03

 発電所を管理する人間も逃げるか殺されるかしたため、〈青滝〉の内部はほとんど闇に飲み込まれていた。一部、非常用の電源が生きているところは照明がついていたが、いつ力尽きるか分からない。

「誰かいないか。いたら返事をしてくれ。〈広咲〉から救助に来た者だ」

 ヘッドライトの光と、呼びかける重本しげもとの大きな声が暗闇に吸い込まれる。しばらく待ったが、返ってくる声はなかった。

「……やはりいないか」

「空気浄化装置は壊れて、発電所も死んでる。汚染大気とこの暗闇じゃ、〈無剣〉から逃げられたとしても、結局死んじまいますよ」

 とっくにあきらめているのか、浜口はまぐちの声には重本のような落胆がなかった。

「室内用浄化装置が無事な部屋に逃げ込んでいれば、まだ生きている可能性もあるのでは?」

 ちようが励ますように言うが、すぐに土井どいが口を挟む。

「そういう部屋があったとしても、どこにあるか、わたしたちには分からないわよ」

「少なくとも、見て回った範囲にはなかった。近くにあってそこに人がいれば、我々の声を聞いて出てくるはずだ」

 重本は、三人の部下を見回した。

「〈青滝〉から逃げてきたという少年がいれば、そういう部屋があるか、住人がどこに避難しているか分かったかもしれませんがね」

 浜口が肩をすくめる。

「どうして連れてこなかったんですか。僕たちには〈青滝〉の土地勘がまったくないのに」

「秋香の話じゃ、ずいぶん簡易的な装備で地上を歩いてたらしいわ、その子。体力的に連れてくるのは無理よ」

「何より、こんな惨状を子供に見せるわけにはいかないだろう」

 口々に言う部下に、重本は顔をしかめてみせた。

〈青滝〉は、その入り口から血で染まり、遺体がそこかしこに転がっていた。原形をとどめていなかった遺体も少なくない。四年前の〈無剣〉襲撃事件を経験している彼らでも、目を背けたくなるようなひどい有様だった。マスクをしていなければ、〈青滝〉の内部に充満している死臭でむせていただろう。

「もっとも、その少年が〈無剣〉かもしれませんがね」

「高山や砂上は違うと言っていただろう。滅多なことを言うな」

 浜口の言葉に、捜索隊隊長である重本は険しい声を上げる。

「注意して見張っとかないといけないのは間違いないんでしょ。なんせ、〈青滝〉から逃げ延びたのはその子供一人だけだっていうんだから」

「考えすぎよ。〈無剣〉が化けてるならとっくに正体を現してるわ」

「だが、〈無剣〉の残骸らしきものは見つかってないじゃないか」

「捜索した範囲になかっただけかもしれないし、見落としたのかもしれませんよ」

「張の言う通りだ。〈無剣〉は分子機械の集合体だからな。破壊されて粉々になっていたら、見つけられなくてもおかしくない。それより、捜索を続けるぞ」

「俺は油断しない方がいいって言いたいだけですよ」

 浜口が肩をすくめたとき、暗闇の向こうから、固いもの同士がぶつかるような音が、かすかに聞こえた。


    ●


 三四部を見学した翌日、秋香が地上へ出てみないかと言った。それは地上を散歩するというのんきな誘いではなく、通気口の形状や配置などを見るため――つまりは、昨日の見学ツアーの続きだった。

 和樹は二つ返事をした。体調面が心配だから、と家の外に出ることさえ渋っていた秋香が、まさかこんなにも早く地上部分の見学もさせてくれるとは思ってもいなかった。

 もっとも、近所の人たちは和樹を警戒しているので、家から離れたところへ連れて行った方がいい、という考えだったのかもしれない。しかし、なんにせよ家の中に閉じこもっているよりは全然ましだ。

 整備局に着くと、昨日と同じ会議室に連れていかれた。秋香がテーブルに設置されているボタンをいくつか操作すると、テーブルの上に立体映像が現れる。多少の色味はあるが、全体的に緑色の映像だった。

