02

「最下層は、清水少年の保護を断ってきたよ。定員いっぱいで、受け入れる余裕がないそうだ」

 先日、高山と蒼平と三人で詰めていた会議室に、今日は高山と秋香の二人だけがいた。

「やはり断られましたか」

「予想通りだ。あまり残念そうじゃないな、砂上」

「保護される当の本人が、下層よりここがいいと希望しているので。申請した後に分かったんですけど」

 定員オーバーだという理由だが、そんなのは建て前だろう。本当のところは、三区の住人が和樹を怯えるのと同じ理由に違いない。

「彼は、三区に住むと言っているのか」

「はい。〈青滝〉は壊滅状態だから戻れない、と覚悟しているようです」

「……さっき、捜索隊から報告があった。最深部まで探したが、生存者は一人も見つからなかったそうだ。汚染大気は最深部にまで入り込んでいたというから、〈青滝〉の再建は絶望的だ」

「そうですか……」

 これもまた予想していたことだが、こちらは覚悟していたこととはいえ、気持ちが塞ぐ。

「〈一京〉にも、周辺の他の地下都市にも〈青滝〉の件は知らせたが、生存者を保護したという知らせはどこからもない。〈青滝〉の生存者は、清水少年ただ一人だ」

 何も言葉が出てこなかった。一人くらい、どこかに一人くらいは、生き延びた人がいるだろうと思っていた。和樹が生き延びたのだから、誰か一人くらいは。

 きっと同じように、和樹も思っている。いや、願っている。ある日突然、同郷の者が誰一人いなくなるなんて、普通では考えられない状況だ。同じ境遇に放り込まれたら、秋香とて、どこかに生き残りがいるはずだ、と考える。そう信じなければ、きっと立っていられない。

「それについても、さっき下層に知らせた。保護はできないが清水少年には深く同情する、とのことだが――」

「他に、何か」

 高山にしては歯切れが悪い。彼は小さくため息を吐いて、秋香を見た。

「〈青滝〉を襲撃した〈無剣〉が発見されていない以上、唯一の生存者とされる清水少年が〈無剣〉ではないと完全に否定されたわけではないから、厳重に監視しろと言ってきた」

「なんですって?」

 秋香は顔をしかめ、高山を見た。高山の表情からは、下層のお達しを妥当だと思っているのか、馬鹿げていると思っているのかは分からなかった。

「下層へは決して立ち入らせず、三四部で監視しろということだ。なので、彼のことは引き続き砂上に任せる」

「わたしは和樹を監視しているつもりはありません。あくまで保護しているだけです。彼は〈無剣〉なんかじゃないんですから」

「……大城の妻に化けた〈無剣〉を看破した砂上の言葉は、大城よりよほど説得力があるよ。だが、四年前は、三区の住人に化けていた。ここへ来れば嫌でも知人と顔を合わせるのだから、見破られる可能性は元からあった。だが、今回は違う。〈青滝〉から来たという、ここの住人が誰も知らない少年だ。誰も本当の姿を知らない者を、どうやって看破できる」

「和樹が〈無剣〉なら、とっくに正体を現していていいはずです。地表層とはいえ居住区に入り込んでいます。〈無剣〉なら、ここでひと暴れして、最下層に続く通気ダクトにでも向かっているでしょう。〈広咲〉に来たその日のうちに」

「極力油断させるため、人のふりをしているとしたらどうする?」

「彼は人間です。医師もそう判断しています」

「〈青滝〉の住人はマイクロチップを持っていないし、〈広咲ここ〉には〈青滝〉の住民データがない。そして、〈無剣〉は分子機械の集合体だ。いかようにも体を作り替えられる」

「そこまで怪しむなら、監視ではなく追放しろと言えばいいじゃないですか!」

 和樹の保護を拒否し監視しろ、と言っているのは高山ではない。彼は、彼の上司から言われたことをそのまま秋香に伝えているだけだ。それは分かっているが、秋香が直接訴えられる相手は高山しかいなかった。

