第7話

 二車線のバス通りを歩いて五分、一方通行の小道にはいり、細長く建つ古びたビルに着いた。ビルの二階付近に縦長の看板がかかり、くすんだ赤をぼうっと光らせている。黒く書かれた“龍王飯店”の文字がいかめしい。


 ワックスのはげた狭い階段を上ると、小さなちょうちんのぶら下がった木の扉があり、扉を引くと、黒い足の真っ赤な円テーブルがいくつも見えた。黄ばんだ白衣の中年男性が厨房から声をだすと、しおれた婆さんがわたし達をテーブルへ案内した。黄色い紙にかかれたおすすめメニューが壁面を埋め、客を遠慮なく圧迫する。店内は油臭く、空気はねっとりしている。


 醤油らしい染みのついたメニューを手にとると、ランチメニューが落ちた。わたしは値段の高い料理を除き、安い料理に自分の好物と経験を照らしあわせた消去法を試みた。結果、麻婆ナス定食に決まる。沼海老は炒飯、田西は八宝菜を注文する。 


 わたしが壁面のメニューを眺めていると、沼海老は話した。


「これよ、これ、これがおもしろいのよ!」


 沼海老はメニューをテーブルのうえに置いて指をさし、わたしの顔を見て、横にいる田西を見た。


「これか? おまえの言ってたデザートは」


 田西はそう言って、目を細くしてメニューに顔を近づける。わたしも顔を近づける。


「ス、スライム? なんだこりゃ?」


 田西はいぶかしげに沼海老へ顔を向けた。


「そう、スライムよ」 


 沼海老は笑顔をうかべ、小さく首をかしげた。


 わたしはメニューに食い入った。そこには、青い球根のイラストとともに、デザートの品として“スライム”と書かれ、ラーメンの注文のさいに麺のかたさや油の量を選べるように、スライムへの好みが選べるようになっている。ただ、スライムのかたさや油の量を選べるわけではなく(じっさいに頼めば選べるのかもしれないが……)、音の大きさや速さ、音色が選べるようだ。


「これはいったい?」


 わたしは沼海老に聞いた。


「スライムよ」


 沼海老はうれしそうに笑っている。


「おいおい、なんだよスライムって、説明してくれよ」


 田西は手を広げて言った。


「そこに説明が書いてあるじゃない」


 沼海老はいくぶん顔をそらして言った。


「まったく意地が悪いな、山岡、読んで説明してくれよ」


 田西は言った。わたしは言われずとも、すでに説明書きを読んでいた。そこには、こう書かれている。


〈当店のスライムは、四川省岷山山脈の眼下にひろがる黄龍風景区産の純水を使用しており、職人の手によって丹精こめて生成された健康なスライムです。特徴としては、澄んだ音色に反応して踊りだすというまことに愛くるしい性質を持ちます。固体によって踊りは様々で、選んだ音の情報を読み取って踊りをいたします。また、神秘を秘めたスライムの味はのどを豊かに潤し、美容効果はもちろん、内臓を回復させます〉


 わたしはこの文章どおりに声をだして読み、さらに続きを読む。



 スライム(清涼味) 百円


 スライムベス(オレンジマンゴー) 百二十円


 メタルスライム(黒胡麻) 百二十円


 バブルスライム(青汁) 百五十円



 この中から好みを一つずつ選んでください


 速さ モデラート・アレグレット・アレグロ・プレスト


 拍子 四分の二・四分の三・四分の四・八分の六


 音量 ピアノ・フォルテ・クレッシェンド・デクレッシェンド


 音色 バイオリン・ビオラ・チェロ・コントラバス


 奏法 ピチカート・グリッサンド・トレモロ・アルペジオ


 注 音階・拍子・和音・曲想など細かい注文もできる範囲で承ります。



 読み終わり、顔をあげると軽いめまいがした。わたしはなんでもない食事をしに来たのに、なぜこんなわけのわからない文章を読んでいるのだろう。俗気あふれる店内を見まわすと、メニューに書かれている内容はいやに信じられない。目の前では丸い顔の沼海老が口元を広げて、男らしく締まった顔の田西と一緒に赤い携帯電話を見ている。


 わたしの視界の端で何かが動いた。目を厨房近くの床に向けると、小さい青く澄んだ物体がピョコピョコと黒い床のうえを弾んでいる。遠めなのではっきり見えはしないが、弾力のありそうな弾み方をしている。


「こいつめ、いつ逃げ出したんじゃ!」 


 そう言って、婆さんが青い物体をとっつかまえて、厨房の奥へ引っ込んだ。 


「ね、おもしろいスイーツでしょ」


 沼海老はテーブルに肘をついて言う。わたしは素直におもしろいと思わなかった。むしろ、おかしいと思った。疑問に思う点が頭に湧いてでてくる。わたしと田西がスライムについて二三の質問をすると、沼海老はけろりとこう言う。


「男の人はすぐ頭で決めようとするのね、ごちゃごちゃ考えるよりも、好奇心に従って注文すればいいのよ。そのほうがわかりやすいでしょ?」


 わたしと田西は顔を見合わせて、目配せした。それから三人でメニューをのぞきこみ、何を注文するか話し合った。


「二人の注文するスライムの速さと拍子はわたしが決めていい?」


 沼海老は言った。


「ああ、かまわないぜ。でも、なんでだ?」


 田西は言った。


「あとでわかるわよ」


 沼海老は首をかしげたまま、上目づかいで田西を見た。わたしは何も言わず、小さくうなずいた。

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空想日記 酒井小言 @moopy3000

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