第46話 「おや、どうされましたか?」
〇神 千里
「おや、どうされましたか?」
店の前で待ち伏せしてた俺を見付けて、正宗さんは目を丸くした。
「…すみません。開店前に。」
「それはいいんですよ。ですが…確か明日はライヴでしたね?でしたら今日はお忙しいのでは?」
正宗さんは店のカギを開けながらそう言って。
「…ちょっと話がしたくて。」
「…では、中にどうぞ。」
俺を店に招き入れてくれた。
「今日は少し肌寒いですね。今暖房を入れます。」
正宗さんがカウンターに入って、エアコンのリモコンを操作する。
「あ、加湿器もつけておきましょうね。」
ゆっくりとした口調だが…てきぱきと行動を起こす正宗さん。
「お飲み物、何かお作り致しましょう。」
俺は、店に入ってから一度も俺の目を見ない正宗さんを…ずっと見ていた。
「…正宗さん。」
カウンター席に座って、正宗さんを呼んでも…
「はい。」
彼の視線は上がらない。
「俺と…昔、会いましたね?」
ここに来た理由を明かさない事には…話が進まない。
俺はストレートに切り出した。
「昔…昔と言いますと?」
視線は上げないまま、正宗さんは手元で飲み物を作っている。
「…俺が…まだガキの頃です。」
「……生姜湯です。ハチミツ入り。どうぞ。」
「……」
目の前に湯呑を出されて…俺はそれを手にした。
「…『正宗さん』って名前は…ここで聞いたんじゃない。昔…じーさんの屋敷で聞いた。」
「……」
「だが、あの頃より前の記憶が…俺にはない。」
正宗さんが、ゆっくりと…視線を上げた。
そして、俺と目が合うと…
「…思い出したいのですか?」
少しだけ、首を傾げて…そう言った。
「…俺に…何があった?」
「……」
「……」
「……」
「知ってるなら…教えて欲しい。」
俺は決して視線を外さなかった。
明日はライヴ本番。
今日はそのリハーサルだ。
だが…こんな気持ちじゃ歌えやしない。
そう思った俺は…
誰にも言わずにリハをサボって、朝から、じーさんの屋敷に行った。
今も離れに篠田の息子の
それぞれ国内や海外に住処を持った両親や兄弟が集まる時だけ、使われる。
だが…俺は、何かがあるたびに、通ってしまうんだ。
あそこには…広い庭の日当たりのいい場所に、じーさんと篠田の墓が並んでいる。
写真でしか見た事のない、若い頃に亡くなった俺のばーさんは…別な場所で、さぞかしヤキモチをやいている事だろう。
今日も朝から墓参りに行った。
じーさんと篠田の墓を背に、屋敷を眺めた。
「……」
俺の一番古い記憶は…何だ?
屋敷を眺めながら…目を細めてみる。
俺が15の時までは…生まれ育った家があった。
だが俺は、その家があっても…大半をここで過ごしていた…はずだ。
あの家の事を思い出そうとすると、なぜか眉間にしわが寄る。
何かこう…まぶしくなるというか…
10歳の時の記憶は…何となくある。
参観日に親父がいなくて…『どうせ誰も来ない』って諦めから、みんなが時々後ろを振り返る中…俺だけは前を向いていた。
…華音と咲華もそうだったな…
俺は子供達の参観日に…一度しか行かなかった。
親父がそうしてたから…じゃない。
ただ単に、学校に行きたくなかったからだ。
いつからの記憶がないんだろう…
…カンナ…
『ちーちゃん』って、あまり呼ばれたくない名前で…いつも俺の周りをウロウロしてたよな。
親父同士が仕事仲間。
思えばカンナも寂しい奴だった。
「……」
篠田の墓石を振り返る。
俺は…篠田がいてくれたから…
…寂しくなんかなかったな。
「……真実は…」
ふいに正宗さんが口を開いた。
「時として、死に至るほどの毒にもなりかねます。」
「……」
時として…死に至るほどの毒…
「…それは、俺の過去が俺にとって…死にたくなるほどの毒って事か?」
「……」
普段の正宗さんは…いつも静かな笑顔の人だが。
今は、初めてと言っていいほど…表情がない。
「あなたは…とてもお優しい方です。」
「……」
そんな事あるか。
心の中で毒気付いた。
俺は…いつだって人を傷付けて…泣かせてきた。
「その優しさゆえに…起きた事がありました。」
「…やっぱり…何か知ってるんだな?」
「……あなたが9歳の時。」
「……」
つい…背筋が伸びた。
そして、膝の上で握った両手に…力が入った。
「おじいさまである、神 幸作氏に…あまり良くない噂が立ちました。」
「…そんなの、じーさんには死ぬまで立ってたぜ?」
「あなたが、幸作氏と高級クラブの女性との間に生まれた子だという噂です。」
「…………は?」
「つまり、あなたは…あなたのお父様である神 千尋氏とは、親子ほど歳の離れた弟であるという噂です。」
「………バカな。」
呆れた。
呆れて笑いたくなったが…
「そして、幸作氏の政治家としての立場を気にされた千尋氏が、自分の五男坊として養子にした…と。」
「……」
いつもなら…腹を抱えて笑う話だ。
だが笑えないのは…
正宗さんが、ずっと…表情を見せないから。
「その事で…あなたは学校で酷いイジメを受けられました。」
「…イジメ…?」
「はい。教室に閉じ込められたり、荷物を隠されたり捨てられたり…ですがそれを誰にも打ち明けず登校されていたそうです。」
「…そんな話、正宗さんはどこで?」
「すべてではありませんが…幸作氏の執事からお聞きしました。」
「篠田から…?」
眉間にしわが寄った。
篠田から…って…
「でも、篠田も別に学校にまでくっついて来てたわけじゃないだろ。俺が誰にも話してなかったなら…」
「東様が気付かれたようです。」
「……」
アズ…?