「――もしも清水少年が本物の人間だった場合、助けを求めてきた子供を放り出すとはなんて冷酷な、と非難される。それも避けたいわけだ」

「もしももなにも、人間です。今も十分に冷たい扱いをしていますよ」

「砂上、君の言い分は分かる。気持ちもな。だが、部外者を怖がる連中の気持ちも少しは考えてくれ。四年前、〈広咲〉が壊滅していてもおかしくないことが起きたんだ。〈青滝〉が壊滅したとなれば、当然のように警戒するし、怖がる」

 ふと、恭子の顔を思い出した。彼女のように怖がる人々は、秋香が思っている以上にたくさんいるのかもしれない。

 人間は、汚染大気を避けて地下に潜ることを選んだ。地下都市は空気の汚れを心配する必要がなく、広く深い。

 だが、いくら巨大な地下都市とはいえ、攻め込まれたら逃げ場はないのだ。唯一の逃げる先である地上は、装備がなければ数日生き延びるのも難しい。

 それ故、外敵の侵入は入り口で阻まなければならなかった。だから、人々は過剰なほど和樹を警戒するのだ。助けて、と泣いて秋香にすがった少年を。

「……いつまでですか。いつまで待てば、和樹を人間だと認めてくれるんですか」

「一ヶ月もたてば、下層も三区の住人も、清水少年は〈無剣〉じゃないと納得するだろう。それまでの辛抱だ」

 長く息苦しい一ヶ月になりそうだ、と思った。せめて秋香だけは、和樹は人間だと信じていよう。もとより、彼が〈無剣〉だと思ったこともいないが。

「一ヶ月も和樹を閉じこめておけ、なんて言いませんよね」

「もちろんだ。ただ、外出する際は必ず砂上が同行してくれ。彼は今も砂上の家にいるな?」

「いいえ。下の小会議室で待ってもらっています。今は蒼平が一緒にいると思いますけど」

 蒼平は、和樹の監視のために同室しているわけではない。ここへ来る前にたまたま彼と会って、和樹が来ていると教えたら、会いたいと言ったのだ。待ってもらう間の話し相手にちょうどいいと思った。

「まあ、一人にするなと言うより前のことだから仕方がない。大城が一緒なら、良しとしておこう。ただし、今後はだめだ。砂上、君が見ておけ」

「分かりました」

「それで、なぜ清水少年をここへ連れてきた」

「見学したい、と言ったので。和樹は整備士志望で、〈青滝〉では整備士だった父親について見習いのようなことをしていたそうです」

「事前に言ってもらわないと困るな」

「大きな怪我もないのに、何日も家の中でじっとしてしている方が難しいですよ。それに、当日でも見学の申請はできたと思いますが」

「……まあいい。整備士は地下都市にとって重要な職種の割に、慢性的に人手不足だ。志望者は大歓迎だよ」

 人手不足の主な原因は、地上にたびたび出て行かなければならない点だ。清浄な空気を当たり前に呼吸している地下都市の住人にとって、地上は薄暗く、寒く、汚染大気が充満している死の世界に等しい。整備士の働きが重要かつ不可欠なものであるのは誰もが理解しているが、率先してその役を買って出るのはまた別だった。危険なことは、できれば他の誰かにやってもらいたいものである。

「彼が三区で生活していくためにも、わたしが和樹の教育をしようと思っています」

「整備士を目指して頑張れば、いずれ三区の人間にも受け入れられるだろう」

「ええ。そのためにも、今日の見学の許可をお願いします」

「分かった、許可しよう」

「ありがとうございます」

「だが、生活する、と言ってもまだ未成年だ。十四だったか? 三区で受け入れられたとしても、彼一人で生活する場所を確保するのは難しい」

「ですから、わたしがこのまま彼の保護者になろうと思います。和樹にもそれは言ってあります。まだ本人の返事待ちですけど」

「砂上がいいと言うのなら構わないが……大城のことはいいのか」

「高山さん、それはだいぶプライベートな質問ですよ」

 ここで、蒼平のことを訊かれるとは思っていなかった。秋香と蒼平の過去を高山は知っているから、気になったのだろう。だが、さすがに仕事とは離れた事柄だった。

「そうだな、悪かった」

 高山はあっさり退いた。踏み込みすぎた質問だったと彼も分かっていたのだろう。

「清水少年が三四部で働けるように手続きは進めておく。後日、面接を受けてもらうから、日取りは追って砂上に連絡する。見学も許可するが、一般見学者と同じ扱いだ。立ち入り禁止区域の見学は、今はまだだめだ。いいな?」

