焔の旅 ~Luna過去編~
KotoRi
ルナの過去
物心ついた時には、此処にいた。
物心ついた時には、両親はいなかった。
暗く狭く不衛生な孤児院が、私──ルナの唯一の帰れる場所だった。
私は外の世界を知らない。
知っているのは、冷たい床の施設と、固く黒いコンクリートで出来た庭だけだ。
施設の周りには、大人の背丈の3倍ほどの塀がそびえ立っており、私達は“外の世界”と完全に孤立していた。
──
「ルナ!誕生日おめでとう!!」
不意に声をかけられ、眠っていた私は目を覚ました。
体を起こすと、目の前に私の親友──アースが私の顔をじっと見つめていた。
アースは獣人族の灰色オオカミである…多分。
彼も親に捨てられた孤児であるが、この孤児院に来てから、わずか1ヶ月しか経っていない。
そして、私はアースより1つ年下…の、はずなのだが。
私は首をかしげて言う。
「…私には誕生日なんて、ないと思うけど」
それを聞いたアースは、にっこりと犬歯を覗かせて笑う。
「ってことはさ、誕生日なんていつでもいいんだよ!!昨日は俺の誕生日だったから、今日はルナの誕生日!ね、良くない?」
「……なんで私が1日遅れなの?」
アースは頬を膨らませる。
「えー、だって俺の方がルナより年上がいいんだもん!!」
そういうアースの姿は、とても私より年上だなんて思えない。
私は布団から這い出でると、ボロボロになっているワンピースのフードを被り直した。
そして、周りで寝ている孤児達の隙間を縫うように部屋の端まで向かうと、そこにあるドアを開け部屋を出て長い廊下を歩く。その後ろをアースが着いてくる。
私達が向かうのは資料庫だ。
資料庫には“外の世界”の資料が数え切れないほど置いてある。
私がこの部屋の存在を知ったのはアースがここに来る数日前だ。
多分、ここの孤児も職員のほとんどもこの部屋のことを知らない。
なぜなら私は、初期からいるここの孤児であり、資料庫の鍵は棚の下敷きになっていたのを私がたまたま見つけたからだ。
それからは、時々アースと朝早く起きて資料庫に遊びに行っていた。
資料庫では沢山の事を学んだ。
“外の世界”には、木々が芽生え、生物がいて、太陽があり、風が吹き、海がある。
ここにいる孤児達の名前が、惑星を意味しているという事も知った。
──そういえば、前にアースが「他の子達に資料庫の事は教えたのか」と聞かれた事がある。
私は「ふたりだけの秘密だ」と答えたが、そんな訳ない。
他の孤児達に教えたって…無駄だからだ。
彼らは“外の世界”になんて興味を持ってない。
なぜなら彼らは、親に捨てられた事実に耐えきれずに、心を閉ざしてしまったからだ。
孤児達は、この孤児院で人生を楽しむわけでもなく、ただ食物を摂取し、ただ息をして、ただ生きるだけ。
“外の世界”に希望なんて持っていなかった。
──私を除いては。
私は、親はともかく“外の世界”を諦めてなんかいない。こんなクソみたいに狭い孤児院、とっとと逃げ出してやりたい。
アースが机に頬杖をつきながら、本のページをめくる。
「俺、まだ海に行ったことないんだよね〜」
私はアースの隣の椅子に腰を下ろした。
「あ、そうだ!俺さ、父さんと母さんが迎えに来てくれたら、ルナと一緒に海行きたいな」
「…………へぇ」
「きっと楽しいんだろうなぁー!」
「…」
彼は…知らない。
なぜ知らされていないのかなんて、私が知っているわけないが、アースには自分が孤児であるという自覚がない。
何故か、アースはここに一旦預けられているという話になっているらしいが…私は職員とアースの両親の会話を聞いた。
確かに彼は──捨てられた。
そんなことは露知らず、アースは無邪気に“外の世界”についての本を見てはしゃいでいる。
他の奴らなんて知らない。
私はいつか、アースと一緒に此処を出る。
──
ルナの7歳の誕生日から1週間。
大人の背丈ほどの高さにある、小さな鉄格子付きの窓から、辛うじて三日月が見える。
ルナは布団にくるまっていると、ふと違和感を覚えた。
今は7月。まだ寒いなんて季節ではないはずなのに、
「……寒い…」
体の末端が、特に手先が寒くて冷たくて仕方ない。
ルナの隣に寝ている、体温の高いアースの背中の下に手を突っ込もうと、ルナは上半身を起こす。
…と、庭に繋がるドアが、少しだけ開いていることに気づいた。
どうやら職員が、鍵をかけ忘れたらしい。
ルナの心臓がドクンと波打った。
(逃げるなら…今だ)
ルナはそう思い、アースを起こすべく小さく声をかける。
「…アース!起きて!!」
「……ん…ぅ」
体を揺すっても、アースに目覚める気配は無かった。
ルナは先に、ほんとに外に出られそうか確かめてこようと思い、音をたてぬよう布団から抜け出し、庭へと続くドアに手をかけると、あっさりとドアはルナを庭へと通した。
だが、ここから逃げ出すにはこれで終わりではない。
施設をぐるりと囲むように、5m程の塀がそびえ立っているのだ。
(…確か、深夜の警備は職員3人程度だったはず)
元から運動神経が良かったルナは、塀の近くの物置を見つけると、その屋根に手をかけ物置の上によじ登った。
塀の上を見上げる。
(…これなら、ロープさえあれば十分塀を越せる!)
そう確信し、ルナは嬉嬉としながら物置の屋根から飛び下りる。
足だけでは衝撃に耐えられず、ルナは地面に手をついた──
瞬間、ルナが手をついている場所から蜘蛛の巣を張るかのごとく、地面がパキパキと蒼く凍る。
「え」
疑問に思う間もなく、庭のあちこちから轟音をたてながら、鋭利で巨大な氷の柱がコンクリートの地面を突き破って地表に顔を出した。
「い゙ッ…!?」
両手に痛みを覚え、ルナが地面から手を離しても、氷の柱は地面を突き破って現れ続ける。
「な、なに…これ……?」
呆然とするルナの足元から、周りのとは比にならないほど鋭利な氷がルナの右目に目掛けて伸びてきた。
「……ぐ…ッ!?」
慌てて後ずさるも、既にルナの右目には氷の欠片が突き刺さっていた。
ルナはそれを引き抜く。
「…え?」
残った左の目で見れば、ルナの右目から滴り落ちる赤いはずの血は、今では氷のように冷たい蒼に変色していた。
「なにこれ…!」
「おい!!!なんの騒ぎだ……?!な、なんだこの有り様は!?!」
ルナが自らの血をまじまじと見ていると、騒ぎを聞きつけた職員が駆けつけて来た。
ルナは咄嗟に隠れようとするも、遅かった。
「お前は…ルナか?ここで一体何をして……」
そこで職員は、ルナの右目から青々とした液体が流れ出しているのを見て、息を呑んだ。
「おい、化け物…!」
「ひ…っ」
職員は淡々と言う。
「よく今まで正体を隠してこれたな。ここはお前のような怪物がいていいところじゃない。今すぐここから出ていくんだ」
それを聞き、ルナは血を拭いながら言う。
「私は…怪物なんかじゃない!」
職員はため息をつく。
「分かりやすく言ってやらないと駄目か。お前のような異能力者は俺たち一般人にとっちゃ、害悪以外の何者でもないんだ。頼むから俺の仕事の邪魔をするな──」
「──ルナ…?」
はっ、と職員は後ろを振り返る。
そこには、
「アース…?」
ルナの親友が、心底不思議そうにルナの事を見ていた。
ルナは怪物と呼ばれた自分の姿を親友に見られるのが、とても嫌だった。
「い、いきなりで、ごめんね…。アース…さよなら…」
ルナは後ずさるように、物置に近づく。
「ルナ…?や、やだよ!何?!ちょっと待って!!」
ルナは踵を返すと物置によじ登り、塀に手をかけると、一息で飛び乗った。
そのまま塀の向こうに飛び降りる。
と、後ろで職員の声が聞こえた。
「……アース。怪物の姿を見てしまったお前は…“処分”だ」
「………処分?」
アースはきょとんと職員の顔を見つめる。
職員は言う。
「ここで異能力者を引き取るのは違法なんだ。あいつを引き取ったのは俺だから、このままじゃ俺が仕事を無くしちまう……。お前の口を永遠に閉じるにはお前を…殺すしか……!」
職員の拳が大きく振り上げられる。
「や、やめ──ッ」
その瞬間、アースと職員の後ろでコンクリートを割く轟音が鳴り響く。
職員が音のした方を振り返る。
と、塀の向こうから、その塀を優に超える高さの氷の柱が勢いよく突き出てきた。
その氷の先端には──
「──ルナ!!!」
ルナはそのまま飛び上がり塀を越すと、落下の勢いそのままに職員の顔面をかかと落としで軽く潰した。職員が呻きもせず倒れる。
「ルナ…!?どうしたの、その怪我…」
「そんなことは今はどうでもいいの!!はやくコイツが起き上がる前に、私と逃げて!!」
心配するアースの声を遮り、ルナは声を張り上げる。
その声にアースは1歩後ずさる。
「で、でも、俺の父さんと母さんが迎えに来た時──」
ルナは唇を噛んだ。
「──ッお前は、馬鹿か?!!!」
ルナがアースの服の胸元を掴み上げる。
「お前の父さんも母さんも、お前をとっくのとうに捨てたんだぞ?!ここにいたらお前はそのうち殺される!!…そんなの…私が、嫌なんだ……!」
「……ルナ…」
ルナはほぼ泣きながら、アースを地面に下ろした。
アースは、能力による凍傷で一瞬にしてボロボロになったルナの両手を、自らの両手で包み込んだ。
「ルナ…安心して。…今は行けないけど、必ずルナのもとへ行くから、今はルナだけで逃げて…!」
「ほら、早く…!ルナ!!このままじゃ、君が殺されちゃう…」
と、アースは床に倒れてる職員の事を見ながら言った。
「……こっちで声が聞こえたぞ!!」
他の職員の声が聞こえて、アースはルナの背中を押した。
ルナはアースの方を見る。
「…約束、だからね…!また会おうね」
アースもにっこりと笑って親指を立てる。
「あぁ!もちろん!…死ぬなよ!」
「そっちこそ」
