第55話 あたしは今日…複雑な気持ちで…ここに座ってる。

 〇東 朝子


 あたしは今日…複雑な気持ちで…ここに座ってる。

 ここ。

 F'sのライヴが行われてる…B-Lホールの…映側の席。


 あまり前だと耳が辛いからって、真ん中より少し後ろ目に取ってもらった。

 ここだと、照明の当たり具合もよく見えて…

 映が必死で弾いてたり、感情移入してたりするのがよく見えて…いい。



 …お兄ちゃんが咲華さんと別れて…仕事が上手くいかなくなって…

 現場に出る事も控えて、事務仕事をしたりしてて…

 あたしは、あれから一度も…会えてない。

 母さんは『志麻には時間が必要だから』って…


 …分かるけど…

 あたし、何もできないのかな…。


 そりゃあ、長い間待たせたお兄ちゃんが悪い。

 分かってる。

 だけど…どうして相手が海君なの…?



 あたしが悶々とステージを観ていると、映と目が合った…ような気がした。

 こんな距離じゃ見えない…よね?

 そう思うのに、映はずっとこっちを見てる。


「……」


 いけない。

 あたし、せっかくの映の晴れ舞台を…こんな気持ちで…

 ボーカルが咲華さんのお父さんだからって…関係ないよ。


 神千里さんは…映の事、厳しく育ててくれてる人。

 映がすごく…尊敬して止まない人。

 …ちゃんと…集中しなくちゃ。


 今日はスクリーンに訳詞も出てて、あたしはステージとそれを観ながらライヴを楽しんだ。

 映、DEEBEEの時とは全然違う弾き方なんだな…

 だけど、なんて言うか…無理してる感じがない。

 何も知らないあたしが思うのも、失礼かもしれないけど…



『今から歌う三曲は、たった一人…俺の大事な嫁のために書いた曲だ』


 神さんがそう言って、少し静かめなイントロが流れて来た。

 今まで少しハードな曲だったから、あたしは手首につけた光るリストバンドをボンヤリ眺めながら…そのイントロを聴いた。


 歌詞は…

 訳詞を見ると、何だか…奥さんとケンカされてたのかな…?って。

 …こんなに長く夫婦でいる人たちだって、こんなに思い悩む事があるんだ…


「……」


 あたしだって…海君と紅美ちゃんを引き離した。

 海君の優しさを受け入れられずに…傷付けた。

 気持ちなんて、形のない物…咲華さんは…二年以上それだけを信じて待ってた。

 …待つだけは…辛い。

 あたしだって、海君を待ち続けて…くじけたじゃない。


 ラヴソングの一曲目が終わって、二曲目はピアノで始まった。


『Far Away』


 神さんがタイトルを言って、歌い始める。

 あたしは、目を閉じてそのラヴソングを聴いた。


 …いつか…

 海君と咲華さんを心から祝える日が…来るといいな。




 気付けないでいた

 長い時間おまえに待たせたまま

 もしかすると手遅れかもしれない

 だけどチャンスが欲しい…まだ間に合うなら


 愛してるんだ あの頃と変わらず ずっと

 分かってると思ってた

 触れる事で伝わっていると


 だけどそうじゃないなら 新しい方法を探す

 そのどれかをおまえが受け入れてくれるまで

 そばにいたい

 こんなにおまえが遠いなんて

 死んでしまいそうだ



 これで分かったろ?

 俺はとても弱い男なんだと

 それでもまだ望みがあるのなら

 もう一度チャンスを…もう一度だけ


 愛してるんだ あの頃と変わらず ずっと

 分かり合えてると思ってた

 触れる事で伝わっていると


 お願いだから『愛してる』と言ってくれ

 一人じゃ何も出来ない情けない男さ

 そばにいたい

 こんなにおまえが遠いなんて

 死んでしまいそうだ



 愛してるんだ あの頃と変わらず ずっと

 これからも永遠に隣で

 夢を見ていられると思ってた


 優しく抱きしめてくれ もう離さないと

 こんな俺で良ければ今すぐおまえに会いに行く

 そばにいたい

 こんなにおまえが遠いなんて

 死んでしまいそうだ




 〇浅香聖子


「…………」


 あたしは…隣にいる瞳さんと、周りの目も気にせず号泣してる。

 ま…周りも同じぐらい泣いてるけどね…


 だって。

 神さん…


「…なんか…今までの千里と違うよね…」


 二曲目のラヴソングが終わったところで、瞳さんが小さくつぶやいた。


「何があっても弱い所は見せなかったのに…かなりぶっちゃけてる歌詞ね…」


 あたしも…鼻水をすすりながら言った。

 とても…とても、気持ちを露わにしてる歌詞だと思った。


 知花…聴いてる?

 ちゃんと届いたよね?



