第二章
01
〈広咲〉の最上層は全部で五つの居住区に分かれていて、同じ数の吸気口がそれぞれの直上にある。排気口も同じ数だけ、それぞれの吸気口から離れた位置にある。各区に空調局の支局があり、更に区内では担当区画ごとの支部に分かれている。秋香が所属しているのは空調局第三支局第四部で、通称、
その三四部には、三十余数名の整備士が所属している。事務所には人数分のデスクが用意されているが、全員が揃うことはまれだ。整備士は、基本的に地下か地上で空調関連設備の整備にいそしんでいる。整備士が事務所にいるのは、書類作成をするときと会議や打ち合わせのときくらいだ。
空調局は慢性的に人手不足で、一人が抱える業務量は多く、暇になることはほとんどない。今も、事務所にいる同僚の整備士は五人もいなかった。
秋香は目的の人物を捜して、事務所を見渡した。三四部の整備士を束ねる支部長の
「高山さん。今、お時間を頂けますか」
「例の少年の件か」
「はい。先ほど意識を取り戻しました。それで、彼から少し聞き取りをして、その報告に」
「分かった。会議室で話そう」
事務所の片隅にあるパーティションで仕切られた一角を指す。小さな会議室のドアは開け放たれていて、誰も使っていなかった。
「秋香。来てたのか」
高山のあとについて会議室へ入ろうとしたら、事務所の出入り口近くから声が上がった。デスクワークをしていた同僚の何人かが顔を上げて声の主を見やり、すぐに自分の仕事へ戻っていく。
「
小走りにやって来た蒼平に、高山が声をかける。蒼平は、どういうことだ、という顔で秋香を見る。
「あの子が目を覚ましたの。それで、今から高山さんに報告するとこ」
「意識が戻ったのか。それはよかった」
蒼平には、和樹を病院から自宅へ運ぶのを手伝ってもらった。和樹の服を着替えさせたり、彼の体を簡単にだが、拭いたりしたのは、蒼平だった。
三人で会議室に入ると、ドアを閉めた。
秋香は、和樹の名前、彼が〈青滝〉出身で、その〈青滝〉が〈無剣〉の襲撃を受けたこと、〈青滝〉の大人が応戦するために残っていること、子供たちは〈一京〉を目指して脱出したことなど、和樹から聞いた話を手短に報告した。
「〈一京〉から、〈青滝〉に関する話は特に来ていない」
高山は神妙な顔で言うが、和樹の話だと、彼の仲間たちは今頃は〈一京〉に着いているはずだ。
無事にたどり着いて保護されれば、〈青滝〉襲撃の一報は〈広咲〉にとっくにあっただろう。それがないとなると、意味することはほとんど一つしかない。
和樹が知ればどんなに悲しむだろう。しかし、いずれ必ず伝えなければならない。秋香が教えずにいても、和樹は仲間の安否を尋ねてくるだろうから。
「〈青滝〉に出入りしている業者から、同じ話は上がってきていないんですか」
「今のところは何も」
蒼平に訊かれた高山が首を横に振る。
「主要ルートから外れたところに位置している辺境都市で、基本的に自給自足をしているから、業者が訪れる頻度がそもそも少ない。襲撃後、まだどこの業者も〈青滝〉を訪ねてないんだろう」
「ともかく、和樹の証言から、〈青滝〉が襲撃を受けたのは確かです。しかも襲ってきたのは〈無剣〉。早急に確認して、生存者の捜索と、〈無剣〉がまだ動いているのであればその対策班を派遣しないといけませんよ」
「砂上の意見はもっともだが、すぐに人を出すわけにはいかん」
「なぜですか。生存者の証言があるのに」
「その証言によれば、襲撃を受けてから既に数日経過している。被害状況にもよるが大気浄化装置に深刻なダメージがあれば、生存できる可能性は大幅に下がる。その上、襲ってきたのは〈無剣〉だ。大気浄化装置が無事だとしても、生存者がいるかどうか……」
秋香は〈青滝〉へ行ったことはないが、十分な武器や人のいない小さな都市が〈無剣〉によって壊滅させられたという話は、いくらでも伝わっている。
地上へ脱出した和樹たちが徒歩で移動していたくらいだから、〈青滝〉の戦闘力がどれほどのものかは容易に想像が付いた。
「見捨てるんですか」
助けてください、とすがりついてきた和樹の姿が鮮明に甦る。秋香が見つけたとき、和樹は地上に出るにはあまりに貧弱な装備で、死の淵を歩いていた。彼と共に逃げた仲間も似たような装備だろう。
