ここらでちょっと中田 弥生編

第65話:弥生ちゃんと広志

 道路に面した大きなガラス面に設置されたカウンター席に、二人並んで座った。ガラス面からは、道路を行き交う人が見える。広志は弥生ちゃんの顔を覗き込むようにして尋ねた。


「どうしたの、弥生ちゃん。何かまた悩みがあるの?」





 広志と弥生ちゃんは二年生の時に同じクラスになった。彼女は見た目も地味で、クラスでもほとんど喋ることがなかった。しかもたまに喋ろうとすると、えらくどもる。


 そのせいで弥生ちゃんは仲の良い友達ができずに、いつも孤立していた。しかも心無い男子からは、まともに話せないことや、地味な見た目をよくからかわれてた。


 しかし弥生ちゃんは顔を真っ赤にしてしどろもどろになるばかりで、言い返すこともできないし、誰も助けようとしない。


 そこで気になった広志が「からかうのはやめとけよ」と声をかけて、その後彼女に色々と助言したのだった。


 最初広志は弥生ちゃんに「焦らなくていいから、ゆっくり話したら?」とアドバイスした。だけど弥生ちゃんが言うには、焦ってるだけじゃなくて、自分は『吃音症きつおんしょう』でうまく話せないんだと告白した。


 吃音症は立派な病気で、詳しい原因は現代医学でもわかっておらず、根本的な治療法もない。そもそも弥生ちゃんは、今まで病院にかかったこともないと言った。


 両親は娘がどもるのをもちろんわかってるはずだけど、どうしたらいいのかわからずに、その話題に触れることはほとんどなかったらしい。両親は『変に意識しない方がいい。そのうち治る』と考えてたようだ。


『わ、わ、私は……だっ、だ、誰とも……は、話したくない』


 弥生ちゃんは当時、言葉に詰まりながら泣きそうな顔で、広志にそんなことを言った。


 ──とは言っても、なぜか弥生ちゃんはそんなことを広志には素直に打ち明けてくれた。


 理由を聞くと、広志はからかわれてるところを助けてくれただけじゃなくて、親身になって話をしてくれる優しい雰囲気から、なんでも話してもいいと思ったそうだ。


 それから広志はネットなどで色々調べて、吃音症きつおんしょうの治療は言語聴覚士が専門だと知った。だけど広志達が住む街では、よっぽど大きな病院にしか言語聴覚士はいない。


 ようやく言語聴覚士がいる県内の病院を広志が見つけたけど、広志がその病院に問い合わせると、そこの診療科は小児言語科しかなく、中学生までしか診れないと言われた。


 そこを広志がなんとか頼み込んで、弥生ちゃんの受診を実現したのだった。そういったことを広志は自ら率先して行なった。


 そして弥生ちゃんはそこに通い、吃音症の正しい知識得ることと、吃音改善のトレーニングを受けることができた。


 そのおかげで、今でも完全に治ったわけじゃないけど、弥生ちゃんはかなり友達とコミュニケーションを取ることができるようになってる。


 あの時弥生ちゃんは広志の優しさと行動力に、涙を流して感謝してくれた。そんなできごとを広志は懐かしく思い出す。



「い、いえ、私の悩みと言うか……そ、空野君が、朝からずっと悩んでるような顔をしてるから、心配になったのです」

「えっ? ぼ、僕を心配してくれたの?」

「は、ハイ」


 ──なんと弥生ちゃんは、自分のことを心配してくれてる。


 朝からずっと見音のことを考えてたから、無意識のうちに難しい顔をしてたんだろう。

弥生ちゃんの心遣いに、広志は胸がジーンと熱くなった。


「まあ、色々あってね。どうしたらいいか、悩んでるのは確かかな」

「わ、私で力になれることがあったら、何でも言ってくださいね」


 弥生ちゃんは広志の目を見つめて、ニコッと笑った。地味で幼い顔つきなんだけど、メガネの奥の目はくりくりしてて、美人ではないけど案外可愛い。


「ありがとう。でも今は、何かお願いすることがあるかどうかもわからない状況なんだ」

「や、八坂さんのことでしょ?」

「えっ? ええ〜っ!?」


(ば、バレてるっ!)


「な、なんでわかったの?」

「だ、だって……一日中、あんなに八坂さんをちらちら見てたら、わかりますよぉ」


 弥生ちゃんは口に手を当てて、クスクス笑ってる。広志は自分の迂闊うかつさに、穴があったら入りたい思いだ。でも幸い、周りには穴がなくてよかった。もしも穴があったら、ホントに入ってた気がする。


「そ、空野君のことだから、八坂さんに恋してるハズは無いし、な、何か八坂のことで問題を抱えてるのかなぁって思いました」

「や、弥生ちゃん……さすがだ」

「うふっ。そ、空野君にはホントに助けてもらったから、ご恩返しをしたいんです。わ、私、一年の時に八坂さんと同じクラスだったから、少しは力になれるかもって思ってるんです」


 弥生ちゃんの申し出はありがたい。だけど見音のことに関しては、何をどうするのかまだ全然見えてない。


「ありがとう弥生ちゃん」

「そ、そういえば、八坂さんって、ああ見えて音楽が凄く好きらしいですよ」

「音楽? クラシックとか?」

「そ、そう見えますよねぇ……」


 弥生ちゃんは、また目を細めてクスクスと笑ってる。その仕草がまた可愛い。弥生ちゃんは地味な見た目だけど、なんというか、仕草や表情に可愛さがあって、そういうのも女の子の魅力だと広志は思う。


「で、でもクラシックじゃなくて、ロックとかポップスが大好きなんですって」

「へぇ、意外だ。人は見た目のイメージで、先入観を持っちゃいけないってことか」

「そ、そういうことです」


 弥生ちゃんは楽しそうに笑ってる。二年生の最初の頃は随分暗い雰囲気だったけど、明るくなれて本当に良かった。


「わ、私だって、ロックとか大好きですし」

「そういえば、そう言ってたよね」

「は、はい。か、カラオケではガンガンロックを歌います」


 吃音症きつおんしょうっていうのは不思議なもんで、話すとめちゃくちゃどもるのに、歌はすんなり歌えるってことも多いらしい。

 ──とは言うものの、ガンガンロックを歌うなんて、やっぱり弥生ちゃんの見た目とはギャップが大きい。


 実は弥生ちゃんは昔から話すことが苦手な代わりに、小説や詩を書くのが大好きで、ロックやポップスの歌詞もよく書いてる。


 そしてそれをSNSで発表したり、コンテストに応募したりしてる。何か詩のコンテストで、賞をもらったことがあるって聞いた。SNSでは彼女の詩を絶賛するコメントがたくさん付いてるのを広志は見た。


 弥生ちゃんの詩はかなりハイレベルで、広志も彼女の詩を読んで心を打たれた。そしてその感動を素直に伝えて詩を絶賛したら、弥生ちゃんもことのほか喜んでくれた。


 弥生ちゃんは学校では、自分が詩や小説を書くことを誰にも言っていないらしい。読まれるのが恥ずかしいのと、もしも批判されたらメンタルが持たないと思って、内緒にしてる。


 だけど広志には教えてくれたし、学校で唯一自分の詩を絶賛してくれる広志を、弥生ちゃんはとても貴重な存在だと思ってくれてる。


「あ、あのう空野君。お、同じクラスの天河てんかわ君って、自分で作詞作曲して、自分で歌ってメジャーデビューしてるって知ってますか?」

「えっ?」


 突然弥生ちゃんの口から天河の名前が出てきた。彼女はいったいなんの話をしようとしてるんだろうか?

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