第3話 夕立は三日
私の思い出には必ず雨が付きまとう。
私が産声を上げたとき、日本列島に3つの台風が直撃した。
運動会はいつも延期、修学旅行は無事予定通りに進んだが、その時私は40度を超える原因不明の高熱で寝込んでいた。
高校生になって初めてのデートは近年稀にみる大雨だった。
「君といると傘が手放せないよね」
最後に付きあった彼は別れ際にこう言い、そのまま会うことはなかった。
結局長いこと付き合ってくれるのは君しかいないのね、と雨雲に話しかけたこともあったが、どんなに話しかけても奴らは雨粒を私にぶつけるばかりで、慰めの言葉ひとつかけてくれやしない。
ぽつりと水滴が顔に当たる感覚に、私は思わず目を覚ます。
目を開けるといつも通りの、雲だらけの暗い空が広がっている。
ついに路上で一夜を明かしてしまったか、と焦って周りを見渡してみたが杞憂だったようだ。足元には見慣れたゴムのサンダルに、ガタガタと室外機が喧しい声を上げている。どうやら私は自宅のベランダで寝てしまっていたようだ。
家に帰れたのなら、それでよし。私の中の大事な何かは守られた気がする。
どんなことがあろうとも乙女の尊厳だけは失ってはいけない、と会計の朝雲先輩はある時言った。女には男と違って守らなきゃならないものがたくさんあるのよ、と先輩は遠くを見ながら続けた。何かあったんですか、という私の問いには答えずに先輩は焼酎を一気にあおった。
その姿に得も言われぬ説得力を感じた私は、そんなもんなのかと梅酒と一緒に疑問を飲み込んだ。
もっとも、その数分後に盛大に胃の中のものを地面に還していた朝雲先輩の言葉だ。信憑性のかけらもない。
彼女にとって乙女の尊厳とは何なのか。非常に気になる。
幸いなことに窓の鍵は開いていた。
体中についた埃を払いながら部屋に入ると、朝雲先輩が私のベットでスマホをいじっていた。
「うわ、びっくりした」
ベランダから現れた私に、悪びれもせずに朝雲先輩は驚く。
おはようございます、という私の挨拶は自分のものとは思えないくらいしゃがれていた。
「昨日は相当暴れてたねぇ」
しみじみと朝雲先輩は語るが、記憶をたどっても何も思い当たるものはない。
何とかして手繰り寄せた曖昧な記憶の端っこには晴田の情けない顔がある。あいつになにか絡んだっけ?
まあ、そのうちわかるよ、と朝雲先輩は再びスマホをいじりだす。
先輩の意味深な態度は気になるが、そんなことより。
「そろそろ、そこどいてもらえますか?」
いつまで私のベットに寝ているつもりだ。もし譲る気がないなら、先輩といえど容赦はしない。実力行使も辞さない心構えだ。
「いいじゃなーい。ここまで介抱したのは私だよー」
「介抱したのなら、私がベランダにいるのはおかしいでしょう」
こうなったら実力行使以外にはあるまい。私はじわじわと先輩との距離を縮める。
わかったよう、と不穏な空気を察した朝雲先輩はベットから腰を上げる。
そのままその足は冷蔵庫に向かう。そして、いつ知ったのか、何の迷いもなく冷蔵庫から高級プリンを取り出す。
「ちょっと!それは――」
「ちょっとくらいいいじゃん。介抱代介抱代~」
明らかにちょっとではない量のプリンをスプーンで口に運んだ先輩は、そのおいしさに思わず頬に手を当てる。
「読子ちゃん!おいしいよ、これ!」
知ってます。それのために何時間並んだと思っているんですか。
私の恨めしそうな目に気付いているのかいないのか、朝雲先輩はプリンを口に運ぶ手を止めない。
……もう好きにしてくれ。
朝雲先輩がプリンを食べ終わるのと同時にLINEの通知音が鳴った。
スマホの画面には会長の名前が映っている。
〈昨日はお疲れ様でした。僕はとっても面白かったです。〉
何の変哲もない文章に私は首をかしげる。
これだけ?わざわざ送ってくるようなことか、これ?
そんな私の疑問に答えるかの如く、すぐに動画が送られてくる。
画面には私と晴田が映っている。どうやら昨日の飲み会の動画らしい。
何の気なしに私は再生ボタンを押す。
「…………!」
わずか数分ばかりの短い動画だったが、二日酔いでふらふらしている私の頭を正気に戻すのには十分だった。
「あ、昨日のじゃん。読子ちゃんも耕司くんも面白かったよねぇ」
横から私のスマホの画面を覗き込んだ朝雲先輩は呑気そうに言う。
「今週の日曜だったっけ。楽しみだねぇ」
「……いやいや。お酒の場ですし、向こうも覚えていないと思いますよ」
「でも証拠あるじゃない」
「いや、ここで揉み消してしまえば――」
人の記憶をなくす手っ取り早い方法は、物理だ。
少なくとも晴田、あわよくば会長と朝雲先輩をどうにかしてしまえば。
ひゅぽん、と新たなメッセージが、綿密な計画を立て始めた私の邪魔をする。
〈これ、会長命令だから〉
会長命令。私たちの同好会に所属していてこれを知らない奴がいるとしたらそいつはモグリだ。ほとんどの者は犠牲者として、その重さを痛いほど知っている。
会長の気まぐれで発せられる命令に私たち下っ端は何度も振り回されてきた。
「おぉ、日暮くんも本気だね」
部長のメッセージを見た朝雲先輩は、私の様子はお構いなしにあからさまにテンションが上がる。
背中を一筋の汗が伝う。これはマズい。
とりあえず、話をつけなければならない。会長に電話を掛けようとしたが、こういう時あの人は居留守を使うに決まっている。それを見越して、おそらく会長のそばにいるであろう晴田のスマホに電話を掛ける。
呼び出し音が一回二回と繰り返されるたびに、私の貧乏ゆすりはひどくなっていく。
「それじゃあ、あとは若いお二人におまかせしちゃおうかしら」
おほほ、と上品ぶって口に手を当てた朝雲先輩は玄関へと向かう。
あとには、しかめっ面の私と空のプリンの容器が残された。
晴れ男vs雨女~世紀の頂上決戦~ じゅげむ @ju-game
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