第47話 『神がリハをサボって行き着けのバーに行ってたよー。』
〇桐生院知花
『神がリハをサボって行き着けのバーに行ってたよー。今度会ったら叱ってやって』
「……」
あたしは…そのアズさんからのLINEを何度も読んだ。
千里が…リハをサボって…行き着けのバーに行ってた…!?
誰よりも仕事にうるさい千里が!?
そう思うと、夕べの事が原因なのかな…って気になり始めて。
アズさんに、なんて返信しよう…って悩んでると。
『さっき連れて帰って、今から最終のリハ。また後で報告するね』
少しホッとするような文章と…
『大丈夫!!(スタンプ)』
もう少し…ホッと出来るスタンプが届いた。
今日、あたしはオフで…久しぶりにオタク部屋に行った。
すると…みんなすごく真面目に仕事してて。
あ、今までも真面目だったけど、今までよりもっともっと細心の注意を払って仕事してて。
なんて言うか…気持ち良かった。
何かキッカケでもあったのかな…って思ってると。
本間君が。
「昨日、神さんがここに来られたんですよ。」
って…意外な言葉。
「え?何しに?」
「里中さんの仕事場が見たいって。」
「…へえ…」
夕べ、里中さんの話題は出たけど…オタク部屋の事は言わなかったなあ。
ただ…
里中さんのセンスは褒めてた。
「それで…作業台や解体したアンプなんかを見られて…里中さんの事、尊敬してるって言われて。」
「……」
あたしは少し、目を大きく開け過ぎたかもしれない。
夕べ、千里が里中さんを褒めただけでも珍しいって思ったのに…
…尊敬してる…?
千里がそんな事言ったのって…
Deep Redの皆さんの事ぐらいかも…
しかも里中さんは千里と同じ歳。
千里が同じ歳の人の事、そんな風に思うのは…意外かも。
でも、その話を聞いて…少し落ち込んでた気持ちが晴れた。
千里…ちゃんと変わってるんだ…って。
夕べの事は、きっと…タイミングが悪かっただけ。
ライヴ前だもん…
あたしも触れずにいれば良かったのに…
…うん。
少し早めにオタク部屋を出て、B-Lホールの前を通った。
ここは去年ビートランドが買い取って、リニューアルオープンしたコンサートホール。
SHE'S-HE'Sみたいに…素性を明かしてないバンドは事務所にあるホールしか使えなかったけど…
ここは他の事務所のアーティストも、もちろんビートランドのアーティストも使う。
ここには特殊な機能も備えてあるから、今回のF'sみたいに世界中継も簡単に話が進められる。
ネット配信もされるから…本当に世界中の人達が、F'sの音楽に触れる事が出来る。
…そのうち、あたし達も…ここで出来るかな…
小々森商店さんで買い物をして家に帰ると、咲華とリズちゃんがいた。
起きてる時は、空腹の時以外いつもゴキゲンなリズちゃん。
鈴のような笑い声に、本当に癒された。
咲華と晩御飯の支度をしてると、海さんが帰って来て。
リズちゃんをお風呂に入れて来るって、咲華と二人してお風呂に。
ああ…幸せそうだな…って思うと、温かい気持ちになった。
そこへ…
アズさんから…千里がリハをサボったLINE。
…とりあえず…
アズさんからの続報を待とう。
それまでは…あたしは、あたしの生活を…。
「ただいまー。」
「ただいま。」
「ただいまっ。」
裏口から、続々とみんなが帰って来た。
「おかえりー。」
父さん以外はみんな帰って来て、にぎやかな晩御飯になった我が家。
「じーさんもリハに付き合ってんの?」
華音が母さんにそう問いかけると。
「なっちゃんは、ゼブラさんの家に行ってるの。」
母さんは少し頬を膨らませて言った。
「…拗ねてるの?」
母さんの顔を覗き込む。
「だって、男だけの集まりだって言うのよ?」
「…朝霧さんとナオトさんは、F'sのリハよね?」
「ええ。だから、ミツグさんと臼井さんと、四人で。」
「四人…」
「臼井さん、F's脱退した途端、年寄の仲間入りみたいな扱いされてるな。」