『F'sのライヴなのに、思い切り私用だな』


 神さんがそう言いながらギターを交換して。


『ホンマやな。ま、ボーカルの特権やないんかな』


 朝霧さんが笑う。


『いや…朝霧さんも何かあれば、一言どうぞ』


『一言かい』


『歌いますか?』


『歌わへんけど。圭司、なんかあるんやったら、チャンスやで?』


『はっ?俺?ええええ…』


 朝霧さんに話を振られたアズさんは、少し大げさに戸惑った後…


『それって、奥さんにって事?んー…最後まで観てってね。終わったら、打ち上げおいで』


 こっちを見て、ニッコリ笑って言った。

 隣では瞳さんが首をすくめて…涙で赤くなった目をほころばせた。


『おまえ、何の報告だよ………ナオトさん、何かありますか?』


 神さんがナオトさんを振り返る。


『俺?俺か…今日、うちの嫁はテレビで見てるからな…風邪ひくなよ?終わったらすぐ帰るから待ってな~』


 ナオトさんがそう言って手を振る姿がスクリーンに映し出された。


『なんや、打ち上げ出えへんの?』


『マノン、少しは健康気遣え』


『俺、まだまだ元気やもん』


『こんなフリートークしてどーするんですか』


『ははっ、ホンマや。あ、映は嫁さん来てるんやろ?あっちばっか見てるし。あの辺か?』


 朝霧さんがそう言って探す仕草をすると、映はベースを弾きながら…

 さっき神さんが歌ったばかりの『Far Away』のサビを歌った。


『おおお…』


 ってみんなが声を揃えて言って。


『おまえ、歌いたいなら言えよ。ギターぐらい弾いてやったのに』


 神さんが笑いながらギターを弾き始めた。


『いやっ…いやいやいやいや…恐れ多いです』


『ははは。映、千里の歌い方にダメ出し…と』


『違いますって~!!』


『この流れで次の曲かよ…』


 神さんがマイクの前でギターを構え直して言うと…


『おいおいおいおい…俺には聞かねーのかよ!!』


 京介が叫んだ。

 あはははははって会場が大爆笑。


「お約束だなー。」


 周りから、そんな声が。


 もう…ライヴのたびにこうやってからかわれる。

 京介って、自分で気付いてないのかな。

 …実はいじられキャラだ…って。


『じゃ、言えよ』


 神さんのそっけない言葉に。


『うっ…』


 京介はタジタジ。


 …だよね~…

 人前で喋れないクセに、自分も喋りたそうに言うからよ!!

 バカねえ…


『言えるかなー?京介頑張れー』


『……』


 アズさんの声援を受けて、ゴクリと生唾を飲んだ後。

 京介は…


『うちの嫁は…春から忙しくなる』


 低い声でつぶやいた。


「はっ!?」


 つい叫んでしまって、慌てて両手で口を覆う。


『……』


 神さんはマイクの前に無言で立ったまま…それを聞いてる。


『うちの嫁だけじゃない。神の嫁も、アズの嫁もだ』


『うちとナオトの息子もなー』


 朝霧さんの突っ込みに。


『あっ、そうですそうです…みんなの身内が…春から忙しくなる』


 ど…どうしちゃったの?

 なんでそんな事…ステージで喋ってんの?

 これ、F'sのライヴだよ!?



『春には…本当は存在しないんじゃないかって言われてるSHE'S-HE'Sが、始動する』


 一気に…会場がどよめいた。


「…えっ!?SHE'S-HE'Sって…あの…!?」


「マジで!?」


「え?え?みんなの身内って…?」


 次々とそんな言葉が飛び交い始めて、客席は少しにぎやかになって来たけど…


『俺は』


 京介のセリフで…再び静かになった。


『ずっとメディアに出ずにやって来た嫁さん達がいたから、俺らもこうして…安心してF'sをやって来れた』


 京介…そんな風に思ってくれてたんだ…?


『それが…あいつらが動き始めると、俺らはどーなんのかなー…なんて、情けない事、少し思った』


「……」


 そっか…

 京介、それに関しては何も言わなかったからさ…

 あたし、勝手に『頑張れよ』って声援だけを真に受けて…

 京介の気持ち、全然汲もうとしなかった。


『だから、さっき神が歌った…情けねー男の歌。あれの気持ちがさ、俺にもよくわかる』


「…嬉しいね、聖子。」


 瞳さんに肘で突かれて…何だか照れくさくなった。


『だけど、たぶん…神もアズも、みんなもそうだと思うけど、自慢でしかねーんだ』


 京介がそう言うと、アズさんが振り返って拍手をして。

 それにつられたように、映と朝霧さんとナオトさんも。

 神さんは…


『まったくな。自慢でしかねーよ。なのにずっとメディアに出なくて…もったいない事したよな』


 そう言ってマイクの位置を直して…


『あいつらがどこに出ようが、俺達は全力で応援するだけだ』


「……」


 知花。

 あんたの旦那、やっぱ間違いなく…あんたの最愛の男で、あんたの…一番のファンよ。


 早く…

 早く、気付いて。

 あんた達、誰よりも…相思相愛だ…って。

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