あんな装備で、しかも子供だけで、他の地下都市に助けを求めて決死の行進をしていたのだ。何か行動を起こさなければ、気が収まらなかった。
「人聞きの悪い言い方をするな、砂上。何もしないとは言っていない。まずは、〈青滝〉に電信で呼びかける。応答があればそれに合わせた対応をするし、応答がなければ人員を出す。とにかく、まずは電信だ」
かつて世界中を結んでいたインターネットなどの通信設備は、現代では使えなくなってしまった。隕石で巻き上げられた大量の塵が人工衛星との通信を阻み、またデブリとなってロケットの打ち上げを困難にした。やがて人工衛星は耐用年数をすぎて機能しなくなり、新しい人工衛星を打ち上げられないまま、人類は地下に潜ってしまった。
地下都市間で直接連絡を取る方法は無線電信か書簡、もしくは通信ケーブルである。通信ケーブルはデータ送信量が限られているため、使用できるのは行政機関のみである。ただ、〈青滝〉はいずれの都市とも通信ケーブルで繋がっていない。辛うじて無線電信が可能だが、距離と設備の問題があり、電波状況は良好とは言えなかった。
「〈青滝〉から、襲撃を知らせる通信はなかったんですよね」
「ない。今も、〈青滝〉からは何の連絡もない。救援を求める前に設備が破壊されたのか、その余裕すらなかったのかは分からんが」
〈青滝〉の状況は絶望的と言わざるを得ない。秋香もそれは認めるしかなかった。
そもそも、電信で救援を求める余裕があれば、秋香が和樹を見つける前に、〈青滝〉襲撃の一報は〈広咲〉や〈一京〉に届いていただろう。
「この件は上と〈一京〉にも知らせる。まずは〈青滝〉と通信をして、応答がなければ捜索隊を結成する。それまでは、砂上も大城も、むやみにこの件を口外しないように」
なぜですか、とは秋香も蒼平も聞き返しはしなかった。もどかしいけれど、慎重に確認をした上で事を進めたい高山の気持ちも理解できた。
地上には様々な危険がうごめいている。
四年前、それが三区に押し寄せてきたことがあった。地上は危険な場所と教えられて育ってきた人々は、それを目の当たりにした。あのときの傷跡はまだ完全には癒やされていない。
〈青滝〉襲撃の報は、四年前を彷彿とさせるから、確定するまでは――あるいは事態が収束するまでは、少なくとも住人には知らせないつもりなのだろう。
「彼は――和樹はどうしますか。〈青滝〉に捜索隊を送るのなら、それについて行きたいようですが」
「土地勘があるだろうが、子供を危険な場所へ行かせるわけにはいかん」
「本人は納得しないでしょうね」
秋香も、和樹を〈青滝〉に行かせるのには賛成できない。〈無剣〉がいるかもしれないのだ。いなかったとしても、〈青滝〉の内部は子供に見せられないような状況になっている可能性が高かった。
「あの子に必要なのは、安全な場所と療養だ。そう伝えてくれ」
「はい。意識は戻ったし、大きな怪我もしていません。ただ、肺や喉を少々痛めているので、もっと空気のきれいなところで療養させた方がいいと思います。ですから、最下層に保護してもらおうと考えているのですが」
汚染大気は浄化装置を通して清浄にしてから、地下都市内を循環させている。都市の下へ行けば行くほど通過する浄化装置の数が増えるので、最上層より下層の空気の方が、より清浄だ。
日常的には最上層の空気が汚れているとは感じないが、最上層に住んでいる人間の方が、下層の人々より寿命が短く、様々な疾病にかかりやすい。
行政は、空気の清浄度や平均寿命、疾病率に階層差はないとしている。秋香たちは空調局という公的機関で働いているので行政側の人間だが、上と下では違う、という実感があった。空調局の人間だからこそ、空気の清浄度に関しての実感は、なおさら強い。
下の層へ行った方が、和樹の肺や喉の治癒は早いはずだ。
「下層が保護してくれればいいがな」高山は少々渋い顔をした。「あの子は地上から来た部外者だ。下の層はおそらく、保護を拒否する」
高山は一瞬だけ蒼平を見た。蒼平が気まずそうに目を伏せる。
「三区でも、彼が地上から来たと知れば拒絶反応を示す住人はいるだろう。彼のためを思うなら、砂上の家で保護する方がいいし、むやみに外出させるのも控えさせた方がいい」
「保護した後、病院で診てもらっているんですよ。一通りの検査もしました。和樹は人間です。医者もそう判断しました」
「俺も彼を間近で見ましたが、危険な兆候はいっさいありませんでした。あの子は人間ですよ。高山さんが心配するような存在じゃないです」
秋香をフォローした蒼平を、しかし高山は渋い表情で見やった。蒼平がフォローしてくれたのはありがたいが、彼では逆効果だったのは否めない。秋香は内心でため息を吐いた。
「俺は見ていないが、君たちがそう言うのだから、清水和樹はきっと人間だろう。ただ、〈青滝〉襲撃が本当なのかどうか、確認できていない。〈青滝〉から通信がないのは、何事もないからかもしれない可能性は、まだあるんだ」
「〈青滝〉がそんな嘘をつく理由なんてないでしょう」
蒼平が呆れた顔をする。だが、高山は表情を変えなかった。
「普通はない。だが、我々には思いもよらない理由があるかもしれない。少なくとも、清水和樹の証言の裏が取れるまでは、外出を控えさせてくれ」
和樹はまだ体調が万全ではないし、長く動き回るのは無理だろうから、そもそも外出が難しい。
しかし、高山の言い方では疑わしいから監禁しろと言っているも同然で、いい気分ではなかった。
「もっとも、裏が取れても、清水和樹が人間だと保証されるわけでもないんだが」
「高山さん」
「清水和樹の体にはマイクロチップが埋め込まれていたか?」
「それは……」
〈広咲〉の住民は、生まれてすぐに体内にマイクロチップが埋め込まれる。チップには指名や生年月日などの個人情報が記録され、生活の様々な面で活用されている。
しかし、和樹の体内にはマイクロチップがなかった。いくら探しても見つからなかったと医者は言って、たいそう怪しんだ。
百年ほど前、〈広咲〉や〈一京〉の暮らしになじめなかった人々が集まってできた地下都市が〈青滝〉だ。なじめなかったものの一つにマイクロチップがあったのだろう。〈青滝〉では今でもマイクロチップを導入していないのだ。
「マイクロチップがなければ、彼が何者なのか証明するすべがない。〈広咲〉は、〈青滝〉の住民データは持っていないだろうしな」
「ないことこそが〈青滝〉の住民である証明だと言えませんか」
「あくまで、そういう見方もあると言いたいだけだ。業務は融通するから、砂上、彼の保護は君に任せる」
「……分かりました。でも、一応、下層に保護の申請はします。彼の体調回復のために」
「分かった。それも砂上に任せる」
「ありがとうございます」
いくつか納得しがたい点はあったが、今後の対応についてひとまず話がまとまった。今はこれが最善と思うしかない。
「秋香」
会議室を出た高山に続いて出ようとしたら、蒼平に呼び止められた。
「いいのか、あの子を秋香の家で保護するのは」
「わたしは構わないよ。下層が保護するまで預かるくらい」
「下層は保護なんかしてくれない。高山さんも言っただろう。そのときは、どうするんだ」
「そのときに考えればいい」
「秋香。危なくはないのか」
秋香は眉間にしわを寄せた。
「さっきは和樹は人間だと言ったのに、本当はそうじゃないと思ってるの?」
「いいや、あの子は人間だと思ってるよ。でも、万が一ということはあるし、そうでなくとも、彼はまだ子供とはいえ、男だ。それを、女の一人暮らしの家で預かるのは……」
「どういう心配をしてるの、あんたは」
秋香は呆れた声を返したが、蒼平は心配そうな表情のままだった。
「彼は、俺の家で預かる。その方がいいんじゃないか」
「よくない。蒼平の家よりわたしの家の方が絶対にいいに決まってる。あんたの家には小さな子がいるじゃない。子供二人の面倒を見るのは大変でしょう」
「秋香、でも」
「この話はおしまい。わたしは、これから保護の申請とかしなきゃいけないから」
蒼平はまだ何か言いたそうだったが、秋香は会議室を出て自分のデスクに向かった。高山の方を見ると、彼は電話をしている最中だった。先ほど話し合った件だろうか。
〈青滝〉と連絡が取れたら、それがいちばんいい。被害はゼロではないだろうが、生存者がいれば和樹の憂いも少しは晴れるだろう。
最悪な事態にならなければいいけれど。
祈るような気持ちで、秋香は個人端末を起動させた。
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