「はい。分かっています」

 一般見学者や出入りの業者など、部外者の立ち入りが禁止されているのは、空調設備などの重要施設内だ。いずれ三四部で働くことになるとはいえ、さすがに和樹をそこに連れて行くことは、秋香も考えていなかった。

 高山に発行してもらった見学社用の許可証を持って、和樹の待つ会議室へ向かった。

「秋香」

 階段を下りきったところで、会議室のある廊下に出たところで、ちょうど蒼平が会議室から出てきた。こちらにやってくる。

「あの子が元気になったみたいでよかったよ」

「蒼平が手伝ってくれたおかげだね。ありがとう」

「どういたしまして。ところで、保護の申請の結果はどうだったんだ?」

 秋香が首を横に振ると、蒼平はそうかと残念そうに言った。

「和樹は三区に残りたいと言ってるから、残念ではないよ」

「本人から聞いたよ。整備士になりたいんだってな。志望者が一人でも増えるのはありがたい。でも」

 蒼平はそこで一度言葉を切った。じっと秋香を見つめる。

「秋香が彼の保護者になる、と聞いた」

「そうだね。下層から正式に保護は断られたし、高山さんに相談したら、和樹が空調局で働けるようにしてくれると言うし、わたしが保護者になろうと思ってる。和樹は嫌だとか言ってた?」

「いいや、秋香の世話になるつもりのようだよ」

「よかった。断られたらどうしようかと心配してたんだ」

 秋香はわざとおどけた声で笑ったが、蒼平はつられて表情を緩めたりはしなかった。

「……どうして、秋香が彼の保護者になるんだ」

「和樹は家族を亡くしたばかりで、わたしにも家族はいない。その代わりというわけじゃないけど、家族のいない者同士で支え合っていきたいと思っただけだよ」

 和樹も同じように考えてくれたらいいな、と思っている。蒼平にも同意してほしいとまでは思わないが、理解はしてほしかった。

「俺じゃだめなのか」

 理解してくれないのなら、口出ししてほしくはなかった。

「俺と蒼(あお)乃(の)では、秋香の家族になれないのか」

「蒼平とは家族になれないよ」

 秋香は苦笑いした。物わかりの悪い蒼平。今更そんなことを言われても、秋香の心が変わらないのを、彼はまだ分かっていないようだ。

「どうして」

 口で説明して、蒼平は分かってくれるのだろうか。だが、秋香には子細に説明するつもりがなかった。

 蒼平とは家族になれない。彼とは、もうそういう関係に戻れないのだ。秋香の元を去っていったのは、蒼平ではないか。引き留めなかったのは秋香だが、あのとき仮に引き留めたとしても、彼は去っただろう。

「蒼乃がいるからなのか? あの子がいると、莉乃のことを思い出すから――」

「蒼平。わたしは、そんなに感傷的じゃないよ」

「じゃあ、どうして」

「簡単なことだ。わたしと蒼平の仲は、もうとっくの昔に終わってる。それだけだよ。莉乃も蒼乃も関係ない」

 秋香と蒼平が恋人同士だったのは昔の話だ。下層から移住してきた莉乃と秋香たちが出会った頃、秋香は子供が産めないと判明した。蒼平は秋香の元を去り、莉乃と結婚して蒼乃が生まれた。

 それらはすべて、過去の話だ。

「終わっても、もう一度始めることだってできるだろう」

「違う人とね」

 秋香はきっぱりと言った。蒼平はまだ何か言おうとしていたが、結局無言のまま、秋香の横を通り抜けていった。

 彼にはもっとしゃんとしてほしかった。そうしないと、母親を亡くした蒼乃がかわいそうだ。

 秋香は蒼平を支えられない。子供が産めないと分かった秋香に別れを告げ、莉乃を選んだ蒼平と、やり直そうと思える度量はなかった。

 蒼平を振り返ることなく、秋香は会議室のドアをノックした。返事を待たずに開けると、ドアのすぐ横に和樹がいた。少年は驚き、それからばつが悪そうに秋香から視線を逸らす。

