再び八坂 見音編

第71話:天河のライブ

 三人並んでライブ会場に入って行った。広志達の座席はステージにほど近い前の方の席で、見音を真ん中にして、左に広志、右に弥生ちゃんが座る。会場内は黒っぽい服装をした人で溢れていて、異常な熱気に包まれてる。


 しばらくして照明が落ちると、急に明るく照らされたステージに天河が現われた。スリムな黒いズボンに、黒いジャケット。中に着てるティーシャツも黒だ。これが天河スタイルか。やっぱりカッコいい。


「さあ、一発目からぶっ飛ばして行くぞーっ!」


 天河がスタンドマイクに向かって叫ぶと、一曲目からビートの利いたスピーディな曲が始まった。


 観客たちはいきなり立ち上がって、ペンライトを持った手をリズムに合わせて振り上げてる。会場内のボルテージが一気に上がった。


 広志はどうしたらいいのかわからずに、座席に座ったままキョロキョロと周りを見回す。なんと普段は大人しい弥生ちゃんまでが立ち上がって、拳を突き上げてる。音楽の力って恐ろしい。



 広志もじっくりと天河の歌声に耳を傾けた。


 以前広志がたまたま聴いた天河の歌声。あの時もかなり素晴らしいと思ったけど、さすがライブ本番の彼の歌声は、さらに心に響くいい声だ。


 広志がちらっと横の見音を見ると、澄ました顔で座ったままだ。


 さすがお嬢様。他のみんなと同じようにテンションを上げるなんて、お嬢様らしくないって思ってるのか。それとも見音はやはり元々冷静なタイプなのか。


 広志が色々考えを巡らせながら横目で見音を観察してたら、澄ました顔とは裏腹に、足でタン、タン、タタンとリズムを取ってるじゃないかっ! 膝の上に置いた手のひらも、指先だけを上下させてビートを刻んでる。


 どうやら見音の心の中は、天河の音楽にノリノリになってるみたいだ。しかしはしゃぐのをかっこ悪いと思ってるのか、顔だけは至って冷静。


(素直に感情を出して、楽しめばいいのに……)


 天河の歌は一曲目のサビに突入して、会場内のボルテージが更に上がった。隣の見音が手と足で刻むビートも激しさを増す。動き出したくてうずうずしてるのがありありだ。


「ねぇ、八坂さん」

「ん? なに?」

「八坂さんも立ち上がって、他の人みたいに飛び跳ねたら?」

「な、何を言うの? そんなこと、私は……」


 見音が何か言い訳をしようとしたその瞬間、弥生ちゃんが両手で見音の右腕を抱えて、ぐっと引き上げた。たまらず見音はふらふらと立ち上がる。


「ちょっ、何をするの中田さん?」

「ほらほらっ、何をしてるんですかぁ? せっかくライブに来て、楽しまないと損ですよぉ~!」


 弥生ちゃんがペンライトを無理やり見音に持たせて、しかも見音の手を持って一緒に振り回してる。


「もう……仕方ないわね、中田さんは……」


 見音は渋々って態度で、立ったままペンライトを持った手を、天河の歌に合わせて自分で振り始めた。


「ほらっ、空野君も座ってちゃダメですよー」


 弥生ちゃんに促されて、広志も立ち上がる。見音が感情を出しやすくするためだと思って、広志も歌のリズムに合わせて拳を突き上げる。


 周りの雰囲気と、軽快な音楽のせいもあって、見音はずいぶん楽しそうな顔になってきた。しかし最高潮に高いテンションになるには、まだ少し照れが残ってるようで、動きがちょっとぎごちない。


 広志は見音の耳元に顔を近づけて、いつも茜に癒しの暗示を入れる時みたいに、低音の声で囁いた。


「八坂さん。もっと自分の感情のままに楽しんだらいいよ」


 見音はびっくりしたような顔で広志に振り向く。


「なんだかさ、今日の八坂さんは楽しそうだ。すごく素敵な、いい顔をしてる。うん、凄く素敵ないい顔だ」


 普段の見音なら、そんなことを言われると逆にいいカッコをして冷静な振りをしただろう。けれどもライブ会場の雰囲気と、広志のイケボにトランス状態になったのか、見音は顔を赤らめながら素直に「うん」と答えた。


 そして徐々に音楽に没頭し始めたみたいで、見音の動きが段々と激しくなっていく。表情も笑顔で、実に楽しげだ。


 それから何曲もの間、見音は天河の歌を心から楽しんで、笑顔で大きく飛び跳ねたり、しんみりとした顔でバラードに没頭したりした。




 天河の歌も、いよいよ最後の一曲となった。さっきまでの興奮状態から一転して、しんみりとした口調で天河がマイクを通してヒカリスト達に語りかける。


「みんな。今日は俺のライブに来てくれてありがとう。最後の曲は、今日のこの日のために、新曲を作ってきた。昔の恋を思い出す、切ない気持ちを歌い上げたバラードたい。じっくりと聞いてほしか」


 天河が語り終えると、イントロが流れ始めた。きっとこれが、弥生ちゃんの歌詞に曲をつけた歌なんだ。広志はその歌声に耳を傾けた。


 しんみりとしたバラード。弥生ちゃんの歌詞も心に染みる。会場全体がシーンと静まり返る中、天河の甘くて切ない歌声だけが響く。


 隣の見音を見ると、きらきらと目を輝かせて真剣な顔で、じっとステージ上の天河を見つめてる。しばらく見音の表情を見てたら、見音の切れ長の目からひと筋の涙が頬をツーっと伝った。


 こんなに切なそうで、感情がこもった見音を見るのは初めてだ。


『あの日あの時の君の笑顔が恋しい。だけど君の笑顔はもう僕の前にはない。本気で気持ちをぶつけ合ったあの日の恋。それが今も僕を形作ってる』


 そんな意味の、切なく昔の恋人に想いを馳せて語りかける歌詞を、天河は心に染み入る切ない声で歌いあげる。


 そしてラストまで歌い終わった瞬間、会場はスタンディングオベーションとどよめきに包まれた。


 素晴らしい。ホントに素晴らしい。弥生ちゃんの歌詞も天河のメロディも歌声も。


 見音の横顔を見ると、唇を少し開いて上気した顔で、ステージ上の天河を見つめてる。長いまつ毛の目には涙が浮かび、瞳がキラキラと輝いて見える。


 まるで普段は被ってる仮面をいだように、感動した顔を晒してる。あの日の恋。見音にもあるんだろうか。


 そんな思いで広志は見音の横顔を眺め続けた──

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