「こら、華音。」
「なっちゃんに言いつけてやるー。」
「あ、嘘。次のラジオの話消されちゃマズイから、内緒にしといて。」
「どーしよーかなー。」
「ばーちゃん…頼むよ…」
「あはは。ノン君、よえー。」
母さんと華音と聖のやりとりを聞きながら、みんな笑ってるんだけど…あたしには、母さんが寂しそうに見えた。
やっと想いが通じ合って…結婚した二人。
ほんと…仲良し。
だけど、仕事なんかで離れるのは仕方のない事だけど…
母さんは、それでも極力父さんと一緒にいようとしてる。
残された時間なんて、誰にも分からない。
それが病気であっても健康であっても。
明日なんて…誰にも分からない。
なのにあたしは、自ら時間を無駄にした。
大事な…千里との時間…
「お義母さん、ちょっと…いいですか?」
食後、みんなで果物を食べて。
それぞれ部屋に戻ったり、お風呂に入ったりして大部屋がまばらになって来た頃。
海さんに声をかけられた。
海さんに『お義母さん』って呼ばれるの…ちょっと照れくさいけど、嬉しいな。
「なあに?」
海さんは部屋を振り返って、華音と咲華が並んでテレビを見てるのを見た後…
「…お義母さんの部屋でも…構いませんか?」
とても…とてもとても、小さな声で言った。
「何?」
あたしの部屋に入ると、海さんはすぐに正座して。
「実は…お義父さんの事で、お話があります。」
咲華の前では見せないような…少し厳しい顔をした。
「…千里の事?」
「はい。」
「……」
海さんの迫力に押されて、あたしも正座をする。
「…お義父さんに、昔の記憶がない事は…ご存知ですか?」
「…どうして…海さんが?」
「ご存知なんですね。」
「…昨日…本人から聞かされたわ。」
「どういう風に…聞かれましたか?」
「…9歳以前の記憶がない…って。」
「……」
海さんは一度視線を落として、少し考え事をした後で。
「その当時に何があったか、お話になられましたか?」
ゆっくりとした口調で…言った。
「…千里は思い出せないって言ったけど、千里のバンドの人から…」
「東さんですね。」
「ええ…そう。東さんから、千里は9歳の時に酷いイジメを受けた…って。」
海さんは膝の上の握りしめてた両手を開くと。
「…これからお話しすることは…お義父さんも東さんもご存知ない事です。」
また…真剣な顔に戻って。
「もしかしたら、知らない方がいいと思われるかもしれませんが、お義母さんには知っておいていただきたいと思うので…話させてください。」
低い声で…そう言った。
「…知らない方がいい…って、思うような事?」
「…お義父さんの記憶は戻りません。」
「…え?」
「それが約束なので。お義父さんは、一生それを知らないままです。」
「約束…?」
「はい。」
その『約束』が誰との約束なのか…海さんは言わなかった。
…順序があるのかもしれないと思って、あたしも今は聞かない事にした。
「……なのに…あたしは知っておいたほうがいいの?」
「その方が対処出来るかと。」
「対処…」
何が何だか…分からないけど…
あたしは、それを知っていいんだろうか。
千里の過去を知って、あたしは…彼にそれを悟られずにいられるだろうか。
「…知りたくないですか?」
「…すぐ顔に出るから…彼にもバレてしまうかも…」
昨日、アズさんから聞いた事だって…バレてしまったし…
「強い気持ちを持って下さい。」
「…強い気持ち…」
「神千里を守れるのは、自分だけだ、と。」
「……」
海さんの目は真剣だった。
それを見たあたしは…思った。
今までのあたしには…足りなかった。
千里にじゃない。
あたしに、足りなかったんだ。
『守る』…って気持ちが。
「今夜、お義父さんは…『プラチナ』というお店に行かれました。」
「…東さんから、連絡がありました。仕事サボって行き着けのバーに行ってた…って。」
「そこで…自分の過去を聞かれたそうです。」
「……え?」
どうして…『プラチナ』で?
