失恋にラムネは合わない

嘆き雀

ビー玉入りのラムネ

 ビー玉を力いっぱいに押すと、プシュッと炭酸が抜ける音と共に大量の泡が吹き出てきた。失敗したことに構わず、私は瓶を傾けてラムネを喉に通らせる。

 カランという音色と共にラムネはシュワシュワと口の中で弾けた。甘酸っぱい、それでいて清涼感がある。

 私は一口でやめた。

 失恋した直後にこれは、飲み干す気分にはなれない。


「私って、駄目な奴だなあ……」


 ラムネを一気飲みし、引きずる恋なんてパッと忘れるつもりだった。

 だが、無理だ。炭酸ジュースであることを理由に諦めてしまう。

 地面にラムネのビンを置き、膝に顔を埋める。すると隣にいた友人から声がかかった。


「やめたのか?」

「……うん」


 暑苦しい夏にも関わらず、制服である長ズボンを強制されているせいで汗が滴り落ちていた。手の甲で拭うが、汗の量に追い付いていない。


 先程まで駆けていたせいもあり、体の熱が冷めないでいるのだ。襟元を緩めてパタパタと扇いでおり、まだビー玉が浸る程の量があるラムネをちらりと見遣る。


「飲まないならくれよ」


 浩浩である青空を眺めながら、何気ない様子で言っていた。

 そんな友人を私は拒否した。


「嫌。だって君は、勇くんじゃないもん」


 同じ保育園に通っていたときから、ずっと好きだった。薄れることなく育て続けてきた、燻る恋。

 私は今日ついに告白し、振られた。

 付き合っている彼女がいるから、という理由で。その彼女は私もよく会話する、同じクラスメートの子だった。


「……死にたい」

「おい」

「嘘だよ。口先だけ。出任せは得意なんだ」


 だから彼女に負けたのだ。

 控えめな性格にも関わらず、努力し勇気を振り絞って恋心をアピールしていた。安寧な関係を壊したくなくて行動できなかった私とは大違い。


「人の心が見えたらいいのに」


 このラムネのビー玉みたいに透き通っていたら、恋心が破れるだけの告白なんてしなかった。歪曲して映るとしても、そんな能力持っていたら結果は異なったかもしれない。


 これまた汗水を流すラムネの瓶を掲げると、ビー玉は一点の光を真っ直ぐに灯した。

 カラン、コロン、と右や左に行き来させても太陽だけは明瞭に映している。


「無理だろ」

「でも、君は見えてたでしょ?」


 知っていた、それも私には秘密で教えられていたのだろうか。

 まあ、どっちでもいい。

 勇ちゃんが付き合っていたことを私が知らなかった事実は変わりようがない。


「……」

「嘘つけばいいのに」


 そしたら私は君を嫌えた。


「なんで告白する前に言ってくれなかったの?」「……野暮だと思った」

「嘘ついたね」

「ついてない。お前の覚悟を揺らすことを俺にはできなかった」

「分かった。嘘じゃなくて、言ってないだけだ」

「……」

「正直だなあ」

「嘘つかれるの、嫌いだろ?」

「私はさっき嘘ついたけど?」

「するのとされるのとは違うだろうが」

「まあね」


 嘘つきが嘘つかれるのを嫌う。おかしなことだ。

 自分のことでもつい嘲笑してしまう。


「薄々、自分でも分かってただろ?」


 真剣に直視されてしまえば、出任せも出ない。

 言われた通りだった。

 幼い頃からずっと勇くんのことを見てきたのだ。付き合っているところまででなくとも、何かを感ずかない訳がない。

 だから焦って告白したのだから。


 私は熱る感情で起立し、目的もなく歩み出した。ラムネの瓶は把持する。

 友人が付随してきたので闊歩するが、それでもなお微妙な距離感は保ち続けてくる。


「ねえ」

「なんだ」

「ついてこないで」

「嫌だ」

「……どうせなら、勇くんがよかった」

「振った相手なのにか?」

「うん」

「……俺で悪かったな」

「……」

「……」

「ごめん、君は悪くない」

「いや、悪い。俺は勇に言われてここに来た」


 急激に振り返った私に、友人は苦笑した。

 やっぱりまだ好きなんだな、という内心を顔で物語っている。

 瞳の潤みは常より帯びていた。


「なんて言われたの?」

「お前のこと代わりに任せたって」

「他には?」

「……あいつは彼女がいるからできないって」

「うん。それで?」

「…………言いたくない」


 その内容は大方、予想はつく。

 押されたのだろう。

 友人もあわよくば、と淡い想いを持ちここまでに至っている。


「それでも、君は来てくれたよ」


 自分の意思で、純然に私の心配をして追いかけてきてくれた。

 なぜ勇くんではなく、友人の心が見えてしまうのだろう。人の心のとある感情だけ、なぜこんなに誰もが分かりやすいのか。


「……俺じゃ駄目か?」


 付かず離れずの距離のせいにし、聞こえなかったことにしようと思った。

 だが、私が勇くんに告白したときのことを想起し、やめた。それはあまりに不誠実だ。


「……駄目、だね」


 勇くんじゃなきゃいけないのだ。

 幸い友人が俯けば、太陽による影でどんな表情かは窺いしれなくなった。

 私は其れとは無しに外方を向く。音色でラムネのことを思い出した。


「つらいね。私も、君も、とってもつらい」


 想いを受け取ってくれない。

 それは赤ん坊のように年甲斐もなく、大声で啼泣してしまいたくなる程に酷く悲懐だ。


 瓶を持ち上げて口をつける。

 既に暑さにやられて温くなっているが、炭酸は健在だ。

 一気には飲めない。

 だが、ゆっくりならばできる。


 汗ではない液体が瞳から溢れ落ちた。

 それはラムネと混ざり合って味はしない。消えていく。


 ―――どうかこの恋心も同じようになりますように。


 私は希求しながら嚥下し、カランカランと甲高い音が鳴る。

 その頃には瓶の中身は空っぽになっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

失恋にラムネは合わない 嘆き雀 @amai-mio

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