第50話 「そんな時、また…千里さんに誘拐未遂事件が起きました。」

 〇高原さくら


「そんな時、また…千里さんに誘拐未遂事件が起きました。」


「えっ。」


「六歳を過ぎているという事で、もう連れ去られる事はないと踏んだ大人たちのミスです。」


 正宗さんが淡々と語る。


「ですが、それについては例の組織の関与はなく、ただ単に金銭目当てのグループによる犯行でした。」


「未遂に終わった…って事は、その件も篠田さんが?」


「いえ、千秋さんが食い止めたそうです。」


「そうなんだ…良かった…」


 あたしの小さなつぶやきに、正宗さんと環さんが少しだけ切なそうに目を伏せた。

 あれ…なんで…?


 あたしが二人を交互に見ると


「その事件には…三男の幸介氏が関わったとされています。」


「…え…ええっ?」


「真実は今も明らかにされておりません。幸介氏が関与した形跡はないものの、犯人側が幸介氏の名前を上げ、ご本人もそれを認めた…と。」


「…本人が…認めた…?」


「…はい。」


 正宗さんはやりきれないと言った風に、小さく溜息を吐いた。


「そしてそれを…千里さんは知ってしまったのです。」


「……」



 犯人側から名前を上げられた幸介さんに、篠田さんと幸作さんが真実を問いただすと。


 千里なんて、ただ愛想と顔がいいだけじゃないか。

 生まれなきゃ良かったんだ。

 千秋も邪魔だけど、あいつは頭が良くて自慢の弟だ。

 でも千里は違う。

 ただ笑ってるだけだ。

 僕が愛される分まで愛されるなんて、ズル過ぎる。


 幸介さんは…怒りに震えながら、そう言ったそうだ。


 幸介さんの…長年に渡る鬱憤を聞いた幸作さんは激怒したけど、篠田さんは強く同情した。

 幸介さんは…愛情に飢えてたのだ…と。


 翌年留学を控えてた幸介さんを絶縁だと言い張る幸作さんに…泣いて許しを求めた篠田さん。

 それには話を聞いたご両親も涙して、元はと言えば自分達が…と。

 五人も子供を作っておいて、仕事でほったらかしたせいだ…と。


 そして…運悪く、その会話を知った千里さんは…殻に閉じこもってしまった。

 実の兄に陥れられた事。

 殺したいと思われるほど、憎まれていた事を知って…誰とも口をきかなくなった。


 幸作さんは、幸介さんを決まっていた留学先に前倒しで行かせた。

『二度と帰って来るな』と言い放って。

 それほどの事をしたのだ、と。


 そして、事件から千里さんを守ったはずの千秋さんは…

『僕が誘拐するなら、完全犯罪にするけどね』と口にした事から…

 好きな所へ行け、と…幸作さんから言われ、心外ではあったようだけど…

 日本での研究に飽きてたからちょうどいい。と強がり。

 まだ10歳なのに…泣きながら、それでも両親の拠点に近い場所を選んで旅立った。



 そうして…千里さんは一人になった。


 千里さんが心配でならなかった篠田さんは、正宗さんを屋敷に呼んで。

『坊ちゃまの辛い記憶を消して欲しい』と頼まれたそうだ。

『その』記憶だけを消すのは…とても難しい。

 結局は、幼い頃の記憶のほとんどが消えてしまう。


 だが、まだ9歳。

 これから楽しい思い出をたくさん作ればいい。


 そして…正宗さんは、千里さんの記憶を消した。

 絶対に、思い出させないという約束の元…

 そして、もし何かがキッカケで思い出すような事があれば…

 また、消すという約束で。


 記憶を消された後の千里さんは…少し様子が変わっていた。

 無口になり、あの笑顔も消え…優しさは変わらずあったが、表に出さない。

 人の輪に入る事もなくなった。



 久しぶりに学校に行くと、いじめはまだ収束を迎えてはいなかったが…

 千里さんは机の中にあったゴミを確認して、机を蹴り飛ばした。


『…誰がやった』


 それまで、周りが何をしてもおとなしくされるがままだった千里さんは…豹変した。

 一人ずつの胸元を掴み、誰がやったかを聞き出し…主犯格の男子生徒を、馬乗りになって殴った。


 当然母親の優子さんが呼び出されて、相手の親を前に謝罪したが…

『神、ずっとそいつにいじめられてたんだよ』という圭司さんの告白で…立場は変わった。


 暴力は良くないとしても、それまでに受けた執拗ないじめに、よくないと思いつつ加担していたクラスメイト達が次々に告白を始めた事で…千里さんの暴力は忘れられた。

 何も把握してなかった担任も含め、クラス全員が千里さんに謝罪した。


 だけど千里さんは…許さなかった。

 いじめられた事を…覚えていないのに。


 机の中にゴミが入ってた。

 その一度の事を、許せなかった。

 彼は…変わってしまった…


 ように、思えた。



「実際彼は…変わってはいませんでした。優しく、寂しがり屋のまま。」


「……」


 正宗さんは、切なそうに首を振りながら笑う。


「あの事件は、幸介さんの妬みが原因ですが…幸介さんがそうなってしまった原因というのは、ご両親にも幸作氏にもありますからね…」


 それで…なのかな…

 千里さんと知花の結婚式の日、幸介さんは遅れてやって来て…

 式場の庭で、幸作さんと長い間話してた。


 …多感な時期に一人で海外に行かされた事、幸介さん…もしかして根に持ってたりするのかな…

 幸作さんのお葬式にも来なかったもん…



「篠田さんは、ずっと千里さんの味方でした。飲酒出来る年齢になった時、ここを東さんに勧めたのも彼です。」


 千里さんは…ずっと、篠田さんと…圭司さん…そして、正宗さんに守られてたんだなあ…


「記憶は消しても…感情の奥底に根付いた悲しみや寂しさは、残ってしまったのかもしれませんね。私の視る彼は…とても優しい人間なのに…いつも孤独でした。」


「…千里さん、確かに優しい。あたしの娘の事も、すごく愛してくれる。でも…なんだろ…いつも二人の間に距離って言うか、溝みたいな物を感じちゃう。」


 あたしがグラスの氷をカランと鳴らしながら言うと。


「それは…千里さんが人を信じるのが怖い…と、心のどこかで強くバリアを張っているせいかもしれませんね。」


 正宗さんは、小さく頷いて言った。


「そっか…そんな事があったら…いくら記憶を消されてても、不信感っていう強いものは残ってそうだよね。本当はうちみたいな大家族…嫌だったかなあ…」


「……」


「何?」


 隣にいる環さんが、一瞬笑ったような気がして問いかけると。


「あ、いや…人に対する強い不信感は、常に奥底に残ってしまっているのでしょうが…彼は、根っから人が好きなんだと思います。」


 ちょっと意外な言葉が返って来た。


「…根っから好きなように見える?どっちかと言うと…人間嫌いに思えない?」


「見た目からはそう感じられるかもしれませんが…話すとすぐに分かりますよ。」


「……」


 嬉しくなった。

 環さん…分かってくれてるんだ。


「…口を開けば失礼な事ばっかり言っちゃうし、偉そうだし…」


 あたしがそう言うと。


「年上だろうが関係なくタメ口で。」


 環さんも笑いながらそう言って。


「それでも…誰よりも人との繋がりを求めたり大事にしている…そんな人ですね。」


 正宗さんも…静かに笑った。




「…知花は大丈夫そうか?」


 なっちゃんがあたしの頭を撫でながら言う。


「うん…きっと大丈夫。」


 だって…正宗さんも言ってた。


 千里さんは、誰よりも人との繋がりを求めてる…って。

 知花がその手を離さない限り…千里さんから離す事はない。



「明日…千里さんの歌、楽しみだな…」


 あたしが小さくつぶやくと。


「…あまり俺の前で褒めまくるなよ?」


 なっちゃんは唇を尖らせて。


「いくら娘の婿だと言っても、俺は妬くぞ。」


 あたしをギュっと抱きしめて…そう言った。



 …千里さんの子供の頃の話…