 立ち聞きしていたのだとすぐに分かった。もっとも、廊下には他に人気がなく静かだったから、二人の会話は聞くともなしに聞こえていただろう。

「あの……ごめんなさい」

 秋香にばれていると分かったらしく、何か言われる前に和樹が謝ってきた。

「声が聞こえたから、つい」

「いいよ、別に。わたしと蒼平のことはみんな知ってるから、いずれ耳に入っただろうしね」

 むしろ、第三者の想像が混じった噂話を聞かされるよりは、直接和樹に耳に入ってよかったかもしれない。

「そんなことより、座って座って」

 秋香は追い立てるように和樹をパイプ椅子に座らせ、自分はその向かいに腰を下ろした。

「もう分かっているだろうけど、保護の申請は通らなかったんだ。定員いっぱいでね」

「構いません。元々、下層に行くつもりはありませんから」

「ここで整備士を目指す、という希望に変わりはない?」

「はい」

 和樹はしっかりと頷いた。

「わたしの上司――高山さんというんだけど、その人に話は通してきた。ここで働けるように手続きを進めてくれる。後日、一応面接もするそうだから、そのつもりでいて」

 これは見学の許可証ね、と和樹に差し出す。和樹は首から許可証を提げ、しげしげと眺めていた。

「それから、捜索の進捗なんだけど……」

 言わないわけにはいかないのだが、和樹に話すのは本当に気が重かった。少年の心をいたずらに傷付けたくはない。しかし、事実を隠していてもいずれ露見する。それに、和樹は知りたくて仕方がないだろう。

「〈青滝〉の最深部まで探したけど、生存者は見つからなかったそうだよ」

 許可証から視線を上げた和樹は、悲しそうな顔をしていた。ただ、泣き出したりはせず、落ち着いた声で、そうですか、とだけ言った。

「浄化装置は壊れていて、最深部まで汚染大気が流入しているらしい。だから……」

「俺が、〈青滝〉のたった一人の生き残りになったんですね」

 淡々と言う和樹に、秋香は返す言葉がなかった。彼と共に地上へ逃げ出した仲間がどこの地下都市にもたどり着いていないことも、和樹はもう分かっているのだ。

「いよいよ〈広咲〉に住むのが確定ですね」

「和樹。こういうときになんて言えばいいのか、ごめん、わたしはうまく言えないんだけど、君は一人じゃないよ。わたしがいる」

「秋香さん……」

「わたしと家族になろう」

 冷静でいることで、悲しみを堪えようとしていたのだろう。和樹の表情がみるみる変わる。十四歳の少年らしくなる。まなじりの端から涙がこぼれ落ちる。彼の支えになりたい、と秋香は心の底から思った。

「ありがとうございます……嬉しいです。父さんも死んで、本当に一人になってしまったと思ったから」

「わたしは親代わりとしては未熟だけど、頑張るよ」

「……でも、本当にいいんですか」

 和樹は目元を拭い、赤くなった目を秋香に向ける。その表情は少し曇っていた。

「もちろん。わたしが言い出したことなんだから」

「大城さんが、秋香さんと家族になりたいって……」

 二人とも大声で会話していたわけではないが、ドア越しでも会話の内容はしっかりと聞こえていたらしい。

「そこまで聞こえてたなら、わたしの返事も聞こえてたでしょ」

 秋香が軽く肩をすくめると、和樹は、小さく頷いた。

「そういうことだよ。和樹は何も気にしなくていい」

 彼の気がかりを払拭させようと、秋香はできるだけ明るい声で言った。

 和樹は完全に納得したわけではなさそうだったが、蒼平とやり直すつもりがない詳細な理由を教えるには、まだ早いだろう。今話せば、蒼平への当てつけで和樹を引き取ろうとしている、と誤解されかねない。

「それより、そろそろ見学ツアーを始めよう。せっかく許可証をもらってきたんだしね」

 秋香が立ち上がると、はい、と嬉しそうな声が返ってきた。

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