迷い花 月提灯

エリー.ファー

迷い花 月提灯

 僕の村の近くには、大きな森がある。

 それはあくまで僕にとっては、ということなのだろうか。大人にとっては所詮、林のようなものなのかもしれない。

 そのあたりは、僕は子供なので分からないけれど。

 とにかく。

 そんな森がある。

 この森は中に入ると二度と出られない、という噂があり、大人たちはできる限り近づかないように、といつも言ってくる。実際、大人も、子供たちも、何人かその森の中で行方不明になっているので、間違いはないのだろうけど。

 それでも。

 町にいる子供たち、つまりはそこに僕も入っているのだけれど。

 中に入りたいと思ってしまう。

 ある日、この村で一番年齢の大きいおばあさんが亡くなる、という噂を聞いた。

 おばあさんはいつも部屋の中に閉じこもっているから、そもそも、本当に生きているのか、いや、そんな人間がいるのかどうかすら怪しかった。

 僕はその日。

 そのおばあさんの家に忍び込んだ。

 姿を。

 見たのだ。

 ベッドで横たわるそれは、もう、何か朽ちた木のようで、どこか人間とはかけ離れた存在になっていた。おばあさんというよりも、おばあさんの形に彫られた一つの作品だった。

 重く、深い、闇の中に溶けているかのように瞼が開いている。

 目は、白くはない。

 灰色だった。

 だというのに、黒目だけはどこにあるのかがよく分かる。

 暗く汚れた色の中に埋もれていない。

 それ故に。

 こちらを見ていることが余計に際立つ。

「小さな森の中を歩いたことがあるかい。」

「え、あ、はい。あの、あの入っちゃいけない森ですか。」

「あの、森は普通の森だ。ルールがあるけどね。」

「ルールですか。」

「必ず、夜に入りなさい。花が咲いている方に向かって進めば幾らでも、森の中で迷うことができる。そして。月の方に向かって歩きなさい。」

「歩くと。」

「森の外に出られる。」

 おばあさんは、それから少しして亡くなった。

 自殺だった、と聞いた。

 僕はよく知らない。

 おばあさんが、僕に何故そのことを教えてくれたのか。

 僕はよく知らない。

 おばあさんのくれた森の秘密を、本来どう使うべきなのか。

 僕は。

 僕の知る限り、一番まともな使い方をした。

 そう。

 友達に自慢した。

 大人にはもちろん秘密。

 そう約束した夜のことだ。

「僕は、この森の中に入って外に出ることができるんだ。」

「嘘だ。」

「危ないからやめたほうがいいよ。」

「大丈夫、上手く行くって。」

「迷って死んじゃったやつもいるんだぜ。」

「だぜー。」

「大丈夫かよ。」

「かよー。」

「うん。待っててよ。」

 僕はそうやって、森の中に足を踏み入れる。

 そう。

 もちろん、月の出ている夜に。

 初めて入った森は、他の森となんら変わらなかった。木も、草も、土も、それこそ風も空間も、目に見えないものでさえ変わらなかった。ただ、おばあさんの言っていたその花だけが点々と咲いていた。

 僕はそれを追いかけるようにして歩みを進める。

 不思議な気分だった。

 ほぼ直線で歩いているはずなのに、森の端に行きつかない。ここまで歩けば間違いなく森の外に出ているはずなのに、体は未だ森の中。闇の中。木々の香りの中なのだ。

 僕は四分ほどの時間歩き続けてから、ふと空を見上げて月を探した。

 提灯のような、大きな月を探した。

 そして。

 右足を出し。

 左足を出し。

 十秒も経たないうちに外へと出られた。

 友達は驚いていた。

 僕はさも当たり前というような顔で笑ったけれど、内心、驚いていた。

 それから、何度も何度も行った。

 友達に尊敬されたかったし、この森の中の雰囲気も好きになっていたからだ。

 それから少ししたあたりだろう。

 友達のうちの一人と夜に釣りをして遊んでいる時。

 その友達の。

 右目が血飛沫とまとわりつく血管と共に大きく飛び散った。

 他国の騎士団がもうすぐそこにいた。

 僕は、逃げる。

 逃げて逃げて逃げて。

 血に染まる村を出て。

 あの森の中へと逃げる。

 花を追いかけて迷い込めば、森は僕にとっては要塞だ。月を見つければいつでも外に出ることはできるが、それを知らない騎士たちは迷うはずだ。

 騎士の足音が聞こえ、僕はより森の奥深くへと進む。

 直ぐに森の中の、ただ迷うだけでは踏み入れられない場所に逃げ込めた。

 安全だ。

 良かった。

 遠くに見えるのは赤い炎に黒い煙。

 燃え出す森は少しずつその炎を加速させることしかできていない。倒れる木々に、消えていく生き物の声。舞い落ちる葉が炎をまとって僕を囲う。

 どうにか。

 もう、外に出たい。

 体が燃えてしまう。

 けれど、明るくなりすぎた森の中では揺らめく火に隠れて夜空の月も見つからない。

 見つからない限りは迷い続けることになるこの森は。

 僕の右頬の肉がとろけて、露出した右の胸にくっついてしまっても。

 灰になった歯茎の内側で粉を振りまきながらひびを深くする骨が熱で鳴っても。

 右のくるぶしから千切れた肉と骨が地面を突き刺しても。

 迷い続けることをやめさせてはくれない。

「熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い。」

 燃え尽きることのないこの森は、もう何度目かの春を迎えている。

 

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