第3話

六月むつきりゅう君、だね?」

 …生徒玄関前の、緑の並木を抜けた直後だった。やけに馴れ馴れしく呼ばれた名前に振り返ると、そこにいたのは和服姿の見知らぬ男。

「…誰だよテメエ。名乗りもしねえとか良い度胸だな」

「失敬。私は九十九家の当主…そして璃梨の先代だ」

 つまりはべにの父親かよ。苛立たしげに舌打ちすると、男は「今日のライブは凄かったね」と薄く笑った。

「べにのあんな表情を見たのは初めてだ。璃梨としてのべには、表情一つ変える事無く全てこなすからね…。やはりべには、燐夜君と共にいたほうが良いらしい」

「…は?」

「単刀直入に言おうか。私の娘、璃梨…九十九べにには、七瀬ななせりん君という許婚がいる。君はべにと付き合っているらしいね?そんな訳だ、大人しく手を引いてくれ」

「…その程度で俺が退くとでも思ってんのかよ」

「私とて、手荒な真似はしたくないがね。しかし、私の道に邪魔がある以上、仕方の無い事なんだよ。無力な娘は、親である私の言う通りにしていれば良い。この九十九家に生まれた以上、べにの人生は当主のものだ」

 消える事の無い薄ら笑いは、まるで娘を嘲笑っているようにも見えて。激昂寸前の俺が牙を向きかけたその瞬間、男は「おっと」と俺を遮る。

「口の利き方には気をつけた方が良いよ。君の言動一つで、べにの人生は変わりかねない。もし君が『手を引かない』なんて言うなら…どうなるかね?」

「ッ!?テメエ…!」

「私は当然の事をしたまでだよ。不良に成り下がったべにの手綱を握れるのは、付き合いの長い燐夜君しかいない。全く、愚かな娘だよ。『Red Lily』?下らない。璃梨という立派な名前があるにも関わらず、そんな名を名乗るなんて。名家の娘らしく、大人しく見合いの話を受け入れていれば、こんな事にはならなかったのに」


 べにを縛る鎖の存在に、不意に蘇るいつかの記憶。





『全部、箱庭なんだよな』


 …確か、付き合って一ヶ月が経った、宮城に初雪の降った日。窓の外で移ろう白いまだらに目を向けて、べには隣でフッと息を吐いた。

『…?』

『ま、捻くれた考えだけどな。あたし達はみんな箱庭の中で踊らされてて、誰かが外からその姿を見ている。…完全な自由なんて無ェんだよ。この世に存在してんのは、傀儡師とピエロだけだ』

『…反抗、しないのか?』

『…しねえよ。あたしだって、三味線を弾くのは好きだ。…単純なあたしの弱さだよ。先代っつっても親父は殆どあたしに三味線を教えてくれなくて…。…ずっと独りだった。寂しかった。だから…誰かと一緒にいたくて、一緒に弾きたくてギターを始めた。…ずっと三味線にしか縋れなかった哀れな女が、今ではバンド組んで歌わして貰えてんだ。幸せな話だろ』

 …あの時、儚く笑ったべにの真意を汲み取れていれば、こんな事にはならなかったのかもしれない。

 歪な弧を描いた紅も、窓ガラスに触れた震える指先も、全部見て見ぬ振りをしたのは俺なのに。



『…テメェには感謝してんだぜ、龍牙。あたしが今『Red lily』を名乗れてんのはお前のお陰だからな。…『璃梨』でいるのも嫌じゃねえけどよ、今はただ、『Ariadne』の一人でいられるのが幸せなんだ』



 ――寂しそうに零された彼女の、ニヒルな歪みの張り付いた笑みは…今でも俺の脳裏に焼きついたままで。






「不良だろうが何だろうが、べにはこの九十九家の大事な跡取りだ。たかがバーテンダーの息子に相応しい女ではない。私の娘に気安く関わらないでくれよ」

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