第三章

01

〈青滝〉に捜索隊が派遣されてから二日が経った。秋香によると、今のところ生存者は見つかっていないという。

 このまま探し続けても、きっと誰も見つからないだろう。

 最悪の事態を、和樹は覚悟していた。

 故郷にはもう戻れない。しかし、いつか訪れて皆を弔うことはできるかもしれない。そのためには、ここで生活の基盤を固めて、一人でも地上を移動して〈青滝〉へ向かえるような装備を調えなければならない。

 秋香の家にこもって静養する段階は、そろそろ終わりにしてもいいのではないか、と和樹は思っていた。咳はもうほとんど治まっているし、喉の違和感もない。ここ数日ゆっくりと休ませてもらったおかげで、体力も回復している。むしろ体を動かさなければ、これ以上は回復しないだろう。

 秋香は、今日は仕事が休みだという。ならば今日こそ、外へ出たいと頼み込んでみよう。

「秋香さん。俺はもうすっかり大丈夫だから、外へ出たいです。お願いします」

 朝食の席で、和樹は正面に座る秋香に言った。

「まだ病み上がりでしょ」

「咳はもう治りました。喉の調子もいいです。秋香さんのおかげで」

「君の体は、自分で思っているよりもダメージを負ってるんだよ。ちょっと外に出たら、またすぐに咳がぶり返すかもしれないの、まだ」

「ベランダに出ても平気でしたよ」

「長時間いたわけじゃないでしょ」

「……本当は、俺を外に出したくないんじゃないですか」

 なかなか首を縦に振らない秋香に、和樹は気になっていたことであり、訊いてはいけないことかもしれないことを、口にしていた。

「この前みたいに、俺を見て怖がる人たちがいるから、外に出したくないんじゃないですか」

「そんなことはないよ。わたしは、和樹の体を第一に考えてるんだから」

「亮君のお母さんにいつまでいるのかと訊かれたから、俺を外に出したくないんじゃないですか」

「……聞いてたの」

「ごめんなさい。声が聞こえたから――。〈広咲〉も、〈無剣〉みたいな兵器に襲撃されたことがあるんですか? それで、亮君のお母さんは、地上から来た俺をあんなに怖がったんですか?」

 和樹を怖がったのは、亮の母親だけではなかった。彼が地上から来たと知った、他の子供たちの母親もだ。過去に襲撃を体験していたならば、警戒心と恐怖心を抱くのは無理ないことかもしれない。

 けれど、そう思っても、あんなまなざしを向けられるのは悲しかった。

「……四年前に、三区も〈無剣〉の襲撃を受けたんだ」

 茶碗と箸を置き、秋香が暗い声で言った。

「蒼平――和樹をここへ運び込むのを手伝ってもらった同僚なんだけど、〈無剣〉は、その蒼平の妻に化けて、三区に侵入してきた。蒼平の妻は地上に向かったまま行方不明になっていて、みんなで探していたときだった。地下と地上を繋ぐ通用門の一つにひょいと現れた彼女を見て、誰もが、蒼平の妻が帰ってきたと思ったよ」

 当時のことを思い出している秋香の表情は、声と同じくらいに暗かった。

 まさか本当に、〈青滝〉と似たようなことがここで起きていたなんて――。

「蒼平の妻じゃない、と最初に気付いたのはわたしだった。そのとき、既に〈無剣〉は通用門をくぐり抜けて、地下の入り口に入ってしまっていた。扉をあと二枚抜ければ居住区になるところにね。〈無剣〉はそこで正体を現して、激しい戦闘になったんだ。扉を一枚突破されて、居住区は目の前。警報を出してよその区にも応援を要請していたけど間に合うかどうか、ぎりぎりだった」

「……どうなったんですか」

「応援が到着する前にそこで〈無剣〉を破壊できたよ。扉も死守できた。でも、整備士五人、空調局の職員二人の計七人が死亡、重傷者十数人、軽傷者は多数という被害だった。いろいろな設備も壊れたよ。そして、蒼平の妻は……〈広咲〉近くの地上で、変わり果てた姿で見つかった」

 暗い沈黙が訪れ、空気清浄機の稼働する無機質な音がやけに大きく聞こえる。

「あれからもう四年。あるいは、まだ四年。居住区への侵入こそなかったものの、戦闘の激しい騒音は聞こえていたらしくてね。避難命令が出て、大勢がシェルターに避難したそうだよ。だから、三区の人間は〈無剣〉襲撃の一件をよく覚えてる」

