第72話:天河の楽屋を訪れる

 ライブが終わって、広志達は約束通り天河の楽屋を訪れた。天河はまだ流れ落ちる汗をタオルで拭きながら、三人を迎え入れてくれた。


 かなり疲れた様子ではあるけど、全力を出し切った清々しい顔をしてる。


「まあ座れよ」


 楽屋の中にはテーブルと、椅子が四つ置いてある。天河はその内の一つに座ると、隣の席に広志、そして向かい合った二つの椅子に見音みおんと弥生ちゃんが腰掛けるように促した。


「ライブ、どうやった?」

「て、天河君っ! すっごい良かったですー!」


 弥生ちゃんが顔をニコニコと輝かせて、興奮気味にうなずいてる。


「いや、ヒカルのライブ始めて見たけど、凄く良かったよ。感動した!」

「弥生も広志もありがとう」


 天河は疲れた顔に満足げな笑みを浮かべて、コクっと頷いた。


「八坂はどうやった?」

「え、ええ。まあまあね」

「そっか。まあまあか」


 天河は苦笑いを浮かべて、ちょっと残念そうな顔をした。それを見て、弥生ちゃんが慌ててフォローする。


「や、八坂さんも、結構楽しんでたと思いますよー」

「そうだそうだ。結構どころか、ノリノリでめっちゃ楽しんでたくせに。僕は横の席で、ばっちり見てたよー」

「おっ、そうなんか?」

「えっ? いや、あの……」


 見音はバツが悪そうに、天河から横に視線をそらした。


「いやいや、八坂がそんなに喜んでくれたんなら、それは嬉しか! ありがとな、八坂!」

「そ、そうね。特にラストの曲。あれは凄く良かった……かな」

「そっか! 嬉しか! ありがとう!」


 天河は両手を前に差し出して、見音に握手を求める。見音はもじもじしてたけど、横の弥生ちゃんに肘で脇腹をつつかれて、おずおずと両手を出した。


 天河は力強くガッシと見音の両手を握りしめて、ぶんぶん上下に振りながら「ありがと、ありがと!」と、ホントに嬉しそうに礼を言った。


「い、いえ、どういたしまして」

「あれはな、八坂。弥生が作詞した曲たい」

「えっ? ホント?」


 見音は驚いて横の弥生ちゃんを振り向く。弥生ちゃんは照れた表情で、こくんと頷いた。


「弥生の詩はどれも素晴らしい感性だし、俺は大好きばい」


 見音はちょっと目を見開いて、弥生ちゃんを絶賛する天河を見る。でもその後、優しげな表情を浮かべて弥生ちゃんを見つめた。


「そうなの。中田さんって、凄いのね」

「そうたい。弥生は凄くピュアな感性を持ってるし、そして可愛かわいか!」

「ふぇっ?」


 弥生ちゃんは、まさに『鳩が豆鉄砲を食ったような顔』になってる。


「か、か、か、可愛いなんて天河君。私みたいなブスを捕まえて、からかうのはやめていただきたいのですー!」


 弥生ちゃんは真っ赤な顔になって、両手の握り拳をぶんぶん振りながら、必死に天河に訴えてる。


「いやいや弥生。お前のそんな仕草も可愛かばい!」

「んもうっ! て、天河君、ホントにからかうのはやめてください〜!」

「からかってなんかない。本音の本音たい!」


 天河と弥生ちゃんのやり取りを、見音はびっくりした顔で見てる。


「そうだよ、弥生ちゃん。ヒカルの言う通りだよ。僕もそんな弥生ちゃんを、凄く可愛いと思うなぁ!」

「きゃっ! そ、空野君まで……」


 弥生ちゃんは真っ赤っかな顔を両手で隠して、下を向いてしまった。だけどゆっくりと顔を上げて、顔を隠した手の指の間から天河と広志を覗き見る。


「なあ、八坂。八坂もそう思わんか? 弥生はめっちゃ可愛いよなぁ?」

「えっ?」


 見音は照れて固まってる弥生ちゃんをじっと見つめた。そしてコクっと首を縦に振る。


「そうね」

「なあ八坂。お前も弥生みたいに、素直に気持ちを出したら、もっと可愛かわいか」

「えっ? な、何の話かしら?」

「俺ん音楽ば聴いてくれとぅ最中さいちゅうのお前は、素直に感動してくれとって、ばり愛らしゅうて、いい顔ばしとったって言いたか!」

「ふぇっ?」


 弥生ちゃんがよくするリアクションを、見音までもがしてる。このリアクション、流行ってるのか?


 それにしてもいつも澄ました見音が、気の抜けた声を上げるのは珍しい。


「ちゃんとステージの上から、八坂の顔ば見とったばい」


 見音は顔を赤くして、下を向いた。


「そ、そうですよー八坂さん。楽しい時は楽しい顔をしましょう。悲しい時は悲しい顔をしましょう。相手が凄いと思ったら、素直にそれを認めましょう」


 見音は弥生ちゃんの言葉に、何か感じ入るところがあるような顔をしてる。


「そ、そうすれば、ブスな私でも、こうやって天河君や空野君に、可愛いって言ってもらえるんですー」

「こら、弥生! 自分のことをブスって言うなって、何度言ったらわかるんや? 弥生は充分可愛かわいか!」

「ふぇっ? てててて、天河君! あああ、ありがとですー」


 慌ててわちゃわちゃする弥生ちゃんに、天河は優しく笑いかけた。そんな二人を見つめる見音の目も、とても優しく見える。


「まあとにかく八坂よ。広志がお前をたいそう心配しとるけん、いつも今みたいな幸せそうな顔をしとけ」

「私を心配? ……空野君が? どういうこと?」

「お前がいつも本当の自分を偽ってるようで、苦しそうだから広志はお前ば心配しとるたい」

「私が自分を偽ってる? そ、そうかしら? それになぜ、空野君が私を心配する必要があるの?」


 訝しげな見音に、広志は優しく笑いかける。


「あのね八坂さん。コンサート中も言ったみたいに、なんだか普段の八坂さんって、自分の感情、特に嬉しいとか好きだとかいう感情を、あんまり素直に出してないような気がするんだ」

「そ、そうかしら……別にそうでもないけど……」

「それとね。見た目のことばっかり気にして、人の本質を見て、信頼したり信頼されたり。そういうことを……わざと避けてるんじゃないかなって思うんだ」


 見音は眉間に皺を寄せて、広志を見つめてる。敵意を持つというより、戸惑ってるように見える。


「だとしたら、どうなの? それが空野君になんの関係あるの?」

「八坂さんはもっと素直になった方が素敵だし、八坂さん自身も苦しまなくて済むと思うんだ。だから心配してる。単なるお節介だけど」

「確かに余計なお節介だわ」


 見音は顔を横に向けて、広志から視線をそらした。しかし口では余計なお節介と言いながら、見音は少し照れたような、嬉しそうな表情を少し浮かべてる。そしてしばらく四人の間に沈黙が流れた。

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