第56話 「……大丈夫かよ。」
〇桐生院知花
「……大丈夫かよ。」
華音が心配そうに顔を覗き込む。
あたしは…千里の歌を…泣かずに聴く事が出来なくて。
『Trying Not To Love You』の途中から、顔を上げる事が出来なかった。
それでも時々、涙を拭いて顔を上げると…
ギターソロの間、見えるはずないのに…千里がここを見上げてて。
目が合ってるような気もして。
胸が…おかしくなりそうだった。
あたし…どうして離れたりしたんだろう?
どうして離れたいって思ったんだろう?
好きになり過ぎるのが、まるで自分だけみたいな気でいた。
すごく不公平な両想いだ…なんて。
長年夫婦をしてるのに、子供達だって成長したのに。
あたしが…一番子供だ。
『こんな流れでラストの曲か』
千里がそう言うと、客席からは『えーっ!?ラスト!?』って悲鳴が上がった。
『…今日は年寄が二人いるからな…』
『おいおいおいおいおいおい』
『年寄扱いすんなや』
ナオトさんと朝霧さんが千里に突っ込みを入れると。
『ほないこか』
千里は真顔で朝霧さんの真似をした。
『えっ』とか『うわー…神どーしたー?』とか…
笑いと戸惑いの混じった反応に、千里は首を傾げて前髪をかきあげると。
『俺の物真似はウケない事が分かった。二度とやらない』
そう言ってギターを持ち直して。
『いい加減歌わせてくれ』
メンバーを振り返って言った。
『おまえが延ばしたんやないか』
『ははっ。それは失礼』
『いつでもいいぜ』
『じゃ…』
千里はアコースティックギターのボリュームを上げて…少しだけ弾き始めた。
『…最後は、みんなきっと聴いてくれてる…あの曲を』
客席からは、その千里が弾いてるコードで…何の曲が分かって…歓声が上がる。
そして…
『この曲も、誰でもない…俺の大事な嫁さんに作った歌だ』
「………え?」
『知花』
千里があたしの方を見て名前を呼んで。
それにつられて…華音と沙都ちゃんと曽根君があたしを見たからか…
周りもみんな、あたしに注目した。
『今まで、ずっとこの曲はおまえのために歌って来た』
「……」
『だけど今夜は…SHE'S-HE'Sのメンバー全員に捧げたい』
「千里…」
『Never Gonna Be Alone』
今まで…ずっとあたしの…ために?
この曲は…
みんなに感謝するために…って…
千里の視線は、ずっとあたしにあった。
あたしも…千里から目が離せなくて…
さっき歌ってくれた二曲も夢みたいな歌だったのに…
この…あたしが大好きな歌も…?
あたしのためだったの…?
今夜はSHE'S-HE'Sに捧げるって言ってくれたのが…すごく嬉しかった。
嬉しくて…
嬉しくて…
涙が止まらなくて…
「…リストバンド、きれーだな。」
華音が一階を見下ろして言った。
今まで曲ごとに統一に色を変えてたリストバンドが、この曲だけ…色んな色になってる。
「あれって、SHE'S-HE'Sの色じゃない?」
沙都ちゃんが、色を数えて言った。
「え…」
確かに…赤・青・緑・ピンク・白・黄色・オレンジ…
「七色も選べば、たまたまそうなるって。」
華音は笑ったけど…
あたしには…F'sがそうしてくれたようにしか思えなかった。
…千里。
あたし…頑張る。
SHE'S-HE'Sも…妻としても…母としても…
あなたを愛すること…
絶対やめない。
あなたこそ…
覚悟してね。
〇桐生院 聖
『Never Gonna Be Alone』
親父が歌い始めたのは、この春発売されたF'sの大ヒット曲。
あー…この歌好きだぜ…
隣にいる華月は、バラードからこっち…泣きっぱなし。
それを時々詩生が小さく笑いながら袖で拭いてる。
…幸せそうだなー…
咲華が海さんと結婚した。
よりによって…泉の兄貴だぜ。
こっちは忘れようとしてるのに…嫌でも気になるよな。
あいつが…今どうしてるか…とか。
一言『泉はどこに?』って聞けば。
分かっちまうんだからな…
……聞かねーけど。
雲の流れほどゆっくりじゃない
共に生きて来た時間は足音も消えて
心の奥底に灯る大切なこと
消えるはずもないからと言葉にできないまま
躓く日も一人にはしないから
どうか信じて欲しい
永遠に
決して一人じゃないから
灼熱の行方は誰も知らない
それでもここにいる事を誇りに思う
大事にしたい物は意外と
指の隙間から漏れる光ほど儚かったりもする
諦めた日も一人にはしないから
どうか顔を上げて
永遠に
決して一人じゃないから
明日が来るなんて分からないけど
思うままに行けばいいんだ
振り返りたければそれもいい
今日が最後の日でも ありのままで居ればいい
躓く日も一人にはしないから
どうか信じて欲しい
未来を
『明日も分からないクセに』って笑うか?
