第63話:茜のお出かけ相手
◆◇◆
広志が
「あれ?」
いつもなら夕方には妹の
てっきり茜が待ちくたびれて、文句を言われるかと思ったのに。茜はいったいどこに行ってるんだ?
(友達と出かけるとか言ってたかなぁ? 記憶にないなぁ)
茜の指定席みたいなソファに誰も座っていないのを眺めながら、広志はキッチンに立って夕飯の準備を始めた。しばらくすると茜が帰って来た。ばつが悪そうな顔つきでリビングに入ってきて「ただいま」と小さな声を出す。
「あ、お帰り茜。遅かったな。どこ行ってた?」
「えっと……友達と会ってた」
「そっか。恵美ちゃんか?」
恵美ちゃんは茜の同級生で、一番の仲良しだ。休みの日に出かける相手は、ほとんどが恵美ちゃん。
「えっ? いや、あの……」
茜は一瞬戸惑って口ごもった。一緒に出かけたのはどうやら違う人みたいだ。
「へぇ〜、茜が恵美ちゃん以外と出かけるなんて珍しいな。誰?」
別に根掘り葉掘り訊くつもりもないから、広志は何気なく聞いてみただけだった。だけど茜は赤い顔をして固まってる。
「ん? どうした?」
茜は無言のままキッチンに入ってきて、広志のすぐ目の前に立つ。赤い顔のまま唇をキュッと結んで、固い顔つきをしてる。
よく見ると女の子らしい可愛いワンピースに、赤いショルダーポーチを肩にかけてる。茜が一番お気に入りの服装で出かけたみたい。
「広志君、気になる?」
「えっ? あ、ああ。気になる」
恵美ちゃん以外と出かけるなんて誰なんだろうかと思うし、茜が思わせぶりに訊いてくるから広志は余計に気になる。
「正直に言うよ。ごめんね広志君」
茜にいきなり謝られた!?
いったいどういうこと?
「今日はね、吉本君っていう子と一緒だったの」
「吉本君って?」
「あの……えっと……この前、告白された男の子」
(ええっ!? まさか? お、男の子〜!?)
「あのね、広志君。こんなに遅くなる予定じゃなかったんだ。だから広志君にも言ってなかったんだけど、プレゼントを買うのに手間取って、こんな時間になっちゃった」
広志はあまりにびっくりして言葉が出ない。体も銅像みたいに固まった。プレゼントって何?
「あ、広志君、大丈夫!?」
広志が呆然としてるのを見て心配したのか、茜は広志の腕をつかんでゆさゆさ揺らした。
「えっ? あ、ああ。大丈夫。それって……デート?」
「デートじゃないから!」
茜は焦って速攻で打ち消した。反射時間、コンマ数秒の素早さだ。
「吉本君がね、妹さんの誕生プレゼントを買いたいけど、どんなモノがいいかわからないんだって。だから選ぶのを私に手伝って欲しいって」
(ああ、プレゼントってそういうことか。女の子を誘い出すのによくある口実じゃないか……)
でも茜は必死になって、決してデートじゃないとアピールしてる。
茜のホントの思いは、なんなのか?
茜は自分から、吉本君っていう男の子と一緒にいたことを明かした。だけどデートではないって猛アピールしてる。つまり……これって……二つの可能性がある。
一つは単に茜が真面目だから、男の子と一緒だったことを隠せなかったという可能性。もう一つは、兄に吉本君の存在を知ってもらいたいと思ってるという可能性。いったいどっちだ?