 でこぼことした不規則な地形のところどころに、直線や曲線など人工的な立体物がある。

「これが、今から見に行く予定の場所で、ここが三区の地上部分。通用口にあたるところだよ」

 そのうちの一つを秋香が指さした。扉らしきものが見える。

「三区の入り口はこれだけなんですか」

「そう。〈広咲〉の地表層は一区から四区まであるんだけど、地上への通用口はどの区も一つだけ。〈広咲〉全体では四カ所しかないことになる。〈一京〉はもっと多くて七カ所あるそうだよ」

〈青滝〉は一カ所しかなかった、と和樹は胸の中でつぶやく。やはり〈広咲〉や〈一京〉は大きく、〈青滝〉は小さいのだ。

「そして、これが吸気口。三区に繋がっていて三四部が管理している吸気口は五つ、排気口が五つだから、通気口は全部で十ある。わたしが主に見ているのは、この二つの吸気口だよ」

 三区の通用口から比較的近い場所にある二つの吸気口を、秋香の指先が示す。縮尺は表示されていないので、どれくらい距離があるのかは分からなかった。

「遠い方を先に見て、それからこっちを見て帰ろうと思ってる。逆がいい?」

「秋香さんの決めた順で構いません」

「ちなみに、和樹を見つけたのはこのあたり」

 と、遠い方の吸気口付近を指す。そのあたりをじっくり見てみたが、投影されている地形には見覚えがなかった。今は俯瞰しているし、意識がもうろうとしていて覚えている自信はなかった。

「ここまでは歩いて一キロないくらいだね。いちばん遠い吸気口には車を使ってくんだけど、台数が少ないから近場は歩きになる。わたしの担当は近場だから、今日も歩き。和樹、大丈夫?」

「大丈夫です。しばらく運動していないからちょうどいいです」

「うん。体力も大事なんだけど、それよりも、気持ちの面は大丈夫?」

〈青滝〉から逃げ出して、仲間ともはぐれて、体を守るのは簡易的な防護服と、役立たずになったマスクのみ。水も食料も底を突いて、片足どころか両足を棺桶の中に突っ込んでいた。そんな場所にもう一度行けるかどうか、秋香は心配しているのだ。

「――大丈夫です」

 脱出して以降の地上に楽しい思い出などまるでないが、整備士を目指す以上、地上に出ることは避けられない。

 地上に出るのは怖くない。大丈夫だと思っている。怖いのは、大丈夫と信じて出て行ったのに、恐ろしくなって地下に逃げ帰ることだった。そうなれば、もう二度と地上へ出られないだろう。

「だめだと思ったら、遠慮しないですぐに言うんだよ。時間はたっぷりあるから、無理をする必要はない。それを忘れないこと」

「はい」

 親と子というよりは、先生と生徒――いや、姉と弟のような感じだ、と思った。和樹にはきょうだいがいないから実際のところは分からないが。秋香に、姉みたいだと言ったら、がっかりするだろうか。

 今日の予定を一通り話し合うと、いよいよ地上へ出るための準備だ。倉庫のような部屋に行くと、秋香はそこで和樹に合うサイズの防護服を探し出した。簡易的なものではなく、地上で長時間活動するためのしっかりとした作りのものだ。

 和樹の顔にぴったりと合うマスクも探してもらった。顔をすっぽりと覆う全面形のマスクで、吸収缶を二つ装着できるタイプだ。その分マスクの重量が重くなってしまうが、長時間活動するのならば吸収缶を一つしか取り付けられないタイプより、こちらの方がいい。

「よし。ぴったりだね」

 防護服とマスクを装着した和樹を見て、秋香が満足げに頷く。

「それは和樹専用にしよう。まだ和樹のロッカーは用意できてないから、当分はわたしのロッカーを使っていいよ」

 通用口近くの地下部分に整備士たちが防護服に着替えるための前室があり、防護服やマスクを入れるための個人ロッカーがあるそうだ。吸収缶もそこにたっぷりとあるらしい。

 せっかく着替えたし前室はそう遠くないから、和樹は防護服を着たまま秋香について前室へ向かった。秋香の防護服や整備の仕事に使う道具は前室に置いてあるという。

 前室に着くと、秋香は手早く防護服を着ていく。工具類の入った鞄を提げてマスクも装着した彼女を見て、助けられたときのおぼろげな記憶が甦った。そういえばあのときも、秋香はこんな格好をしていた。