 ちょっと、色々腑に落ちない。

 そう思ったあたしを、正宗さんは視たのかな。


 …だけど、今はもういいんだよね。

 そんな話。

 今は…千里さんが、ステージで歌い切る事が出来れば。

 知花と…また、仲のいい二人に戻ってくれれば。


 …うん。


 いいんだよね。

 みんながそれぞれ、その瞬間に幸せを感じる事が出来れば…。



 〇神 千里


 予告通り、最後のリハを一発で決めて。

 朝から電源を落としたままにしてたスマホを手にする。


 たぶんこれ起動したら…みんなからの着信があるんだろーなー。


 …当たり前だな。

 俺はスケジュールをすっぽかしたんだ。

 まあ…結果みんなに集中させて短時間で済ませる事が出来たんだから、よしとしてもらいたい所だが。



 案の定、アズと里中と京介…朝霧さんナオトさんから着信。

 LINEも山ほど。

 その中に、知花からの物もあった。

 夕べ来たのに…俺はそれを開かないままでいる。


「……」


 一番に見たいクセに、他の物から開いた。


 アズ『どこ行ってんのかなー?』


 アズ『リハ始まっちゃうよー』


 アズ『捕まえに行っちゃうよ』


 京介『おまえバカかよ。電源入れたらすぐ連絡しろ』


 京介『マジムカつく。里中は機嫌わりーし。いい加減にしろよ』


 朝霧さん『どこ行ってるん?』


 華月『今日リハって何時までかな。明日のスケジュール教えて』


 聖『明日頑張れよー』


 瞳『明日、圭司と映をよろしくね。もうあたしが緊張してる…』


 里中『おまえフザケんなよ』


 華音『今夜ぐらい帰って来たらどーだよ。言いにくいなら俺から言ってみるけど』


 そして、家族のLINEグループに。


 咲華『画像(海と義母さん)』


 高原さん『いい度胸だ。起きて待ってろ』


「…ふっ。」


 高原さん、これマジでヤキモチか?

 だとしたら、俺以上だぜ?


「……」


 そう言いながら…

 画像の海をマジマジと眺める。

 …こいつ、いい男だな。

 で、もしこれが知花だとしたら…


「…俺も妬くな…こりゃ。」


 小さく笑った。



 ロビーの椅子に座って、返信を始める。


 華音に『遠慮しとく(スタンプ)』


 華月に『画像(明日のスケジュール)』


 聖に『ありがとにゃー(スタンプ)』


 瞳に『やべぇぞ…(スタンプ)』を送って…


 家族のグループには…

 ま、これでいいか。

 送信…と。


「……」


 それから、やっと…知花のLINEを開いた。

 そこには、紫色の花の写真。


 ……自分で言うのも何だが。

 花には詳しくない。


 俺は検索アプリで花図鑑を探すと、並んだ花の写真から…


「…これか。」


『ア』から始まる名前だった事もあって、それはすぐに見つかった。

 アネモネ。


「……」


 花言葉は、あなたを信じて待っています。


 しばらく『アネモネ』とやらを眺める。

 あなたを信じて待っています。

 …そうか。

 待ってんのか。


「…………よし。」


 俺は勢いをつけて立ち上がると。

 帰るつもりだったが…ぼっち部屋に向かった。



 明日は、F'sにとっても。

 俺にとっても。



 大事な日になる。




 〇桐生院知花


「全く…若い男の方が良くなったのか?」


 あたしがリンゴをむいてると、華月が隣に来て手伝ってくれて。


「もー、ごちそうさまって感じね。」


 父さんの言葉に、小声で首をすくめた。


 さっき、咲華が家族のLINEグループに海さんと母さんのツーショットを送ると。

 父さんから『いい度胸だ。起きて待ってろ』って。

 それから間もなく、父さんは帰って来て…大部屋で母さんにお説教?



「はい、どうぞ。」


 テーブルにリンゴを置くと、一斉に手が伸びた。

 …部屋に引っ込んでる咲華と海さん、要らないかな…?


「そんなに妬くか?孫の旦那だぜ?」


 聖がリンゴを食べながら言うと。


「妬くに決まってる。さくらは若いし魅力的だ。誰に惚れられてもおかしくない。」


「……」←華音


「……」←聖


「……」←華月


「……」←あたし


「も…もうっ!!何言ってんのよーなっちゃん!!」


「あはは。母さん、真っ赤。」


「あばたもえくぼだな…」


「言えてる。」


「聞こえてるぞ。華音、聖。」


 みんなで笑いながら、リンゴを食べて。

 それから…明日のF'sをどこで見るか…って話題になった。

 みんながどこで見るかを話してる最中、あたしは席を立つ。

 冷蔵庫を開けるふりをして…話題から抜けた。


 SHE'S-HE'Sのメンバーは…みんなB-Lホールに行って観るって言ってた。

 あたしは…まだ悩んでる。

 一人でルームで見るのもいいかな…なんて。


 #######


 ポケットに入れてたスマホが震えて、あたしがそれを手にすると…


『リハ、一発で終わったよー。神、ちゃんと歌えてたから心配しないで』


 アズさんから、すごく安心なLINEが来た。


「……」


 大きくため息をついて、スマホを胸に抱く。



 夕べ…車で送ってもらって。

 険悪な別れ方をした。

 だけど色々冷静に考えて…紫のアネモネの画像を送った。

 それはなかなか既読にならなくて。

 もしかしたら、あたしからのLINEは読みたくなかったのか…

 それとも、スマホを見る事自体したくない状況なのか…

 千里の精神状態が心配だった。


 すると、アズさんから千里がリハをサボったって連絡があって…

 だとしたら、きっと後者の方。

 誰からの連絡にも…応えなかったんだと思う。



「…くっそ、親父の奴…たまには文章打てって感じなんだけど。」


 あたしがスマホを抱きしめたままキッチンに立ってると、テレビの前に座ってる華音がそう言って。


「まあ、親父らしいっちゃらしいかな。メールには返事もしなかったんだから、まだスタンプが帰って来るだけマシじゃん?」


 そう言った聖も…スマホを手にしてて。


「あたしには明日のスケジュール表の写真だけ…あー、あたしもスタンプ欲しかったな。父さんのチョイス、何だか笑えるんだもん。」


 華月も…そう言いながらスマホを見てる。


 …みんな、今返信があったんだ。


「千里か。」


 父さんがそう言った途端…


 ##########


 みんなのスマホが反応した。

 あたしも手にしたスマホを見ると…


 千里『お大事に…(スタンプ)』


「……」


「…ぷっ…」


「あはは。おじいちゃまの後にこれって。」


「このスタンプ、また買ったのか?てか、親父って猫ばっかだな。」


「…そう言えば、昔…木に登って降りれなくなった猫を助けようとしてひっかかれた事があるって…」


 あたしが、たきさんに聞いた話を思い出して言うと。


「えーーーー!!」


 みんなは…予想以上に驚いて、大声をあげた。



 …そんなに…!?



 *********


「おはよー、知花。」


 あたし達はお昼前からミーティングがあって、ルームに集合。

 ロビーで聖子に抱き着かれて。


「夕べ…神さんリハに遅れたんだって?」


 耳元で…そう言われた。


「…うん。」


「…ケンカでも?」


「ケンカじゃないけど…ちょっと…」


「ちょっと?」


「…傷付けちゃったかな…って…」


 あたしの言葉に聖子はバッと体を離して。


「あんたが?」


 首を傾げて言った。


「うん…」


「傷付けられた方じゃなくて?」


「…傷付けた方。」


「……」


「……」


 聖子は長い黒髪を後ろに追いやると。


「ま、いいんじゃない?言いたい事言い合って傷付け合って、それでも一緒にいたいって思えるのが家族よ。」


 小さく頷きながら言った。


「…うん。」


「さ、ルーム行こ。」


 聖子があたしの肩を抱き寄せて歩き始めると…


「おはよー…」


 右後方から、瞳さんが来た。


「おはよ。暗いわよ?」


 聖子がそう言うと…


「だって、圭司はともかく…映はF'sに入って初めてのライヴよ?しかも世界中継なんて…胃が飛び出そう…」


 瞳さんもお母さんなのねえ…って、聖子が小さく笑う。



「あっ、サントスよ。久しぶりに見た。」


 瞳さんがエスカレーターの手前にいる三都みと君を見付けて、少し元気になった。


「んー、久しぶりに見ても可愛いわ。」


「あ…そう言えば…」


 あたしが思い出した事を言おうとすると…


「もう。あたしと瞳さんがいい気分になってるんだから、話変えないでよ。」


 聖子に肩をギュッと掴まれてしまった。


「変えないよ。三都みと君て、小々森こごもり商店さんの甥っ子さんなんだって。」


「えっ。」


小々森こごもり商店って、桐生院家御用達の?」


「そう。どこかで見た事あるなあって思ってたの。三都みと君、学生の頃、小々森こごもりさんの所でバイトしてたみたい。」


「へええええ…何だろ。何だか一気に親近感。」


「あはは。何でよ。聖子、小々森こごもり商店行かないでしょ。」


「知花んちで食べる美味しい物は、小々森こごもり商店で買った物だと思うと…」


「ああ、なるほどね。」


「……」


 聖子と瞳さんのやり取りを、別に小々森さんの所で買った物を三都君が作ってるわけじゃないけどね…って思いながら聞いて。

 でも、この平和な会話に…感謝した。



 夕べ、海さんから千里の記憶についてを聞いて…あたし、少し肩に力が入り過ぎてたかも。

 あたしが神千里を守る。

 …その気持ちに嘘はないけど…

 あたしに出来る事は、知れてる。

 千里に美味しいご飯を作って、一緒にお風呂に入って一緒に寝る…


「……」


 あたし…

 それを『それだけの存在なの?』って…千里に言っちゃったよね…

 それだけ、なんかじゃない。

 あたしはそれで、千里を守って来た。



 …これからあたし達はメディアに出る。

 もしかしたら、そのせいで…千里を上手く守る事が出来なくなるかもしれない。

 だからこそ、ちゃんと…向き合って話さなきゃ。

 記憶の事より…


 あたし達の未来について…。

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