「へ、へぇそうなんだ。楽しかった?」
「た、楽しかったって言うか……吉本君のお手伝いをしただけだし」
茜の気持ちを
「あ、あの……広志君? 怒ってる?」
「いや、別に出かけることを言ってなかったのはいいよ。もう茜も中3なんだし、これくらいの時間に帰ってくるなら」
「えっと、そうじゃなくて、他の男の子と一緒に出かけたこと」
中3になって、男の子と出かけることを禁止するほど、空野家は厳格な家庭じゃないんだから、別にいいのに──
そこまで考えて、いや、茜が言うのは違う意味だと広志は気づいた。
茜は「他の男の子」と言った。茜は広志をまるで恋人のように想ってるし、広志も自分を恋人のように想ってくれてるんだと認識してる。だから茜は浮気と言うか、
そんな茜に対して、単に怒ってないと答えていいのか。広志が茜のことを愛してないように茜が受け取ったら、茜の精神状態に悪影響を与えるかもしれない。
(でも茜は兄離れをしかけてて、吉本君の存在を認めてもらおうと思ってるのかもしれない。どう答えたらいいんだろ……)
「怒ってなんかないよ。あのさ、茜。聞いてくれる?」
「えっ、なに?」
「僕の中には実は二人の広志がいるんだ」
「二人の……広志君?」
「うん。一人は茜のお兄ちゃんとしての広志と、もう一人は茜を恋人みたいに想ってる広志なんだ」
「なに、それ?」
茜はきょとんとしてる。そしてちょっと不安そうな顔をした。
「お兄ちゃんとしての広志は、茜の友達が広がって良かったなぁって単純に喜んでる。そして恋人みたいな広志は、男の子と一緒に出かけたって聞いて、ちょっと妬いてる」
「あの……ちょっとよくわかんないよ」
「僕の中には、その両方の気持ちがあるってこと」
「う、うん」
茜は戸惑って、苦笑いを浮かべた。
「でね。その両方の広志はね、どっちも茜を大好きなんだ。もしも世界中の人が敵になっても、僕は茜の味方だ」
「広志君……」
「茜はどう思ってる?」
「あ、茜は……正直、自分でもよくわかんない」
「どういうこと?」
「お兄ちゃんが言ったみたいにね、茜も心の中に二人いるみたい」
──茜が広志のことを、お兄ちゃんと呼んだ。
母が亡くなる前は普通にそう呼んでたんだけど、精神的にダメージを受けて、広志を恋人のように思うようになってからは、ずっと広志君と呼んでた。
「茜の中にもね、広志君を彼氏みたいに大好きっていう茜と、お兄ちゃんなんだよっていう茜と二人いるんだ」
茜の心は、ようやく兄離れをしようとしてるのかもしれない。まだヨチヨチ歩きの赤ちゃんのようだけど、それでも自分の足で立とうとしてる。広志はそう感じた。
「そっか。僕とおんなじだね」
「うん……」
茜は戸惑いながら、広志の視線を避けるように横に目をそらす。
「それで茜は、その吉本君って子が好きなの?」
「えっ? いや、あの、好きっていうか……」
茜は急に顔を真っ赤にして、あたふたしだした。顔を左右に振るもんだから、ポニーテールがぶんぶんと揺れてる。
「わ、わかんない!」
「そっか。いいよ茜。好きでも好きじゃなくても。会いたいと思うんなら会えばいいし、お話ししたいと思うならお話ししなよ」
「えっ?」
「一人の広志は妬いちゃうけど、もう一人の広志は応援する」
「えっと……」
茜は戸惑いを浮かべて、広志を見つめた。
「茜。僕の目をじっと見て。集中して」
広志の言う通りに茜はじっと目を見つめる。しばらくすると茜の目はとろんとしてきた。広志は少し低めの優しい声を出して、茜の心に癒しの暗示を入れる。
「茜。何も怖がらなくていいよ。吉本君とも、茜が好きなように付き合えばいい」
「うん……」
「もしも茜の心が傷つくようなことがあったら、僕はいつでも茜を全力で受け止める。僕は茜が大好きだ。女の子としても妹としても大好きだ」
「うん……」
「きっと多くの人が茜を受け入れてくれる。だから安心して、他の人と接したらいいよ」
茜はポーッとした顔のまま、にこりと笑った。
「さあ、今から僕が三つ数えて手を叩くと、とってもすっきりとして、元気な気分で意識がはっきりするよ。ひとつ、ふたつ、みっつ!」
広志はパンっと手を叩いた。茜は急にしっかりとした顔つきになって、笑顔を見せる。
「ありがとう、お兄ちゃん……」
茜は吉本君という男の子に、目を向けようとしてる。精神的な兄離れへの一歩を踏み出したみたいだ。
だけどまだまだ焦ってはいけない。茜と吉本君の仲がうまくいくかどうかも、今はまだわからない。
でも──
広志は、茜がホントの意味で元気になる、小さいけれど大きな一歩を踏み出したような、そんな気がした。
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