第78話:伊田さんと二人で波のプール

 広志は伊田さんにどんどん引っ張って行かれて、気がついたら、波のプールの一番奥まで来ていた。この辺まで来たら結構深くて、背が低い伊田さんは肩の辺りまで水面が来てる。


 目の前に大きな壁みたいな、鉄製の波発生機があるけど、今は休憩中のようで止まったままだ。


 広志の横には、キャッキャと楽しそうに騒ぐ伊田さん。

 周りを見回しても、他のみんなはいない。


「あれ? みんなは?」

「プールサイドにいるよー」


 伊田さんが指差す方向を見たら、確かに全員プールサイドで何やら楽しげに喋ってる。


(なんでだ?)


 呆然とプールサイドを眺めてたら、急にばっしゃーんと、顔に水がかかった。


「ウプッ」


 慌てて顔を拭う広志に、伊田さんが「えへへ〜、参ったか〜!」って、意地悪な笑顔で言ってくる。急なことで一瞬なにがなんだかわからなかったけど、伊田さんはとっても楽しそうだ。


(よーし、水の掛けあいか。受けて立とうじゃないか!)


「くそっ、このいたずらっ子め!」


 広志が両手で水をすくって、伊田さんの顔にぱしゃんと掛け返すと、顔で水を受けた伊田さんも「うぷっ」と唸って、顔をしかめる。


 髪が濡れて、顔には水滴がしたたる伊田さんは、なんだかいつもよりも色っぽいし可愛い。

 太陽の光が反射して、伊田さんの髪も顔も、きらきらと輝いてる。


「やったなぁー、空野くん!」

「伊田さんこそ、参ったかぁー!」


 また伊田さんは、ぱしゃぱしゃと水を飛ばしてくる。



「ほらー! 空野くん!」

 パシャパシャっ!


「くそー、やったなぁ!」

 パシャパシャ!


「負けるもんかー!」

 パシャパシャ!


「ウププっ! 仕返しだ!」

 パシャパシャ!


(いや、なにこれ? めっちゃ楽しいし……恋人同士みたいだ……)


 広志と伊田さんは、お互いにバカみたいに水をぱしゃぱしゃと掛け合い続ける。はたから見たら、ホントにバカみたいな二人。



 その時。


 ──ぐぉんぐぉんぐぉん



 急に、何かお腹に響くような音が鳴りだした。何かと思って音がする方向を見たら、目の前の波発生機が動き始めてる。


「おおっー! 空野くん、波が来るぞー」


 伊田さんはワクワクした顔になって、身構えてる。めっちゃ嬉しそうだ。


 大きな鉄製の壁が、前後に動いて波を起こす。結構大きな波が、ぶわっとやってきた。


「うわーっ」


 その波に合わせて伊田さんがひっくり返った。そのまま伊田さんが、水中に沈んでしまう。

 広志もバランスを崩して、足がプールの底から離れて、ざぶんと頭から水中に落ちた。


(うわっ!)


 広志が水中で両手をじたばたさせてもがいてたら、伊田さんの背中に手が当たった気がした。

 危うく水を飲みそうになったけど、何とか冷静になって体勢を立て直して、プールの底を足裏で感じる。


 広志はなんとか立てて、ホッとして前を見たら、伊田さんの姿がない。


「あれっ? 伊田さーん」


(さっきもがいてたときに伊田さんに触れたし、近くにいるよな?)


 キョロキョロと周りを見る。

 だけど、伊田さんの姿が見当たらない。


(まっ、まさか? 伊田さんが溺れた!?)


 広志はサーっと頭から血の気が引くのを感じた。

 伊田さんを探そうと、水の中にざぶんと顔を入れて潜ってみる。そしたら目の前に、潜ったままの伊田さんがいて、目が合った。


(良かった。溺れてなかったか……)


 広志が立ち上がって顔を水から出したら、なぜか伊田さんは水中で広志の後ろ側に回り込むように移動して、広志の背中のほうでばしゃっと音がした。


 広志が首をひねって振り向くと、伊田さんが少しかがんで、顔だけを水面に出してる。


「こっち見ないで!」

「えっ? どうしたの?」


 広志は慌てて顔を前に戻すと、伊田さんが後ろから話しかけてきた。


「あ、あの……水着の上が、外れて……流されたみたい……」

「おゎっ!?」


 なんだってーっ!?

 水着が外れた!?


(そ、そう言えば……さっき伊田さんに触れたときに、紐のようなものが指先に絡まったような気がする……は、犯人は僕か!?)


「ごめん!? 僕の指が水着の紐に引っかかったのかも?」

「いいよ、わざとじゃないだろー?」

「もっ、もちろんわざとじゃない!」

「じゃあ、空野君のせいじゃないから、気にするなー」

「あ、ああ……ありがとう……でもごめん」


 伊田さんはそう言ってくれたけど、自分に原因があるのは確かだ。

 なんとかしなきゃ。


 広志はそう思って、慌てて水の中に顔を入れて、水中を見回した。だけど水着は見当たらない。後ろの方まで顔を向けたら、胸の前で腕をクロスさせて隠してる伊田さんの身体が目に入った。


 確かに首のところにあったはずの紐がない。水着が外れたのは間違いないみたいだ。


 腕で隠されてるから、おっぱいが見えるワケじゃないけど、紐がない首から肩のラインってめっちゃ色っぽい。そして腕の合間から見える、伊田さんの胸のふくらみ……


 水中なんで、ハッキリは見えないとはいうものの……


(こりゃヤバい! ヤバすぎるっ!!)


 広志は慌てて水面に顔を出した。めちゃくちゃ引きつった顔の伊田さんと目が合う。


「そ、空野君! だからこっちを向かないでって言ってるのにっ!」

「あ、ご、ごめん!!」


 伊田さんは腕を身体の前でクロスさせたまま、泣きそうな顔を左右に振ってる。広志は大慌てで、身体の向きを変えて背中を向けながら、言い訳をした。


「決して、見ようと思ってそっちを向いたんじゃないんだ……伊田さんの水着を探そうと思って……」

「わかってる。空野君がそんな人じゃないってわかってるぞ……だけど見られるのは、めちゃくちゃ恥ずかしい……」


 伊田さんに背を向ける体勢になったから、後ろから伊田さんの消え入りそうな声が聞こえる。そして「どうしよう……」と伊田さんがつぶやいた。


「とりあえずプールサイドの方に近づいていって、凜たちに助けを求めようか? タオルを持ってきてもらうとか」

「う、うん。そだね」


 広志は、プールサイドの凜たちに声が届くところまで、歩いて行くことにした。

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