躓く日も一人にはしないから
どうか信じて欲しい
永遠に
決して一人じゃないから
「…あれ?」
親父が3コーラス目を歌い始めて、華月が声を上げた。
「歌詞…違うよね?」
「…SHE'S-HE'S用に変えたんじゃねーかな。」
この歌の3コーラス目は、最初に戻るから、訳詞も1コーラス目の物が映されてて。
スタッフが慌てて…それを消した。
「…母さん、この曲を『みんなへの感謝の歌だ』って言ってたけど…どこを聴いてそう思ってたのかな…」
華月が涙を拭いながら、首を傾げた。
「…結局、姉ちゃんは真っ向勝負な歌詞じゃねーと、気付かないって事なんだよ。」
「…鈍いなあ。」
そう言った華月を、向こうから詩生が首をすくめて小さく笑った。
親父は…ほんっっっっと…姉ちゃんの事が好きだな。
間近にあんな熱い夫婦がいて…
母さんと桐生院の父さんは、なんつーか…友人みたいな夫婦だったけど…
高原の父さんと再婚してからの母さんは、俺と同じ年ぐらいじゃねーの?って笑いたくなるぐらい、可愛い。
そんなわけで、俺の周りには…いい雰囲気の夫婦がいるわけで。
そういうのを目の当たりにしてたら、当然…結婚にも憧れる。
決して一人じゃないから…か。
確かにな。
別れたけど、今も俺は…泉の幸せとか健康とか…仕事を無事に終えるようにとか…
勝手にそういうの願っちまう。
知られてなくても、誰かにそう願われたり祈られたりするのって、一人じゃねーよな…
…届いてるかどうかは分からねーけど。
泉は…きっと元気だ。
俺の祈りのおかげで。
…俺も、そんなささやかな想いで…
自分を奮い立たせてる。
…一人じゃない。
ずっと、泉が…
胸にいる。
『おまえらも歌え!!』
親父がそう言って、マイクスタンドを客席に向ける。
サビの大合唱になって、鳥肌が立った。
華月が肩を組んで来て、俺もそれに応えると。
右隣の知らない男からも肩を組まれた。
…ははっ…
ほんと…
この瞬間、全然…一人なんかじゃねーよな。
…で。
親父は絶対、姉ちゃんが世界に出ても…
一人になんかしねーよ。
姉ちゃん。
我が姉ながら…
いい男見付けたな。って…
本気で思うぜ。
〇神 千里
『Never Gonna Be Alone』のサビは…大合唱になった。
客席には、色とりどりのリストバンド。
それまでの曲では、曲のテーマに沿って色を決めてて。
オープニングはゴールド、二曲目は紫、三曲目は黄色…と、その曲ごとに色を変えたが。
最後の曲は…SHE'S-HE'Sのカラーにした。
あいつら、メディアには出てないクセに…グッズだけは充実してやがる。
ま、その辺は高原さんの商戦。
いつだったか…もう昔だが、あいつらのミニライヴで作ったTシャツを、そのまま個々のカラーにした。
陸が黄色、朝霧は青。
まこちゃんは緑で、早乙女は白、聖子はピンクで、一昨年加入した瞳はオレンジ。
そして…知花が赤。
俺としては…俺の知ってる知花は赤なんかじゃねーんだけどな。
でも、歌う知花は赤だと思う。
炎よりも深く濃い、赤。
普段の知花は…ふわっとしてて、とてもじゃねーけどビビッドなイメージとはほど遠い。
だが…それは俺の中でだけ、そうだったのかもしれない。
知花自体は…ずっと『赤』だったのかもしれねーな…
そんなSHE'S-HE'Sカラーに埋まった客席。
あそこに居るのは…早乙女か。
おまえみたいなのっぽがそんなに手を高く上げてちゃ、後ろの奴らに迷惑だろーが。
…ふっ。
ギターソロの間、俺は視線を知花から会場全体に移した。
なんで…泣いてる?朝霧。
見えてねーと思うんだろーが。
見えてるっつーの。
おまえー…相変わらず感激屋だな。
…次の早乙女との飲みには、朝霧も誘ってやろう。
いや…
あいつを呼んだら、陸もまこちゃんも誘わなきゃだな。
ま、こうなったら全員だな。
まとめてプラチナで祝杯だ。
みんなに、エールを。
…らしくねー事をした。
だが…
客席のあちこちに見えるSHE'S-HE'Sのメンバー。
急遽スタッフ側に回ってる陸を含めて…みんなに。
本当に、頑張って欲しいと心から思ってる。
ソロが終わって、俺は再び…二階を見上げる。
…知花。
おまえ、この歌は俺がみんなに感謝を伝えた曲だ…って。
なんで、そんな事思ったんだ?
