第80話:凜に疑われた

 波のプールからプールサイドに近づけば近づくほど、水深が浅くなる。そうなると、いかに背が低い伊田さんと言っても、上半身が水面から出てしまう。


 だから伊田さんはプールサイドに近づくごとに、膝を曲げて腰を落として水中を歩く。


 ──とは言っても、限界がある。

 やがて思い切り腰を落としても、肩が水面に出て、周りから見える所まで来てしまった。


 これ以上プールサイドに近づくのは無理だ。だけどプールサイドにいるみんなには、かなり近づいた。

 ここからならみんなに声が届きそうだ。


 広志は両手を口の横に添えて、思い切り息を吸い込んだ。そして渾身の力を込めて大声を出す。


「おーい! おーい! みんな〜っ!!」


 そして今度は両手を上に挙げて、大きく手を振りながら大声を出す。


 声に気づいた健太が広志たちの方を向いて、脳天気に笑顔で手を振り返してきた。

 ──満面の笑みだ。


(いや、そうじゃなくて……こりゃダメだ)


 やっぱり頼りになるのは凜だな。

 広志はそう考えて、もう一度大声を出す。


「おーい! おーい! 凜〜っ!!」


 健太の横にいた凜は、何かが起きてることに気づいた感じで、広志と伊田さんの方に、駆け寄って来る。


 プールに向かって走るリズムに合わせて、ピンクのビキニに包まれた凜の豊かなバストが上下に揺れてる。


(さすが凛だ……)


 いや……今の『さすが』は胸のことじゃなくて、緊急事態のこちらにすぐに気がつくという意味で……


 誰に聞かせるともなく、広志は心の中で言い訳をする。


 そんな広志の顔には、きっと焦りの表情が色濃く浮かんでたのだろう。


 凜はプールに入ると、パチャパチャと水音を立てて、両手で左右に水を掻くようにして、急いで近づいてきた。

 そして広志のすぐ目の前まで来て、その後ろに屈んで隠れる伊田さんに気づいて心配そうに声をかける。


「どうしたの天美ちゃん。大丈夫!?」


 腕を胸のところでクロスさせてる伊田さんが、広志の背中から少し顔を横に出して、凜に答えた。


「あ……凜ちゃん。水着の上が取れて、なくなっちゃった……」

「えっ、水着が……? ヒロ君! 天美ちゃんに……なにをしたの!?」


 広志の目に引きつった凜の顔と手のひらが映った。


 そしてその直後──頬にビッターンと衝撃を感じた。そして脳に振動がやってきて、ぐわんぐわんと頭が揺れる──



***


 あれから凜が一旦プールサイドに戻り、取ってきてくれたバスタオルを伊田さんがプールの中で上半身に巻いて、プールサイドに上がった。


 伊田さんは更衣室に行ってトレーナーを着て、またプールサイドに現われた。

 戻ってきた伊田さんの周りに、全員が集まってくる。


「伊田さん、大変だったねぇ……大丈夫?」


 弥生ちゃんがせっかく心配そうに声をかけたのに、横にいた健太はにやにや笑いながら冷やかしてくる。


「広志が悪いことをするからだ」

「何も悪いことなんか、してないって!!」

「ふぅーん……」


 健太はニヤニヤしたままだ。広志の言うことを信じてないらしい。

 横から凜が広志に話しかけてきた。


「……ごめんね、ヒロ君。勘違いして」


 凜が申し訳なさそうに苦笑いしてる。


「いや、いいよ。もう大丈夫だし」


 ホントはまだ頬がひりひりしてる。

 だけど凜に心配をかけないように、広志は強がりを言うしかない。


 まあ誤解されるのは、自分がまだ凜に信用されていないってことだから、自分も悪いよな……と広志は自己反省しながら、凜に笑顔を返す。


「てっきりヒロ君が、天美ちゃんの水着のブラを取ったかと……」

「僕がそんなこと、する男だと思う……?」


 広志の疑問に、凜は「アハハ」と苦笑いを返すのみ。


(えっ? 否定しないってことは、もしかして……凜は、そう思ってるの!?)


「凜ちゃん。広志はそんなことしないぞー」

「あ……天美ちゃん。わ、わかってるって」


 せっかく伊田さんがフォローしてくれたのに、横から健太がいらぬ口を出してきた。


「でも広志も男だから、わからんぞぉ〜」

「おいおい健太。僕はそんな男じゃないって!」


 広志が必死になって否定するもんだから、健太も天河や他の女の子達からも、爆笑の声が響いた。


 そこに天河がくっくっくっと笑いながら、口を挟む。


「まぁ冗談は置いといて、ちょっと昼メシでも食わんか?」

「あ、ああ。そうだね」


 気がつけばもうお昼だ。あまりにも楽しい時間で、ずっとプールに入って遊んでいたんだと、広志はようやく気づいた。





 波のプールの場所からちょっと歩いて移動したら、焼きソバとかホットドッグなんかを売ってる売店を見つけた。

 すぐ近くに、テーブルと椅子が置かれた飲食スペースもある。日よけの白いテントもあるからちょうどいい。


 そこでみんなで軽食と飲み物を買って、テーブルのところで昼食にすることにした。



みんなでテーブルの所に移動すると、そこには思わぬ顔があった。四人の男女。


「あれっ!? 井上……松田!?」


 健太が驚いて、彼らを指先した。

 広志も健太の声に何事かと見たら、同じクラスの男子、井上と松田──ただし女子も二人一緒にいる。


「おっ……おお。田中……だけじゃなくて、大勢いるな……」


 井上は広志達を見て、焦りまくった顔になってる。


「あーれー? 加奈ちゃんと美久ちゃん!」


 伊田さんが指差してる女子も、二人とも同じクラスの子だ。


(彼らもグループでプールに来てるのか……)


 広志はそう思ったけど、よく見るとテーブルへの座り方が怪しい。


 井上と加奈ちゃん、松田と美久ちゃんが、それぞれ並んで座ってる。しかも二組とも男女の座る位置が結構近い。


(これは四人グループというより……)


 全然知らなかったけど、もしかして彼らは、お互いに付き合ってるんでは……


 広志はそう思った。

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