「和樹には予備の吸収缶を持ってもらおう」

 と、秋香は自分のロッカーから取り出した別の鞄に、部屋の隅に積み上げられていた吸収缶を無造作に放り込んでいく。結構適当ですね、と思わず和樹が笑うと、こんなものだよと秋香も笑い、吸収缶が十個ほども入った鞄を渡してきた。ずしりと重い。これだけあれば、二人でも二日くらいは保つだろう。

 装備を調えた秋香は、最後に、前室の片隅にある大きくて見るからに頑丈そうなロッカーに向かった。ロッカーというよりは、金庫とい言った方がいいかもしれない。取っ手のそばには暗証番号を打ち込むキーが付いている。秋香が番号をいくつも打ち込むと、甲高い電子音が解錠を知らせた。

 何が入っているのだろうと秋香の背後からのぞき込んだ和樹は、開いていく扉の隙間から見えたものに息を呑んだ。

「……地上は今でも物騒だからね。これも必需品なんだ」

 きれいに整頓されて収納されているそれは、大型の銃だった。弾丸も相当数置いてある。秋香はそのうちの一丁を取り出し、予備としてなのか弾丸も手に取る。

「残念ながら、和樹の分はまだない。持てるのはもう少し先になる」

 秋香は扉を閉めた。

「〈青滝〉では、父さんの銃を借りて地上に出てました。実際に撃ったこともあるし、練習もしてました。それとはちょっと違う型ですけど」

「和樹は丸腰になるけど、わたしが必ず守るから、心配しなくていいよ」

 地上が危険な場所であることは、整備士だった父親に幼い頃から何回も繰り返し教えられてきた。実際に危険な目にあったことはあるし、そもそも何の装備もなければ、ただそこにいるだけで体を蝕んでいく世界だ。

〈青滝〉を脱出したときは緊急時だったから致し方なかったとはいえ、貧相な防護服にろくな武器もない状態での逃亡劇は不安で仕方なかった。

 今はしっかりとした防護服とマスク、十分な数の吸収缶があるものの、積極的に自分の身を守るもの――銃がないのは、やはり不安だった。

 だが、〈広咲〉には〈広咲〉のやり方がある。新参者の和樹は従うしかない。

 秋香は四年前に〈無剣〉と戦って、破壊に成功している。それに、地上で倒れた和樹を担いで〈広咲〉に戻ってきた人だ。彼女が守ってくれるのなら心強い。秋香を信じることにした。

 マスクを装着して、空気漏れがないことを確認する。通用口に繋がるドアを開けると、そこは小さな部屋になっていた。二重ドアになっているのだ。

 地下都市は、外気の流入を防ぐために地上より少しだけ圧力を高めに設定してある。しかし人が移動すれば空気の流れは簡単に乱れてしまうので、二重ドアを設けているのだ。ドアは一方が開いているともう一方はロックがかかる仕組みになっている。〈青滝〉でも、外気と接触する可能性のある出入り口は二重ドアになっていた。

 二枚の扉に挟まれた空間は小さく、二人入るといっぱいだった。前室側のドアを和樹が閉めると、通用口側のドアを秋香が開けた。

 秋香に続いて二重ドアを抜けた和樹は、目の前に広がる空間に、思わず感嘆の声を漏らした。

「地上側は通用門も二重ドアだけど、三区側は搬入用の大きな扉も通用門も三重になってるんだ」

 前室は通用口の側面に繋がっていた。ドアを出て右が地上、左が三区になるのだと、秋香が指さした。

 通用口は巨大な空間だった。三階分ほどの高さがあり、地上側と三区側の扉の間は五十メートルほど、幅は二十メートルはありそうだった。天井にはクレーンがいくつもあり、剥き出しの配管や太いコードの束、鉄骨が見える。

 大きな装甲車が二台、小さな装甲車が一台あった。どれも長年に亘って使い込まれているのが一目で分かる。

 人の姿はちらほらあって、防護服を着ている人、着ていない人といたが、皆マスクは装着していた。通用口内の空気は浄化されているはずだが、汚染大気が流入する可能性の高い空間なので、万が一のためにマスク装着が義務づけられているのだ、と秋香が説明した。

