少しずつ距離を詰めてきていた。
「やばっ」
太は方向を転換した。どこか別の場所から抜け道を探さないと。このままじゃ。
一心不乱に駆け続けて数分。太は学校の古びた講堂前で大きく胸を上下させていた。
「全然、話と違うじゃないか。何が、亡霊だよ。なんと、か、しないと」
学校の裏門など色々と探し回ったが、出口はなかった。否、正確には二つ程出口はあったのだが、いずれも結界のようなもので塞がれていたのだ。
太は深呼吸をして考える。外から見えた人影は実はあの化け物だったと考えられないか。もしそうなら、日が差す時間になればあの化け物は消える筈。何故なら、人影は夜間にしか目撃されていないからだ。
希望に縋るような考えだが、今は他に希望的観測がない。幸い、あの化け物は鈍重で、鼻や耳が特別優れているという風でもない。ならば、それまで、なんとか――
すぐ後ろで、唸り声が聞こえた。
太は咄嗟に振り向く。その時の勢いで倒れそうになった体をなんとか立て直す。
そこには予想通り、化け物が太を睨むようにして立っていた。
「やるしか」
コートの懐に手を入れる。取り出したのは人型の紙。それを化け物に向けて投げつけた。
すると、化け物が今までにない奇声を発して体を振り乱し始めた。太の投げたものが化物の体躯の周りをまとわり付いて離れようとしないからだ。
投げたのは「人紙」と呼ばれるもの。人型の紙を連ねたそれは、攻撃するというよりは相手にまとわりついて怯ませるためのもので、昔祖父から教わったまじない、護身術であった。
今の内に逃げよう。太は校舎の中を目指して走り出そうとした時だった。
パシン、と重みの感じられない物体が地面に叩きつけられた。
「なっ」
太が驚く暇もなく、化け物はあっという間に太の進行方向へと立ち塞がった。
太は体が竦む。駄目だ。とても逃げ切れる気がしない。
「……ついてない。ここで終わり、か」
太は空を見上げる。いつの間にか雲に隠れていた満月が顔を覗かせていた。
(月が綺麗だ。思わず吸い込まれてしまいそう程に)
可能なら、このまま月の都とやらに行ってみたいものだ、などと呑気な事を思いつつ、太は覚悟を決めて目を瞑った。
……
……あれ?
何も起きない。おそるおそる化物の方を振り向く。
何故だか化け物は太の事など忘れてしまったかのように、頻りに辺りをキョロキョロしていた。
「やれやれ。誰か入ってきていると思ったら、案の定だ」
「!?」
「こっちだ」
太と化物は一斉に声のした方を向いた。
「やあ諸君。こんな夜更けに立ち入り禁止の学校を
誰? 太は呆然としながらその声の主を見た。
百八十位あるだろうか。ジャケットにベスト、スラックスを穿いたその男は黙っていれば二枚目俳優に見えなくもない、そんな印象の男だった。
「それに何やらいかがわしい現場だ。このまま見過ごすわけにはいかんな」
淡々と男は言った。
ふと、太はようやく男が手にしている物に気が付いた。銃でもなく剣でもない、それは、斧であった。
(よかった。助けてくれる? みたいだ)
そう分かった途端、太は自分の体が極度のストレスから解放されるのを感じた。
数分は経っただろうか。予期しない来訪者に襲い掛かっていた蜘蛛の化け物は、次第に怯えるような素振りを見せ始めた。
男は人間離れした動きをしていた。あるいは、異形の怪物と対峙しているという異常な事態がそう思わせているだけなのか。いずれにしても判明しているのは、この男であれば蜘蛛の化け物をほぼ確実に退治出来るだろうという事であった。
蜘蛛の化物は少しずつ男から距離を取り始める。
「逃げる気か。そうはさせん」
一体何処から取り出したのか、男はいつの間にか斧の代わりに弓矢を構えていた。狙いは徐々に後退していた化物を正確に捉えている。
「ではな」
シュッ、と空を切る快音が響いた。
化け物は、人の声のような断末魔を上げながらその場に倒れこみ、やがてピクリとも動かなくなった。
「た、助かった?」
「はあ。深夜にお勤めしても深夜手当は付かないからな。やるなら日中にしてほしいものだ。「ま、俺も日中は日中で忙しいが」
男は太の方を振り向く。
「さて」
「あ、あの」
「大丈夫かな? 太君」
「え、なんで名前を?」
「君のことは知っているよ。まだアンダーグラウンドだが、売り出し中の作家だろう。本名の方は、まあ少し調べさせてもらったがね」
「そ、そうですか。それはどうも。ところで、貴方の名前は」