ルナは血と涙を一気に拭って笑ってみせる。
ルナは踵を返し、2,3歩前に出る。
庭の地面に手をつくと、ルナの周りが一斉に凍てつき、氷の柱となってルナを持ち上げる。
「そうだ!…ルナ!!俺の本当の名前は──!!」
ルナはちらりとアースの方を向く。塀の高さまで氷が持ち上がると、そのままルナは飛び上がり塀の向こう側へと消えていった。
「…アースは、アースだから。名前なんて別になんでもいいし」
そしてルナは、夜の街を駆け抜けていった。
ルナが塀の向こうに消えた後もアースは、ルナの行った方を見つめていた。
「…ルナ。分かってたさ、親が俺を捨てたことなんて」
職員の足音が近づいてくる。
「いた!ここだ!!アース、何があった?!」
「…さぁ。ところで、警備は2人だけですか?」
職員は怪訝そうに頷く。
「……そうだが…それがどうし──?!」
話し終わる前に、アースは職員の首を思い切り噛みちぎった。
噛み付いた傷口からは、どくどくと真っ赤な血液がとめどめなく溢れだしている。
アースは、その職員を乱暴に捨てると、血で赤く染った口元を拭う。
「俺にはやる事があるんだ…。だから一緒には行けない。ごめん、ルナ」
そう言い、アースは爪を立ててルナが超えて行った塀をかけ登っていった。
──
「──って感じかな。そのあとは…まぁ、色々あって、今は焔の旅のメンバーってわけ。はい!おしまい!」
こんなに長い間話っぱなしだったのは久しぶりだ、とルナは息を吐く。
いつの間にか、辺りはすっかり暗くなっていた。
ルナの話を最初から最後まで聞いてた、アカネ、ロッティ、楪、バルドは、ランタンの乗った丸いテーブルを囲んで、それぞれ「へぇ〜!」だとか、「ほぉ〜!」だとか相槌をうった。
「…それで、アース君ってどうなったの?」
アカネが問う。
その問いに、ルナは少し悲しそうに微笑みながら、
「多分だけど、殺されちゃったのかもなって…」
と、首を左右に振った。
それを聞いたロッティが身を乗り出して言う。
「そんな事ないよ!アース君と約束したんでしょ?…なら、ルナちゃんもアース君のこと信じてあげないと!」
にっこりとロッティが笑う。
「うん…!そうだよね。ありがとう」
それにしても…と楪が口を開く。
「右目…見えないのは大変でしょう?おばあちゃんが治してあげましょうか??ついでに、手も…」
「…?治す??………あ!だ、ダメだよゆずばぁ!!私の目も手も、そんなに不便じゃないし。もう慣れたから大丈夫だよ!」
そう? と、楪は若干不服そうにルナに従った。
次にバルドが、テーブルに顎を乗せたまま視線だけルナに向け、
「ところで、ルナってほんとにSEXの意味知らないの???」
と、問うた。
その質問にルナは首を傾げる。
「ほんと、それってなんなの?教えt──」
「──バルドォォオオオオオ!!!」
ルナの声を遮るように、後ろの方から怒声が響いた。
「げっ?!コール?!な、なんで聞こえて……」
バルドが慌てて後ろを振り返ると、そこにはコールが腕を組んで仁王立ちしていた。
「バルド!何回も言ってるでしょ?!ルナに変な事吹き込もうとしないでって!」
叱られたバルドは「へ〜い」と生返事を返す。
「ロッティー!ちょっと手伝って貰いたいんだが」
すると、遠くの方でフィロがロッティを呼ぶ声が聞こえた。
ロッティは返事をすると、にこにこしながらフィロのもとへ駆けて行った。
それを見てコールが、
「ほら、ロッティだけじゃなくてみんなも食事の準備手伝いなさい!!さぁ行った行ったー!!」
と、テーブルを囲んでいた6人に言いながら、自分も持ち場へ戻って行った。ルナ以外の5人もコールの後を追いかけていく。
ルナもみんなの後に続こうと、ランタンを持って席を立つ。
5人とコールが走って行った方を見れば、焚き火を中心に、みんなが食事の準備をしているのが見えた。
思わずルナから笑みがこぼれる。
(アースがいなくたって、私にはみんながいる。寂しい事なんてこれっぽっちもないのに──)
ふいに空を見上げると、あの日のような綺麗な三日月が空に浮かんでいた。
(──今日みたいな夜は、どうしてもアースを思い出してしまう)
「おーーい!!ルナーーー!!!はやくー!!!」
「あ、はーい!」
呼ばれ、駆けて行く。
どこかで、オオカミの遠吠えが聞こえたような気がした。
焔の旅 ~Luna過去編~ KotoRi @kotori_501061
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