「三区側にも通用門はあるけど、基本的に使用禁止。三区に戻るときは必ず前室を経由してね」

 秋香が、三区側の巨大な扉の脇にある小さな扉を指さした。

「分かりました。でも、どうしてですか」

「あのドアは三重だとさっき言ったけど、ドアを抜けた先は居住区なんだ。三区内で何かあって地上へ行かなければならないときの非常口として設置されてるんだよ。この格好で居住区に行ったら、みんながびっくりするでしょ。だから、非常時以外は使用禁止」

 通用門は三重扉だというが、扉と扉の間はずいぶんと長く、居住区と直接繋がっているので途中には階段もあるそうだ。内部構造は知っていた方がいいからいずれ見せてあげるよ、と秋香は約束してくれた。

「忘れ物はないね?」

「はい」

「じゃあ地上へ行こう」

 地上側の通用門には電子ロックがかかっていて、マイクロチップと整備士の認証カードをかざした上でパスコードを入力しなければならないそうだ。

「厳重なんですね」

〈青滝〉ではそもそもマイクロチップを導入していないし、普通の鍵しか付いていなかった。夜間は施錠されるが、日中は鍵がかけられていなかった。

「四年前までは、一般的な鍵しかかけてなかったよ。でも、〈無剣〉の一件があってから、厳重になったんだ」

「……〈無剣〉はこのドアを通って入ってきたんですか」

「そう。四年前、昼間は鍵がかかっていなかったこのドアから、蒼平の妻は地上へ出て行って、不運にも〈無剣〉と遭遇した。そして、彼女に化けた〈無剣〉は、悠々とここを通って三区にやって来たんだ」

 一枚目の扉が閉まる。前室と通用口の間にある二重ドアよりも、ドアとドアの間の空間は広かった。ドアに窓はなく、内側に、地上と通用口、それぞれのプレートが付いているだけだ。

「大城さんの奥さんも、整備士だったんですか」

「いいや、上層の小さな会社で働いていたよ。でも、三区で生まれ育ったわけじゃなくて、最下層から移住してきた子でね」

 地上側のドアの前で、秋香が立ち止まる。そのドアもロックがかかっていた。一枚目のドアと同じように、手の甲のマイクロチップと認証カードをかざし、パスコードを入力する。コードは一枚目と違うようだった。

「――地上に出てみたい、という変わり者だったよ」

 地上と地下都市を隔てる最後のドアは分厚かった。そのドアの向こうには灰色の世界が広がっている。今は午後一時すぎ。空は雲と塵に覆われ、昼間でもなお薄暗い。防護服は汚染された大気から肌を守るだけでなく、防寒のためでもあった。

 こんな世界に出てみたいなんて、それはたいそうな変わり者だ。和樹は率直にそう思った。でも、地上にある種の憧れを抱く気持ちは分かった。

 今は地下都市で暮らしていて、太陽を拝むことなく一生を終えるのが普通だ。しかし義務課程で、かつて地上には太陽光が降り注ぎ、人類は広い空の下で生きていた、と教えられる。在りし日の地上の姿を、映像資料で見せられるのだ。

 青い空、白い雲、大海原、果てしなく続く草原、天に届きそうな峰の連なり、どこまでも広がる森林、砂漠、満天の星に明るく輝く丸い月――地下都市にはない風景の数々に、子供たちは魅了される。今はもう、そのほとんどが失われてしまったと教えられても、地下都市より遙かに広い地上のどこかにはわずかでも残っているのではないか、と想像を膨らませる子供は少なくない。和樹も、幼い頃は思い描いた。

 だが、成長すると共に現実をどんどん知っていくと、想像は想像でしかなく、人類が生きるべき世界は地下都市しかないと理解する。

 地下深い場所で育つと、地上への憧れはより強く、消し去りがたいものになるのだろうか。

 大城の妻に関しては、きっとそうだったのだろう。実際に地上へ出て行くほど強い憧憬を、大人になっても捨てきれなかったのだから。

「こんな場所、整備士以外出て行かなくていいのにね」

 和樹の背後で、低い音を立ててドアが閉まる。これで、和樹と秋香は、地下都市と完全に切り離されたことになる。

 地上には、子供たちが抱く憧れの対象となるものなど、いっさい残っていない。

 秋香の言う通りだと思った。

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