「ああ、そういえば自己紹介がまだだったな。私は天野幸彦。ちょうど君の通っている大学で教鞭を執っている者だ。といっても、非常勤だがな」
「はあ先生、ですか、ってええ!?」
太が目を見張ると、天野は、はは、と微笑した。
「予想通りの反応をしてくれたな。あまりにも予想通りなのでこちらも驚いてしまった。それはそうとして、そう驚きなさんな。私も食っていかねばらなんのだ」
「いや、そういう問題では」
「細かいことはいいじゃないか。それより君を見張っていて正解だったよ。案の定ここに来て、彼奴が現れた。おや、解せない顔だな」
「君を見張っていてって、じゃあ、僕がここに入ってきたのは最初から気づいていたんですか?」
「いや、誰か入ってきていたのは最初から気づいていたが、それが太一だという確信はなかったよ。まあ校門を見やると君のような子がいたものだから、十中八九そうだろうとは思っていたが」
「……じゃあ、数十分位前に資料室の前にいたのは貴方だったんですね」
指摘されて、何かを思い出すように天野は目を伏せる。
「ああ、そういえば君を見た時そこら辺を歩いていた気がする」
「っていうか、亡霊騒ぎって本当は貴方なんじゃ」
「ああ、どうなんだろな。まあ細かいことはいいじゃないか。ここに巣食ってた化け物を退治出来たんだから」
はは、と天野は苦笑する。
つまりこういうことだ。最近巷を騒がせていた亡霊騒ぎの正体は学校に調査に来ていた天野であった。では、天野は何をしていたのか。無論、先程の蜘蛛の化け物の退治だろう。多分、日記に書かれていたものが指していたのも亡霊ではなく、蜘蛛の化け物のことだ。
「話を濁されないように聞いておきたいのですが、なんなんでしょうか、あれは」
「あれ? ああ、さっきの蜘蛛の化け物の事か。あれは土蜘蛛の類だ」
「つまり物の怪、でしょうか?」
「ほう、流石は、といったところか。まあ大体そんなものだ。しかし君、あまり驚かないんだな。いやむしろ、こちらの方が驚かされたもしれん」
「……何故?」
「何故って、この事態にさして動じていないからだ。そして、取るに足らない程度だが君に呪術の心得があることもだ。直に見てはいないが、この痕跡がそれを示している」
化物の体にまとわりついていた人紙の破片を拾い上げながら天野は言った。
「ああ、そういうことですか」
太は得心のいった顔をする。
「昔から、ちょっと奇怪な出来事に出くわす事が多かったんです。そのどれもが他愛もないことばかりだったのですが」
「ほう。では護身術とやらは」
「僕の身を案じた祖父によって授けられました。いつでも自分の身を守れるように、と」
「なるほど」
「まあそうはいっても、御覧の有様ですけど」
それから一呼吸おいて、太はおもむろに口を開ける。
「こんな出来事は初めてです。あんな化け物、今まで会ったこともない」
「そもそも出くわさない方がいいだろうよ。遭ったところで何の役にも立たない。せいぜい危険な目に遭うか、無事に済んでもトラウマを残すのが関の山さ」
「それもそうですね」
「さ、太君。後始末は私がしておくから、今日のところは大人しく帰りなさい。もちろん、このことは他言無用で。記者やライターに話すなんてもっての外だ」
「はい。最後に一つだけいいでしょうか」
乱れた服装を整えて入口へ向かおうとした太は言った。
「なんだい?」
「先生はその、いつもこういうことをしているのでしょうか?」
「いつも、というわけではないが、有事の際はこういうことをしている。何分見返りが、おっと、その話はここまでだ。ささ、早く帰った帰った。くれぐれも暴漢には気を付けるように」
釈然としない太を急かすように言った。太は釈然としないながらも渋々と入口の方へ向かった。
「さて。何かを追うように彼は入ってきた。一体誰が彼を引き込んだのかね」
天野がそんな事を呟いているのが、太の耳に入ってきた。
○
ニャア、と猫が人懐っこそうな声で鳴いた。
あどけなさを多分に残した少女はその黒猫を抱きかかえ、しなやかな手つきで頭を優しく撫でる。
「駄目よ。きっとそれは彼の大事なものだから。そんなことをしては気を惹くどころか、嫌われちゃうわ」
目的は遂げられなかったであろうにも関わらず、少女は満足そうに微笑む。
「それにしても、中々上手くいかないものね。まあいいわ、次に機会があればまた会うこともあるでしょう。その時にでもじっくりとお話しましょう? 小さな文士さん」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます