第49話 「……」
〇高原さくら
「……」
あたしは出された柚子サワーを飲みながら。
頭の中で、みんなの関係図を展開していた。
「…じゃあ、千里さんは…志麻さんのお母さまともイトコなのね…」
口元に指を当ててつぶやくと。
「そうですね。」
正宗さんは、無理をしていない声…
父親の甲斐正義さんに、そっくりな声で言った。
「東家の方も、この事は誰も知りません。志麻の事は甥として、心の中でそっと注目していましたが…私はこれからも彼らを静かに見守って応援するだけです。」
その正宗さんの言葉を聞いて。
「…海が…本当にすみません。」
環さんが立ち上がって、正宗さんにお辞儀した。
え?何?と思ったけど…
…確か海さん…許嫁だった朝子さんと破局。
志麻さんと婚約してた咲華と結婚。
はっ。
「あ…あたしからも…すみません…」
あたしも立ち上がってお辞儀すると。
「おやめ下さいよ。」
正宗さんは小さく笑いながら。
「海坊ちゃんは、運命を切り開かれたんです。」
何だか…ホッとするような言葉を言われて、あたしと環さんは顔を見合わせて座った。
「ところで…」
やっと…本題に入ろうと背筋を伸ばしたけど。
正宗さんは、そんなのとっくに気付いてたみたいで…
「千里さんの記憶の事ですね?」
首を傾げて…柔らかく笑った。
「あ…はい…それです…」
「少し長い話になりますが、よろしいですか?」
「…はい。」
小さく深呼吸をしてコクコクと頷くと、正宗さんは『私も一杯いただきます』って言いながら、ウォッカを入れた。
三人で乾杯して、一息ついてから…
その話は始まった。
千里さんのおじい様、神 幸作さんの執事で、正宗さんの伯父さんである篠田文雄さん。
篠田さんは二階堂の生まれだけど、小さな頃は体が弱くて。
弟である甲斐正義さんが産まれた時、自分は甲斐家の長男として二階堂に仕えるのは無理と考え、すべてを弟の正義さんに託した。
その時、篠田さんはまだ六歳。
そんな幼い頃から、自分の行く末を決断するなんて…
二階堂の人間が、自分の人生にどれだけの覚悟を持っていたか…。
…夢のために二階堂を捨てた自分が、何だか…とても小さな人間のように思えてしまった。
それから、篠田さんが10歳の時に…千里さんのお母さんである優子さんが生まれて。
その優子さんもまた…三歳の時の適応検査で、二階堂を外れる事が決まった。
篠田さんは『甲斐』の姓を捨て、別の世界で生きる事を決意。
優子さんも…『甲斐優子』ではあっても、二階堂の存在は知らないまま育てられた。
今でこそなくなったらしいけど…昔の二階堂では、こんな家族はたくさんいたそうだ。
「篠田さんは、執事としてとても優秀な方でした。」
人間嫌いで有名だったらしい神 幸作さん。
彼が…篠田さんを死ぬまでずっとそばに置いて、お墓も隣に並べて欲しいと言った事を知った政界の人達は、みんな『信じられない』と口をそろえて言ったって聞いた。
いつも、千里さんの子供達にメロメロになってらっしゃった幸作さん。
まあ…見た目はとても怖い…感じではあったけど…優しい方だった。
人間嫌いになってしまうほどの事があったのだろうけど、あたしから見ると…千里さんや、その子供達をとても可愛がって愛されていたように思う。
家族の間に何があったのかは知らないけど…
千里さんのお父様は、全然イタリアから帰って来られなかった。
そして、千里さんのご兄弟も…めったに集まる事がなくて。
あの大きなお屋敷に、いつも一人でいるのは…寂しかっただろうな…
だからこそ、篠田さんの存在は大きかったと思う。
「篠田さんがここを訪れた時、私は彼を一目見て…その笑顔に目を細めました。見事なまでに隙がなかったからです。」
「隙が無い…」
それはー…あたしもここに入ってからずっと、正宗さんに感じてる事でもあった。
表情がなかったり、笑顔だけど本当はどうなのか分からなかったり。
確かに、二階堂の人は隙が無い。
その中でも、正宗さんはかなりの人だと思えるのに…
その正宗さんにそう言わせる篠田さん。
あたしは…見抜けなかったな。
今思えば、だけど…見事に隠し切られてたって事だよ。
あの、穏やかな雰囲気に。
「幼少期の千里さんは、優しくて人懐っこく笑顔の可愛らしい誰にも愛される子供さんだったそうです。」
「…今のイメージで言うと、ちょっと意外な感じもします。」
いや…優しい人だけどね?
だけど、人懐っこくて笑顔の可愛らしい……
うーん…
ごめん、千里さん。
想像出来ない。
「千里さんは四歳の時に二度、五歳の時に三度、誘拐されかかったそうです。」
「えっ。」
突然始まった不穏な話に、あたしは目を見開いた。
隣にいる環さんを見ると、静かに瞼を伏せて小さく頷いてる。
「ゆ…誘拐って…」
「どれも篠田さんが未遂に終わらせたそうです。」
「篠田さん、優秀…!!」
「でしょう?」
どことなく自慢そうな正宗さん。
「だけど…どうしてそんなに何度も?」
あたしは首を傾げて、顎に指を当てた。
だって…いくらターゲットにされやすいって言っても、そんなに一人の子供が何度も狙われちゃうもの?
「彼を狙っていたのは…厄介な組織だったんです。」
そう答えたのは、環さんだった。
「厄介な組織…?」
「ええ。」
「……」
…なんだろう。
これ以上聞かない方がいい。って雰囲気…。
…でも気になるよー!!
「…そうですよね。」
何も言ってないのに、正宗さんは小さく笑いながら環さんに同意を求めて。
「二階堂の血を引く者として、ターゲットにされていたのです。」
あたしの目を見て、少し早口に言った。
「……それって。」
背中が粟立った気がした。
二階堂の血を引く者。
千里さんのお母様は、適性検査で不適正とされたのに…?
「でも、それなら…千里さんのすぐ上のお兄様なんて、IQ高くて…」
「ええ。彼も何度か誘拐されかけましたが…千秋さんの場合は組織が寄越した犯人グループよりも頭が良かったので。」
「あ…そうなんだ…」
…すごいな。
千秋さん。
「犯人グループは、六歳未満の二階堂の血を引く者を誘拐していました。」
「どうして年齢制限が?」
「人間凶器として育て上げるには、早い内からの洗脳が必要です。」
「……」
人間凶器…
さらりと出て来た恐ろしいワードに、あたしは少しだけ背筋が伸びた。
…そもそも…
「二階堂の血を引く者を欲しがる組織って…?」
どちらにともなく問いかけた。
あたしの問いかけに、環さんは。
「…世界中にいますよ。」
グラスの氷を揺らせて言った。
「…世界中に?」
「ええ。残念ながら…我々が把握している組織は、ほんの一握りです。奴らは水面下に根を張り、色んな手段で人員を増やしていく。」
「……そんな輩に…千里さんは目を付けられていたって事?」
考えるとゾッとした。
今ある幸せが、もしかしたら…存在しない可能性があったなんて…
「千里さん、年長の時に一般の保育園に移ったって聞いたけど、それって何か関係あるの?」
「ええ。あおば保育園は一般と見せかけてますが、職員全員が二階堂なんです。」
「え…ええっ…?」
「もっと早くに転園をと篠田さんは助言されていたようですが…父親である千尋氏が桜花にこだわられて。」
「そうなんだ…」
千里さんのお母様は、自分が二階堂の出だと知らない。
って事は…お父様も知らないはずだよね。
だとしたら、断然桜花の方が安全だって思っちゃうよね…
あそこは昔からセキュリティすごいし。
「千里さんが六歳を迎えられて、組織から狙われる心配はなくなりました。ですが…」
正宗さんが小さく溜息を吐く。
それは、当時を思い出して胸を傷めているように思えた。
「幼少期の誘拐未遂が尾を引いて、幸作氏は千里さんを屋敷に置きたがりました。それが他の兄弟との溝を深める事に。そして九歳の時…」
上のお兄さん二人は海外。
幸介さんは15歳で…翌年からはご両親が主に滞在されていたイタリアに行く事を希望してて。
千秋さんも10歳でありながら、すでに世界に出たいと考えていたようで…
「五人兄弟とは言えども、千里さんは一人だけ違う学校に通われていたので…いつも一人だったイメージです。」
…うん。
千里さんって、一人っ子ってイメージがあった。
性格的な事じゃなくて、何となく…イメージ。
「その頃、突然…幸作氏のゴシップが湧いて出ました。」
「ゴシップ…?」
「千里さんは、幸作氏と高級クラブの女性との間に出来た子供だ、と。」
「……」
つい、目を細めて口元を歪めた。
政治家に敵は多いだろうけど…
なんて…なんてお粗末なゴシップ…
しかも、いたいけな子供を巻き込むなんて最低!!
「屋敷にマスコミが詰めかけるようになり、千里さんは窮屈な生活を強いられるようになりました。」
「…一ついいですか?」
「はい。」
「
千里さんの幼馴染。
彼はいつだって、千里さんのそばにいる。
でも…
圭司さんは二階堂の人間って感じじゃないなあ~…
「東さんの父親は、二階堂の人間でした。」
「…父親、は?」
「はい。」
「……」
て事は…圭司さん、養子だったのか…。
一般人に紛れ込むために、家族を作る。
それも…二階堂のやり方の一つ。
「東さんには、千里さんのヒーローになるよう…常に千里さんと行動を共にし助けて欲しいと父親から指示を出してました。」
「確かに…圭司さん、昔からずっと一緒だったって。」
「ええ。本当に…よく一緒にいてくださいました。」
だけど三年生になって、千里さんと圭司さんのクラスが分かれてしまった。
「クラスは離れても、二人はほぼ毎日一緒に居ました。それこそ夏休みも。ですが…そのマスコミのせいで二人が一緒にいる時間は激減してしまったのです。」
「……」
それって、もしかして…作戦だったのかな。
ターゲットは幸作さんと見せかけて…千里さん、ずっと狙われてたんじゃ…?
「…お察しの通りですよ。」
正宗さんにそう言われて、あたしはハッと顔を上げた。
「えっ、そういうのまで視えちゃうんですか?」
「さくら様は顔に出てしまいますからね。視えるというより、分かりますよ。」
「……」
正宗さんの優しい笑顔に、あたしは笑うしかなかった。
隣では環さんが、何だか似合わないオレンジジュースを飲んでる。
「ほとんど外出出来ないまま夏休みが明け、千里さんは…クラス内の空気が変わってる事に気が付きます。」
「……」
「幸作氏のゴシップの事で、いじめが始まったのです。」
「いじめ…」
千里さんがいじめられる側だなんて…ちょっと想像つかない。
だって本当…ドSだもん。
千里さんは、いじめられてる事を誰にも言わなかった。
クラスもいじめる事で結束してしまい…誰も庇わなかったし、助ける事もしなかった。
それまで千里さんは明るくて優しいその性格から、男女問わず人気のある生徒で。
困ってるクラスメイトを常に助けて来たにも関わらず…誰にも…助けてもらえなかった…。
「ですが、それに気付いた東さんが…千里さんに問いただします。」
『クラスで何か起きてるんじゃ?』
『大丈夫だよ。』
何があっても…笑顔で答える千里さん。
圭司さんは、篠田さんに相談をした。
学校で何かが起きてる、と。
そして、篠田さんがそれを学校に確認した事で…いじめはさらに大きくなった。
「それでも千里さんは耐えてらしたようです。一生続くことじゃないから、と。」
「9歳の子供が…どうしてそこまで我慢しなきゃいけなかったの?」
「…ご家族の事を色々言われていたようで。それを知られたくなかったのでしょう。」
「もう…千里さん…バカなんだから…」
もし、あたしがそこにいたら…この子は何も関係ないじゃないって、止めたかった。
どうして…誰一人…
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