第3話

 喪服はみつけられたが、なかに着るYシャツと黒いネクタイはみあたらなかった。縦縞の入ったYシャツなら何枚かあるが、まっさらな無地のシャツは一着もない。喪服があるのなら、どこかにしまってありそうなものだ。それなのに不思議とみつからない。一年の間に着ることのなかった衣類は処分する習慣があるので、もしかしたら、ネクタイとYシャツは捨ててしまったのかもしれない。おそらく、「葬式があったらまた買えばいい」とでも思ったのだろう。


 衣類に対して特別な頓着はもっていないので、わたしは駅前にある大手チェーン店の紳士服屋、“新世界”を思い出した。新世界は、青年の持つ清潔さをアピールしたテレビコマーシャルを昼過ぎの時間帯に流していて、昼の連続ドラマを見ていた主婦はたいてい新世界の存在を知っていた。「息子が大學に入学するときは新世界のスーツがいいわね」と、多くのおせっかいな主婦は思うのだった。しかし、その年頃の息子はたいてい母親が選ぶスーツは着ないものだ。


 わたしはさっそく駅前に行った。けばけばしい音をならすパチンコ屋の隣に紳士服屋、新世界はあった。店舗の三分の一を占める、上部に飾られた濃青色の看板には、黒い太字のゴシック体で“新世界”と書かれていた。創業者はなぜこのような名前に決めたのかと、わたしは考えた。パチンコ屋の隣に店舗があるせいで、風俗店にでもありそうな名前だと思った。濃青色の看板を目がくらむピンク色に変えたら、立派な風俗店の看板ができあがるだろう。今の看板は、おそらく、若い年齢層をターゲットにして、若者にとって新しい社会である“新世界”への門出を飾る意味が込められているのだろう。しかし、看板の色を変えただけで、別の“新世界”に溺れさせる店へと様変わりしそうだ。


 店内に入ると、白を基調とした内装が広がっていた。壁紙や衣装棚は白で統一されていて、とごろどころにガラスやステンレス素材が使われたラックがあった。黒や灰色、黒茶のスーツが軍隊のように整然と並び、淡いカラフルなシャツが静かにたたまれていた。


「いらっしゃいませ」


 生糸のような髪を脳天から真っ二つに分けた男の店員が、わたしに近づいてきた。店員は日焼けをしていないせいか、黄色人種らしい肌の色を黒いスーツのうえにのせて、さらさらした髪で飾っていた。鼻は不器用に平べったく、あごのラインは青海苔をまぶしたようだった。わたしは人間の顔も、もしかしたらカビが生えるのではないかと思った。髪の毛は男の歩調にあわせて揺れ動き、みょうに気色悪かった。


 男の店員はわたしの前で調子のよさそうな笑いを浮かべて立ち止まった。異様に目は大きく、歯ぎしりを聞くようにバランスが悪く、わたしにやるせなさを思い起こさせた。若々しさのなかに理知的なものが見え隠れする店内に、ただこの男の顔だけがはっきりと浮いていた。赤色が人間の眼を引くように、この男のジャガイモ顔が存在感をだしていた。スマートな店内に、小さな田舎があった。


「マドモワゼル、今日はなにをお探しでしょうか?」


 男はやけになめらかな声で言った。わたしは、この男は家でこの言葉を練習しているのかと思った。それほどしぜんに聞こえた。


「無地の白いYシャツを探しているんです」わたしは表情を変えずに言った。


「そうですか! それでしたらマドモアゼル、あなた様にお似合いのシャツをわたくしめがご案内いたします」


 男は変な抑揚をきかせた声で言った。わたしはバカにされているのかと思った。


「そうですか、けど、わたしは女じゃないですよ」


「はい、わかっております。あなた様のおっしゃる意味もわかっております。誤解を生じさせてもうしわけございません。ただ、一言説明させていただければ、わたしの接客マナーとして、おきれいなお客様に対してはすべてマドモアゼルとして対応させていただきます。あたな様にはじゅうぶんその資格がおありなのです」


「そうですか、わたしはべつになんでもかまいませんが、その接客マナーは店の方針なんですか?」


「いえ、そのようなことはございません。わたしの自己判断によるものです」


「なんか、話を聞いていて疲れそうなので、いたってふつうの接客をしてもらえないですか?」


「さようですか、でしたらわたしはそのように努力させていただきます」


 そう言って、店員はジャガイモをひどくゆがませた。心のゆがみが顔ににじみでているのだと思い、Yシャツを買って、はやいとこ店を出ようと思った。 


 わたしはイモ顔の店員に案内されて、店の奥へ歩いた。店員は半透明のアクリル板のうえから藤色のワイシャツをとり、わたしの上半身にあわせた。


「これなんかどうでしょうか? お客様の細長い顔にぴったりですよ」


 店員はわたしの顔に不出来な顔を近づけて、得意げに言った。男の吐息はニンニク臭かった。


「これはちょっと……」


 わたしはあっけにとられてしまった。白のワイシャツを探していると伝えたはずなのに、なぜ、この店員はトイレの芳香剤のようなワイシャツを選んだのだろう。


「では、これなんかどうですか?」


 店員はそう言い、すみれ色のワイシャツを手にとった。


「いや、それもちょっと……」


 わたしは眉をわずかにつりあげてしまった。こんな店員の態度をいちいち気にしていたら、むこうの思うつぼで、自分に対して恥をかくだけだと思った。


「そうですよね? そうですよね? 無地の白いワイシャツを探しているんでしたよね? すいません、もしかしたら、わたしの提案を取り入れてもらえるかと思ったんですよ。すいません」


 店員は悪魔のように大きな眼を弓なりにして笑い、自分に罰をあたえるように、手のひらで黄色い額を軽く叩いた。


「はあ、わかっているならいいんですが……」

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