座右の銘
自分の心に留めて、戒めや励ましになる言葉のことを座右の銘と言うらしいですね。僕にもそんな感じの言葉があります。自分の人生で迷った時に思い出して、方向性を示してくれる言葉。僕は「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」という言葉を常に頭に置いています。
「一切の希望を捨てよ」という言葉だけ聞くとすごく怖い印象があって、こんな言葉を常に頭に置いていて暗い人なのかみたいな印象があるかも知れませんが、僕は全然そんなことは無いと思っています。
この言葉はダンテの「神曲」という叙事詩に出てきます。地獄の門に書いてある紹介文みたいなものの一部ですね。「考える人」という像を、聞いたことや見たことがあるかと思いますが、その考える人が考えている場所が地獄の門です。
なんで僕が一切の希望を捨てようとしているのかというと、今まで希望を持って生きて、辛かったからです。希望を持って生きることで今の人生を頑張って生きる光になるということは有るかも知れませんが、僕にとって希望の光はまぶしくて熱くて、近づくと自分がけがをしてしまうものでした。
まず、僕が生きてて希望が叶うことはあんまりありませんでした。努力して苦しい思いをして、必死に頑張ったのに、希望が叶わない。すると「あんなに頑張ったのにダメだった」とか「自分は能力が無い」とか「叶わないことにイライラする」とか負の感情でいっぱいになります。時には全てを投げ出したくなることも。「叶わないなら最初からやらない」ってやつですね。
それともう一つ。例え希望が叶ったとしても、一時だけ嬉しい気持ちとか高揚感はあるのですが、すぐに冷めて、あれだけ願った希望が価値の無い物に思えて、また別の希望が欲しくなりました。希望を叶えても希望を叶えても、全然希望が足りない。希望を叶えれば叶えるほど希望に対する耐性が上がって、少しの希望じゃ効かなくなります。危ない薬物みたいですね。最後には破滅しかありません。
だから僕は希望という麻薬を使うのをやめました。人生に一切の希望を持たず、一切の期待もしません。そうするとどうでしょう。すごく生きやすくなりました。
「お金持ちになる」という希望を持たず、お金なんて手に入らないと思っているから、少しでもお金が手に入ったら嬉しく思います。
「豪邸に住みたい」という希望を持たないから、狭い部屋で過ごしていてもなんとも思いません。その狭い部屋でより良く生きる方法を考えられます。
「人に優しくされたい」という希望を持た無いから、人にどんな酷いことされてもなんとも思いません。それが当たり前ですからね。だけど、もし少しでも優しくされたら、例えば「こんにちは」とあいさつして「こんにちは」と返ってきただけでも嬉しくなります。
「美味しい物を食べたいという」希望を持たないので、「こんなまずい物食えるわけない!」なんて思わないで、ありがたく食べられます。
「幸せになりたい」という希望を持たないので、幸せにならなくてもなんとも思いません。「僕はこんな辛い思いしてるのに」とか「あの人は幸せそうでズルい」とか思うことがありません。他人をズルいと思う意味も分からなくなりました。
「カクヨムで小説を書いてたくさんの人に読んでもらいたい」という希望を持たないので「PVがこんだけしかない……」とか「全然コメントがつかない……」とか思いません。1つでもPVがあればうれしいですし、コメントが一つでもつけば書いて良かったと思えます。時間と力をかけて必死に書いたものでも、人に一切読まれること無く、ネットの海に埋もれて当たり前と思っていますからね。
希望を一切持たないことで、素直に物事を感じることが出来、素直に物事に返事が出来ているような気がします。希望という存在は生きる上で必要な物なのかも知れませんが、肥大化した希望は僕を苦しめる凶器になるのかも知れません。
少し話は変わります。
よく「今苦しくても、いつかきっと楽しいことがあるよ」と言っている人を見ます。そんな言葉を良く僕がかけられていました。いつも疑問に思っていました。「僕は楽しいことがあるから生きてるわけじゃないんだ」「先に楽しいことが無いと、苦しいことは乗り切れないのか」とか色々です。一瞬で価値を失う「楽しいこと」のために労力を使うのはナンセンスだと思います(「ナンセンス」という言葉を使ってみたかった)。麻薬を買うために辛い仕事してるみたいなイメージです。
楽しいことも苦しいことも全部含めて人生です。楽しいだけの人生でも良いですし、苦しいだけの人生でも良いですし、どっちでも良いです。僕が生きる理由は、産まれてきたからで死にたくないからです。だから、楽しみのために生きるとかそんなのは無く「ただ生き続ける」それだけです。その生きている時に得られた僕が感じたことを、どんな些細な物でも大切にして生きていきたい。
努力したから、苦しい思いをしたからあの幸せを得られるというものなのか。僕は少し違うかなと思います。
努力というお金を払ったら幸せを買えるわけでは無く、努力や苦しいことも全部幸せの一部だと思っています。努力や苦しいことだけでは無く、生きていることの全部が全部、幸せを構成している一部だと思っています。そしたら幸せってなんだって話になりますけどね。生きてるだけで幸せなんですから。
でも、まあ、生きている中で起こった出来事を全て、物語に変えられる小説家という職業はとても面白いものだと思いますね。だから僕は頑張りたくなるのかも知れません。
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