第三章 誘い

 菅原市郊外には市内の大学である菅原大学の学生支援施設がある。六松楼と名付けられたその施設の一角にある和室。そこで太はテーブルに突っ伏して呻いていた。

「とほほ。まさかこんなことになるなんて」 

「済まないな。サークル関係者でもないのにこんなことなんかに付き合わせてしまって」

 横で作業をしていた宗像は申し訳なさそうに言った。

「宗像さんのせいじゃありませんよ。まさか担当者が二人して病気になるなんてそうそうないことですから。それに」

「それに?」

「部には毎度ご迷惑をおかけしてますから」

「ほうほう良いことを聞いた。そういうことなら、もう少しこき使っても文句ないな」

「ははは。それとこれとは話は別で」

 ああ、余計なこと言うんじゃなかったと太は自らの軽薄さを嘆いた。

「まあ冗談はさておき、ある程度目処は立ってきたしもう俺一人でも十分だ。お前はもう帰れ」

「宗像さん、僕は別に大丈夫ですよ。ここなら立派な寝具、布団だってありますし」

「いいや駄目だ」

「なんででしょうか?」

「元々これは俺が責任持ってやるべきものなんだ。だから、部員ではないお前がそこまですることはねえよ」

「……分かりました。ところで今、お腹空いていませんか? コンビニで何か買ってくるくらいはしますよ」

「ううむ、実は腹は減ってたんだ。すまん。さっきああ言った手前であれだが、少しだけお使いを頼まれてくれんか?」

「ええ、なんなりと」

「ありがとうよ。じゃあ、あー、こんな名前のエッチな本をー、あいてっ!」

「飲み物はいつものように烏龍茶で、食べ物は何か適当に買ってきます」

「ああ分かった分かった。それとお金」

「了解です。では太一、行って参ります」

「ああ、太。ちょっと待った」

「なんですか」

 少し間があった後、宗像は徐に口を開いて言った。

「……いや、なんでもない。最近物騒な話も多いからな。あまり変なことに首を突っ込むなよ」

「ええ、もちろんです。では改めて行って参ります」


       ○


(気が付いたら翌日、か)

 澄んだ空気が支配する夜の歩道を歩きながら、太は空に浮かぶ月を見上げた。

(食料は渡したけど、本当にこのまま帰ってもよかったのだろうか。宗像さんあんなこと言ってたけど、実は……なんてことは)

「いやいや、やめておこう。人の好意を無駄にしてはいけない」

 元々あそこ、六松楼に来たのは部の懇親会のためであった。総会と懇親会がある時、大学の部やサークルはしばしばあそこを利用する。

 しかし、今回の懇親会の後に待っていたのは部誌の編集であった。度重なるハプニングのため、定期刊行している部誌の編集が延びに延びてしまっていたのだ。

 そして、太は紆余曲折から六松楼に来てそれを手伝うことになった。

「静かだな。遠くの潮騒の音が聞こえてきそう」

 太は辺りを見渡す。ここは彼が普段来ない場所である。いつもの好奇心がたたって寄り道をしてしまったのだ。もちろん、土地勘はないので迂闊に進めばすぐさま迷ってしまうだろう。

 ただ。

「偶然か運命か、ここって学校の……いや、というか、あれだ」

 自然と彼の足は亡霊の噂のあった学校の方向へと向かっていった。どうせ少し様子を見るだけだ。大したことはない。起きる筈がない。


 旧波見小学校。かつて児童で賑わっていたこの学校は、児童数の増加に伴い別地域での新校舎の設立によって閉鎖されてしまった。無論、立ち入り禁止区域である。

(思ったよりいい所だ。景色もいいし、このままにしておくのは些かもったいない)

 こんなに良さそうな建物なのに再活用の話がないのは、やはり幽霊の噂の所為なのだろうかと太は邪推してみた。そう、この学校では幽霊が出るという噂が立っているのだ。結構な広さの土地なのに再開発の話も聞かないのは、やはり祟りだかを恐れているのではなかろうか。科学全盛の今の時代に何をと思うかもしれないが、占いとかを信じている辺り、本質的に日本人は変わっていないのだ。

 中ってどうなってんだろー、などと呟きながら太はふと校舎のほうに目をみやる。

「あ」

 見間違えじゃない、太は確信する。誰か建物の中にいる。管理者? それとも、警備の人?

「っていうか、明かりどころか懐中電灯すらつけてないんですけど」

 あの人影の正体がもし人でなかったとしたら。

「さて、どうしたものか」

 多少はそういう知識は心得ているから、仮にそういうものだったとしても、少なくとも自分の身を守るくらいは出来る筈。

 ニャア、と鳴き声がした。

 一瞬、太はぎょっとしたが、すぐにそれは傍にいた猫のものである事が分かり、ほっと安堵した。

「猫か。どうしたんだこんな所で」

 太が猫の前に屈もうとした時である。

「うわっ!」

 突如猫は駆け出し、太の横をすり抜けてしまった。

「ビックリしたなあもう…………あれ?」

 ふと、太は懐を探る。

「ない! 爺ちゃんからもらったお守り」

 もしやと思って太が猫を見ると、猫がこれ見よがしに振り返り、太から奪った御守りを口に咥えていた。

「お前の仕業か。こら待て!」


       ○


 小学校の中庭で、太はぜえぜえと息を切らしながら手にした御守りを見つめていた。

「や、やっと取り返した。もう、こっちは疲れてるっていうのに。しかし」

 改めてあたりを見回して、今自分のいる場所が校内であることを確認する。

 入ってしまった。太は少しだけ罪悪感に駆られる。不可抗力とはいえ、禁止区域に入ってしまったのだ。

「もう、今更か。毒を食らわば皿までだ。ちょっとだけ、行ってみよう。うん、もうちょっとだけ」

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