第7話

 澪が去ってから、どれくらい経ったのか。秒針の音だけが響く室内で小さく息を吐くと、蒼に濡れる花にふらりと歩み寄った。

 むせ返りそうな甘い香りと豪勢な花弁、そして切り取られた下葉と花粉嚢。花の特性を熟知したこのやり方は、おそらくアイツが生けたもの。

 …いつだったか、この花を生けているべにに話し掛けた事があった。「好きな花」と教えてくれたアイツの目はどこか寂しそうで、それで…悪いとは分かっていながら、アイツを縛る鎖に触れてしまった。


『強がる事は無い。…反抗、しないのか?』

『…出来ねえよ。生まれてからずっと、あたしは親父に全てを決められて来た。…何でって、ずっと思ってた。あたしだって一人の人間なのに、ただ三味線一族に生まれただけなのに、何で全部あたしが決めちゃ駄目なんだって。あたしが三味線の稽古で泣いてる時、近くの公園で笑いながら遊んでる同級生達が羨ましくて…。…仕方無えってのは分かってる、けど…ッ、それでも、あたしは……ッ!』


 …唇を噛んで涙を流す恋人は、哀れで、愛おしくて、壊れそうに脆くて。

 気が付けば、俺は彼女を抱き締めていた。

『龍牙…』

『…毒は吐いて行け、べに。…楽になって良い』

『…ッ』




「…」

 あの時と変わらない白百合を一瞥すると、俺はおもむろに取り出した数枚の紙をその隣に置く。

 『Casa-Blanca』。花とカクテル、二つの名前を持ったこの曲は、『Seiren』の発足祝いに俺が書き下ろしたもの。花言葉は『純粋』、そしてカクテル言葉は…。


「…すまねえ、澪」


 ローテーブル上に転がったリストバンドに一度だけ目を移すと、俺はそれらに背を向けて扉のほうへと歩いて行った。

 最後に一度だけ振り向くと、堰を切ったように幸せな記憶が息を吹き返しては溶けて行く。



『見ろよ龍牙。ギター、赤に替えたんだぜ』

『部室に生ける花は大体季節と花言葉で選んでるんだ』

『知った事かよ、あたしが『Red Lily』だ』



『…好きだぜ、龍牙』





「…幸せになれよ、べに。…好きだ」




 俺が言う資格なんて無いって、分かってる。


 言えずにいた想いを口にすると、溢れそうな何かに蓋をして、そっと扉を閉めた。

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Dear -another- 槻坂凪桜 @CalmCherry

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