第63話:茜のお出かけ相手

◆◇◆


 広志が見音みおん宅から家に帰り着いたのは、もう夕方の5時頃だった。早く晩ご飯の支度をしなきゃと、焦ってリビングに入る。


「あれ?」


 いつもなら夕方には妹のあかねがソファに寝そべってテレビを見てるのに、今日はリビングの照明が消えたままで茜は居ない。


 てっきり茜が待ちくたびれて、文句を言われるかと思ったのに。茜はいったいどこに行ってるんだ?


(友達と出かけるとか言ってたかなぁ? 記憶にないなぁ)


 茜の指定席みたいなソファに誰も座っていないのを眺めながら、広志はキッチンに立って夕飯の準備を始めた。しばらくすると茜が帰って来た。ばつが悪そうな顔つきでリビングに入ってきて「ただいま」と小さな声を出す。


「あ、お帰り茜。遅かったな。どこ行ってた?」

「えっと……友達と会ってた」

「そっか。恵美ちゃんか?」


 恵美ちゃんは茜の同級生で、一番の仲良しだ。休みの日に出かける相手は、ほとんどが恵美ちゃん。


「えっ? いや、あの……」


 茜は一瞬戸惑って口ごもった。一緒に出かけたのはどうやら違う人みたいだ。


「へぇ〜、茜が恵美ちゃん以外と出かけるなんて珍しいな。誰?」


 別に根掘り葉掘り訊くつもりもないから、広志は何気なく聞いてみただけだった。だけど茜は赤い顔をして固まってる。


「ん? どうした?」


 茜は無言のままキッチンに入ってきて、広志のすぐ目の前に立つ。赤い顔のまま唇をキュッと結んで、固い顔つきをしてる。


 よく見ると女の子らしい可愛いワンピースに、赤いショルダーポーチを肩にかけてる。茜が一番お気に入りの服装で出かけたみたい。


「広志君、気になる?」

「えっ? あ、ああ。気になる」


 恵美ちゃん以外と出かけるなんて誰なんだろうかと思うし、茜が思わせぶりに訊いてくるから広志は余計に気になる。


「正直に言うよ。ごめんね広志君」


 茜にいきなり謝られた!?

 いったいどういうこと?


「今日はね、吉本君っていう子と一緒だったの」

「吉本君って?」

「あの……えっと……この前、告白された男の子」


(ええっ!? まさか? お、男の子〜!?)


「あのね、広志君。こんなに遅くなる予定じゃなかったんだ。だから広志君にも言ってなかったんだけど、プレゼントを買うのに手間取って、こんな時間になっちゃった」


 広志はあまりにびっくりして言葉が出ない。体も銅像みたいに固まった。プレゼントって何?


「あ、広志君、大丈夫!?」


 広志が呆然としてるのを見て心配したのか、茜は広志の腕をつかんでゆさゆさ揺らした。


「えっ? あ、ああ。大丈夫。それって……デート?」

「デートじゃないから!」


 茜は焦って速攻で打ち消した。反射時間、コンマ数秒の素早さだ。


「吉本君がね、妹さんの誕生プレゼントを買いたいけど、どんなモノがいいかわからないんだって。だから選ぶのを私に手伝って欲しいって」


(ああ、プレゼントってそういうことか。女の子を誘い出すのによくある口実じゃないか……)


 でも茜は必死になって、決してデートじゃないとアピールしてる。


 茜のホントの思いは、なんなのか?


 茜は自分から、吉本君っていう男の子と一緒にいたことを明かした。だけどデートではないって猛アピールしてる。つまり……これって……二つの可能性がある。


 一つは単に茜が真面目だから、男の子と一緒だったことを隠せなかったという可能性。もう一つは、兄に吉本君の存在を知ってもらいたいと思ってるという可能性。いったいどっちだ?


「へ、へぇそうなんだ。楽しかった?」

「た、楽しかったって言うか……吉本君のお手伝いをしただけだし」


 茜の気持ちをつかみみ取ろうと表情をじっと見つめてたら、茜は困ったような顔になった。


「あ、あの……広志君? 怒ってる?」

「いや、別に出かけることを言ってなかったのはいいよ。もう茜も中3なんだし、これくらいの時間に帰ってくるなら」

「えっと、そうじゃなくて、他の男の子と一緒に出かけたこと」


 中3になって、男の子と出かけることを禁止するほど、空野家は厳格な家庭じゃないんだから、別にいいのに──


 そこまで考えて、いや、茜が言うのは違う意味だと広志は気づいた。


 茜は「他の男の子」と言った。茜は広志をまるで恋人のように想ってるし、広志も自分を恋人のように想ってくれてるんだと認識してる。だから茜は浮気と言うか、他の・・男と出かけたことを怒ってるかと聞いたんだ。