「……だから、俺が地上から来たと聞いて、怖がっていたんですね」

「嫌な目に遭わせてしまって、ごめんね」

「いいえ。秋香さんのせいじゃないですし」

 誰も悪くはない。和樹は〈無剣〉に追われて〈広咲〉に来た。〈広咲〉の人たちは、四年前に〈無剣〉に襲われた恐怖を覚えていた。和樹を怖がるのも無理はない。

 無理はないが、やはり、あんな目を向けられるのはわびしかった。

「和樹は〈無剣〉じゃない。すぐに、みんな分かってくれるよ」

「はい……」

「わたしと一緒にいるところをみんなが見れば、いずれ警戒心もほぐれる。だから、今日は外へ出てみようか」

「本当ですか」

「ああ。ただ、居住区を案内するのはまだちょっと難しいから、わたしの仕事場へ行こう」

「ぜひ、お願いします。見てみたいです」

〈青滝〉よりもずっと大きな地下都市の空調設備がどうなっているのか、どうやってそれを維持管理しているのかは、もちろん興味があった。居住区も見て回りたいが、亮の母親たちを怖がらせるかもしれないし、あんな目でまた見られるのは嫌だった。まだ誤解の解けていない和樹を連れている秋香の立場が悪くなるかもしれない。それも嫌だった。

 彼女にはこれ以上迷惑をかけたくない。助けられた恩を返したかった。そのためにも、秋香の仕事場を見学するのは最善だと思った。

「あ……でも、俺が秋香さんの職場に行っても、やっぱり怖がられるんじゃないですか」

「その心配はない。わたしの上司は和樹のことを承知しているし、同僚たちも同じだよ。行ったついでに、捜索隊の進捗報告がないか聞いてみよう」

「はい」

 二人して朝食の残りを食べ終えると、和樹はすぐに片付けに取りかかった。ここ数日で、食後の片付けは和樹の仕事になっていた。自分からやると秋香に申し出たのだ。作ってもらって食べて、その後の片付けまで任せきりでは、秋香にまだまだ怪我人扱いされているとはいえ、居心地が悪くて仕方がなかった。それに、父と二人暮らしなので家事をするのは慣れていたし、苦にならなかった。

 和樹が片付けをしている間に、秋香は身支度を調えていた。片付けを終えた和樹が簡単に寝癖を直した後、初めて秋香と揃って外へ出た。


    ●


 家を出るときは、また亮の母親に会うのではないかと心配だったが、通路には亮もその母の姿もなかった。

 子供たちの元気な姿が見えないのは少し寂しいが、このあたりの子供は先日の一件で、親たちに外へ出ないように言われているのかもしれない。それはそれで寂しくはあるが、騒がれるよりはましだと思うことにした。

 空調局のある階は、秋香の家がある階の三つ上だった。家から歩いて十分ほどでたどり着く。非常時にすぐ駆けつけられるよう、近くに住んでいるそうだ。秋香の家は、三区の居住区の最上部にあるということも初めて知った。

 空調局の事務所へ近付くと、人通りが増えた。工具類を腰に下げた人や、大きな荷物を載せた台車を押す人の姿が目に付く。車も行き交っていた。年季の入った車両ばかりだが、〈青滝〉で見たことのある車種もあった。〈青滝〉には車を生産する能力はなかったので、〈一京〉か〈広咲〉から購入していた。ここにあるということは、〈広咲〉で生産されたものだったのだろう。

 懐かしさと同時に、きっともう無事な姿はとどめていないと思うと、胸が締め付けられたように痛くなる。この先、様々なものを目にしては、和樹は〈青滝〉での記憶と結びつける。結びつけずにはいられない。そのたびに、郷愁にかられ二度と戻ってこない日々に胸を痛めるだろう。

 それを乗り越えて生きていかなければならなかった。〈青滝〉の記憶をとどめているのは、和樹だけなのだから。

 空調局の事務所に入ると、ここでもいろいろな人とすれ違った。秋香は彼らと挨拶を交わし、和樹も会釈した。まだ二十歳になっていなさそうな人の姿もあったが、ここで働くほとんどの人からすればまだほんの子供である和樹を見ても、誰も怖がったり奇異な目で見たりはしなかった。

「ここで、ちょっと待ってて」

 秋香に連れてこられたのは、小さな部屋だった。パイプ椅子と机が置いてある。最大六人で会議ができそうだ。

「わたしはこれから上司に会ってくる。進捗と今日の見学の許可、それに和樹の今後についてちょっとした話をしてくるから」

「俺の今後?」

「もう必要はないだろうけど、そろそろ下層に出した申請の返事が来るだろうし、和樹が空調局で働けるように話を付けにね」

「はい、分かりました」

「何もないから退屈だろうけど、待ってて」

「はい」

 秋香に無理を言って連れてきてもらったのだから、文句など言いようもない。

 それじゃあ、と秋香がドアを閉めて出て行くと、和樹はしばらくしてから立ち上がって、部屋中をぐるぐると見て回った。

 何の変哲もない会議室だ。だが、つぶさに観察してみると、意外とおもしろい。壁や床、椅子にテーブルの素材や、その造り。大量生産されているものだろうが、〈青滝〉にあった似たようなものより品質がよさそうで、都市の大きさの違いを感じる。

 天井を見上げると、換気扇と火災報知器があった。換気扇の稼働するかすかな音が聞こえる。机の上に立って手を伸ばせば、換気扇のカバーを外せそうだった。どんな作りになっているのか、むくむくと興味が膨らむ。

 秋香はちょっとの間、と言ったが、上司と話し合うという内容からして五分十分で済むものではない。壁に掛かった時計は、秋香がいなくなって既に十五分経ったことを示していた。あと同じくらいの時間は戻ってこないだろうと踏んで靴を脱ごうとしたとき、ドアをノックする音がした。

 扉の中央は磨り硝子になっていて、そこに人影が映っている。身長や肩幅からして秋香ではなかった。男だ。しかし、いったい誰が。

「入ってもいいかな」

 かけられた声は、やはり男だった。もちろん知らない声だ。ただ、比較的若い男のようだ。

「……どうぞ」

 いったい誰だろう。会議室を間違えただけの人かもしれない。それなら和樹を見て驚くだろう。そのときはちゃんと事情を説明しなくては、と急いで頭の中で話すべきことを整理する。

「やあ、こんにちは」

 入ってきたのは、秋香より少し年上の男だった。和樹を見ても少しも驚かず、それどころか微笑を浮かべていた。

「こんにちは……」

「もう外に出られるくらいに元気になっていたんだね。安心したよ」

 男はドアを閉めると、座っていいかな、とパイプ椅子の背もたれを掴む。和樹はわけも分からず頷いた。

「俺は大城蒼平。秋香の同僚で、彼女が君を連れて三区に戻ってきたとき、ちょっとだけ手伝ったんだ。君は覚えていないだろうけどね」

 もちろん、助けられる直前に意識をなくしたから覚えていない。秋香の家で目を覚ましたときに違う服になっていたが、着替えさせてくれたというのがこの人か。

「秋香さんから伺ってます。助けてくれてありがとうございます」

「お礼を言われるほどのことじゃないよ。俺は本当にちょっとしか手伝っていないからね。君を連れてきた秋香とたまたま出くわして、手伝っただけなんだ」

 同僚と言いながら、秋香、と呼び捨てにする蒼平に、和樹は驚いていた。よほど親しい仲なのだろう。恋人か、とも思ったが、秋香に恋人がいるとは聞いていない。いれば、和樹の親代わりになりたいという話をしたときに出ていたはずだ。ではやはり、同僚であり仲のいい友人ということか。

「今日はどうしてここに?」

「秋香さんにお願いして、仕事場の見学に来たんです」

 蒼平は、なぜここに和樹がいることを知っていたのだろう。座って話しかけてくるくらいなのだから、会議室を間違えたわけではないだろうし、そもそも和樹がここにいるのを知っていてやってきた風だった。

「ああ、それで秋香は来てたのか。今日は休みだって言ってたのに、さっきそこですれ違ってね。君がここにいることだけ、秋香から聞いたんだよ」

 なるほど、和樹の疑問はあっさり解消された。

「でもなぜ見学に? 空調局の支部を見ても、特におもしろいものはなさそうだけど」

「俺、空調局の整備士になりたいんです。〈青滝〉には戻れそうにないから、ここで暮らさないといけないし、暮らすなら仕事をしないといけないし――」

 和樹は、義務課程の教育はほぼ終了していること、父親が整備士でその手伝いをしていたこと、秋香が和樹の保護者になると言っていることをかいつまんで話した。

「秋香が、君の保護者に?」

 意外だったのか、蒼平は驚いた顔をしていた。単なる保護者どころか親代わりになりたいと言っていると知ったら、蒼平はもっと目を丸くするかもしれない。どうして秋香がそんなことを言うのか、彼女に聞かされた理由はかなり個人的なものだから、秋香と呼び捨てにする蒼平にも言わない方がいいだろう。

「整備士の仕事も、秋香さんが教えてくれると約束しました。俺は他に頼れる人がいないし、秋香さんもそう言ってくれているし、お世話になろうかと思っています」

「そうか。秋香は整備士としての腕もいいし、あれで結構強いんだよ。よかったね」

 蒼平が驚いた表情を見せたのは先ほどの一瞬だけで、再び笑みを浮かべていた。ただその笑顔は、和樹には無理して作っているもののように見えた。

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