確かに…アズは俺と一緒にいたが…
四年の時、あいつとはクラスが離れてた。
って事は…
三年の時も違うクラスだったはず。
あの学校は、二学年ごとにクラスが替わった。
…最初の二年は…
分からない。
「東様は、幸作氏の屋敷によく遊びに行かれていたので、篠田氏にそれとなく相談されたそうです。」
「……」
「篠田氏は学校に、事実確認をして欲しいと。」
まるで…他人の話を聞いているようだ。
これは本当に、俺の身に起きた話なのか?
「すると、担任がストレートに『このクラスでイジメが起きているのか』と。それで…よりイジメが酷くなり…」
「……」
「ある日、あなたは学校帰りに…階段から突き落とされたのです。」
「……え?」
「その時に頭を打たれて…記憶を失われました。」
「……」
「私は…以前、脳神経の…記憶をつかさどる部分を学んでいた事があり、何度かこちらに通って下さっていた篠田氏に…『坊ちゃまを診て欲しい』と言われて…お会いしました。」
「…じーさんの屋敷で…か?」
「はい。ですが…何も手が尽くせず…申し訳ない限りです。」
「……」
俺は…口を開けてポカンとしてしまったかもしれない。
なぜなら…
何も思い出せないのに、モヤモヤとした霧の向こう側に見えていた物と、今目の前で話された事が…
全く違っていたからだ。
「…アズはこの事を…全部覚えてるのかな…」
俺が独り言のようにつぶやくと。
「覚えてらっしゃるとは思いますが…東様も当時酷くショックを受けられておられたので…」
正宗さんは、初めて…伏し目がちに切なそうな表情を浮かべて…首を横に振った。
「ああ…そう言えば…」
「?」
「東様の左腕に、傷が残っていませんか?」
「…傷…?」
「あなたを助けようとして、彼もまた…傷だらけになっていたのですよ。」
「……」
思いがけない言葉…だが、どこか思い当たる気もして…
「アズが…」
自分の足元を見て…必死で記憶を手繰り寄せる。
あいつはいつも…俺のそばにいてくれた。
鬱陶しいぐらいに。
俺がライヴ前なのにいなくなった時も、『見ーつけた』なんて言いながら…
「見ーつけた。」
「……」
その声に振り返ると、アズがいた。
「やっぱここだったよー。もー、リハーサル舐めてない?」
「……」
俺が無言で見てると、アズは俺の隣に座って。
「あ、まだ今からリハーサルあるから、お酒はなしで……って、これ何?お茶?」
湯呑の中を確かめた。
「いらっしゃいませ。生姜湯でございます。」
「あっ、温まっていいね。俺もそれください。」
「かしこまりました。」
正宗さんが湯呑を取り出す。
「健ちゃん怒ってたよー?戻ったら謝った方がいいよ。」
アズが俺に顔を近付けて小声で言った。
どんなに小声で言った所で、カウンター席の俺らの声は、正宗さんに丸聞こえだ。
「知花ちゃんと何かあった?ん?」
「…なんで知花?」
ふいに夕べの事を思い出して、胸がツキンと痛んだ。
知花…あいつ…傷付いたよな…
「だって、神がいなくなる時って、いっつも知花ちゃんの事で悩んだ時じゃん?」
「……」
頬杖をついて、アズを見る。
「最近事務所でも一緒にいる所見かけないから、どうしたんだろーって思ってたんだけど…どーなのさ。」
…ん?
こいつ…知らないのか?
確かに俺は…里中にしか言ってないが…瞳は何も言ってないのか?
「…今、あいつとは別居してて…」
頬杖をついたまま、手の平に向かってしゃべるみたいにボソボソと言うと…
「べっ別居ぉ!?」
アズは、目が落ちるんじゃないかってほど驚いて席を立ちあがって。
「なななななななななんでーっ!?神が浮気とかあり得ないから!!」
大声で叫んだ。
むしろおまえの発想の方があり得ねー。
「誰が浮気だ。アホ。」
「じじじゃあ何で!?」
「…色々あんだよ。」
「別れたり…」
「しねーよ。」
「はあああああ……良かった……でも…なんでさ…」
アズはぐったりして椅子に座ると。
「あんなに仲良かったのに、別居なんて…おかしいじゃん…あ、どうもです。」
正宗さんが出してくれた生姜湯を一口飲んだ。
「……再生のため…って感じかな。」
俺も残った生姜湯を飲んでそう言うと。
「再生…いいですね。もうそこには未来への夢と希望しかありません。」
正宗さんが…いつもの柔らかい笑顔でそう言った。
「…アズ。」
「んー?」
生姜湯を飲み干して…アズと店を出た。
リハの気分じゃないが…歌わなきゃいけない気にはなった。
「俺が…イジメられた頃の事、覚えてるか?」
ポケットに手を入れて、足元を見ながら問いかけると。
「え?」
アズは少し驚いたような顔で俺を見た。
「…覚えてたの?」
「いや…人から聞いた。」
「…知花ちゃん?」
「…やっぱ知花に話したのか。」
「あっ……カマかけた?」
「…ふっ…」
そしてアズは…足元から視線を上げない俺に合わせたのかー…
自分も足元を見たまま、話し始めた。
「あったねー…今思えば短い期間だったけど、あの頃で思うと一生続いちゃうんじゃないかって…気が気じゃなかったよ。」
アズの吐く息が白い。
今夜は冷えるらしい。
「人間って怖いよね。誰かの噂を鵜呑みにして、みんなで攻撃し始めるとそれが当たり前になっちゃってさ。」
「……」
「俺、あの時、なんで神と同じクラスじゃないんだろうって、すっげーヤキモキした。」
「なんで。」
俺が足元を見たままそっけなく言うと。
「神が俺に何も話してくれないからだよ。」
アズは俺を見て…そう言った。
ゆっくりとアズを見ると、唇を尖らせて俺を見てる。
「ほんっと、もどかしかった。助けてって言って欲しかったのにさ。いつだって『なんでもない』って笑ってさ…」
「…笑ってた?俺が?」
「笑ってたよ。『アズは心配症だなあ』ってさ。心配するっつーの。」
「……」
今なら、俺をいじめた奴は半殺し状態だと思うが…
あの頃の俺は、弱気なガキだったんだろうか。
それとも、あれをキッカケに…荒れたんだろうか。
自分の中のガキの頃の思い出と言えば、誰かに何かを言われて殴りかかったり…
とにかく、親や篠田に謝りに行かせてばかりだった気がする。
…あの頃はアズとも少し疎遠になったな…
俺は…誰も信用してなかった。
…出来なくなってたのか…。
『なああああにやってたんだあぁぁあ!!』
キーーーン。
里中の怒鳴り声が、ホールに響き渡った。
アズと会場入りして、みんなに謝罪した。
リハの時間内ではあるが…心配かけた事には違いない。
『おまえ、自分の立場考えろーーー!!ボケがああぁぁ!!!』
里中の、愛さえ感じる怒鳴りに鼻で笑う。
『悪かった。一度で完璧に済ませる。』
ステージ上からマイクを持ってそう言うと。
「おー、言うてくれるやん。」
朝霧さんがギターを担ぎ直して言った。
「年寄は早く寝たいんだから、ほんとに一度で終わらせろよ?」
こんな時だけ自分を年寄と言うナオトさん。
「まったく…連絡ぐらいしろよな…」
ブツブツ言いながらスティックを回す京介。
「……特に何もありません。」
唇は尖らせてるが…文句は言えないであろう映。
そして…
「さー、やるよやるよ。」
半袖のTシャツに着替えてまで、どれだけやる気なんだ…ってみんなに笑われるアズ。
「……」
俺はアズの左腕に残る傷を見付けて…小さくため息をついた。
本当はそれだけが真実じゃないって、分かってる。
だけど…
過去は、どうでもいい。
『じゃ、SEから』
里中の声と共に、ステージが暗転してSEが流れ始めた。
未来は夢と希望だけ…か。
本当にそうだとしたら…
サイコーだな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます