第5話

 白いワイシャツと黒のネクタイを買い、わたしは紳士服屋を出た。線路沿いを踏切に向かって歩くと、シナモンの甘い匂いがほのかに香る。左にある、橙色の看板をしたドーナツ屋らしい。紺色のセーラー服を着た三人の女子が店の中へ入ると、若い女性店員らしき清涼な声が聴こえた。


 女性客の多いドーナツ屋か……、わたしは忘れていた空腹を思い出した。ふと、まわりを見まわすと、スーツ姿の人が多い。肩をはった男性達は足早に歩き、カーディガンを着た女性達はベージュのコンビニ袋をさげ、背中を丸めて歩いている。高校生の姿もちらほら見かける。期末テストの最中だろうか。


 小腹を満たすならドーナツ屋はいいとしても、昼食では満足できそうにない。今日の朝はトースト二枚に豆乳、ヨーグルトにバナナだ。昼食は米を食べたい。


 遠めに踏切が見えると、耳をつく警報機の音が鳴り響いた。今走り出せばどうにか渡れるだろうが、そんな急ぐこともない。急ぎ足程度ならまだしも、駆け足でないと間に合いそうにない。少年の走る姿は若々しさがあり、警報機の鳴る踏切も似合うだろう。きゃっきゃと走る女子高生もかわいらしさがある。ところが大人の走る姿は滑稽きわまりない。中年の女性は動きと図体ともにがさつで、老人は見ていてはらはらする。そして男は暑苦しい。


 さらに踏切に近づくと、遮断機の片方が降り、もう片方がぐんぐんと降りてきた。踏切内には、毛玉がのったニット帽の若い女性と、黒いマウンテンバイクにまたがった男子高校生、それと水色のママチャリを手で押す中年の女性がいた。


 ニット帽の女性が手を高く突きあげて遮断機を受け止め、バトンタッチするように男子高校生に渡し、男子高校生は遮断機をくぐり、うしろを振り向いて中年の女性に渡す。遮断機は女性の手に移った。


 ところが、中年の女性は警報機の音にあせったのか、割り込むかのようにママチャリを押して、高校生のマウンテンバイクにぶつけてしまった。その衝撃で手にのせていただけの遮断機はすべり、真っすぐに女性の顔を打ちつける。中年の女性は悲鳴をあげ、ママチャリと共に叩きつけられた様に地面に倒れると、高校生の男子はびっくりして、マウンテンバイクを地面に置いて中年のそばに駆け寄った。


 わたしが遮断機の目の前で立ち止まると、踏切から出た中年の女性は声を荒げて男子高校生を責めている。警報機のひきつった音にあおられているかのようだ。男子高校生は申し訳なさそうに、何度も頭を下げる。それに気をよくしたのか、中年の女性は相手の非をくどくどと繰り返し説明して、額をしきりにさすっている。


 八つ当たりがおさまり、中年女性は左足をペダルに乗せ、すました顔でゆっくりとママチャリを走らせた。男子高校生は、「なんだよ、クソババア」と小さくつぶやき、憎々しい顔で前を見すえて、マウンテンバイクをこいだ。どうやら、中年女性の不快感が男子高校生にうつったようだ。


 踏切に電車が五回通過した。カーンッ、カーンッと響く警報機の音はなんて気味が悪いのだろう。救急車や消防車のサイレンと同様に人の気持ちを妙に不安にさせる。無機質な鐘の音からは、人々の怨念ともいえる叫び声が聴こえるようだ。


 どうせなら現代らしく電子音を流せばいい。厚みのある、速い、ベース音でも叩けば、すこしはましな心持ちで踏切の前で立っていられる。ん、まてよ、それではおちつかないか。踏切待ちしている人々は頭を振り、体を揺らしてしまう。なかには意気揚々にステップを踏み出す輩も出てくるかもしれない。


 さらに電車が二回通過した。ようやく警報機はとまり、ぱっと遮断機はあがる。どっと人の群れは動きだし、交錯する踏切内でわたしは友人二人と偶然会った。

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