俺に、そう思って欲しかったのか?
感謝出来る人間でいて欲しい…って?
そんなの…
いつだってしてるさ。
だが、足りねーんだろーな…。
欲張りな女め。
大サビを全員で繰り返して歌って。
名残惜しいが…エンディングを迎えた。
今日はアンコールの枠は取らなかった。
中継もこれで終わる。
『Thank You!!』
そう言って高く手を上げると、会場は大きな歓声に包まれた。
京介がドラムセットから降りて、右手を高く上げてステージ袖に向かう。
ナオトさんも朝霧さんも…アズも映も、それぞれ客席に手を振ったり、拳を上げたりして袖に向かった。
…俺は、二階を見上げる。
俺からは見えてねーと思ってるんだろうな。
バッチリ見えてるぜ?
両手で顔なんて隠すな。
「アンコール!!」
「アンコール!!」
客席から、アンコールの声が響く。
「どうする?出て挨拶だけするか?」
ナオトさんがそう言うと。
「中継、あと二分らしいから、挨拶ぐらいは間に合うかも?」
タオルで汗を拭きながらアズが答えた。
『F's、アンコールに応えろって』
ふいに…イヤモニに里中の声が聞こえた。
「は?」
「え?」
みんなで反対側の袖にいる里中を見る。
『って、高原さんからの要望』
「……」
「……」
「……」
全員で顔を見合わせた。
高原さんの要望…な。
「なら、あれやるか。」
「せなや。」
「マジっすか…」
「高原さん、モニタールームにいるんですよね…?」
「見せてやろーじゃん。」
「一応中継終わり用に挨拶だけ…」
各々そんな事を言いながら、次の瞬間…
「行くで。」
朝霧さんの笑顔に。
「よっしゃ。」
「おう。」
「行きましょ。」
「よし。」
「はい。」
ステージに駆け出した。
途端に、それまで以上の大歓声。
俺達はステージの中央に一列に並ぶと、手を繋ぎ合って両手を高く上にあげた。
「えー!?終わり!?」
「まだ聴きたいー!!」
「アンコール!!アンコール!!」
客席からは、そんな叫び声が。
スクリーンを振り返ると、中継が終わりを告げる所で。
俺達が客席に手を振ってる映像の下に『END』と文字が出た。
「……」
「…やるか。」
「おう。」
俺はマイクを手にして。
『中継は終わったが、ここにいるおまえらに特別聴かせてやるぜ!!』
叫んだ。
「そうこなくちゃー!!」
「きゃー!!無理して来た甲斐あるー!!」
「もう死んでもいいー!!」
『まだ死ぬなよ。今からぶっ飛ぶんだからな』
客席からの声に俺がそう答えると、会場は笑いと『一緒にぶっ飛ぶ!!』って声で埋まった。
それぞれが定位置につく。
俺はギターを持たずに、マイクスタンドをブームからストレートに換えると。
『おまえら、まだまだイケるだろ!?』
そう言って客席にマイクを向けた。
大歓声が返って来て…この快感を、知花も味わうんだ…と思うと泣きたい気持ちになった。
やっと…やっとだ。
あいつらが、こんな快感と感動の中で演奏する日が…来るんだ。
マジで…
自慢でしかねーよ。
『おまえら、熱いよな!!』
うおー!!って気持ちのいい大歓声。
『燃えてるよな!!燃え尽きるまでイクぜ!!Burn!!』
俺のタイトルコールで、その大歓声はさらに大きな悲鳴に変わった。
スタッフに回ってた陸とガクが、ステージ袖に走って来てるのが見える。
中継も終わったし、おまえらも存分に楽しめ。
モニタールームでは、義母さんが両手を上げて飛び跳ねてて。
高原さんは…『やられた』って顔してる。
俺は…あなたを超える事は出来ないかもしれないけど。
一生付いて行く覚悟はしてるつもりです。
離されない。
そうすればいつか…
超える事は出来なくても。
並ぶ事は…
出来るかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます