夏休みと言えばプールでしょ!編

第76話:健太の数式

 二ヶ月ほどが過ぎて七月になり、季節はすっかり夏になった。すっかり強くなった日差しが照りつけ、汗ばんで過ごしにくい日々が続く。


 しかし広志達と見音の関係はその後も良好で、時々例の七人で弁当を食べたりもしてる、まあまあ楽しい高校生活が続いてると言っていいだろう。


 その間伊田さんはインターハイの地区予選、200メートル走を見事一位で突破して、8月の全国大会出場を決めた。


 茜の様子は一進一退という感じで、徐々に精神的な健康を取り戻してはいるものの、まだ広志に依存する部分も残ってる。



 他に広志の周りでの大きな変化としては──


 健太が彼女にフラれてしまった。健太は夏休みに彼女と海に行くのをめちゃくちゃ楽しみにしてたのにと、たいそう落ち込んだ顔をしてた。


(健太は大丈夫だろうか?)

 広志は今も心配してる。


 それにしても、健太たちカップルはあれだけ仲が良かったのに、人の心とは移ろいやすいもんだ。


 自分も心しないとと、広志は気を引き締める。




 そんなある日。夏休みまであと一週間となった七月中旬のこと。


 広志は授業中に、凛の横顔を眺めながら、珍しく物思いにふけっていた。



 ──もうすぐ夏休みか。この一学期は、色々あったよなぁ。まあ、割と充実した四ヶ月だった。


 だけど、残念ながら茜がまだ完全回復してないから、この夏休みに凛と二人で出かけるなんてことはできないなぁ。




 広志は茜の精神状態が回復して、兄離れが大丈夫だと思えるまでは、凛と正式に付き合うことと、二人でどこかに出かけることは、けじめとしてやらないことに決めていた。


 もし万が一それを茜が知ったら、兄が自分から離れてしまうと思い込んで、不安に思ったり嫉妬して、茜の精神状態が悪化する恐れがあるからだ。



 まあそれも茜のためだから仕方ないかと、広志は諦めの境地にいる。



 その日の昼休み、健太から思わぬ申し出があった。



「なあ広志。ちょっと悩んでることがあってさあ。意見を聞きたいんだけど」

「なに?」


 健太は広志の前の席に座って、広志の方を向いた。机の上にコピー用紙を置いて、シャープペンで何やら書き始める。


『A+B=C?』


「この数式なんだけど……」

「なにこれ?」

「これが正しいかどうか、悩んでるんだ」

「はっ?」


 この数式が正しいかどうかなんて、AやB、Cに何が入るかによって変わる。だからこれだけを見ても、正しいかどうかなんてわかりっこない。


「なあ健太。このA、B、Cには、何が入るの?」

「おお、さすが広志! いい所に気がついたな!」


 健太は何を勿体ぶってるのか。早く中身を話してくれないことには、アドバイスのしようがない。


「まずAに入るのは、だな。『奇跡的に世界三大美女と仲良くなった』だ」

「はっ? 『奇跡的に世界三大美女と仲良くなった』?」

「うん、そう。そしてBに入るのは『高校生活最後の夏休み』だ」

「何それ?」


 健太が言うことがよくわからない。広志は苦笑いを返すしかない。


「つまり、俺は……いや、広志も含めて俺たちは、奇跡的に世界三大美女という超可愛い女の子たちと仲良くなれて、そしてもうすぐ高校生活最後の夏休みを迎えるわけだ」

「うん、まぁそうだね……」

「その二つが合わさったら、何をすべきか? それがこのCだ」


 健太はシャープペンの先で、Cの文字の上をコンコンと叩いてる。健太が何が言いたいのか、広志にはまだイマイチわからない。


「俺の意見は、Cイコール『みんなでプールに行きたい』ってことだ。この答えが合ってるかどうか、広志はどう思う?」


 健太はバカみたいなことを言ってるけど、表情は至って真面目。何かを訴えるような目つきで、広志の目をじっーと見つめてる。


「もし良かったら、広志からみんなを誘ってもらえないかなぁ……なんて思ってさ」


(なるほど、その手があったか!!)


 広志は健太のわけがわからない相談を理解した瞬間、目の前の健太が救いの神に見えた。


 健太に後光が差して見える。


 ──凛と二人きりで出かけるのは良くないけど、クラスの友達たくさんと行くなら、茜にとっても問題ないはず。


 しかも──健太の案なら、凛の水着姿をこの目に……


(いかん、いかん!)


 広志はよこしまな考えが頭に浮かびかけた自分を恥じて、顔を左右にブンブンと振った。必死に頭の中からその考えを追い出す。


 広志のそんな姿を見て、健太は焦り顔になった。広志が怒って、否定したように見えたに違いない。


「あ、広志、ごめん。真面目なお前には、到底賛成してもらえるような案じゃなかったな」


 健太は数式書いた紙を手にして、焦りながら両手で破ろうとした。


「待て、健太」


 広志は手を伸ばし、紙を破ろうとする健太の手を掴んだ。そして真顔で健太を見つめる。


「その案、乗ろうじゃないか」

「ほ、ホントに?」


 いつも真面目な広志。いや、ホントにいつもは極めて真面目なんだけど、さすがに高三男子。広志も人並みにはスケべな気持ちを持ってる。


 今回の健太の案は、広志の真面目さをぶっ飛ばすくらい、魅力に溢れたものだった。


 なんせ凛と一緒に泳ぎに行けるだけじゃなくて、伊田さんの水着姿も見れるんだ。


「うん。天河も誘って、いつもの七人で行くことにしよう。その方が自然だ」

「そ、そうだな。よ、よろしく頼む」

「よし!」



(うんうん。健太も彼女にフラれたけど、また前を向いて歩き出そうとしてるんだな)


 広志は健太のためにも、みんなでプールに行く案を実現させたいと思った。


 いや──


 普段は自分の欲望よりも、困ってる他人のためにこそ熱心に動く広志が、今回だけは自らの欲望に素直に従ってるってことを、広志は自覚してる。


 そして広志は素早く行動を起こした。席からすっくと立ち上がって、天河に近づく。



「あのさぁ、ヒカル。夏休みに入ったら、みんなでプールに行かないか?」

「プール?」

「うん。ヒカルは泳ぐのは嫌いか?」

「いや、好きだ。あっつい日が続くし、そりゃよかアイデアや。行こう行こう」

 

(よしっ! さあ、次は本丸だ)


 都合がいいことに、凜たちは女子四人で座って、一緒に何か雑談してる。広志はその輪に近づいて、話しかけた。


「あの……ヒカルと健太とさ、夏休みになったらプールに行くことになったんだけど、みんなも一緒に行かない?」


 女子四人が、「えっ?」と声を揃えた。お互いに、「どうしよう?」って顔で見合ってる。その中で、一番に伊田さんが声を上げた。諸手を挙げて、ぴょこんぴょこんと跳ねてる。めっちゃ嬉しそう。


「行きたーい! 行く行くっ!」

「天美ちゃんがそう言うなら、私も」


 凜もにっこり笑って、右手を上げた。


「じゃ、じゃあ、わ、私も行っていいかな?」


 弥生ちゃんが遠慮がちに言うのを見て、広志は「もちろん!」と力強く答えた。


「八坂さんは?」

「も、もちろんそれは水着よね?」

「あ、ああ。そうだね」


 見音は腕を組んで、難しい顔で悩んでる。水着姿が恥ずかしいんだろうか?


「なんや、見音。お前は行くかんと?」


 近づいてきた天河がいぶかしげな声を出した。


「行こうや」

「えっ? でも……」

「俺はお前にも来て欲しいばってん、行こう」

「う、うん」


 天河の誘い言葉に、ちょっと照れたような顔で、見音はうなずいた。さすが天河。すっかり見音の扱い方をマスターしたみたいだ。


「よし、決まりたい!」


(よーし、本丸攻略!!)


「いつ行くの?」


 凜がワクワクして訊いてきた。


「夏休みに入って最初の日はどう? 七月二十一日。場所は県営プール」

「七月二十一日かぁ」


 伊田さんが何かを思い出したように言った。その伊田さんの顔を、凜が見つめてる。


(なんだろ? 意味ありげな言い方だ)


「なに? 何か用事があるの?」

「いや、大丈夫だー! プール行こー!」


 伊田さんは嬉しそうにまた両手を挙げてる。さっきの伊田さんの戸惑いが何なのかわからないけど、とにかくみんなでプールに行けるのは嬉しい。


(うん、楽しみだ)


 広志が健太の顔を見ると、健太は鼻の下を伸ばして、にやにやしながら頷いていた。

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