第2話

 わたしは三日後の通夜に備えて喪服を用意することにした。押入れの衣装掛けに五年前に購入した黒の喪服がつるされていたが、だれかにもみくしゃにされたらしく、生気を失ってしわ枯れていた。重苦しいまでに威圧のある喪服だったはずが、いつのまにか老けこんでしまったようだ。


 昔、近所のドブ川のそばのあばら屋に、一人で生活する老婆を訪ねたことがあった。当時はわたしは、拝金主義に浸かりすぎたせいで人間に対する同情心を失ってしまい、仕事どころか生活が破綻しかけていた。生活の破綻は言うまでもなく精神の崩壊の表れであり、怠慢どころか過剰な労働の結果によるものだった。まわりの人はわたしに精神病院へ行ったほうがよいと勧めてくれたが、わたしは病院をまったく信用していなかった。目に見える外傷ならともかく、心の傷を医者に治せるのか疑問に思っていた。心の痛手は、痛みを知らない人間にとやかく言われると傷口を広げてしまう。もし治せる人がいるなら、その人は心の痛みを知っていて、なおかつ、わたしよりも深刻な傷を抱えた人だろう。損傷した箇所を消毒して、縫合すれば治るほど単純ではない。


 だからわたしは精神病院へは行かなかった。また、精神安定剤や睡眠薬を服用することもなかった。あれらは、病気になってから使用するのではなく、正常で健康な心身の状態でこそ効果を発揮するものだからだ。わたしは前々から服用をしていたが、精神に陰りがでてから服用するのをやめた。なぜなら、必要性を失ったからだ。


 そんな時、たまたま古本屋で五十円と安く買った本がわたしに多大な影響を与えた。自分の手に負えない物事に直面して、どうすることもできず、悩んだ場合は、人に相談せずに書物を読んだほうがよい。人に相談すればたいてい的外れな意見を返され、より困惑するだけだ。百人ならまだしも、数人に意見を求めるぐらいなら書物から解決の糸口を探すほうがよい。そのほうが物事の本質に近づける。


 本はプロシアの古い小説で、読解力の乏しいわたしには内容はあまりわからなかったが、その作品に登場する一人の少女の姿を思い描くことはできた。少女は父のいない困窮した家計をささえるために売春婦に身をおとし、自分の体を売り物とする俗悪な環境にいても、徳の高い人間性を汚すことなく保っていた。少女は西方の宗教の敬虔な信者であり、人を憐れむことができる人間だった。


 わたしはその少女にひどく感動して、さっそく自分もその少女のような人間になろうと決心した。決心したならただちに行動にうつさないといけない。わたしはインターネットで自分の住んでいる地域にあるボランティア団体を検索し、老人介護を専門とする“ドベルツカヤ”というNPO団体に的を絞った。


 わたしはさっそく電話連絡して、面接を受けた。面接管は三十代後半であろう、頭皮のはげた脂っぽい男で、水色の縦縞の入った白いYシャツの襟首は黄ばみがやけに目立っていた。


 男の説明では、団体は体の不自由な老人をサポートするような本格的介護団体ではなく、身寄りのない老人を対象に定期的に訪問して話を聞き、団体の催すイベントに参加させるよう促すのだった。イベントはお絵かき大会、けんだま大会、散文詩大会、紙ヒコーキ大会、また過去の自慢大会などがあった。


 わたしは年寄りを愚弄していると思ったが、団体の人は、イベントの名目はどんなものでもよく、要は、子供心と日々の孤独な生活のはけ口となるきっかけを餌に老人達を集めて、コミュニケーションをはからせるのが主な目的だ、と説明してくれた。孤独な老人達に必要なのは人とのつきあいで、人のつきあいなくして健全な生活は送ることはできず、人との会話は刺激をあたえ、生きる活力を沸きたたせる、だそうだ。わたしはそうは思わず、孤独こそ人生を人生たらしめる最も重要な要因だと言ったが、それは少数派の意見であり、たいていの人にとっては孤独は害を及ぼすものだと男は説明した。また、孤独と孤立はべつだとも言った。


 わたしはその男と価値観をぶつかりあわせるために面接を受けにきたわけではないので、途中から思考回路を停止させて、ただその男の話を聞くだけに専念した。わたしがするべきことは、男の話を聞き、摩擦を起こさずに団体に参加して、お年寄りをサポートすることだ。目的に到達する前にねばねばした石につまづくわけにはいかない。それに、わたしは少女の心が頭に残っていたので、慈愛の心で脂ぎった男をみつめた。


 そして、はじめて訪れたのがドブ川そばのあばら屋に住む老婆だった。わたしは、短い髪の毛をゼリー状の整髪料でツンツンに固めた青年と一緒だった。老人と会話をするのはその青年の役目で、わたしはその青年の動きを見て、一人で老人の相手をできるように学ぶわけであった。青年は浅黒い顔を輝かせていて、中途半端に肉付きのよい体躯がやけにインチキ臭さをかもしだしていた。わたしが正常に生活していたら、こんな青年と知り合い、行動を共にすることはないだろう。青年の首を巻きつける安っぽい金のネックレスを見て、金のネックレスに鎖はなくとも、見えない首輪につながれているのではないかと思った。しかし、そのときのわたしには慈愛の心が溢れていた。


 漆喰のはげた白茶色の一階建てのあばら屋は、触れれば毛虫の残り毛でかぶれそうな木々に囲まれ、色のくすんだ植木鉢をいくつも散乱させて、ドブ川の景観と相対していた。それはわたしの期待を奮わせた。初めての任務はこうでなくっちゃならない。貧民層の老人を相手に慈愛の心を持って接し、広漠して草木の生えていない心に愛という潤いの水を与え、老人に人生に対する希望を復活させる。小説の少女をありありと描いてしまい、おさえていた喜悦がわたしの顔に漏れだした。


 青年が応答できないチャイムだけのインターホンを押すと、のそのそと歩く不気味な音が薄い木戸の奥から聞こえた。わたしはゾンビでも現れるのではないかと思い、神聖なわたしの心で浄化してあげようと思った。木戸がすっとわずかに開いたので、わたしは銀のドアノブをつかんで、戸を引いた。ドアノブは油膜に覆われたようにヌルヌルしていた。


 長い白髪を透かしたホルマリン漬けのような白い頭皮が目にとびこみ、なま物の腐った臭いと糞尿臭さが戸口からはなたれ、出来の悪い小人が背を卑屈に丸めて立っていた。その小人は、笑いの基準を失ったように分別のない薄ら笑いを浮かべて、眼球がのぞけないほど目を細くし、顔全体を刻む数えきれないしわを震わせていた。


 とつぜん、わたしの胃の中身が逆流してしまい、耐えきれずに嗚咽した。茶色い合成革のサンダルを履く、色あせたさくら色の足に嘔吐物はとびかかり、老婆はびっくりして灰色のコンクリートに広がった黄色い汚物のうえに尻もちをついた。老婆は砂場で遊ぶ子供のように笑っていた。わたしは青年の怒声にふりかえりもせず、その場を走り去った。


 しわだらけの喪服はその老婆を思い起こさせた。わたしはあれから、あの老婆はなぜあんなにも愚劣だったのかいくども考えた。その理由をいろいろとみつけることはできたので、わたしは一つの理由を主とした。


 あの老婆は身寄りがなく、誰からも世話されることなく、世間から忘れ去られてしまったのだろう。それがあのえげつない臭いのあばら屋を熟成させ、老婆の体にこれ以上刻むことのできないしわをつくり、何に対しても笑いを覚えさせたのだろう。


 忘れられるのは寂しいことだ。それにしても、喪服がこれほどしわだらけになるのはなぜだろう? やはり、老婆と同じように着ることを忘れられていたから? だが、喪服を忘れるのは自分の身辺に悲報のない証拠だ。


 とにかく、早いとこクリーニングに出さないといけない。

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