あたしも昔、一度だけ…
あのお店に連れて行ってもらった事がある。
まこちゃんと鈴亜ちゃんの仲を取り持つ飲み会。
もう…ずっと昔の事。
「なぜ…あそこで自分の過去を?」
あたしが不思議そうな顔で問いかけると、海さんは一度目を伏せた後…
「あそこにいるバーテンダーは、二階堂の者です。」
ゆっくりと目を開けると同時に、そう言った。
「……」
バーテンダーさん…
あたしは一度しか行ってないし…
すぐ酔っぱらってしまったから…覚えてないけど…
「…それで…?」
「お義父さん…」
海さんは少し考えるような顔をした後、小さく咳払いをして。
「すみません…今はお義父さんを『神さん』と呼ばせていただきます。」
そう言った。
「バーテンダーは、神さんが記憶を失くされたのは、9歳の時に学校でいじめられて階段から突き落とされた事が原因だ、と話したそうです。」
「……」
確かに…
アズさんは、千里がいじめられてた…って言った。
酷かった…って。
だけど、その後…
『二週間ぐらい休んで登校した時には別人だった』とも…。
「東さんも真相はご存知ありません。」
「…真相…」
胸が…おかしな具合に逸り始めた。
「神さんは…幼い頃から、幾度となく誘拐未遂に遭っておられます。」
「……え?」
「祖父は通産大臣。父親は貿易商として各国の富豪や政界の大物に精通した人物。」
「……」
あまりの驚きに、声が出なかった。
「元々、桜花自体が富裕層ですからね…その幼稚舎の生徒なら誰しも狙われる可能性はあります。」
そう言われると、色々思い当たる節はある。
桜花の幼稚舎には、大げさなほど相当数の防犯カメラや警備システムが装備されている。
「その中でも、神さんはエリート中のエリート。悪党たちが目を付けないわけがない。」
…千里が幼い頃を過ごした実家は見た事ないけど…おじい様のお屋敷は、確かに…すごかった。
それに、ご両親が拠点とされているイタリアのお屋敷も…まるでリゾートホテル並みだ。
「桜花から他の保育園に移ったのは、それがキッカケなの?」
「はい。皮肉な事に、転園先はセキュリティもお粗末なバリアフリー具合だったにも関わらず、何事も起きなかったそうです。」
そうか…
だとすると、本当に金銭目当てに富裕層を狙っていたって事になる。
…誘拐なんて…許せない。
「その後は、何の問題もなく過ごされていたはずなのですが…」
「……」
「9歳の時、イジメに遭われました。」
千里なら…やり返してしまいそうなもんだけど…
あたしがそう思ってると。
「そのイジメがキッカケとなったのか、何度も誘拐未遂に遭った記憶が蘇り、誰の事も信用できない、と…神さんは心を閉ざしてしまったそうです。」
「……」
「それで…篠田さんから、正宗さんに依頼があったんです。辛い記憶を消して欲しい…と。」
「……記憶を…消す…?」
「二階堂では…秘密組織ゆえに、時として記憶を消さなくてはならない事がありました。それを知っていらっしゃった篠田さんが…切望されて。」
「……」
記憶を消すなんて…そんな事が出来るの…?っていう疑いと、もしそれが本当に出来るとして…
一個人の記憶を勝手に消すなんて…許されるのだろうか。という思い…
だけど…何度も誘拐されかけた事…
どれだけ恐怖だっただろう…。
篠田さんは、イジメによって歪んだ千里の気持ちを…どうにかしたかったのかもしれない。
「神さんには、階段から落ちて記憶がなくなった…という説明がされています。」
「…そう…」
何だか頭の中が混乱して、何が正しいのか分からなくなってしまってると。
「…しっかりして下さい。」
ふいに、海さんがあたしの手を握った。
「っ…」
「先にも言ったように…神千里を守れるのは自分だけだ、と。」
「……」
「自覚して下さい。」
…そうだ。
千里を守れるのは…あたしだけ。
何が正しくて何が悪いかなんて…今は関係ない。
千里の、過去に起きてしまった出来事。
今、千里がそれに苦しめられてるのだとしたら…
あたしは、守るだけ。
彼を。
そして…
あたしたちの、未来を…。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます