第62話:黒田さんのお願い
八坂邸の門まで一緒に歩く途中で、黒田さんは広志に「お嬢様の力になっていただけませんでしょうか?」と頼んできた。どういうことなんだろうか?
「わたくしがこんなことを申し上げたのは、お嬢様には内緒にしていただけますか?」
「あ、はい。もちろん」
「実はお嬢様には暗い過去がありまして。そのせいで自分は美しくなければ人には愛されないと思い込んでいらっしゃるのです」
「暗い過去?」
黒田さんによると、見音は小学生の頃までかなりの肥満体型で、それが原因で度々陰湿なイジメにあったと言う。
小学校低学年の頃は素直で明るい子供だったけど、それが原因で自分に自信がなく、他人をまったく信用しなくなったらしい。
それで見音は頑張って小学6年の時にダイエットして痩せて、そして中学から私立の世界中学に入学した。そこでは小学生の頃の見音を知るものは誰もおらず、彼女のそんな過去は誰も知らない。
「だからお嬢様は、見た目が美しくなければ自分はまた嫌われてしまうと思い込んでおられるのです。それに人は所詮見た目で判断されてしまうのだと、トラウマのように思い込んでいらっしゃる」
黒田さんは悲しそうな顔をしてる。子供の頃から見音を見てきた黒田さんにとっては、あの明るく素直だった彼女が忘れられないらしい。
「だから見た目など関係ないと言う空野様や
そういう事情があったのか。見音は見音で、苦しんでるのかもしれない。そう考えると広志は、彼女のことを気の毒に思えてきた。
「お嬢様は自信満々な素振りに見えますが、本当はいつまた自分が人から嫌われてしまうのかと、いつも不安をお持ちなのです。だからついつい虚勢を張ってしまう。それに見た目に関係なく人から愛されるお
ああ、だからこそあんなに人を見下した態度を取るのか。あれはコンプレックスと不安の裏返しなんだと、広志は納得した。
「そうして人に心を開かないものだから、なかなか恋人もできません。──というか、お嬢様の心が、他人と深く付き合うことを拒否してるのです。それなのにお三人様がこんなに仲良くしているのを見て、お嬢様は本当は羨ましくて仕方がないのだと思います」
なるほど、そういう事情だったのかと、広志が今まで見音の言動を見て不思議に思ってたことが理解できた。
「空野様は誠実だし、癒しに満ちた話し方もお持ちです。それに空野様は決してお嬢様が言うようなイケメンとかではないけど、こんなに可愛らしくて素敵な女性たちから慕われています」
広志は「あはは」と苦笑いする。
「あっ、失礼なことを申し上げて、ホントに申し訳ございません」
恐縮する黒田さんに、広志は「イケメンじゃないのは事実だし、全然大丈夫です」と笑って返した。黒田さんも苦笑いを浮かべて、もう一度申し訳ございませんと繰り返した。
「空野様は、ホントに素晴らしい」
「いやいや、黒田さん。持ち上げるのもそれくらいにしてください。僕は至って平凡な男で……」
「いえいえ。さっきも申し上げましたが、優しくて誠実で、人のために一生懸命になるお人柄が溢れています。
男性の、しかも人生経験豊富な黒田さんから大好きだって言われて──
(もちろん女の子から言われる好きとは違う意味だけど、こう言ってもらえるのは嬉しいな。いや照れる)
「ですので空野様であれば、またお嬢様が明るく、そして他人に心を開けられるように、していただけるのではないかと思いまして」
「いや、それは買いかぶりすぎです。僕なんて何の力もありません」
「いや、空野様ならきっと何とかしていただけるのではないかと思います! さっきもお嬢様は、今までのトラウマが強すぎてなかなか素直にはなれませんでしたが……それでも色々思うところはあったように見えました」
確かに。見音は何かに抵抗するような表情を見せながらも、最後のほうは自分と向き合って何かを深く考えているような素振りを見せてた。
「凝り固まったご自身の考えを、ああやって考え直すようなお嬢様を見るのは初めてです。だから充分可能性があると思うのです」
黒田さんの気持ちはわかるし、事情を聞くと広志も見音をなんとか助けてあげたいという気持ちになる。だけど──
(あの高飛車で人に心を開かない見音は、ハードルが高すぎるよなぁ。心の歪みが深すぎる気がする。安請け合いもできないし)
「いや、やっぱり難しいと思います」
「そ、そうですか……」
黒田さんは残念そうに、ガクっとこうべを垂れる。
「でもそう言いながらも、頼まれたら一生懸命やっちゃうのがヒロ君なんだよね〜!」
やけに明るい凜の声が聞こえた。振り向いたら凜はニコニコ笑ってる。
「そうそう! 私の時もそうだった! とにかく優しいし、できるかどうかじゃなくて何とかしようとするのが空野君だもんね〜!」
伊田さんまでもがそんなことを言い出す。黒田さんに笑顔が戻って、三人を見回した。
「
「そうだとしたら、私の場合は、それはやっぱり空野君のおかげだなぁ〜!」
「わ、私もヒロ君のおかげ」
伊田さんの勢いに凜が乗り遅れたような形になって、凜がちょっと悔しそうな顔をしてる。なかなか珍しいパターンだ。
「やっぱりそうですか。空野様には、やはりそういうお力がおありなんですね!」
「「そうでーす!」」
凜と伊田さんが声を揃える。二人ともニコニコと期待するような笑顔で広志を見つめてる。
「はいはい。わかりましたよ! 困ってる人がいたら、不器用なくせについつい一生懸命になっちゃうのが僕なんでしょ」
「そうだよ」
「そうだぞー!」
自分がどれくらい見音の力になれるかはわからないけど、黒田さんのすがるような目を見るとほっとけない。
「まあ、あれこれ考えるよりも、とにかく一生懸命やってみるか!」
「よし、それでこそヒロ君!」
凜は間髪入れずにそう言って、伊田さんをチラッと見てニカッと笑った。今度は自分が先に言えたとばかりに嬉しそうだ。
「そうそう! やっぱり私が好きになった空野君だーっ!」
伊田さんがチラッと凜を見て、広志と凜ににサムズアップする。
「あ、やられた……」
凜は訳の分からないセリフを吐いて、ぽかんとしてる。この二人はいったい何を競い合ってるんだか。
普通なら、女の戦いで恐ろしい修羅場になるようなやり取りだけど──
「へへーん、参ったか
「今度は負けないよ、
そんなことを言いながら、お互いにポンポンと肩を叩き合って、ケラケラと笑ってる。いやいや、平和で良かったと広志はホッとする。
「では空野様。お嬢様をよろしくお願いいたします」
黒田さんは深々と頭を下げた。
「あ、黒田さん。そこまでしなくても結構ですから、顔を上げてください。僕がどれくらい力になれるかわかりませんが、自分なりに一生懸命やってみます」
「ありがとうございます!」
嬉しそうな笑みを浮かべた黒田さんは、広志に小さな紙片を手渡した。
「わたくしの携帯電話番号です。何かあれば、いつでもご連絡をくださいませ」
「あ、はい」
広志はそれを受け取り、代わりに自分の番号を黒田さんに伝えてから八坂邸の門を出た。
門のところで直立不動で見送る黒田さんに手を振って、広志達三人は八坂家を後にした。
「ヒロ君。私達も協力するから、何か必要なことがあったら言ってよ」
「うんうん、私も協力する〜!」
あんなに色々酷いことを言われても、それでも見音のために何かをしようと言う凜と伊田さん。この二人はやっぱり素晴らしい性格だ。
広志は心の底からそう思う。
「二人ともありがとう。まずは何をどうしたらいいのか、考えてみるよ」
そうは言ったのものの、どうしたらいいのかなんて広志にもまったくわからない。でもなかなか厄介なお願いであることだけはわかる。
(まあ、あんまり悩んでも仕方ないか。とにかく一生懸命やるだけだな)
キャッキャと楽しそうにじゃれ合う凜と伊田さんを眺めながら、広志はそう考えた。
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