空想日記

酒井小言

第1話

 何年も会っていない遠い友人ならまだしも、週に一度は顔をあわす気心の知れた友を失くすのは、悲しさと寂しさをおぼえるよりも、むしろ人生にたいする残酷なまでのあっけなさを感じさせる。


 わたしは幼いころからの友人であるカマキリの死を友人からの電話で聞いたとき、「ああ、あいつもとうとう亡くなったのか」と思い、通夜と告別式の日程を気にした。もちろん、どんなことがあっても出席するつもりだったが、チンパンジーの品種改良であるバンバンジーの劇の日に重なって欲しくなかった。


 バンバンジーは言葉を話すことはできないが、そのかわり体での表現に長けていて、なめらかな肢体の動きと人をこばかにした猿芝居はなかなかのものだった。人間のように長い年月を重ねて体を磨きあげるわけではなく、バンバンジーに組み込まれた遺伝子によって、生後一年で立派に舞台にのぼれるだけの体と技量を兼ね備えるのだった。馬がだれにも教えてもらわずに速く走れるように、バンバンジーは野生の力でもともと芸をする能力に秀でているのである。


 そんなバンバンジーにも血統があり、主役を演じる獣は代々決まっている。舞台のうえで一級品の証である空気をつくりだせるバンバンジーに、数十匹の雌と交尾させて、その生まれた子供を教育施設に集め、主役から離れた熟練の老バンバンジーと一緒に生活させる。人間は食べ物や生活する場所、設備、舞台を提供できるが、バンバンジーに芸を教えこむことはできない。バンバンジーの特質ゆえに、人間の言葉は理解できないどころか、理解しようともせず、まるで言うことを聞かない。芸は同種間で伝えるしかないのだ。


 老バンバンジーは最初、小さな子供達に平等に技を教えるが、半年もすると、数匹のバンバンジー以外にはなんら教えなくなる。才能のある子供だけ相手をして、他の子供にはなんら興味を示さず、近寄ってきた子供を容赦なく痛めつけて、限度をしらずに数匹を殺してしまうのだ。子供の死骸が施設にあらわれたら、別々に隔離する時期であり、将来有望である数匹と老バンバンジーを主役が生活する小屋に移動させて、残りの子供達は主役になれず脇役で生きてきたバンバンジーの部屋に移す。そして、それぞれの性質にあった芸を身につけていくのだ。


 わたしは前々からバンバンジーの舞台を生で観たかった。国営のテレビ局で放映されていた劇(そのときは“ラクダにオアシス”というバレエ)をたまたま観てから、バンバンジーの線の動きにすっかり魅了されてしまった。それから毎日、新聞のテレビ欄でバンバンジーの劇が放映されるのを確認して、約半年後に録画することに成功した。ハードディスクの容量を気にせず高画質で録画した劇(そのときは“アブサンとニガヨモギ”というバレエ)は、期待を上回る作品だった。甘美なまでに凝らされた舞台装飾と、毛むくじゃらのバンバンジーを覆うフォーマルな舞台衣装、そして人間にはけっして真似できない優雅な体の動き、半年待ち続けるだけのかいはあった。わたしは毎日その映像を観た。


 そういえば、カマキリにそのことを伝えたことがあった。


「おまえは変態だ!」とカマキリは言い、「ひどいもんだな、動物愛護主義者が節度をなくすと、おまえのようなオラウータンマニアになるんだな。気持ちわりい!」と、はっきりと言い放った。


 わたしは弁解してから、バンバンジーの魅力をさらに事細かに伝えると。


「おまえわかっているのか? おまえはな、シチュー色のミニチュアダックスフンドにスクール水着を着させて、『みて! みて! この子芸術じゃない?』とわめきちらす、独り身の中年男性よりもひどいんだぜ? めかしつけた猿の集団をながめて興奮しているんだ、まったくどうかしているぜ! それよりも、最近羽化したアミダ川のウスバカゲロウを見たか? ありゃ、この世の真実だぜ!」


 カマキリは虫にたいして異常な執着をもっていた。去年の夏、二人で近くの寺に日焼けしに行った時、カマキリは茶色のナナフシを見つけて、体のラインにぴったり貼りついた灰色のブリーフに、ナナフシと比にならない太さの股間を盛りあげていた。カマキリはそのことをまるで恥じるようすもないくせに、わたしがそのことを指摘すると、聞いてもいないのに、「ちがう! おれはナナフシを見て勃起したんじゃない!」と言った。


 わたしは虫には興味なかった。虫に性的興奮を覚えるカマキリの気が知れなかった。また、そんなカマキリにバンバンジーの劇をけなされるのはひどく不愉快だった。


 わたしにカマキリの死を伝えてくれた友人は、わたしの望みに反した通夜と告別式の日を教えてくれた。わたしは必ず出席すると伝えて、電話を切った。カマキリの死は、わたしにたいして遠慮なく、カマキリらしくふるまったのだ。

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