 そんな茜に対して、単に怒ってないと答えていいのか。広志が茜のことを愛してないように茜が受け取ったら、茜の精神状態に悪影響を与えるかもしれない。


(でも茜は兄離れをしかけてて、吉本君の存在を認めてもらおうと思ってるのかもしれない。どう答えたらいいんだろ……)


「怒ってなんかないよ。あのさ、茜。聞いてくれる?」

「えっ、なに?」

「僕の中には実は二人の広志がいるんだ」

「二人の……広志君?」

「うん。一人は茜のお兄ちゃんとしての広志と、もう一人は茜を恋人みたいに想ってる広志なんだ」

「なに、それ?」


 茜はきょとんとしてる。そしてちょっと不安そうな顔をした。


「お兄ちゃんとしての広志は、茜の友達が広がって良かったなぁって単純に喜んでる。そして恋人みたいな広志は、男の子と一緒に出かけたって聞いて、ちょっと妬いてる」

「あの……ちょっとよくわかんないよ」

「僕の中には、その両方の気持ちがあるってこと」

「う、うん」


 茜は戸惑って、苦笑いを浮かべた。


「でね。その両方の広志はね、どっちも茜を大好きなんだ。もしも世界中の人が敵になっても、僕は茜の味方だ」

「広志君……」

「茜はどう思ってる?」

「あ、茜は……正直、自分でもよくわかんない」

「どういうこと?」

「お兄ちゃんが言ったみたいにね、茜も心の中に二人いるみたい」


 ──茜が広志のことを、お兄ちゃんと呼んだ。


 母が亡くなる前は普通にそう呼んでたんだけど、精神的にダメージを受けて、広志を恋人のように思うようになってからは、ずっと広志君と呼んでた。


「茜の中にもね、広志君を彼氏みたいに大好きっていう茜と、お兄ちゃんなんだよっていう茜と二人いるんだ」


 茜の心は、ようやく兄離れをしようとしてるのかもしれない。まだヨチヨチ歩きの赤ちゃんのようだけど、それでも自分の足で立とうとしてる。広志はそう感じた。


「そっか。僕とおんなじだね」

「うん……」


 茜は戸惑いながら、広志の視線を避けるように横に目をそらす。


「それで茜は、その吉本君って子が好きなの?」

「えっ? いや、あの、好きっていうか……」


 茜は急に顔を真っ赤にして、あたふたしだした。顔を左右に振るもんだから、ポニーテールがぶんぶんと揺れてる。


「わ、わかんない!」

「そっか。いいよ茜。好きでも好きじゃなくても。会いたいと思うんなら会えばいいし、お話ししたいと思うならお話ししなよ」

「えっ?」

「一人の広志は妬いちゃうけど、もう一人の広志は応援する」

「えっと……」


 茜は戸惑いを浮かべて、広志を見つめた。


「茜。僕の目をじっと見て。集中して」


 広志の言う通りに茜はじっと目を見つめる。しばらくすると茜の目はとろんとしてきた。広志は少し低めの優しい声を出して、茜の心に癒しの暗示を入れる。


「茜。何も怖がらなくていいよ。吉本君とも、茜が好きなように付き合えばいい」

「うん……」

「もしも茜の心が傷つくようなことがあったら、僕はいつでも茜を全力で受け止める。僕は茜が大好きだ。女の子としても妹としても大好きだ」

「うん……」

「きっと多くの人が茜を受け入れてくれる。だから安心して、他の人と接したらいいよ」


 茜はポーッとした顔のまま、にこりと笑った。


「さあ、今から僕が三つ数えて手を叩くと、とってもすっきりとして、元気な気分で意識がはっきりするよ。ひとつ、ふたつ、みっつ!」


 広志はパンっと手を叩いた。茜は急にしっかりとした顔つきになって、笑顔を見せる。


「ありがとう、お兄ちゃん……」


 茜は吉本君という男の子に、目を向けようとしてる。精神的な兄離れへの一歩を踏み出したみたいだ。


 だけどまだまだ焦ってはいけない。茜と吉本君の仲がうまくいくかどうかも、今はまだわからない。


 でも──

 広志は、茜がホントの意味で元気になる、小さいけれど大きな一歩を踏み出したような、そんな気がした。

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